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第二次世界大戦前夜に、朝日新聞の尾崎秀美が、共産主義(スターリン)の工作員として働いていたようですね。

実際のところ、尾崎秀美の謀略は、第二次大戦に対してどの程度まで影響があったのでしょうか?

また、尾崎秀美と朝日新聞の関わりは密接なものだったのでしょうか?

となりますと、当時の朝日新聞は共産勢力に支配されていたのでしょうか?

宜しくお願いします。

A 回答 (3件)

あまり詳しくはないのですが。

少し事実関係は違います。尾崎秀実は朝日新聞上海特派員であった。昭和12年7月シナ事変の勃発よりコミンテルン(ソ連共産党中央委員会)極東支局の指令で上海にあらわれたドイツ人リヒャルト・ゾルゲに日本の作戦プランを内通。尾崎は近衛内閣の嘱託として、また外務省や参謀本部の機関の東亜研究所の嘱託として、多数の情報・資料を入手できる地位にあった。それらは政界の最上層部の口から、またドイツ大使の下にあった日本の軍事機密、政治プランがゾルゲを通じてコミンテルンに筒抜けであった。近代日本の存亡の岐路の時期のシナ事変から大東亜戦争の最高国家機密がすべてソ連に筒抜けであった。日本政府はシナ事変以降不拡大を方針を採ったが、南京攻略の折、国民党蒋介石と交渉。不成功で「国民政府を相手とせず」の声明。尾崎は「南方諸民族解放」を唱え、シナ事変を日米戦争へ拡大せんとするコミンテルンの謀略を行っていた。近衛内閣の「東亜新秩序建設」というスローガンは「共産主義的秩序」であった。日本政府と重慶国民党政府の和平を成立させないために南京に汪兆銘の新政権樹立させ蒋介石と対抗させた。日本は完全にコミンテルンに躍らされていたわけ。シナ事変の泥沼化から日米戦争へ拡大した裏には尾崎・ゾルゲの裏工作が働いていた。(資料:「抹殺された大東亜戦争」勝岡寛次、明成社)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

尾崎秀実は朝日新聞の上海特派員で、ゾルゲと出会って、そこから、コミンテルンとのつながりができたわけですね。最近でも、上海の日本の総領事館で、間諜行為を強要されて自殺した事件がありましたね。共産主義国家はスパイを強要するのが当たり前なのかもしれませんね。

吉田茂が共産主義に対する警告を早くからしています。

「万一いわゆる国交正常化が実現して共産国の大公使館をわが国に設置することとなれば、必ずや数百人或いはそれ以上の館員を有する大外交機関を日本に持ってきて国内宣伝、国内共産党の指導に当たらしむるであろう。

占領中のソ連代表部は数百人の館員を東京に駐在せしめて宣伝に力を注いだ。占領軍の抗議により僅かに百余人となったが、今でもなお若干の館員を在住せしめ、いろいろな諜報や謀略を行っているときく。」

私には、北朝鮮を含め、日本にも利敵行為を行う勢力が今もなお残っている気がしてなりません。それらの勢力が、周辺諸国の不穏な動きによって、逆に今になって、炙り出されているような気がします。

お礼日時:2006/08/29 00:43

関係は先の方々が説明していますので、影響だけ説明します。


(以下は全て朝日新聞退社し首相嘱託になった後のことですが)

まず、中央公論に中国国民党との徹底抗戦を説いて、世論を煽ります。
これの影響で、陸軍にまで同じ論を述べる陸軍報道部長まで出て、シンパが増えていきます。
更に、内閣、陸軍共に中国国民党との和平を合意していたにもかかわらず、直前で板垣陸相にでたらめを吹き込み、中国国民党と和平をする直前にひっくり返して、日中戦争を泥沼に引きずり込みました。
この当時、国民党と共産党は戦力比60:1ですが、この後の戦争でほぼ互角になるまで国民党は摩耗し、戦後共産国家である今の中国ができる下地を作りました。

また、尾崎とゾルゲが日中戦争の布陣と対ソ戦をせずに南下する方針をすっぱ抜いてスターリンに伝えることで、極東の戦車隊を全て対ドイツ戦へつぎ込み、結果としてドイツに勝利します。

つまり、第二次世界大戦の日独の敗北に大きく影響したと言えます。
勿論、敗北は尾崎たちだけのせいではありませんが、尾崎らの行動がなければ全く違う戦後になっていたでしょう。

参考URL:http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-44-3.html
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
皆様には詳しい説明感謝しています。

私は今の朝日新聞の動きを見てますと、彼らの主張は利敵行為になる事ばかりのような気がします。だから、彼らを反面教師として見れば、非常によい風見鶏になるのかもしれません。

私は今の朝日の風潮がいつからのものなのか気になっています。尾崎は偶然、ゾルゲと会ったのだろうか。当時も今も朝日は共産主義の傀儡じゃなかろうかと、そんな気がしています。

お礼日時:2006/08/29 00:55

尾崎秀美が朝日新聞の駐在員として活躍していた上海は当時はヨーロパ各国の租界地でした。

当然世界中の情報が渦を巻いているところでした。彼は殖民地の台北で育っていますので、異民族の情報を肌で感じとることは敏感だったはずです。目前の出来事や情報から、日本の未来に不安を感じたのでしょう。「日本民族を残すために日本帝国主義と闘う」ことを決心して行動に移していきます.コミンテルンの人達と親しくなっていくのも、その手段だったとおもわれます。大儀のために生きることが、日本の男性に課せられたつとめでした。国難に対処するとき,己の思想も肉体も,国家に殉ぜなければならないのですよね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

尾崎秀美らが唱える「敗戦革命」のように、日本を滅ぼしてから共産主義勢力による支配しようとする考えは、私には拒否感があります。共産勢力による世界最終戦論だとかは、非常に詭弁性の高いものに感じています。

私にはどうしても目的のためには手段を選ばない共産主義のやり口にシンパシーを感じることはできそうにありません。平和(天国)を夢見ながら、現実には血を好むイデオロギーには聊かの畏怖を覚えます。

お礼日時:2006/08/29 00:50

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