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西洋では人名を地名につけるけれど(アレクサンドリアからスターリングラードまで)、東洋では人名を地名につけることが少ないのはなんでですか?

むしろ日本だと地名から人名をつけてるような・・・(田中、谷川、exc...)

A 回答 (13件中1~10件)

日本のような(おおざっぱな見方での)単一民族国家、中国のような


単一文化圏と異なり、
西洋では異人種・異教徒・異言語の住人や土地を征服・支配することが
多いため、その土地や都市の住人に「誰がおまえたちを征服したか」
「誰におまえたちは支配されているか」を認識させるために人名を
地名につけさせたり、反対に
憎むべき支配者から解放してくれたそのお礼と喜びの証としてその
解放者の名前をつけることが多いからです。
前者のいい例がスターリングラード、後者はアレクサンドリアでしょう


ただ、前者の場合はやはり支配者が変わったり住民の意識が変わると
名前が変わる場合がおおいですね。
(スターリングラードなどソ連の大都市や東ドイツのマルクスなどの
名前は体制変更後すぐに変わってます)
対して、後者はアレキサンドリアのようにペルシャ王国から解放して
くれたうえ、ナイル川の治水工事やエジプトの神を尊重してくれた点
で住民から支持されたせいか長く残っています。
フランスに行くと、ドイツから解放してくれた政治家や軍人の名前を
地名に見かけることも多いですが、それもそのうちの一つでしょう。

そりゃ、日本にだって人名からついた地名もいっぱいありますよ。
でも、地図帳で太文字や大きめの文字で書いてある地名に人名はほと
んど見ませんね。
人名をつける(その都市・土地の素性や正体を知らしめるという行為)
は、その都市が他の分野や文化への発展を妨げると、
日本人は本能的に思っているからじゃないでしょうか。
だから、和光市は「本田市」に改名することを断念したのでしょう。
そういった意味でいえば、
(真田や足利といった昔の支配者の名が残っているところは別にして)
豊田市や天理市というのは、感覚的に「鼻につく」ぐらいの異質感を
感じます。
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そういえば「習志野市」も人名から来ています。


習志野の地名は篠原少将からきており、篠原少将の演習をご覧になった明治天皇が「篠原に習え」という意味から「習志野」と付けられたようです。

http://www.meijijingu.or.jp/japanese/qa/gosai/05 …
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ユダヤ人系→自分たちは神から選ばれた民族だという強い誇りをもっておりユダヤ人の原点(旧約聖書)→→神が土(アダマ)から作ったアダム。

ヘブライ語→アブラハムの名から→アブ、ラハム。父親の姓を→フリ-ドマン。グリ-ンバ-グ。グリ-ンフィ-ルド。ホフマン。ロスチャイルド。ル-ビンスタイン。
中国では、名前をよぶと落馬する迷信や、人に呪いをかけたいときには紙を人の形に切って相手の名前を書き、ナイフや針で突き刺すということがあり、かつての中国では、自分の名前が他人に知られると禍が降りかかるとか、他人の実名を直接呼ぶのは非礼だという考えがあったようである。
おもな氏の起源→国名→→魯、晋、衛、蔡、(ろ・しん・えい・さい)。官名→李/り(裁判官)。司徒/しと(教育をつかさどる)。司馬/しば(軍事をつかさどる)。職業→巫/ふ・卜/ぼく(占い師)。陶/とう(陶工)。匠/しょう(職人)。優/ゆう(芸人)。
朝鮮半島の人の名前には、代々続く自分の血族の流れを大切にする→行列字→木=東、火=煕(き)、土=在、金=鉉(げん)、水=泰、ときめられた家では、祖父/東吉→父/仁煕→子/在寿→孫/成鉉→曾孫/
泰元。等です。
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(駅名迄拡張すると、人名に因むのは小岩井(田沢湖線)、鮎川(日立電鉄)、三越前(銀座&半蔵門両線)、武蔵白石(鶴見線)etc・・と言う具合ですが、本題の地名に絞って見て行くと下記の例が見受けられます。

)

●(林子平に因み、仙台市青葉区内にある)子平町

●(安田財閥を創業した安田善次郎の姓名から一字ずつ採った)安善町、並びに(地元の大地主の小野信行の姓に因んだ)小野町
両町共に、横浜市鶴見区内の地名なのです。

●豊田(旧挙母)市が"豊田佐吉を始祖とする豊田一族"に関係するのは、NO3さん他が指摘される通りで、国内での最も顕著な例と言えます。
そして(同市には)トヨタ町があり、トヨタ本社があるのは言う迄もありません。

http://www.toyota.co.jp/about_toyota/outline/ind …

尚、(地名とは若干ズレますが)"空港名"との関連は次の質問に譲ります。

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=2342396
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No.4さん。

京都市伏見区桃山町永井久太郎ですね。これ、永井さんと久太郎さんは別人なのですよ。かつて伏見城の城下町だった時の大名屋敷の名残で、久太郎さんの名字は堀です。永井家と堀家の屋敷にまたがる地域だったのです。この地名の人に手紙を書く際に、「永井久太郎様方」と書く人がいたという笑い話を聞いたことがあります。伏見城下には、この他にも大名屋敷に由来する地名が多く残っています。

No.7さん。話が逆です。足利などの地名が先にあって、それに由来する名字を名乗ったのです。

人名を地名に付ける例は他にもあります。例えば淀屋橋(淀屋辰五郎)。これは公式の地名ではないかもしれませんが、京阪の終点として余りにも有名です。

神戸市中央区加納町というのもありますね。確か、この地の有力者の加納さんに由来するもので、何か(具体的なことは忘れたが、川の付け替えだったかな?)に貢献した人です。

なお、門真市と守口市の合併話がありましたが、潰れてしまいました。もし合併したのなら、「松下市」が相応しいところでしたが…。両市ともに松下の工場があり、守口最大の会社三洋も松下の兄弟のようなものですから(松下幸之助の義弟が創業者)。
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日本では地名を付けるのは神聖な行為であり、安土桃山時代以前は、天皇にのみ許された行為でした。


その為、人臣が勝手に都市名を付けたり、変えたりすることはタブーであり、ましてや自分の名前をつけるなど、とんでもないことです。
他の回答者が上げた地名は、大抵は安土桃山時代以降に付けられた地名であり、有楽町や道頓堀などはこれ以降のことになります。
それ以前は、足利とか新田というように、地名を一族の名前にすることが普通で、古の藤原京も、藤原氏以前から地名があったようです。
つまりわが国においては、古代中世は人名を地名とすることにタブーがあり、信長が美濃を岐阜としたあたりから、このタブーが薄れ、活躍した有名人の名前を冠した地名が出来てきたのでしょう。
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マイナーですが北茂安町という町がありました。

(平成の大合併で消滅)これは筑後川の治水に貢献した戦国時代の武将から名付けられた地名です。昔は南茂安と言う地名もあったそうですが・・・

もう一つは地名では無く駅名で方谷駅という名前の駅があります。これは幕末の改革者から名付けらたそうです。

前者は佐賀県。後者は岡山県にあります。他にも日本全国探せば沢山あると思いますが・・・
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織田有楽斎→有楽町


服部半蔵→半蔵門
ヤン・ヨーステン→八重洲
ウィリアム・アダムス→按針町(今は使われていませんが)

けっこうありますね。
日本以外の東洋の国ではどうでしょうか……ベトナムのホー・チ・ミン市、イランのニーシャープールといったところが思い当たります。西洋と東洋でそれぞれ人名由来の地名をカウントするなど、「本当に東洋では人名を地名につけることが少ないのか」というところから考えていったほうがいいのかもしれません。
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大阪ミナミの道頓堀は堀の名前であると同時に、町名でもあります。

安井道頓から付けられています。

他にも宗右衛門町、久左衛門町というのがあります。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E4%BA%95% …
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うちの近所に「永井久太郎」という地名があります。

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