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高浜虚子の「流れ行く大根の葉の早さかな」の鑑賞文が欲しいです。
自分でも色々考えてみましたが、皆さんの鑑賞文が見てみたいです。
よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

虚子はこの句を「六郷用水」のほとりで詠んだといわれています。


関東では大根は11月末ごろから12月一杯が収穫時です。

冷たい水が流れている六郷用水の川岸で、女性が一人大根を洗っている光景に出くわして暫く見ています。

泥をタワシで擦り落とすとき、泥と一緒に何枚かの葉っぱが落ちました。葉っぱは流れに乗って下流へと流されていきます。

さっきまで漫然と見ていた六郷の流れは、それほど速いものとは思っていなかったのに、大根の葉っぱを運んでいく川の流れは、異様とも思えるほどの速さで流れていることを知らされ、改めて驚きの気持ちを持ちつつこの句を詠んだのではないでしょうか。

何も浮かんでいないときの川の水面は、穏やかでゆったりと流れているように見えます。しかし、木片、枯葉、紙片などを流してみると、川の流れの速さが思っていたよりも速いことに気づかされることは、我々にも経験があります。

虚子も冬の六郷川の川岸でそんな体験をしたのでしょうか?

全くの素人鑑賞文です。自信度はゼロです。
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この回答へのお礼

ご丁寧にありがとうございました。

お礼日時:2006/08/19 11:38

これは宿題ですね? 違反ですよ.


虚子の解説があります.
ご自分でどの程度想像を巡らせられるか,それは創造でもあります.他人の創造を真似しないように.
鑑賞文というのはその人自身の人生経験の全てが表現されるものです.若い人は若い人なりに.

参照URLの最後です.

参考URL:http://www.haiku.jp/takahama/sakuhin.htm
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この回答へのお礼

そうですね・・・・読み取ると言う事が苦手なもので。
下手でも自分なりに鑑賞すればいいんですね。

お礼日時:2006/08/19 11:40

どういう情景なんでしょうかね。


私が考えるのは、あくまで、自分だけの想像ですが。

かつて、田舎では、惣菜の大根などを洗うのは、台所ではなく、屋外の共同水路でした。今でも、そうした水路は、大内宿などに残っていますが、そんな情景が眼に浮かびます。
夏の日差しが傾いた頃、きらきらと輝く掘り割りの中を流れていく大根の葉っぱ。
淀んだ水でなく、清冽な流れを讃えた郷土を詠ったものだと思います。記憶違いだったらいけませんが、虚子は子規と同じ松山の生まれだったと思います。
思いつきで、ごめんなさい。
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この回答へのお礼

いえいえ、謝らないで下さい。ご丁寧にありがとうございました。

お礼日時:2006/08/19 11:41

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