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豊臣は本姓、羽柴が苗字だと聞いたのですが、本姓であるにも関わらず、現代では「の」を入れて読まない慣習が残っているのですが、これは遅くともいつ頃省かれるようになったのでしょうか?

A 回答 (2件)

基本的には#1さんの答で問題ないと思われるのですが、


天皇による賜姓、というものも源平藤橘とかですと平安時代、あるいはそれ以前に作られた姓ですから、秀吉さんの時代までに、すでに数百年以上使われてきた「由緒ある」ものになっています。
これに対し豊臣姓は、1586年後陽成天皇による賜姓なので、権威みたいなものがもうひとつ、ということもあったかもしれません。もし豊臣政権がそのまま続いていたなら「とよとみの」という読みが定着していたかもしれませんが、結局家康になって「みなもとのいえやす」、つまり源氏になっちゃいましたからそういう天皇賜姓であるという実感もあまりなかったのではないでしょうか。
それと、もともと賜姓は天皇に(あるいは天皇の官庁に)対して名乗る時のためのものです。普段は平安時代でも藤原の~なんてのは使いません(藤原さん多すぎる、ってのもありますが)。一条の大臣、とか兵部卿の宮、とかあるいは言継卿、なんていう名前+卿など。(まあ親しい友達同士でしかもプライヴェートだとどうだったかわかりませんが、外向きでは、ね)
その後朝廷の権威そのものが下落していくなかで、姓そのものがあまり意味を持たなくなり、かわりに苗字が台頭してくるわけですね。ですから、論理的には「とよとみのひでよし」で、多分宮中ではそうよばれた(もっとも太政大臣、あるいは太閤であるひとを呼び捨てに出来るのは天皇あるいはその代弁者ぐらいでしょうが)でしょうが、世間的にはそもそも姓そのものがめったに使われず、おまけに秀吉は天皇に次ぐ最高権威でしたから、とよとみの、と呼ぶ立場の人間はほとんどいなかったわけです。そういうわけで特に豊臣姓について賜姓であるという意識が定着しなかったということもあるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

わかりやすい説明ありがとうございます。こういうのはきっちり何年からという答えはないというのはわかっていましたので、納得いきました。

お礼日時:2006/08/06 16:03

確かな証拠はありませんが、明治維新により近代的な戸籍制度が確立した時期、と考えるのが自然でしょう。

これ以後、本姓を有する公家(華族)も苗字(氏)+名前が正式となり、本姓と苗字を区別する必要性が全くなくなったからです。
なお、この時、戸籍に記載する氏として旧来の本姓を選んだ者もありましたが、多くは苗字を氏としました。朝廷に提出する公文書以外では殆ど使われることがなく、形骸化(名ばかりの存在)していた本姓が、名実ともに消滅したのです。
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この回答へのお礼

なるほど。

お礼日時:2006/08/06 16:03

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