質問

私が子供だった20年以上前、街角で手足を失った傷痍軍人がカンパ(寄付?)のために立っておられる姿をよくお見かけしました。子供だった私には軍服姿(多分そうだったと思います)に「かわいそうだけど、ちょっと怖いな」と思っていたような記憶がうっすらとあります。
最近靖国問題で軍服姿の元軍人らしい人がニュース番組でインタビューを受けていてふと昔見た光景を思い出しました。
私はまだ子供でしたので、おじいちゃんに見えましたが、実はそうお年寄りではなく今もご存命かもしれません。が、最近は全くそういった方をお見かけすることもなくなりました。あの方たちは傷痍年金をもらえなかったのでカンパのために街角に立っておられたのでしょうか?大きなお世話かもしれませんが、お見かけしなくなってから、無事にお過ごしなのか気になりましました。

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回答 (4件)

No. 1 のものですが補足します。

私が傷痍軍人を見たのは50年以上前でしょうか。山手線に良く乗ってきて軍歌を唄ってカンパを集めていました。白装束でした。

Wikipedia で引くと
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E7%A5%89
> 傷痍軍人などを救済するため1950年に身体障害者福祉法が施行される
と書いてありますから、55年前から日本国籍の傷痍軍人は生活補助が受けられるようになり、カンパを集めることも止めたのでしょう。

しかし、在日朝鮮人・韓国人・台湾人などの旧日本軍兵士で傷痍を負ったものには身体障害者福祉法は適用されません。

1965年の日韓基本条約で、韓国は経済援助と引き換えに個人補償の請求権を放棄し、在日朝鮮人・韓国人の傷痍軍人には韓国政府が援助する責任を負ったわけです。(今でも傷痍軍人への援助は対日請求権として話題になりますが、日韓合意の経緯が明らかになったため下火になっています。)

恐らく、1950-1965年の期間は日本国籍を持たない傷痍軍人は誰からも援助のない状態で、カンパに頼るしかなかったのでしょう。あるいは、韓国政府は日本在住の朝鮮・韓国籍傷痍軍人には1965年以降も援助していないかも知れません。

私の見たテレビのドキュメンタリーもその頃だったかも知れません。もちろん偽者の傷痍軍人もいたでしょうし、偽者の中には日本人もいたかも知れませんが、本物の在日朝鮮人・韓国人の傷痍軍人がカンパをお願いしていた実体がなければ偽者も出て来なかったでしょう。

なお、約10年前に韓国に行ったときに、電車の中でやはり傷痍軍人が軍歌?を唄ってカンパをお願いしていました。傷痍軍人証明書らしきものを見せていました。第二次大戦のときの傷痍軍人にしては若すぎるし、朝鮮戦争にしても年齢が合いません。ベトナム戦争のときの負傷兵だったかも知れません。

この回答へのお礼

補足ありがとうございます。
私が見たのは80年代前半だと思うので、既に生活保護は得られていたようですね。もしかしたら在日の方だったのかもしれません。
歌は歌わず、静かに商店街に立っておられました。
戦争は人の人生を狂わせます。その方たちも戦争がなければ平穏に暮らしていたことでしょうに。
ありがとうございました。

私も子供だった40年前に、上野界隈で沢山の傷痍軍人風の人たち(白い軍服?)を見ました。
当時から「実は足がある」「別の事故」と言った話はありましたし、現在の各種募金と似たような胡散臭さがありました。
勿論「本当の傷痍軍人」がいらっしゃったの間違いないでしょうが、海外や沖縄の現地で大きな負傷をして、手当てを受けて戻れた人と言うのは実際には数少なかったでしょうね。
また終戦後60年となり、当時の軍属の方も80を越える筈で、本物はもう街に出られないでしょうし、偽者も歳のサバを読むのは難しくなったのでしょうね。
 (20年前でも、かなり苦しい人が居た筈です)

この回答へのお礼

そういわれると白装束だったような気もします。
戦中世代の方が少なくなり、戦争を知らない若い世代が増える今、街角の傷痍軍人を見た私は確実に過去の戦争と繋がっていると身に迫って思い出しました。私の子供にも平和の尊さを伝え、いつまでも平和を守りたいです。最近なんだか世の中怖いし・・・。
ありがとうございました。

不謹慎な回答になるやも知れませんが。
当市では6月に、毎年恒例の「えんま市」が立ちます。
現在も香具師がメイン道路を縦横に埋め尽くし、盛大に賑わいます。
当時はもっと凄く、「おばけ屋敷」は当たり前で、「サーカス」やおどろおどろしい看板の「見世物小屋」、「小人と女子プロレス」、巨大な樽の中を真横になりながらバイクで疾走する「サーキット」。
都会から持ち込まれた目新し玩具。
全てが「異世界」に感じられるお祭りの中にその方たちはいました。
「えんま堂」の境内で、半袖の大振りな軍服を着て、杖を傍らに置き、
軍歌のような音楽を鳴らし、顔が見えぬよう絶えずうつむきながら、
慈善の寄付があるとお辞儀していました。
戦中生まれの父に、「あの人たちは?」と尋ねると、「傷痍軍人。戦争で手足の無くなった人たちだ」と、教えられました。
「でもな、あいつらは違う。手も足もある。騙されるなよ」
でも、寄付しながら手を合わせている人もいました。
戦争により親族を亡くされた方たちに取っては、例えそれが「嘘」と分かってはいても、私などがうかがい知れない思いに突き動かされての事だと、大人になって気付かされました。

昭和50年初頭位までは、まだ存在したかもしれません。
「遠い過去の記憶」です。

今も政府は、戦死した夫の妻たちが   やっぱりやめますね。

この回答へのお礼

昔は見世物小屋があったことは子供の頃、祖母から聞いた記憶があります。人権もなにもあったものじゃなかったのですね。そういったところでしか働けなかった背景の人の心情を思うと悲しい話だと思います。
戦中世代の人がどんどん少なくなり、そういう方と接触のない子供たちが増えている中、最近平和を守り伝えることの重要さを痛切に感じています。
ありがとうございました。

傷痍年金ができてから、日本人のカンパ者はほとんどいなくなったでしょう。その後も残っていたのは在日朝鮮人・韓国人だった可能性があるのではないでしょうか(実際に在日朝鮮人・韓国人のカンパ者をテレビで放映していたのを覚えています)。

存命としても、もう80歳は超えていますから、街頭に立つのは辛いでしょう。

この回答へのお礼

傷痍年金は当時はなかったのかもしれませんね。(日本人以外に適用されていないのは理不尽に思いますが。)
少しでも平穏な余生をお送りになられていることを願います。
ありがとうございました。

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