広島、長崎の原爆投下について
8月になり広島、長崎の原爆記念式典をテレビで見ていて胸が苦しくなりました。市長は「核廃絶」を訴えましたが、アメリカの人権に対する罪、敗戦を遅らせたその当時の日本の指導者の罪はないのでしょうか?誰も言わないのでしょうか?本当は言いたいのにそれを心の中に
押し込んで「核廃絶」を訴える姿に胸が苦しくなります。こんなことを思うのは私だけでしょうか。みなさんのお考えお聞かせください。
回答(9件)
- 最新から表示
- |
- 回答順に表示
- |
- ベストアンサーのみ表示
アメリカは軍需産業に依存して経済が成り立つ軍産複合体に支配された国で
戦争と搾取をしなければ成り立たない国で世界各国と共生できない国です。
アメリカの歴史は口実をデッチ上げて戦争をしかける戦争の連続の歴史です。
イラク戦争の理由にした大量破壊兵器もデッチ上げのウソだったように
アメリカが言っていることは全部ウソというのは世界の常識です。
9.11もアメリカが戦争をするための自作自演だったことが暴かれてます。
世界の軍拡競争もアメリカが軍拡をするからでアメリカのせいです。
軍拡競争や戦争や搾取をなくすためにはアメリカを打倒しなければなりません。
世界各国が国連中心主義で平和と共生を守ってきたのに
アメリカとイギリスとイスラエルと日本だけが国連を無視して戦争と搾取をしてます。
軍拡競争と戦争をなくして世界平和のため、搾取をなくして世界の共生のためには
アメリカと軍需産業とグローバリズムを打倒しなければならないという考えから
世界各地で反アメリカ戦線が作られ大部分の国が反アメリカ戦線に参加してます。
NHKスペシャルベネズエラ革命、ラテンアメリカの反米で紹介したように
中南米ではベネズエラ、ヨーロッパはEU、アフリカはAU
中東はイラン、アジアは中国がリーダーになって反アメリカ戦線を作って
アメリカの戦争や搾取にNOを突きつけアメリカ打倒のために戦ってます。
アメリカとイギリスとイスラエルと日本は世界各国の市民から
平和と人権を侵害し世界と共生できない国と評価され軽蔑され孤立してます。
このままでは日本はアメリカとイギリスとイスラエルと道連れで滅びます。
日本はアメリカ盲従をやめ中国が指導するアジアの反アメリカ戦線に参加すべきです。
日本は世界各国と協力してアメリカ打倒に立ち上がるべきです。
(あの時はむごかったのー) と両親から原爆の
悲惨さは聞かされました。これは僕の両親だけなのか
も知れませんが、アメリカや日本の指導者の恨みなど
ないと思います.被爆者の多くはそんなことより、
あんな戦争や原爆は二度と起こして欲しくない、自分たちと同じ体験はさせたくない気持ちだと思います
この回答へのお礼
素直なお気持ちを聞き、やはりこれは日本人の特質(徳質?)だと思います。私はボランティアで外国の人と話をする機会が多いのですが、EUある小国の人が戦争でひどい目にあったと若い人でもはっきり言います。
ボランティア仲間では「それに比べて日本人は人がいいよね~」と言って苦笑しています。でもNO8さんのような考えが日本人の大半だと思います。ありがとうございました。
6の者です。
私がいう原子爆弾を落とす側の理屈は、アメリカに限らず日本以外のほとんど全ての国の常識であり理論です。
例えばイラクで日本人の旅行社が運悪く殺されたことを大きく報じる日本のマスコミも、イラクでアメリカ兵が2000人以上死んでいることを大きく報じはしません。死んだのは日本人ではないからです。日本のマスコミは日本人のためにあり、アメリカ人のためにはありません。
同じように世界中の国の政治やマスコミは自国の国益のためにあり、世界の平和はその次なのです。
アメリカが恐いのではなく人間の「業」が恐いと思います。
この回答へのお礼
世界の現実を教えていただきありがとうございました。
No.6ベストアンサー20pt
現在の世界においても核兵器の恐怖はあまり知られていません、日本人くらいですね、核の恐怖と残留放射能のおそろしさを知っているのは。世界のほとんどの市民は「核兵器はものすごい爆弾」ということは知っていても「放射能って何?」てなもんです。
もちろん指導者たちはその力を知っているので使われなくなりましたが、今まで何度か使われる危険は実際にありました。日本の都市への焼夷弾攻撃による「焦土作戦」を発案したルメイ将軍は、その後のキューバ危機の際「核攻撃」を主張し、大統領がケネディでなかったらほんとうに危なかったでしょう。
軍人にとっては「新兵器は使ってこそ新兵器、それを使わなかった事によって自国の兵士が傷つき、命を落としたら誰が責任をとるのか」という理論です。ある種あたりまえかもしれません、敵国人が人間でなければ・・・
アメリカの政治家からすれば極秘に開発されていた原子爆弾の存在や放射線被害自体を知らず、沖縄や硫黄島戦で死んだ息子のいるひとを有権者にもち、これ以上の犠牲者を出すと政治生命に関わると思ったとき戦争を早く終わらせる新兵器ができたのならさっさと使ってしまうべきだと考えるのが政治家として当然でしょう。広島や長崎の市民が何万人死のうと所詮アメリカ人ではなく、彼らの有権者ではいのですから。同じ理由で日本軍も原爆開発してたんですから・・・
核兵器が出来てしまった以上は核廃絶は机上の空論にすぎず、それを無力化できるほどの兵器が開発されない限り、悲しいかな人類は核に頼らざるを得ないのです。
それは、核廃絶を訴える市民団体ですら、核廃絶の大きな目的のために「小異を捨てて大同につく」という共同歩調を取れない(共産党系と旧社会党系で活動方針に合意できず分裂した)という人間の根源的な「業」ともいえる問題に突き当たるからではないでしょうか。
昭和天皇の責任・・・あるでしょう、でも天皇を戦犯にすればアメリカの占領政策はうまくいかず、今のイラクのようになってしまったことでしょう、天皇を殺さないことによって日本を西側国として早期に復興させ、アジアで高まる共産主義の恐怖と戦わなければいけなかった・・・のですね。
でも復興したあと、昭和天皇が生きておられるうちに自身の戦争責任についてご自分で何らかの総括をされ、国民にお話をされる機会を与えられなかった昭和天皇はある種お気の毒とも思います。
この回答へのお礼
原爆を落としたアメリカの立場を詳しく説明して頂きよくわかりました。怖い国ですね。でも何故小泉さんを
はじめ日本人は親米なんでしょうか。すみません。
また余計な質問をしてしまいました。
No.5ベストアンサー10pt
こんにちは、
私も質問者さんと全く同じ疑問を持ち続けています。
私は長崎在住なので身近な人に被爆経験があったり、かつては私の父が被爆者でした。(7年ほど前に亡くなりましたが、)
靖国神社問題、戦争責任の問題、賛否両論を毎日のようにメディアで報じておりますが、事実はNO.4さんのご回答のようなことだと思います。
私は天皇に戦争責任があると断言します。終戦後天皇がマッカーサーと接見した際に発言した覚悟(国民を擁護し、自分に責任があると発言したそうです。)があったのならば、何故沖縄戦、広島原爆、長崎原爆という悲劇に突入する前に決断ができなかったのか?敗戦は分かっていたのに何故大きな悲劇を生むまで決断できなかったのか?軍部の思惑もあったとは思いますが、その当時天皇には絶対的な発言権があったはずです。ですから、私は戦犯とは、戦争を始めたという責任ではなく、国民が犬死するのをだまって見ていたことの責任だと思います。私は降伏を遅らせ無駄死にした全ての英霊、戦争被害者に対して軍関係者と天皇に責任があると思います。
この回答への補足
私もこの夏戦争に関するテレビ、新聞、本でかなり勉強しました。私は戦時中に生まれたものですが高校の
教科書で習った戦争はほんの上っ面でしかありませんでした。No.5さんのような方は当事者の子供さんですから
もっと語っていただきたいと思います。
そしてこんな戦争を二度としないためにどうしたらいいのか考えましょう。
大いにありますが、責任を突き詰めていくと最後は昭和天皇に行き着いてしまうためタブーとなっているのです。
一発目の原爆が落ちた後も、戦後天皇の責任がどうなるかわからないという理由で政府と軍部は降伏するのに踏ん切りがつきませんでした。
そして二発目が落ち、みかねた政府高官の一部が連合国が送ってきた英文の降伏勧告を訳す際に、
「天皇の戦争責任は問わない」
という嘘の条文を書き加えたため、ようやく降伏に踏み切れたのです。
一方、アメリカ側も昭和天皇を処罰してしまうと、彼を神と信じこまされている日本国民が徹底的に反発し簡単には占領できないのではないか?という思惑があったため、天皇を処罰するのは止めました。
当時、満州に侵攻したソ連軍が次に日本本土に攻め込むのも時間の問題だったため、このままモタモタしているとドイツの時のように日本の北部をソ連に盗られてしまう恐れがあり、共産主義の世界への波及に危機感を募らせていたアメリカも妥協せざるおえなかったのです。
一方日本国民に反乱を起こさせ、反乱鎮圧を口実に日本の国土を奪いたかったソ連は天皇の戦争責任を追求するよう主張するのですが、
東京裁判ではアメリカのいきのかかった判事や検察官がグルになって、話が天皇の責任に及びそうになると裁判官が話題を変えてしまうといったようないんちき裁判が行なわれ、東条英機などA級戦犯達に全責任をなすりつける形で結審しました。
こうして日米双方の事情が重なり、ことはうやむやにされてしまったのです。
ちなみに沖縄戦も、天皇の戦争を問わない形で降伏するためソ連に仲介してもらう間、アメリカ軍を島にひきつけ時間を稼ぐのが目的といわれています。
天皇の命を守るため兵士だけでなく一般の島民が人間の盾として利用され、実にその1/5が戦死するという悲惨な事態に(当時は多産大家族が普通でしたので、沖縄のほとんどの家庭が誰かしら家族を失うことになりました)。
そのため沖縄の人達は今でも天皇のことを非常に恨んでおり、慰霊に訪れた皇太子に島民が火炎瓶を投げつけるような過激な事件も起こっています。
そのため昭和天皇の全国行脚も沖縄だけは行なわれることはありませんでした。
おはようございます。
「アメリカの人権に対する罪」
これを糾弾して何かプラスになるでしょうか?アメリカも自国に非があることは充分に分かってはいるはずです。今更それを言ったからといって、今後の戦争抑止力になるとも思えません。アメリカは自国(または上層部の一部の人々)に利益になると思えば、なんでもする国であり、過去の反省の上に今後の行動を決めるという国ではありません。イラクに対する戦争でも、非人間的な兵器をたくさん使っていることでもそれはわかります。軍需産業関係の人々に利益になるからそうするのです。なお、もちろん外交カードにもなりはしません。日本はその点をよく分かっているので敢えて言わないのです。言ってもそれは利益になりはしないからです。
「敗戦を遅らせたその当時の日本の指導者の罪」
誰かに罪を着せて一件落着といきたいところですが、それでいいのでしょうか?指導者に罪を着せるためには条件があると思います。
当時指導者に断固反対したでしょうか?戦争反対と、大規模なデモでも起きたでしょうか?それをしていない国民は、彼らと同罪だと思います。声をあげなければ、それを是認したことになると思うからです。
ちょうど、今の政治に対して反対の意見を公に表明せず、仕方ないからと、従っている我々になぞらえることができると思います。今の腐敗した政治の責任は国民皆の責任でもあるのです。
いま、A級戦犯だとかよく言われていますが、(法的にももちろん彼らを戦犯とするのはおかしいのですが)、そう言っている人たちは、マスコミの誘導にだまされているのではなかろうかと、私は思うのです。もし、彼らが罪人であるとすれば、国民全てが罪人であると思います。しかし私は彼ら「A級戦犯」も国民も罪人とは思っていません。正当な権利に基づき、正当に戦ったのです。
・核廃絶について
広島・長崎両市長は立場上、核廃絶を訴えなくてはなりません。
しかし、一度皆さんに聞いてみたいのですが、本気で核廃絶なんかできるとお考えになる方がいるのでしょうか?
これほど全世界に核が拡散すれば、どこにどれだけの核が存在するか誰も把握できはしません。小人数の狂ったテロリストグループが手に入れてしまってるかも知れないのです。
仮に、アメリカ、中国、ロシア、インドなどの主要核保有国が申し合わせて核廃絶したとしましょう。そうすれば、世界は核を手に入れたかもしれないテロリストの言いなりになりはしませんか?それを考えると、怖くてとてもじゃないが本気で核を廃絶しようなどと考える国は無いのではないかと思います。
現在の日本は言いたいことも言えないという印象もありますが、一応戦後国連に加入した時点で、第二次世界大戦に対する彼我の諸々の賠償責任や責任追求は帳消しにしたことになっているので、日本はそれを忠実に守っていると考えてもいいのではないでしょうか。
もっともいつまでも被害を受けたことを政治の道具にする国もあるので、余計に日本が弱腰に見えるような面もありますが…。
被害を受けた側が単に声を大にして加害者側に道義的、倫理的、そして人道上の責任を追求することは簡単です。
ただ原爆投下が加害者側の論理で、正当な行為だったと主張する人たちもまだたくさんいるので、ある意味No1さんの言われるように、今ことさらに事を荒立てて国家間に軋轢を作ることは避けた方がいいと私も考えます。
もっとも日本の側の戦争責任を追及する行動は、国内の各方面で飽くことなく続けられていますが、戦勝国のアメリカに関しては原爆や無差別爆撃という、非道な行為をあからさまに非難する声が出ないのがちょっと不思議ですね。
とはいえ、過去を無理に掘り出して不必要な遺恨を創作するより、やはり未来に目を向けることにより、核兵器そのものの存在に対して異議を唱え続けることが大事ではないかと思います。
無闇に過去にこだわることは、自身の未来を摘み取っていることにも繋がるのですが、こんな簡単なことが分からない国がまだあることが、悩みの種なんですが…。
でもusagi65さん、とても優しい方なんですね(*^_^*)
この回答への補足
私の疑問に率直に答えていただきありがとうございます。私の言葉足らずで誤解を与えたかと思いますが、
責任追及や賠償請求などを考えているのではありません。あれだけのむごい結末があったわけですから、そこえ至らしめたものは何だったのかということを日本国民は正しく心の中にしっかりと刻んでおくべきだと思うのです。そしてそこから未来を考えることが出来るのではないでしょうか。これは日本人の性格だと思いますが
物事をあいまいにして水に流す、人(国)との関係だけを優先する。これではあの戦争で亡くなった人が浮かばれるのでしょうか?
核廃絶を訴えの場に置いて、他の事をあれやこれやと持ち込んで政治主張の場にしてしまうのは本望ではない、という事でしょう。まずは核廃絶というメッセージが一番大事であり厳粛に核廃絶だけを訴えるのがふさわしいと考えての行動だと思います。
- 最新から表示
- |
- 回答順に表示
- |
- ベストアンサーのみ表示











