プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

 こんにちは。お世話になります。

 格闘技や武道の上級者が喧嘩等で相手に手を出すことは、法的にも道徳的にも一般人の場合以上に問題のある行為かと存じますが、しかしそのような状況では、当人にとっては納得がいかないことも多いかと存じますし、我慢や適切な対処ができずに手を出した等と言う話もよく耳にします。

 そこで質問ですが、格闘技や武道の上級者は、喧嘩を売られたとき、または、そう取られてもおかしくない様な酷い態度を取られたとき等、どのように考えて我慢をすれば良いのでしょうか? 我慢の拠り所となる理論等を教えて下さい。 また、我慢をせず、何らかの行動を起こすのであれば、どのような行動を取れば良いしょうか? 

 教えて下さい。宜しくお願いします。

A 回答 (6件)

>また、我慢をせず、何らかの行動を起こすのであれば…


私の友人の某府警の刑事は、柔道有段者のくせに
待ち合わせ場所に息を弾ませて来たので、遅れた
理由でも説明するのかな?と思ったら…
「そこで3人とケンカになったから地面に叩き付けた、
警察官が来る前に逃げるぞ!」←自分の職業忘れてる
と言って私まで逃げる事になりました…_| ̄|○
一応「怪我はさせないように力は抜いた」
「まあ、1対3人という事で正当防衛?」と
言ってはいましたが…
見えないところでは、結構やってるんじゃないですか?
犯罪って、事件になって始めて犯罪ですから…(瞬殺すれば…)
相手が絶対訴えない(脅迫)とか、山中に連れ込み
誰も目撃者のいない状況を作る(誘拐)等、
確証があればできるんじゃないでしょうか?
リスクをそれだけ背負っても、引き返せない理由が
あるのであれば、他人が何を言っても無駄ですよね?

>どのように我慢をすれば良いのでしょうか?
武道家が“自分の生命(プライド)為に、
人を殺す方法”の武道だけを極めようとしているのか?
と言うと答えは先程とは変わってくると思います。
確かに武士には“無礼討”というのもありますが、
武士であっても激情に身を任せた無礼討ちは“恥”と
思われていたようです。
我慢する気が少しでもあるのであれば、耐えるのが
本道かと…

仁…思いやり・博愛
義…自己犠牲
礼…礼儀・作法・所作
智…知識
信…信頼・信用
全て兼ね備えてこそ武道家なんて…
私の先生が言ってた受け売りですが…(* ̄∇ ̄*)

>我慢の拠り所となる理論等を…
私は新渡戸稲造の『武士道』の現代語訳
なんて読めば言いと思います。
宮本武蔵の『五輪書』の現代語訳も
面白いと思いますよ?
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございます。

 参考にさせて頂きます。

お礼日時:2006/10/07 16:11

弱い犬ほど吠えるものだと考えたり、同じレベルで物事を考えないことは大切です。

本気を出せば、あなたは負けないだからこそ、何があっても先に手を出さないのは鉄則です。正当防衛の範囲で相手の攻撃を止めるところまでで止める。同じレベルでなければ止められます。ある有名な有段者の方が、絶対に負けない方法というのを言われました。それは、『喧嘩をせず逃げる』これも一つの方法です。あなたは強い!おレベルで考えないでください。
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格闘技や武道の上級者は、暴力の恐ろしさを知っていることと、日々鍛錬を重ねていることに誇りを持っていますから、くだらないケンカなんかに、自分の力を使おうとはしないはずです。

もったいない。

あえていうなら、「ケンカを売られるような状況にならないこと」もしくは「ケンカを売ってもムダか損な状況をつくる」んではないでしょうか?

あたまをつかえ、あたまを!
相手がケンカを売ってくるのは、買ってもらえば得をするからだ!!!
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございます。

 観覧者に誤解を与えると困りますので、一言だけ記載させて頂きます。

 一部では「格闘技や武道の上級者は、喧嘩などに自分の力を使おうとはしない」等と言う考えが流布しているようですが、「自分の力を使おうとはしない」と言う言葉の意味が、「実際に力を行使することはない」と言う意味であっても、「力を行使したいと言う欲求すら起こらない」と言う意味であっても、それは誤った認識です。
 現実には格闘技や武道の上級者であっても、力を行使する人間は居ますし、力を行使したいという欲求が湧出してくる人間も居ます。
 格闘技や武道の上級者の中には、喧嘩をしない人間も居ますし、中には「力を行使したい」と言った欲求すら起こらない人間も居るのかもしれません。また、「喧嘩などに自分の力を行使しない」を実現できないまでも、そのような理想を持っている人間も多いと思います。しかし「格闘技や武道の上級者」=「喧嘩などに自分の力を使おうとはしない」ではありません。

お礼日時:2006/10/07 20:15

強そうな男で、特に武道の精神のありそうな人にケンカを売りたくなるのはそれなりの理由があると思います。



ケンカ売る人間もそれなりに強いと思いますが、力比べを望んでいるのではなく、武道の精神がある人間がどういう態度をとるのかしらべているのです。

「力がある者は、必ず相手を力でねじふせるべきである。」という弱肉強食の精神をもっているのでしょう。同時に弱肉強食的な社会に嫌悪感を抱いていることでしょう。
この矛盾したストレス・葛藤を抱えた者は、自分と同じ苦悩を共感して欲しいのではないでしょうか?
武道の精神は、きれいごとの精神だ。ということを証明することによって、つまり相手から闘争本能を引き出すことによって、彼らはそれを確かめているのです。

しかし、彼らに怒りを表したり、実際に力を使えば結果的に彼らをも救うことになりません。

では、どう対処すべきか?ですが、真の強さとは何かを見せてやることです。動揺しないことです。または、動揺しても何もしないことを努力することです。
相手を見下すことなく、彼らの苦痛を助けてやる精神に立てば動揺しないという態度にそれが表れます。
真の強さを持つ者は、相手の感情によって自分の感情が揺るぐことなどありません。
相手がそれを悟ったら、むしろ相手は完敗だと認めます。そして、相手の気持ちも救われます。
これこそが、パーフェクトゲームで完全勝利です。
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございます。

 まず前半部分の「ケンカ売る人間もそれなりに強いと ~ 彼らはそれを確かめているのです」についてですが、それは私が抱いたことのない感情や考えである為、どうもピンとこないのですが、ssmarugooさんがそのように感じ考えたように、そのように感じ考える人も居るのかも知れません。参考にさせて頂きます。

 次に後半部分の対処法についてですが、「動揺しないことで相手に負けを認めさせる」旨の内容、参考にさせて頂きます。「実際に闘った場合に強い人間」=「相手の感情によって自分の感情が揺らぐことのない人間」では無い以上、NO2の方のご回答にもあったように、プラスアルファの能力が大切ですね。

お礼日時:2006/10/07 17:48

私みたいに、きゃしゃな小男で格闘技や武道の上級者でないものでも因縁をつけられれば腹の中が煮えくりかえります、だけど悲しいかな、やったら負けるでしょ、武器でも、持って襲い掛かりたい衝動にかられます、武器持ってやったらどうなります刑務所行きですよ、まあ小男の方からかわれますよ、



それと比べればあなたはやれば勝てるそれだけで満足はできませんか?、弱い野郎がいきがっとるっと笑えませんか?。怪我をさせて警察沙汰になるのも大変ですよ。それでもやりたければ、やられたら、いいと思います。

何事においても大人として行動される方が正解では。
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございます。


>やれば勝てるそれだけで満足はできませんか?、弱い野郎がいきがっとるっと笑えませんか?。

 相手の実力がよくわからない状況では、いくら自分の強さに自信があったとしても、「やれば勝てる」と言うのは蓋然的な自信でしかない為、なかなか満足は得られないようです。

お礼日時:2006/10/07 16:38

よくアメリカ映画でアルミ缶を引きちぎる。


フェンスを引き裂く。
持っていた雑誌を重ねて千切る。
など、なるべく力の限界程度の玩具を持っていて、相手の前でやってみせるなどがあります。
太い鉄の鎖をねじ切るとか。
剣道にはどういう奥義があるか判りませんが、ススキの葉で重ねた千円札を斬ってみるとか(ああもったいない)
「見せ技」は身を守る利口な知識です。
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございます。

 参考にさせて頂きます。

お礼日時:2006/10/07 16:11

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