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結局恋愛感情というのは突き詰めると所有欲なんじゃないのかなと思い始めました。

そう考えると今まである種神聖なもののように考えていたものが、なーんかつまらないもののように思えてきました。

好きになるというのは、常にそばにいたい、つまり、その人と時間を共有したいのだとしたら、その人の時間を一部所有したい、ということになると思います。

なんか身勝手じゃないですか?

所有欲のない恋愛なんて存在するのでしょうか?

A 回答 (14件中1~10件)

確かに、彼女(彼)が他の男と話しをしていると気になりますよね。


恋人を独占したいと思う気持ちは誰にでもあることと思います。
ただ、独占欲が強すぎると彼女も窮屈になり恋人関係にも悪影響が出ることもありますので、ほどほどにしたほうが無難かと。
彼女がアメリカの留学したいと言い出したら所有欲の強い彼らな嫌がります。
でも、そこで笑顔でいってらっしゃいと言えるのが愛なのかな?と思ったりもしています。
所有欲が強いのは恋人を失いたくないと思う気持ちが強いのだと思います。
その裏返しは、恐怖心です。
人の心のメカニズムは恐怖したことを引き付ける習性があるようです。
参考サイト
http://shiawase.ocnk.net/page/43
自分に自信がもてた時、恋人に対する所有欲は減退するのではないでしょうか?
前に恋愛に関する面白いメルマガを配信していたサイトを書いときます。
ただ、だいぶ前の配信でしたので今は発行してるか分かりません。

参考URL:http://shiawase.ocnk.net/
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>その人と時間を共有したいのだとしたら、その人の時間を一部所有したい、ということになると思います。



そうですね、だから片思いの恋愛は成り立たないのだと思いますよ。

双方がそう思うのならば身勝手ではないと思います。

お金を出して物を買うのに例えると、どちらかが自分のものを出したくなければ身勝手(というかまかり通らないもの)だし、双方が出し合うならお互いが納得がいきます。
(恋愛をお金に例えたくはないんですが単純化できたので・・・)

所有欲のない恋愛はないと思いますが、所有欲と他の色んな感情などの要素が絡み合って初めて恋愛になります。
(所有欲は友人でもペットでも尊敬する人に対しても多少あるはずですから)
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26歳の女の子です。


あらら、、なんか悲しいことでもありましたか?単に気になっただけかもしれないけど。
私はそもそも恋愛がすごく神聖なもの~とは思いません。だって人間が何人もからんでくるんですよ~。それぞれの思惑があって時にどろどろしちゃうのが恋愛じゃないでしょうか?
ただ、、神聖かはともかく、いい恋、悪い恋はあると思います。人間好きな人にもっと近づきたい!とか、他の人とは違う特別な存在になりたいって思うのは好きなら当たり前のことですよね~。でもみんながうまくいくわけでもなく、失恋する人もいるし、あとは付き合ってても所有欲の面ではどちらかの束縛に相手がまいってしまったりすることもよくあると思います。そんなときに、自分はフラれても、好きな相手には幸せになってほしいと思えたり、ちょっとくらいもめても束縛するほうもされるほうも好きな相手の気持ちを思いやってあげることができるなら、それはいい恋なんじゃないかなあと私は思います。
ときどきわがまま言ったり喧嘩したりしても、自分の気持ちばっかじゃなくて相手の気持ちを思いやってあげられたらそれでいいんじゃないですか?自分の考えばっかおしつけたらw恋愛でもそれ以外でも自己中だけども。恋愛だからって完璧にきれいである必要もないかな~なんて思います。ときにはどろどろするのも恋愛の醍醐味でしょ^^
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まあまあ お2人とも



ここで主義主張をぶつけ合っても せんない事ですよ

恋愛は人それぞれです

所有欲が強い人 弱い人 いろんなタイプの人がいますよ

意見もそうです だから面白いんじゃないですか?
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>私の例え話のポイントは、世の中の大半の恋愛が薄汚く見える、という事です。



裏返せば、あなたは少なくとも一部の恋愛は薄汚く見えない、ということですね?

>しかも、神聖というのは美しいという意味も含めて使いましたが、美しいと汚いも相対的なものですよ。

神聖の定義は「けがれなく尊いこと。清らかで冒しがたいこと。また、そのさま」です。
「美しい」というのはあなたの恣意的な定義にすぎません。
(定義は大辞林第二版より引用。以下同様)

しかも皮肉なことに、あなたが示した
>でもそうしたとしても、罵声を浴びせ合うようなきたーないどろどろした関係より、
>お互い嘘をついて表面上はうまくごまかし合っているのが神聖だ、
>なんてレベルの話になりませんか?
という「不自然な例」から明らかなように、神聖という単語は「より汚いものよりは神聖」などという相対的な用法で使用されることは現実にまずありません。

神聖という単語を使用するのは一般に、その他大多数のものと比較して特別な価値を持つような場合です。「神聖」という語に「神」という文字が含まれることから明らかだと思いますが。

>生殖活動は神聖なものではない、と解釈してよろしいですか?

私は神聖なものとは思っていません。種の保存のための「普通」の活動だと思います。
なお、神聖の定義は上述のとおりです。

>あなたの言う、「仲良し」を友情と解釈する人がどれだけいるでしょうか?

友情の定義は「友達の間の親愛の情。友人の間の情け。友達のよしみ」です。
仲良しの定義は「仲がよいこと。親しいこと。また、その人。親しい友」ですから、仲良しを友情と解釈することに問題はありません。

>そんなに知りたいならご自身でお調べになればどうです?

あなたが言い出したのだから、あなたが提示してください。
まさか、調べるのが難しくて簡単には提示できない、なんてことはありませんよね?

ついでに言うと、私が知り「たい」のではなく、あなたが自分の主張の根拠として示しているのだから、主張の正しさを示すためにはあなたが提示する「べき」なのですよ。
自分で根拠に挙げておきながら相手に向かって「自分で調べれば?」というのでは、おんぶにだっこというものです。

>認知を繰り返せば繰り返す程その対象物から受ける刺激への反応は減り、結果、新鮮味を感じられず、飽きる。

人間は静物ではありませんから、人間が発する刺激も同一不変ではありません。
したがって、「飽きる場合もあれば、飽きない場合もある」ということになります。

なお、話はそれますが、たとえそれ自体が変化しない静物であっても、発する刺激が変化する場合はあります。
(だまし絵のように、見る人の主観次第で別のものに見える、など)

>んまぁ、あなたの「友情」の定義ならそうなるんじゃないですか?

辞書の定義どおりです。
恣意的・ご都合主義的な議論を避けるためには、自己流の定義ではなく辞書の定義や一般の用法に従うのが筋だと思いますが。

>もし、恋愛が所有欲に基づいていなければ、終わりがなくてもいいはずです。

恋愛の最終的な目的は種の保存ですから、「端的に言えば」目的が達成されると同時に恋愛が終わっても問題ありません (当然ながら、終わらなくても別に問題はありません)。
「所有欲以外の理由でも、恋愛に終わりがありうる」ことを上記のとおり合理的に説明できますから、「恋愛には終わりがあるから、恋愛は所有欲に基づいている」という命題は真ではありません。
(論理学の初歩ですが)

>最初の質問は、所有欲のない恋愛は存在するか、です。「大半だと思います?」は
>「死ぬまで続く恋愛」に向けられています。話ごっちゃにするの止めて頂けます?

「死ぬまで続く恋愛」とは「終わりのない恋愛」を意味し、「終わりのない恋愛のないこと」を「恋愛は所有欲」という主張の根拠に挙げていたのではないのですか?
同じ議論として繋がっており、ごっちゃにしてはいませんよ。

>つまり、あなたの言う、「恋愛は性欲から始まる、というのが正しい」は間違いだという事に気がつきましたか?

どこが間違っているのか、具体的に論証して見せてください。
「恋愛が性欲から始まる」ことと、「恋愛のすべてが性欲かどうか」とか「すべての性欲が恋愛に向けられるかどうか」などは別の話ですが、違いがわかりませんか?

>一般の恋愛は性交渉があるからです。

性行為は恋愛の一部でしかないと思いますが。
一般には、恋愛期間中、性行為以外のことにかける時間や労力の方が大きいのでは?

>もう一度尋ねますが、あなたの言う「所有欲のない恋愛」とは具体的にどんな状況を示すのですか?
>性欲を抱くことはありますか?

「性欲を抱くことがある」からこそ恋愛だと言えます。性欲を抱かないなら、それは家族愛や友愛でしょう。

>性交渉はありますか?

あるかないかは別問題です。
「性行為がなければ種の保存はできない」とでも言いたいのかもしれませんが、性欲の有無と性行為に及ぶかどうかとは別の話ですから。

>同性愛も含みますか?

含みます。
「同性愛は種の保存に反する」とでも言いたいのかもしれませんが、母胎内のホルモンのバランスが崩れたりして「脳の性別 (特に性欲中枢)」と「生殖器の性別」が一致しないこともあります。

>どれくらいの頻度で合ったりするんですか?

「心が繋がっているという確信されあれば、一緒にいる必要さえないんじゃないですか?」と言ったはずですが。頻度は最低ゼロでもかまわない、ということです。

この回答への補足

>裏返せば、あなたは少なくとも一部の恋愛は薄汚く見えない、ということですね?

そうですよ。


>神聖の定義は「けがれなく尊いこと。清らかで冒しがたいこと。また、そのさま」です。
>「美しい」というのはあなたの恣意的な定義にすぎません。

美しい:精神的に価値があって人の心をうつ。心に深い感動をよびおこす。清らかだ。 (大辞林第二版)
これは神聖なものにも含有されます。神聖なものを感受し、それを美しいと表現しても自然です。つまり、私の恣意的な定義ではありません。


>という「不自然な例」から明らかなように、神聖という単語は「より汚いものよりは神聖」などという相対的な用法で使用されることは現実にまずありません。

神聖だ、は形容動詞なので「AよりもBの方が神聖だ」という文は成立します。ダ・ビンチのモナ・リザとゴッホのひまわりを比べて、どちらが神聖だと言える様に。Aに対してBは綺麗と感じCは汚いと感じる事がある様に、私の主観の薄汚い「お互い嘘をついて表面上はうまくごまかし合っている」関係を、神聖だと認識する人がいてもおかしくはない訳です。それが、スピードのアナロジーの相対性です。


>神聖という単語を使用するのは一般に、その他大多数のものと比較して特別な価値を持つような場合です。「神聖」という語に「神」という文字が含まれることから明らかだと思いますが。

ええ。だからどうしたのでしょうか。

私にはあなたの指摘しようとしている事が私の質問の趣旨と全く関係のないように思えます。何が皮肉だったかよく解りませんでした。


>私は神聖なものとは思っていません。種の保存のための「普通」の活動だと思います。

ほうほう。ではでは生殖活動っていうのは、どうなんでしょ、性行為はもちろんですが、大まかな範囲での生き残るための活動、例えば動物が餌を探したり、縄張りを争いをしたりする行動も含むのでしょうか?


>友情の定義は「友達の間の親愛の情。友人の間の情け。友達のよしみ」です。
>仲良しの定義は「仲がよいこと。親しいこと。また、その人。親しい友」ですから、仲良しを友情と解釈することに問題はありません。

あなたの言う仲良しの関係はこうです。↓
>始めは仲良かったけれど、あまりにベタベタと馴れ馴れしくしてきたので引いてしまった、

これを私は、親愛の情、情け、よしみではなく逆に薄情と呼びます。ちなみに、情けというのは、義理、心遣い、哀れみの意味を含み(大辞林 第二版)、私の友情の解釈は問題はありません。


>>そんなに知りたいならご自身でお調べになればどうです?

>あなたが言い出したのだから、あなたが提示してください。
>まさか、調べるのが難しくて簡単には提示できない、なんてことはありませんよね?

>ついでに言うと、私が知り「たい」のではなく、あなたが自分の主張の根拠として示しているのだから、主張の正しさを示すためにはあなたが提示する「べき」なのですよ。
>自分で根拠に挙げておきながら相手に向かって「自分で調べれば?」というのでは、おんぶにだっこというものです。

主張という言葉をつかってらっしゃいますが、それって私の持つ「印象」の事でしょう。私は感じ方についてあなたにそう感じるべきだ、とは何にも言ってないですよ?

主張:自分の意見や持論を他に認めさせようとして、強く言い張ること。 (大辞林)

主張しているのはいったい誰なのでしょうか?「べき」などの言葉を使用し、相手に強く要求しているのは誰なのでしょうか?

こんなので宜しいですか?
http://www.lc-net.net/column/vote/043.html


>したがって、「飽きる場合もあれば、飽きない場合もある」ということになります。

人間であっても飽きるケースが殆どなのは上のアンケートからも解ると思います。

>(だまし絵のように、見る人の主観次第で別のものに見える、など)

発する刺激自体は変わらず、受け取る側の認知の変化による反応の変化ですね。


>辞書の定義どおりです。
>恣意的・ご都合主義的な議論を避けるためには、自己流の定義ではなく辞書の定義や一般の用法に従うのが筋だと思いますが。

はい。上に挙げたの辞書の定義どおりです。 (*恣意的、ご都合主義という恣意的見解は訂正して下さいませ)


>「所有欲以外の理由でも、恋愛に終わりがありうる」ことを上記のとおり合理的に説明できますから、「恋愛には終わりがあるから、恋愛は所有欲に基づいている」という命題は真ではありません。

『「所有欲以外の理由でも、恋愛に終わりがありうる」ことを上記のとおり合理的に説明』できてませんよ、どの部分ですか?
(お礼欄へ続く)

補足日時:2006/09/06 23:09
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この回答へのお礼

>「死ぬまで続く恋愛」とは「終わりのない恋愛」を意味し、「終わりのない恋愛のないこと」を「恋愛は所有欲」という主張の根拠に挙げていたのではないのですか?

主張というか、問題提起ですね。私の言いたいのは「そうなんじゃないか?そうじゃないケースはあるか?」という問いで確信に迫ろうとしているだけです。それこそ、問いを主張という言葉にすり替えてませんか?


>同じ議論として繋がっており、ごっちゃにしてはいませんよ。

ではなぜすり替えたと表現したのですか?あまり適切だと思えませんでしたが・・・
では再び、「死ぬまで続く恋愛」は世の中の恋愛の大半を占めるとお考えですか?


>どこが間違っているのか、具体的に論証して見せてください。

「恋愛は性欲から始まる、というのが正しい」は「恋愛は所有欲から始まる」に向けられていましたから、それを否定する形になっています。私はそれは特に間違いではないことを説明しました。それについての反論はありませんでしたので、先のあなたの私の分に対する訂正文は誤りだという事になります。


>一般には、恋愛期間中、性行為以外のことにかける時間や労力の方が大きいのでは?

それはそうですが、あなたのいう「所有欲のない恋愛」をもっと理解したいだけです。今の情報だけだと、具体的にその人たちが何をもって恋愛と呼ばれるものに従事してるのか想像だにできません。生殖機能障害に関連して尋ねています。


>性欲を抱かないなら、それは家族愛や友愛でしょう。

生殖機能に障害を持った人も性欲を抱きますか?もしくは性器を取り除いた人は含まれますか?彼らは1対1の関係ですか?その場合、魅力的な第三者の介入対して一方が嫉妬したりする事はありますか?


>性欲の有無と性行為に及ぶかどうかとは別の話ですから。

性行為はしない場合もあると解釈していいでしょうか?別問題ってはぐらかされても私の知りたい「所有欲のない恋愛」がちっとも伝わってこないんです。


>頻度は最低ゼロでもかまわない、ということです。

ではどのようにして心の繋がりの機会を得るのですか?

*文字制限できちんと引用できません。できるだけ端的にお願いします。

お礼日時:2006/09/06 23:09

一つ忘れていました。



>まぁ今まで見聞きしてきたカップルは殆どそうですね。

質問者さんは、離婚率が非常に高い国や地域に住んでいませんか?
もしそうなら、個人的に見聞きしたことはあまり当てになりません。

日本の離婚率はおおむねヨーロッパと同水準ですが、都道府県別だと東京圏、愛知、大阪など大都市圏の他に、沖縄も離婚率が高いですね。
同じ日本国内でも、最上位と最下位では倍近い開きがあります。
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>でもそうしたとしても、罵声を浴びせ合うようなきたーないどろどろした関係より、


>お互い嘘をついて表面上はうまくごまかし合っているのが神聖だ、
>なんてレベルの話になりませんか?

私にそんなことを言われてもねえ。
そもそも、相対的なアナロジーを持ち出したのは「あなた」の方なんですが。
私は最初に「神聖視するのが間違い」だと言っていますから。

>それを別に私は友情なんて呼びませんねぇ。

あなたが呼ばないだけですね。
友情だけ定義を狭めるのは恣意的・ご都合主義というものです。

>確証がほしければ倦怠期の統計などを調べればわかることです。

知っているならもったいぶらずに披露してみてはいかがでしょうか?

>ないといえますか?

「ある」と主張する側に立証責任があるのでは?

>うーん、つくづく、恋愛って自分勝手だなぁ、って思いました。

「体目的」以外は友情の場合もまったく同じことが言えるんですけどねえ。
同じ論理を適用するなら「友情も身勝手だ」ということになるはずです。

>何の根拠でしょうか?

「その方法で薄汚いのが多い」とか「ほとんどのケース」とか、あなたが「印象だけで客観的な根拠を示していないもの」の根拠です。

>それが大半だと思います?

そもそもあなたの質問は、「存在するのでしょうか?」だったはずですが。
いつから「大半なのでしょうか?」にすり替わったんですか?

>単に性欲が理由で誰でも構わないのであれば、モテない人間など殆どいなくなるはずです。

私はただの一度も「単に」性欲が理由などとは言っていませんが。
「恋愛の根源は性欲」という意味のことなら言っていますが、違いがわかりませんでしたか?
人間は性欲だけで生きているわけではありませんし、「恋愛は人生のすべて」というわけでもありません。
ついでに言えば、性欲を満たす手段が他者と性行為することだけとは限りません。

>もっというと、性行為を前提としない恋愛も存在する、ということですね。

人の話を聞いていますか?

私は繰り返し「性欲」とは言っても「性行為」とは一度も言ったことがなかったのに、なぜ「性行為」の議論にすり替わってしまったのでしょうか?

>この場合、ただ単に一緒にいるだけ、という感じでしょうか?

心が繋がっているという確信されあれば、一緒にいる必要さえないんじゃないですか?

>Sexはしないんですよね?

性行為に及ぶかどうかと、性欲があるかどうかは別の問題ですから。
繰り返しますが、私は「性欲」とは言っても「性行為」とは一度も言わなかったのに、なぜ性行為の話になるのですか?

>それを言い出したら、同性の友情も恋愛になってしまいます。

同性愛者や両性愛者を除けば、普通は同性の友人に性欲を抱くことなどないと思いますが。

>そんな事をいいだしたら、乳児と母親の関係も恋愛とかになっちゃいそうでちょっとコワイ。

普通は母親が乳児に性欲を抱くこともないと思いますが。

この回答への補足

>私にそんなことを言われてもねえ。
>そもそも、相対的なアナロジーを持ち出したのは「あなた」の方なんですが。

はぃ?相対的なアナロジーがどうのこうのと言い出したのはあなたなんですけど(↓)。私の例え話のポイントは、世の中の大半の恋愛が薄汚く見える、という事です。例え話そのものに意味はありません。

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>速い遅いというのは本質的に相対的な表現です
>100kmも180kmよりは遅い、60kmも30kmよりは速い、というように、いくらでも相対化できます。
>神聖という言葉にこのアナロジーが適用可能なら、恋愛も**よりは神聖、と言えることになります。

と言うので応えたまでです。ご自分の発言をお忘れになっておられませんかー?
しかも、神聖というのは美しいという意味も含めて使いましたが、美しいと汚いも相対的なものですよ。汚いところに住んでいたら汚いものも美しく見えたりするものです。なにか問題でしたでしょうか?

>私は最初に「神聖視するのが間違い」だと言っていますから。

回答者さんは、恋愛に対して「神聖視するのが間違い」を種の保存だからと書いていますが、生殖活動は神聖なものではない、と解釈してよろしいですか?


>あなたが呼ばないだけですね。
>友情だけ定義を狭めるのは恣意的・ご都合主義というものです。

そうは思いません。あなたの言う、「仲良し」を友情と解釈する人がどれだけいるでしょうか?


>知っているならもったいぶらずに披露してみてはいかがでしょうか?

そんなに知りたいならご自身でお調べになればどうです?人間の心理で倦怠期があるのは周知の事実です。なんなら、教えて!gooで質問してみたらどうでしょうか?


>「ある」と主張する側に立証責任があるのでは?

ない、と証明したい人に立証責任があるのでは?というのはあまりにも可哀想なので、簡単に説明しましょうか。飽きる、ということは言い換えると、新鮮味を感じられない状態といえます。つまり、刺激を感じないという事です。刺激に対する反応の減少は認知の繰り返しによってなされます。これを心理学では馴化と呼びます。

認知の機会は所有という状況下では、そうでない状態よりも大幅に増えます。そして、認知を繰り返せば繰り返す程その対象物から受ける刺激への反応は減り、結果、新鮮味を感じられず、飽きる。


>同じ論理を適用するなら「友情も身勝手だ」ということになるはずです。

んまぁ、あなたの「友情」の定義ならそうなるんじゃないですか?


>「その方法で薄汚いのが多い」とか「ほとんどのケース」とか、あなたが「印象だけで客観的な根拠を示していないもの」の根拠です。

そーですねー。根拠としては、殆どの恋愛に終わりがある、という事ですかね。もし、恋愛が所有欲に基づいていなければ、終わりがなくてもいいはずです。


>>>>>「恋愛中に身勝手になることもある」からといって、「恋愛とは身勝手なものだ」とは言えません。

>>>>どうでしょう?殆どのケースはどちらでしょうね。これはなぜ終わりのない恋愛が存在しないのかを考えるといいかもしれないですね。

>>>人は必ず死にますから、「終わりのない恋愛」などそもそもあり得ません。
>>>死ぬまで続く恋愛はあると思いますが。

>>それが大半だと思います?

>そもそもあなたの質問は、「存在するのでしょうか?」だったはずですが。
>いつから「大半なのでしょうか?」にすり替わったんですか?

は?何もすり替わってませんよ?最初の質問は、所有欲のない恋愛は存在するか、です。「大半だと思います?」は「死ぬまで続く恋愛」に向けられています。話ごっちゃにするの止めて頂けます?


>>単に性欲が理由で誰でも構わないのであれば、モテない人間など殆どいなくなるはずです。

>私はただの一度も「単に」性欲が理由などとは言っていませんが。
>「恋愛の根源は性欲」という意味のことなら言っていますが、違いがわかりませんでしたか?
>人間は性欲だけで生きているわけではありませんし、「恋愛は人生のすべて」というわけでもありません。
>ついでに言えば、性欲を満たす手段が他者と性行為することだけとは限りません。

つまり、あなたの言う、「恋愛は性欲から始まる、というのが正しい」は間違いだという事に気がつきましたか?


(お礼の欄に続きます)

補足日時:2006/09/06 09:57
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この回答へのお礼

>人の話を聞いていますか?

人の話を理解しようとしていますか?


>私は繰り返し「性欲」とは言っても「性行為」とは一度も言ったことがなかったのに、なぜ「性行為」の議論にすり替わってしまったのでしょうか?

別に性行為の議論なんて誰もしてませんよ?私は単にあなたの言う、「所有欲のない恋愛」のあり方を尋ねているだけです。言いがかりは止めましょう。


>繰り返しますが、私は「性欲」とは言っても「性行為」とは一度も言わなかったのに、なぜ性行為の話になるのですか?

一般の恋愛は性交渉があるからです。


>同性愛者や両性愛者を除けば、普通は同性の友人に性欲を抱くことなどないと思いますが。

もう一度尋ねますが、あなたの言う「所有欲のない恋愛」とは具体的にどんな状況を示すのですか?性欲を抱くことはありますか?性交渉はありますか?同性愛も含みますか?どれくらいの頻度で合ったりするんですか?

最初の質問の趣旨は、こういった事を知りたいので質問させていただいています。ぜひお応えください。

>普通は母親が乳児に性欲を抱くこともないと思いますが。

まー、そーですね。

お礼日時:2006/09/06 09:56

>でも、神聖でない≒薄汚い、感じがします。



では、あなたにとって世の中のほとんどのものは、「神聖なもの」か「薄汚いもの」のどちらか、だということですね?
(どちらでもないものが多数存在するなら ≒ は成立しませんから)

>例えば高速道路で100km/hで飛ばした後、降りたら何だか遅く感じますよね。

速い遅いというのは本質的に相対的な表現です。
100kmも180kmよりは遅い、60kmも30kmよりは速い、というように、いくらでも相対化できます。
神聖という言葉にこのアナロジーが適用可能なら、恋愛も**よりは神聖、と言えることになります。

>多分友情に「飽きる」ということはないからだと思います。

友情に飽きることはあり得ます。始めは仲良かったけれど、あまりにベタベタと馴れ馴れしくしてきたので引いてしまった、などということもありますが。

友情にも飽きることがある、というのをあなたが知らないだけでしょう。

>種の保存自体が薄汚いとは思わないですけど、その方法で薄汚いのが多いなぁ、という印象があります。

「薄汚い」も「多い」もあなたの印象だけですね。

>でも殆どのケースは、いったん所有してしまうと飽きますよね。
>で、そうなったら、それですぐサヨナラとか、イヤイヤ一緒にいる、
>とかいうのがナーンカ薄汚い感じがするんですよね。

本当に「ほとんどのケース」と言えるのですか?
あなたが知っている一部の事例だけではない、という確証がありますか?
所有することと飽きることに、本当に因果関係があるのですか?

別れる理由は「飽きた」以外にいくらでもありますよ。
恋愛感情でないものを恋愛だと思いこんでいたり、単なる体目的だったり、価値観の違いから気持ちが冷めてしまったり、相手のことは好きでも相手の親のことが好きになれなかったり、**人だから、**出身だから、という理由で反対され泣く泣く別れた、とか。

結局、あなたの印象以外に具体的な根拠はありますか?

>これはなぜ終わりのない恋愛が存在しないのかを考えるといいかもしれないですね。

人は必ず死にますから、「終わりのない恋愛」などそもそもあり得ません。
死ぬまで続く恋愛はあると思いますが。

>では、「恋愛は所有欲から始まる」と「恋愛を突き動かしているのは所有欲だ」はほぼ同義でもいいんじゃないでしょうか。

もっと根源的に、恋愛は性欲から始まる、というのが正しいと思いますが。
多くの人が恋愛に関心を持ち始める時期と、第2次性徴の時期とがほぼ一致する、という事実が証拠の一つと言えるでしょう。

単なる所有欲なら乳児にもありますが、乳児が恋愛しますか?

>「所有欲のない恋愛なんて存在するのでしょうか?」

存在しうる、というのが私の答えです。

恋愛の最終的な目的が種の保存ならば、自分自身の子孫を残すことが不可能な人 (生殖能力がない、生殖行為が不可能、など)、または子孫を残すことを何らかの理由で放棄した人 (子供を育てる自信がまったくない、子供が嫌い、物理的に育児がきわめて困難、遺伝性の疾病などの理由で子供を作りたくない、など) なら、所有とは無縁の恋愛もあり得るでしょう。

この回答への補足

>では、あなたにとって世の中のほとんどのものは、「神聖なもの」か「薄汚いもの」のどちらか、だということですね?
(どちらでもないものが多数存在するなら ≒ は成立しませんから)

まぁ、恋愛に関してはそれに近いものがありますね。違う風に例えるとしたら、国産の米を食べて育ったので外国産の米が口に合わない、という感じでしょうか。別に外国産の米が薄汚いという意味ではないですが、普通の人はそれを「マズイ」って表現しませんか?


>速い遅いというのは本質的に相対的な表現です。
>100kmも180kmよりは遅い、60kmも30kmよりは速い、というように、いくらでも相対化できます。
>神聖という言葉にこのアナロジーが適用可能なら、恋愛も**よりは神聖、と言えることになります。

ま、言葉の表面を捉えたらそうなんじゃないでしょうか。でもそうしたとしても、罵声を浴びせ合うようなきたーないどろどろした関係より、お互い嘘をついて表面上はうまくごまかし合っているのが神聖だ、なんてレベルの話になりませんか?なんかどっちも薄汚いに変わらない気がしますけど。


>友情に飽きることはあり得ます。始めは仲良かったけれど、あまりにベタベタと馴れ馴れしくしてきたので引いてしまった、などということもありますが。
>友情にも飽きることがある、というのをあなたが知らないだけでしょう。

それを別に私は友情なんて呼びませんねぇ。それはただの表面的な人間関係ですね。友情ってのは志が一緒だったり、深いところで信頼関係が築けていて困ったときに助け合える、というのが友情でしょ。そういう関係は飽きることがない、というのをあなたが知らないだけでしょう?


>「薄汚い」も「多い」もあなたの印象だけですね。

ま、人それぞれですからねー。


>本当に「ほとんどのケース」と言えるのですか?
>あなたが知っている一部の事例だけではない、という確証がありますか?

まぁ今まで見聞きしてきたカップルは殆どそうですね。確証がほしければ倦怠期の統計などを調べればわかることです。

>所有することと飽きることに、本当に因果関係があるのですか?

ないといえますか?


>別れる理由は「飽きた」以外にいくらでもありますよ。
>恋愛感情でないものを恋愛だと思いこんでいたり、単なる体目的だったり、価値観の違いから気持ちが冷めてしまったり、相手のことは好きでも相手の親のことが好きになれなかったり、**人だから、**出身だから、という理由で反対され泣く泣く別れた、とか。

うーん、つくづく、恋愛って自分勝手だなぁ、って思いました。


>結局、あなたの印象以外に具体的な根拠はありますか?

何の根拠でしょうか?


>人は必ず死にますから、「終わりのない恋愛」などそもそもあり得ません。

死ぬことを考慮しなくても、殆どの恋愛に終わりはあるでしょう。

>死ぬまで続く恋愛はあると思いますが。

いいですねー。まーそれは極極一部でしょうね。それが大半だと思います?


>もっと根源的に、恋愛は性欲から始まる、というのが正しいと思いますが。
>多くの人が恋愛に関心を持ち始める時期と、第2次性徴の時期とがほぼ一致する、という事実が証拠の一つと言えるでしょう。
>単なる所有欲なら乳児にもありますが、乳児が恋愛しますか?

所有欲といっても色々種類がありますからね。乳児にお金、地位、ステータスなどを欲しいという種類の所有欲はないでしょう。第二次性徴を経た年頃の男の子や女の子が、カッコいいとか、可愛い人に目がゆき恋をしてしまいがちなのは、そういうステータスを所有したい願望があるからです。単に性欲が理由で誰でも構わないのであれば、モテない人間など殆どいなくなるはずです。

娼婦に恋愛感情を抱く男性はめったにいないのと同じです。

もっというと、性行為を前提としない恋愛も存在する、ということですね。


>>「所有欲のない恋愛なんて存在するのでしょうか?」

>存在しうる、というのが私の答えです。

>恋愛の最終的な目的が種の保存ならば、自分自身の子孫を残すことが不可能な人 (生殖能力がない、生殖行為が不可能、など)、または子孫を残すことを何らかの理由で放棄した人 (子供を育てる自信がまったくない、子供が嫌い、物理的に育児がきわめて困難、遺伝性の疾病などの理由で子供を作りたくない、など) なら、所有とは無縁の恋愛もあり得るでしょう。

この場合、ただ単に一緒にいるだけ、という感じでしょうか?Sexはしないんですよね??
だとしたら、親密な友達同士で一緒にいるような感覚なのでしょうか。それを言い出したら、同性の友情も恋愛になってしまいます。

それはそれで美しい気がするのですが、そんな事をいいだしたら、乳児と母親の関係も恋愛とかになっちゃいそうでちょっとコワイ。

補足日時:2006/09/05 00:46
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>恋愛は薄汚いものだったのでしょうか。



神聖でない=薄汚いではありません。
あなたの論理に従えば、恋愛感情だけでなく友情も所有欲だということになります。
あなたにとって友情は薄汚いものなのですか?

それとも、生物にとってきわめて重要な「種の保存」が、あなたにとっては薄汚いものなのですか?
そう思うなら、あなた自身が子孫を残すような行為をしなければ、あなたにとっては何の問題もないはずです。

>そんな時、どちらかが自分勝手になってしまう、というのは往々としてあることですよね。

「そんな時もある」と「常にそうだ」とは異なります。
「恋愛中に身勝手になることもある」からといって、「恋愛とは身勝手なものだ」とは言えません。

>ということは、所有することは避けて通れないということになりますね。

所有する「だけ」では、種の保存という目的を確実に達成することは困難だと思いますが。
「恋愛に所有欲が含まれる」と「恋愛は所有欲だ」とは同義ではありません。
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この回答へのお礼

>神聖でない=薄汚いではありません。

でも、神聖でない≒薄汚い、感じがします。これは例えば高速道路で100km/hで飛ばした後、降りたら何だか遅く感じますよね。でも 60km/hは決して遅くはない、というのと似ています。 100キロの速さを知らない人が 60キロで何が遅いんだ!というのも理解できますけれども。


>あなたの論理に従えば、恋愛感情だけでなく友情も所有欲だということになります。
>あなたにとって友情は薄汚いものなのですか?

うーん、友情はそんなに薄汚く感じたことはないですね。なんでだろー。あっ、多分友情に「飽きる」ということはないからだと思います。もし友情が所有欲だったら飽きることもありえますよね。


>それとも、生物にとってきわめて重要な「種の保存」が、あなたにとっては薄汚いものなのですか?

種の保存自体が薄汚いとは思わないですけど、その方法で薄汚いのが多いなぁ、という印象があります。まぁ、自分がそういうことをしなければいいだけの話ですけど。


>「そんな時もある」と「常にそうだ」とは異なります。

でも殆どのケースは、いったん所有してしまうと飽きますよね。で、そうなったら、それですぐサヨナラとか、イヤイヤ一緒にいる、とかいうのがナーンカ薄汚い感じがするんですよね。


>「恋愛中に身勝手になることもある」からといって、「恋愛とは身勝手なものだ」とは言えません。

どうでしょう?殆どのケースはどちらでしょうね。これはなぜ終わりのない恋愛が存在しないのかを考えるといいかもしれないですね。


>所有する「だけ」では、種の保存という目的を確実に達成することは困難だと思いますが。
>「恋愛に所有欲が含まれる」と「恋愛は所有欲だ」とは同義ではありません。

だから、所有という過程が種の保存に絶対に必要なら、所有は避けて通れないのではないか、ということを言ってるだけなんですけど。では、「恋愛は所有欲から始まる」と「恋愛を突き動かしているのは所有欲だ」はほぼ同義でもいいんじゃないでしょうか。だったら、「なんだ、結局恋愛って所有欲じゃん」っていう言い方もできると思うんですけど。まぁ言葉遊びにあんまり興味ないです。


で、はじめの質問にもしよろしければお応えくださいネ。
「所有欲のない恋愛なんて存在するのでしょうか?」

お礼日時:2006/09/04 18:37

神聖視してたことが大袈裟だったのかなとも思います。


“神聖なもの”とは人を好きになること、それ自体に対してそう感じていたのかな、と感じました。
>所有欲のない恋愛なんて存在するのでしょうか?
ないんじゃないですか?まず、恋愛って言葉の中にすでに“所有欲”ってのが含まれている気がします。“所有欲”のないものは恋愛じゃあない気がします。愛は所有欲はなくても成り立ちますが。

下記に示すのも恋愛に含まれるのなら“所有欲のない恋愛も存在する”のではないでしょうか。
深い人間愛。人を愛すると言うことでは同じ。オードリーヘップバーンみたいに、徳と金のある人は、慈善活動など。
そんな大きくなくても、ある政治家候補者に惚れ込んだ人が一生懸命当選させる手伝いをする。(同性であれ異性であれ)なんとか当選させようと必死になる惚れ込み具合、熱心さからも恋愛をしてると同義でもいい気がします。
でも私は恋愛というものは男女間の“好き”ってやつであり、“所有欲のない恋愛”は存在しないと思いますが。
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この回答へのお礼

そうですか、やっぱりちょっと大袈裟だったのかもしれないですね。


>“神聖なもの”とは人を好きになること、それ自体に対してそう感じていたのかな、と感じました。

そうですそうです、そんな感じです。これは結局、恋愛の対象自体が神聖ではなかったんですね。この辺の分別が難しいところですよね。

>ないんじゃないですか?まず、恋愛って言葉の中にすでに“所有欲”ってのが含まれている気がします。“所有欲”のないものは恋愛じゃあない気がします。愛は所有欲はなくても成り立ちますが。

やっぱりそうですかー。


>そんな大きくなくても、ある政治家候補者に惚れ込んだ人が一生懸命当選させる手伝いをする。(同性であれ異性であれ)なんとか当選させようと必死になる惚れ込み具合、熱心さからも恋愛をしてると同義でもいい気がします。

これはどこか恋愛に似ていますね。いや、ちがうか。
あ、いや、この場合、もっと精神的なつながりを重んじているので、飽きたりしないですよね。やっぱり恋愛とは違うように感じます。


>でも私は恋愛というものは男女間の“好き”ってやつであり、“所有欲のない恋愛”は存在しないと思いますが。

概ね同意です。

いろんなケースがあって参考になります。

お礼日時:2006/09/04 18:25

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