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『古事記』の雄略天皇の歌謡の中に、景行天皇の宮の名が歌いこまれているのはどうしてなんでしょう。

A 回答 (1件)

「纒向の日代の宮は 朝日の 日照る宮 夕日の 日がける宮 竹の根の 根垂る宮 木の根の 根蔓ふ宮 八百土よし い築きの宮 真木さく 檜の御門 新嘗屋に 生ひ立てる 百足る 槻が枝は 上枝は 天を覆へり 中枝は 東を覆へり 下枝は 鄙を覆へり 上枝の 枝の末葉は 中枝に 落ち触らばへ 中枝の 枝の末葉は 下枝に 落ち触らばへ 下枝の 枝の末葉は あり衣の 三重の子が 指挙せる 瑞玉盞に 浮きし脂 落ちなづさひ 水こをろこをろに 是しも あやに畏し 高光る 日の御子事の 語言も 是をば」



これを指しての質問と思いますけど、一応シチュエーションとしては、三重の采女が無作法をして、雄略天皇の怒りを買ったのを、上記の歌により取り静めると言うことですよね。
確かに「纒向の日代の宮」は景行天皇になり、場所は奈良県桜井市穴師、一方この宴会は長谷ですからおかしいですね。
これに関しては選者が間違えたとかいろいろ言われていますが、特に深い意味や意図はないのではないでしょうか。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
まさにそこが問題の箇所です。

>選者が間違えたとかいろいろ言われていますが、

ご存知の説がありましたら、ご紹介いただけませんか。

補足日時:2006/08/08 20:14
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