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第一次大戦西部戦線について

役に立った:1件
  • 質問者:noname#32495
  • 投稿日時:2006/08/12 10:41
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西部戦線は海峡からスイスまで延びていますが、動きがあったのはその中の海峡からヴェルダンまでです。それ以東はこれといった戦線の移動はありませんし、大規模な作戦もありません。地形の関係でしょうか。

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  • 回答者:a-koshino
  • 回答日時:2006/08/14 17:39

パリにこだわったのは、「短期決戦で勝利」という必要条件があったからかもしれません。早期にフランスを降伏させるには、パリ占領しか手がないように思われます。
「とても到達できる距離ではない」との御感想は正しいでしょう。マルヌの会戦でのドイツ軍は、兵の疲労により実力を発揮できなかったようです。
「パリ占領」だけを目的に考えると、アルデンヌへ兵を回すのは無駄、と判断されてしまうのではないでしょうか。

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この回答へのお礼

おそらくパリは問題でなく、要塞地帯に攻め込むことはできないからでしょう。

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  • 回答者:a-koshino
  • 回答日時:2006/08/13 14:01

アルデンヌ方面にはドイツ軍の有力な防衛陣地があり、開戦時に攻勢に出たフランス軍は大敗しています。

http://ww1.m78.com/honbun/frontier%20battle%20fi …

シュリーフェンプランでは、陣地を捨てて後退、とまでされていた地域なので、ドイツ軍が大攻勢に出る予定は、当初ありませんでした。
後は、地形の問題と、ドイツ軍の戦略目標がパリを第一にしていたからでしょう。

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この回答へのお礼

当初は仏軍がわずかな前進をしました。アルザス地方は戦中唯一の独領仏軍進攻地帯で戦中ずっと確保していました。
その後はしかし、なぜパリにこだわったのか、とても到達できる距離ではない気がします。

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  • 回答者:ss79
  • 回答日時:2006/08/13 13:05

No2です。
質問者のご指摘のとうりヴェルダン戦はソンム戦より早かった。
私の早とちりでした。

第1次のヴェルダン戦は1916年2~6月でこれは東部戦線で勝利し予備兵力に余裕ができたドイツ軍が右翼での膠着から左翼に重点を置いたものでした。ソンム戦は1916年7~11月でした。

私はソンム戦とマルヌ戦を間違えていました。
謹んで訂正いたします。  ごめんなさい。

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この回答へのお礼

いえ。多分そうなんだろうなと思っていました。

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No.2ベストアンサー10pt

  • 回答者:ss79
  • 回答日時:2006/08/12 12:21

ドイツから見てヴェルダン以南は次第に地形がスイスに向かう機動困難な地帯で、鉄道網も他に比べ貧弱でした。
右翼はパリに近いのでシュリーフェン計画ではここを突破する計画でしたがソンムの敗北で戦線が膠着状態になったので、左翼のヴェルダンに突破口を作る攻勢に転じたのです。

当時の軍隊の移動集中には鉄道が頼りでしたからそれに自信が持てない地区は作戦に適しないのです。

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この回答へのお礼

鉄道網ですか。それは大きな要因でしょうね。

ヴェルダン攻撃がソンムより先んじています。

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  • 回答者:yakyutuku
  • 回答日時:2006/08/12 10:53

地形の険しさもあるでしょうが、根本的にパリへの主要街道の無い地域はドイツ軍にとって意味が無いんじゃないですか?それにドイツの開戦時の作戦計画も海岸側から突破し前線部隊を方位殲滅するといったものだからウェルダン以南は初めから戦場として考えてないと思います。

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この回答へのお礼

ドイツ側にとっては初期の作戦指導によりそうなるかと思います。が、いったんそれが破綻した後は、重点が移ってもいいと思うのですが、やはり地形でしょうかね。

  
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