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大東亜戦争のことです。

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  • 質問者:ringo1969
  • 投稿日時:2006/08/09 20:37
  • 困り度:暇なときに回答をください

いつも、沢山の方々にいろいろ教えて頂き感謝しております。
大東亜戦争は、盧溝橋事件が日中戦争に発展したものですね? その後、ABCD包囲網に反発し、日本がアメリカ・イギリスと太平洋戦争に突入していきますが、中国との戦争はどうなったのでしょうか?
中国戦線にいた兵隊さん達は?又、イギリスは実際に連合軍としてアメリカと共に戦っていたのでしょうか?
又、何故アメリカは戦争不介入の立場をとっていたのに参戦したのか。 石油の日本への輸出禁止や無理難題を日本にアメリカが提示する力があったのはどうしてですか?
支離滅裂な文章ですがどなたか、教えて下さい!

この質問への回答は締め切られました。
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  • 回答者:maramatanga
  • 回答日時:2006/08/11 09:08

>何故アメリカは戦争不介入の立場をとっていたのに参戦したのか。
はっきりとした出典を示せませんが(もしかするとNHKの「その時歴史は動いた」)、日本もできる限り戦争突入を回避しようとする動きがあり、アメリカも当初はなにがなんでも戦争という意向ではなかったようです。しかし、日本の支配から逃れんとした中国が日米を戦わせんとして策を弄し、戦争への線路を敷いた事実があるようです。具体的には日本に対する最後通牒とされたハル・ノート(アメリカが日本と不可侵条約を結ぶ条件として、日本が日露戦争以降に東アジアで築いた権益の全てを放棄することを求めたもの/byウィキペディア)に手を入れさせ、最初は比較的穏健だったハル・ノートの文案を、日本を窮地に追い込む内容に変えさせたことを裏付ける証拠があるというような内容でした。
 この類の問いかけに対する回答はさまざまな見方ががあるので、早急に締め切らないで多くの人の考えを聞かれるようアドバイスします。

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この回答へのお礼

今、締め切るつもりで教えて!gooに来ました。
まだまだ分からない事だらけです。
第一次世界大戦くらいから侵略戦争は「悪」だと認識されるようになったと記憶していますが・・中国も裏では汚く動いていたのですね。
そして、日本は白人社会に頑然とはむかっていった。
マッカーサーが太平洋戦争を防衛戦争だったと言いましたが太平洋戦争と日露戦争は防衛戦争で中国とは侵略戦争だったのでしょうか。
考えれば考えるほど悩みます! 兎にも角にもご意見ありがとうございます。

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> イギリスは実際に連合軍としてアメリカと共に戦っていたのでしょうか?

イギリスは、ヨーロッパ戦線で手一杯だったと思います。
アジア方面では、シンガポール上陸作戦・マレー沖海戦(戦艦レパルス、プリンス・オブ・ウェールズを沈没)やインパール作戦・セイロン海戦で日本と対峙しています。

> 何故アメリカは戦争不介入の立場をとっていたのに参戦したのか。

結果を言えば、日本が宣戦布告したからです。
しかし、ヨーロッパ戦線では、相変わらずドイツの方が優勢でした。
フランスは直ぐに降伏していますし、ポーランドもドイツの手に落ちました。
ドイツとソ連は不可侵条約を締結(後にドイツが一方的に破棄)し、ドイツの敵はイギリスだけの状態になります。
もし、イギリスがドイツに敗れるとなるとイギリスへの債権が回収不能になってしまう恐れがあり、とても困りました。
それに、大西洋を渡って軍需物資をイギリスに輸送していましたが、Uボートによる通商破壊でアメリカに被害が出ていました。
ですから、さっさと参戦してドイツを負かしたかったのです。

> 石油の日本への輸出禁止や無理難題を日本にアメリカが提示する力があったのはどうしてですか?

石油の禁輸は、単に石油の輸出国だっただけです。
日本は、アメリカの石油で日中戦争をしていたのです。
無理難題は、どの国がどの国に言っても言いのです。
現在でもそうです。
それが相手にされるかされないかだけです。
現在の北朝鮮の態度、中国や韓国の靖国発言(政府要人の靖国参拝の是非は別に考えてください)がそれに当たります。

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この回答へのお礼

分かり易いご説明、ありがとうございます。
アメリカの石油で中国と戦っていたのですね。皆様からの貴重な投稿を頂き、曇っていた私の歴史観が払拭された想いです。
余談ですが、必死に戦った先人達の慰霊を敬い、尊ぶことは人間として必要だと私は考えます。
侵略戦争を・・したとして唯一の被爆国・日本・・焼夷弾に子供までが真っ黒になるまで焼き尽くされた日本は、その代償は支払った気がします。
せめて・・その御霊を参る事を、外国から否定されたくないと思っています。

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No.2ベストアンサー20pt

  • 回答者:rikukoro
  • 回答日時:2006/08/09 21:12

1904年~1905年、日露戦争
1904年、アメリカは日本を仮想敵国として「オレンジ計画」を策定。
日露戦争での日本の勝利は、白人の敗北としてアメリカで排日運動が高まり、
「事後法」による移民や日系人の排斥へと推移していきます。
当時、日本人は先人の努力で黄色人種の中では世界でも特別扱いでした。
一流ホテルへ宿泊できたのは黄色人種の中では日本人だけでした。
アメリカ移民の先輩中国人は鉄道の線路工夫がやっとで奴隷状態でしたが、
日本人は農業などで次々と荒れ地を豊かな農地へ変えていきました。
それは白人にとっては魔法でした。白人より優秀な黄色は許せないことでした。


当時 白人移民はとても貧乏でした。
しかし、当時 白人は黄色人(日本人)の農地や店舗を強奪しても神から許されると考えました。
「事後法」による移民や日系人の排斥へと推移していきます。
1906年、アメリカで新帰化法。帰化申請を白人とアフリカ人に限る。日本人は帰化不可。
1913年、排日目的の「外国人土地所有禁止法」。
アメリカ市民になり得ない外国人(日系1世)の不動産取得、保有、使用、譲渡を禁止。
法案のなかには、日本人の営業不許可や日本人学童を隔離するものまで含まれていた。
1922年ケーブル法成立。アメリカ市民(日系2世)が非アメリカ市民と結婚した場合は市民権を失う。
1924年、「移民法」で日本人の移民を全面的に禁止。別名「排日移民法」。
1941年12月7日 日米開戦、日系アメリカ人は敵国日本と同一視される。
1942年、日系人12万人の強制収容(3分の2はアメリカ市民)。ドイツ人イタリア人は自由。
日系2世がアメリカに忠誠を誓い従軍しました。
1946年、収容所が閉鎖される。日系人は家屋の破壊や資産喪失に愕然となりました。
今のアメリカ西海岸の農地の多くは日系人が荒れ地を開拓したものを強奪されたものです。

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この回答へのお礼

本当にありがとうございます。
恥ずかしながら日清戦争や日露戦争の経緯は全くと言っていいほど、存じません。
私は常に・・日本人として誇りを持っているつもりですが素晴らしい先人のお話を聞き、更に誇らしい気分です。
主観ですが、アメリカは自由平等を謳いながら黒人を苦しめ、利用した恐ろしい国です。
とても世界のトップとして従う気にはなりません。
ドイツには落とさなかった原爆も人種差別だと私は考えています。
又、勉強になりました。

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No.1ベストアンサー10pt

  • 回答者:6dou_rinne
  • 回答日時:2006/08/09 20:53

中国との戦争も続けていました。
ただし、他の地域にも兵力をさかなければならなくなったので、あまり大規模な作戦はできなくなりました。
アメリカはドイツとの戦争を始めたくて仕方がありませんでしたが、アメリカから戦争をはじめるわけにはいかないので、日本がアメリカと戦争を始めれば三国同盟でドイツもアメリカに宣戦しなければならないことになっていましたから、日本に戦争をはじめさせることは好都合でした。

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この回答へのお礼

ものすごく・・謎でした。
太平洋戦争が勃発した時から・・いろんな資料を探しても中国との戦争に触れたものに出会えませんでした。
中国とも続けていたのですね。
スッキリしました。本当に感謝します!ありがとうございました。

  
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