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ポスト小泉は格差社会を生み出したといいますが、これからの時代は自分を含め貧しい労働者が増えるようですが、その出来事に加えて、社会主義的な思想は有用になること(支持する人が増えること)はないのでしょうか。低所得しか望めない人間が多いとは言え、まだ日本は豊か過ぎるのか。それとも社会主義は過去の平等思想にあたるのでしょうか。

現代思想の本や大学の受講内容の概要等を見ていると、個人が社会に何ができるか「一人一人の倫理が問われる時代」みたいな切り口で語られる事が多いと思います。でも社会をよくするという意味ならば、貨幣等の生存する為の価値媒体を均等に配分するという思想がなければ、よりよい社会を認識できるわけもなく、倫理もへったくれもないと私は思うのですが…考えが歪んでいるのでしょうか。

個人のモラル(倫理)を追及するならば、共産主義的な社会システムによるルールに決められた経済の方が、人間社会の究極形態じゃないかと思うのですが、資本主義経済において、金になるか否かが焦点になっており、個人のモラルが貨幣に絡め取られている気がしてならないのです。

雑誌を読んでいると何某かの評論家は、よりよい政治にするためにこれからは「格差社会を考えることが急務」といいますが、私は社会主義というキーワードを彼らが持ち出さないのが不思議なのです。このキーワードこそが個人の倫理が完成した形ではないでしょうか。(私の言動について何かつっこみがあったらお願いいたします)

A 回答 (8件)

社会主義=平等思想とは思えません。


よって、計画経済=社会主義という図式も本質から逸れているでしょう。
先進国では、かなりの経済活動が慎重に制御されています。
それでは、一体、どこに社会主義の本質があるのか?
それは、資本主義のプラス面を継承しマイナス面を克服する点にあると思います。
よって、競争原理は継承されるでしょう。
よって、貧富の差も発生するでしょう。
ただし、日本のような歪な格差は是正されると思います。

「頑張れば報われる」-大いなる幻想です。
日本の支配層を形成しているのは、実に100程度の一族です。
彼らが動かせる富の総量に比べると、庶民の中の成功者の資産など屁です。
現代日本を金融独占資本が支配していないと考えるならば、それは盲目でしかありません。
厳然として100程度の一族=ブルジョアジーは存在しています。
その他大勢は、所詮、プロレタリアートです。

格差社会を考えることが急務」-この問題は、階級的観点からはほとんど論じられていません。
いわば、評論家的な解釈の域を出ていない訳です。
ですから、当然に、出口なき論議に終始しています。

まあ、アメリカの従属下で醸成された反共主義的意識では未来は見えません。
また、スターリン、毛沢東の誤りに臆して反反共主義の旗を降ろすようでも出口は見えません。
様々な周囲の批判・非難に耳を傾けるよりも、日本資本主義の現実を鋭く分析することが先決です。
要は、日本資本主義の更なる発展=社会主義でしかない訳ですから。

質問者は、「資本論」でマルクスが何を問題としたか?
質問者は、「自然の弁証法」でエンゲルスが何をもって空想と社会主義者を批判したか?
この2つについては、文献をあたっても損はないと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

「格差社会を考えることが急務」こういう発想も、「治安が悪くなる」とか、そういう観点から国民が荒れない社会にしましょうっていう、上から俯瞰しているだけなので、これは上の立場から貧民の暴動を恐れているわけですが…ならば、下から変革するプロセスがあってもいいと思うのですが、誰もといっていいほど、その事には触れません。
…そんなことを志すならば、資本主義経済を勉強して、確信的なロジックを見出し、経営の知識に転換させて、その人は資本家からお金を借りて、プロレタリアート社長になるのだと思います。知者はお金持ちのプロレタリアートになるので、資本主義が発展しても、社会主義的な方向へ行く気がしません。金持ちは金持ちであり続けないで、平等でなくとも、自然に是正されて、あるべき形になるのを待っているのを証明したのが弁証法なのでしょうか。知恵だけが人を幸せにする平等ではない社会が、未来にある社会主義ということなんでしょうか。

資本論は一ページも読んだ事が無いので、たしかに読んでから考えるべきでしょうね。あと、100程度の一族っていうのも調べてみます。しつれいしました。

お礼日時:2006/08/19 21:54

社会主義・共産主義は世界中の地球市民に支持されて広がっています。


世界中の地球市民はアメリカの弱肉強食の資本主義は地球市民を不幸にすると評価してます。
世界中の地球市民が生産手段の国有化・公有化、計画的経済と配給、保護貿易、規制強化、
競争の禁止など、経済の社会主義化・共産主義化を支持して社会主義・共産主義は
世界中で広まってます。世界中の地球市民は競争社会を廃止して共生社会をめざしてます。

アメリカと関わってるとアメリカに搾取されて地球市民は貧しくなる一方です。
イギリス、イスラエル、日本以外の世界中の地球市民はアメリカとの関係は損害ばかりで
何の利益もないことに気づいてアメリカとの関係を拒絶する政策に転向しました。

NHKスペシャル、ベネズエラ革命、ラテンアメリカの反アメリカの動きで紹介したように
南アメリカ・中央アメリカではベネズエラ、ヨーロッパではEU、アフリカではAU
中東ではイラン、アジアでは中国がリーダーになって社会主義・共産主義革命運動を作って
アメリカの資本主義や戦争や搾取にNOを突きつけアメリカ打倒のために戦ってます。

アメリカとイギリスとイスラエルと日本は世界の地球市民から平和と人権を侵害し
世界と共生できない国、世界の市民の平和や人権の敵と評価され軽蔑され孤立してます。
私は外国の人から日本はアメリカの悪をわからないのか、なんでアメリカに盲従するのか、
いつまでアメリカに盲従するのか問われて日本人であることが恥ずかしくてたまりません。

アメリカは国の経済も国民の就職先も大部分が軍需産業、国の予算も大部分が軍事支出
なので戦争と搾取をしなければ成り立たない国で世界の地球市民と共生できない国です。
アメリカの歴史は脅威をデッチ上げて戦争をしかける歴史の連続です。
世界各国が国連中心主義で平和と人権を守り地球市民の共生をめざしてきたのに
アメリカとイギリスとイスラエルと日本だけが国連を無視して戦争をしてます。

軍拡競争と戦争をなくして世界平和のため、搾取をなくして地球市民の共生のためには
アメリカと軍需産業と資本主義グローバリズムを打倒しなければならないという考えから
世界中で社会主義・共産主義革命運動と反アメリカ戦線が作られ
世界中の地球市民が反アメリカ戦線に参加してます。

このままでは日本はアメリカとイギリスとイスラエルと道連れで滅びます。
日本はアメリカ盲従をやめ中国が指導するアジアの社会主義・共産主義革命運動と
反アメリカ戦線に参加すべきです。日本は世界中の地球市民と協力して
社会主義・共産主義革命運動の連帯によるアメリカ打倒に立ち上がるべきです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

EUはアメリカに対抗するための共産主義システムだと認識しているのでしょうか…とすると、例えば、NAFTAは北アメリカ共産主義システムの確約になるんですか?面白いですね。反アメリカ戦線とはなんでしょうか。地球市民の定義はどこにあるのでしょうか。よくわかりません。

アメリカとイギリスとイスラエルと日本を潰したいのであれば、その他の各国が貿易をやめてしまえばいいんです。すくなくとも日本は資源も食料もなくなって、数日で瓦解しますね。

お礼日時:2006/08/20 00:35

共産主義は悲劇しか生みませんでした。

思想としては残っても政治としては復活できないでしょう。本の中のお伽噺で、実現不可能なものだと言うことが既に証明されてしまっているのです。国家という多くの人間が関わるもので、そういう危険な人体実験を行うようなことを再び行うほど人間は愚かではないと思います。
 共産主義は原始社会と本の中でのみ実行される者なのです。
>個人のモラル(倫理)を追及するならば、
>共産主義的な社会システムによるルールに
>決められた経済の方が、人間社会の究極形態
>じゃないかと思うのですが、
>資本主義経済において、
>金になるか否かが焦点になっており、
>個人のモラルが貨幣に絡め取られている
>気がしてならないのです。
 それは大きな誤解です。社会主義はエリートの決定に従い経済活動を行うシステムであり、経済的なモラルは消失していきます。旧ソ連では横領やさぼりは通常のモラルに反しない行為であったのです。
 また、経済性を追求するのは共産主義のほうが酷く、資本主義では様々な価値観でそれぞれの理想や目的を持つためそれが制御装置になりますが、エリート層の決定のみの共産主義社会ではかなりの自然破壊や人権無視が経済のために発生しています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

やはり金を介さないと人間社会は成立しないのでしょうか。金がありすぎてもモラルが無くなる、かもしれない。金が無くなるとモラルが無くなる、かもしれない、色んな意味で。そこで有用なのは、資本主義における知識であり、その先にあるかもしれない社会主義の知識に過ぎない、という認識にいたします。

お礼日時:2006/08/20 00:08

社会主義が個人の倫理が完成した形とは思いません。


○○主義といわれるすべての形態において完成とか完璧とかいわれるものはありません。すべて必ず長所と短所があります。

資本主義はお金を生み出す能力とそれを維持発展させる能力が強い人間が力を持つ社会です。
倫理があるかないかはそのお金を持った人間に倫理があるかないかに係っています。

社会主義や共産主義はいわば国民全員が公務員になると考えて差し支えありませんから、その組織の上部にいる人間が力をもつ社会です。
倫理があるかないかはその上部にいる人間に倫理があるかないかに係っています。

つまりどのような主義の社会になっても、力をもったごく少数のトップ階級の思惑如何でその社会はいいようにも悪いようにもなります。

トップ階級の暴走は社会主義のほうが圧倒的に市民の生活を徹底的に破壊しますから、その恐怖に進んで突入しようとする知識層はあんまりいないと思います。

資本主義経済では、金にならないことは排除されます。結果的に弱者を切り捨ててしまう傾向がある。
社会主義経済では、計画経済が重視され、その計画がぼんくら上部の妄想であっても遵守することが強制されます。
これは個人のモラルが「全体主義」に掠め取られている気がしますが、いかがでしょうか?

今の日本は社会主義>資本主義から社会主義<資本主義にシフトを変更しています。
これから日本で力を持つのは金の力を身につけた人間です。
ただ、それだけのことなのです。

社会主義、共産主義になれば国民全員が何もしなくても十分お金をもてて自由になりハッピーになれるという幻想を持つのはやめましょう。

過激な社会主義、共産主義社会においては圧倒的な権力をもつ組織上部の人間に金はおろか、仕事や結婚、子どもの人数、はては命まで自由にコントロールされてしまう危険性があることを十分に承知の上、ご主張ください。
私は日本が過激な社会、共産主義になったら迷わず日本国籍を捨てます。
他人に自分の人生をコントロールされるほどお人よしではありませんので。

この回答への補足

http://www.yuichiro-itakura.com/archives/2006/02 …

補足日時:2006/08/19 23:53
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>自由にコントロールされてしまう危険性があることを十分に承知の上、ご主張ください。

権力者が権力を振りかざす仕組みを無くして、この危険を越えた先にある社会主義システムというルールづけをしたほうが、資本主義システムよりも個人のモラルを重んじた社会だ…という前提でいま私は考えています。

たしか板倉雄一郎という人は、社会主義でも資本主義でもどちらでもよくって、資本主義社会において、ハッピーになれる知識を発信している……ようで、私はそれで面白いと思いまして…それならば逆に、翻弄されない知識と倫理さえあれば、社会主義の主張も筋が通るかもしれないと思いました。(実はただそれだけです)

なぜ社会主義は有用にならないか、それは危ない橋だからでしょうか。現代思想でヒューマニズム的な思想が危ういことが分かってきたからでしょうか。それでもいい塩梅にいけばそれなりに甘美な社会システムだと思うんですが…これから経済と哲学の勉強を始めます…。

お礼日時:2006/08/19 23:42

#1の人もいっていますが、社会主義・共産主義で運営された国がなぜあんな状況になったかの説明をしない限り、誰も聞く耳を持たないでしょう。


さらに言えば、かつて社会主義にすべきと主張してきた人たちが次に持ち出してきたのが「格差社会」です。
つまり、「格差社会」を対処するために社会主義・共産主義を持ち出してきてしまえば、また誰も聞く耳を持たないでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

ある権力を持ってして革命を起こした者がモラルを持たなかったからであり、民衆にもモラルがなかったからではないでしょうか。
少なくとも、統治者に権力が集中しない仕組みがあれば、ソ連のスターリンも北朝鮮の金日成・金正日もキューバはよく知りませんが…そういう独裁者は歴史に名を刻まず、支配層並びに計画立案層が、民衆の野望をうまく統制していれば、いわゆるユートピアになったはずです。欲深い人間を教育するのは、独裁ではありません。

競争がないと経済が成立しないと主張する方は、今、誰かを妥協か征服するような形で、競争原理の中で勝利をしていて、敗者を囲い、自らの周囲の社会を形成していると自覚しているのでしょうか。もしくは敗者で甘んじているのでしょうか。

競争原理の中で利害が一致すれば協調をするのが、会社という組織であり企業間取引ならば、あらゆる人間は奇妙です。資本主義におけるモラルは、いわゆる自分に利があるか否かという問題ですが、はたして思いやりとか善意は、金銭的な価値に還元できるのでしょうか。

競争原理の中には、金という数値に還元できない「人が社会性を営む楽しみ」という価値を、人間は持っているので、資本主義システムは単なる競争というレースではありません。資本主義という競争においても、曖昧に(でもとても重要な)「人が社会性を営む楽しみ」というモラルがありますが、この精神を曖昧とせずに基調とした計画経済に向かえば、社会が進化した形として成立するのではないでしょうか。

皆が公務員になって、まったく働かない働けない人間は…それは病院か牢獄か学校のような施設に送られる。社会性を無視したモラルない行為であって、必要な指導なり療法を受ければよい。必要最低限な社会性や労働力がなければ、至極当然な処置です。別にこの施設に送られたからといって、自分は駄目人間だと嘆く必要は無い。資本主義に蔑ろにされるよりは極めて適切な処置。もちろん変な組織にならないように監査機関できちんとした体制を整える。

お礼日時:2006/08/19 23:00

共産主義は、資本主義の行き着く先にあるといわれています。

だから「旧ソ連の共産主義は共産主義ではない」という人まで居ます。確かに旧ソ連の共産主義(特にスターリン支配時代)は共産主義とは名ばかりの専制政治のような気もします。しかし社会を構成するのが聖人君子ではなく生身の人間である限り、共産主義の実現は不可能であることも啓示しているような気がします。
日本においてはこの国土で養える人口の3倍は暮らしている以上、市場経済の波の中で勝ち続けることでしか暮らしていけないのもある種真実だと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

ソ連は流れて行き着いた先ではなかったのならば、左翼をソ連やキューバを持ち出して批判することは、無意味だということになりますね。

話は逸れますが、人口問題は、例えば家庭で子供は2人までと定める事は、無理のないルールです。無論、このルールはもっと生みたいとか男の子が欲しかったとか、色々あるでしょうが、計画が崩れれば不平等なわけですので、それ以上を求めてはいけません。
統治する側の独裁に対しても、監査組織があるような統制する仕組みで、いまの二院制の政治でも三権分立といった考えでもなんでもいいのですが、一定の支配層が富や権力を牛耳らない、万人が文化的な生活を送れる仕組みくらいは、用意できないものかと思うのです。
今の価値からすれば実に奇妙ですが、そこには当然ながら、社会的なモラルを持ち合わせた人が多くいて、社会性という秩序だったモノを求めている結果として、出来限り平らな社会をする考えがあるのが前提です。
でも、こうしたことが、どうやろうと今より独裁になるという個々の主張があれば、突き崩されてしまいますが、不偏な社会性という倫理があれば、その独裁は、高い社会性を持った社会です。

真面目に働いていて質素に生きていても、子供を2人家庭で育てるのが難しい…いや男がそんな幻想に考えを巡らしても、働く女性が増えている現代は、そういう価値はそもそもなく、それ相応な未来が自然に崩れるなり是正されていくのを待っていればいいと証明したのが、マルクス主義なのでしょうか。

お礼日時:2006/08/19 22:18

さてさて、共産主義、社会主義は導入直後は良いでしょう。


しかし、ある程度たつと民衆はやる気をなくし社会自体が疲弊してきます。

どんなにがんばっても成果は出ない上に、何もしなくても、最低限のことさえ行えばほかの皆と同じ収入が手に入る
それらが進むことにより、皆最低限のことしか行わなくなり社会自体の発展が成り立たなくなります。

民主主義は、がんばればがんばっただけ成果が出ると言う最大の利点があると思われます。

低所得しか望めないと言うことは、それしか努力をし無かったってことですよ。
結局は

社会で成功している人は常に何らかの賭けを行っているんですよ。
成功すれば大きな利益。
失敗すれば全てを失う。

社会主義、共産主義だとこれらの行動も無くなり一部の支配層により全てを調和された形になります。
一種の洗脳と同じですよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

たしかに自分を含めた低所得者は、それだけの努力をしてこなかった又はしていない又は実らなかった人間なのですが、そういった人たちはすでに競争から逃げてしまったから、今に甘んじて、何の主張もしないってことなのでしょうか。成功する前からなんですが、私がいわゆる成功者と自覚した時があったとしても、なんだか罪悪は持ち合わせる気がします。

>一種の洗脳と同じですよ。

社会性ある調和があればよいのでは。もちろん人間関係の問題などはあるでしょうが、基本的なルールと知識があれば、一般的な生活が保障されていて、あえてその輪から外れる人もいないと思うのです。野望があればアメリカとかに逃げるんでしょうが、普通の暮らしをする社会とその価値を求める人は多いような気もするんです。

お礼日時:2006/08/19 20:32

社会主義・共産主義で運営された国がありました。


ソビエト・東欧・中国・北朝鮮とか、それらの国は、
平等で差別のない理想的な社会でしたか、その結果を皆知っているから、社会党はなくなり、共産党は低迷しているのです。
ですから社会主義・共産主義の復活はありません。
それを望む一部の方は、幻想を見ていると思います。

私は、その考え方を否定はしません、一時の日本が最も社会主義が実現された国といゆう意見もありましたし。
しかし実現性に大きな疑問を持ちます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

もっとも成功した社会主義国日本は、そのままの状況を保てずに、国際的な競争力をつけるためか、その道を手放していると思います。そこで、高度資本主義から取り残された人々は、社会主義という名のアイデンティティを何故主張しないかが疑問なのです。ネットだけ見ていると、日本民族的な主張は拡大傾向なのに、その反対の思想はなぜ取り上げられないか、左翼系家庭に生まれて、そういう価値を持って今を生きている私としては、疑問なんですね。(もっとも、別になんの活動もしていませんが)

お礼日時:2006/08/19 20:18

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