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(1)最初は破竹の勢いで勝ち進んでいったドイツが、苦境に陥るのは何がきっかけだったのでしょうか?
(2)イタリアは戦況が良い時期はあったのですか?

ぜひお教え下さいませ。

A 回答 (5件)

1は・・・


電撃戦の失敗で長期戦になったのがやはり大きいです。
国力のない国は、半年程度の短い戦闘で押し切るのが基本です。
相撲と同じで、小柄な力士が大柄な力士に立ち向かうには、相手の体を一気に崩して押し出すか、猫騙しなどの奇策で一気にもっていくのが定石です。
どちらにしても時間をかけるのは自身がどんどん不利になります。組み合いになったら、大柄なほうが有利なのは、だれでもわかるかと。
ですので、フランス降伏後、戦争を終わらせられなかった、というのが大きいのかと思います。

(2)イタリアについてですが・・・
これは、いわゆる日和見参戦というやつです。
とりあえず、会戦までの間しばらく日和って、「~が勝ちそう」となったら、そちら側に参戦。で、予想どうり勝てばめでたく戦勝国の仲間入りです。
はっきりいってイタリアは、自身から積極的な軍事行動を起こしていません。
特にその動きが顕著なのは海軍でして・・・
当時イタリア海軍の陣容は、リットリオ級(イタリア級)新鋭戦艦3隻(ただし3隻とも就役は会戦後)、カイオ・デュイリオ級旧式戦艦2隻、コンテ・デ・カブール級旧式戦艦3隻を保有していました。
しかし、旧式戦艦、といっても、1930年代に改修を行っており、第1戦級の力は持っています。フランス海軍を敵として、戦力を整えていたのです。また、巡洋艦、駆逐艦も結構な数を保有しています。

この陣容は、ドイツのビスマルク級2隻、シャルンホルスト級2隻+ポケット戦艦よりもはるかに上です(航続距離が短いことを除けばですが)。
つまり、西洋の海軍大国イギリス、巨人アメリカ、東洋の海軍大国日本の3大海軍国に次ぐ、世界第4位の海軍です。殴り合いならばイギリスの艦隊ともマトモに打ち合える欧州唯一の海軍を持っていたのですが・・・
しかし、6月に会戦してからこの海軍はタラント湾に引きこもったままで、7月頭に(ドイツが再三せっついてきたので)とりあえず英艦隊と戦闘を行ったきり、又引きこもり、マルタ島にちょっかいを出すことはあったものの、結局11月にあったタラント湾空襲で大打撃を受けました。
で、そのせいで、さらなる損害を恐れて、いっそう引きこもってしまいました。
陸軍についても、アフリカのように「確実に勝てそう」なところでしか戦っていません(まあ、それでもイギリスが粘ったおかげで負けたわけですが)。
そして、イタリアは1943年にさっさと降伏。ドイツが勝つかと思っていたのが、ひっくり返されてしまったわけです。つまり、予想が外れた、ということ。

現在イタリアは、ドイツと日本の常任理事国入りにはあまりよい顔をしていません。
理由は、第2次大戦の「戦勝国」を自負しているからとされています。
同じ欧州でも、ドイツに降伏したフランスは、イギリスとアメリカに開放されて、おかげで戦勝国として常任理事国となっています。
近代西洋の考え方ですが、とりあえず勝ったほうについていれば(ろくに貢献していなくても)なにかメリットがあると言うことです。
イタリアの参戦は、これを狙ったものであると言う色が強いですね。
で、戦局のよしあしですが・・・まともに戦っていない国に、そんなものはないと見るのが妥当でしょう。イタリアの第2次大戦は、同じ陣営にいたドイツと日本のそれと、だいぶ違います。
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ドイツが、第2次大戦で多用した電撃戦ですが、これはあらゆる動員可能な資源を一点につぎ込み、敵の混乱を招き、それによる敵の包囲、撃滅をはかるという、いわばバクチのような作戦です。



相手が充分準備していた場合、その効果が無くなるばかりでなく、逆に自軍の崩壊をまねく戦術です。

ドイツは、日本と同様資源の乏しい国ですから、いかに現状の資源を効率良く使うかを考えて生まれた作戦なのでしょう。
そのために、空軍も電撃戦を支援する手段でしかなく、本格的な制空、戦略戦が行う事ができない空軍でした。

電撃戦のような作戦は、当初こそ戦術的奇襲で成功しますが、いつまでも続くものではありません。

という事で、
(1)
ドイツが苦境に陥るのは、フランス降伏後、イギリスとの和平に失敗した事により、戦争が長期戦の様相を呈してからになります。

(2)
イタリア軍は、全くいいところが有りませんでした。
あえて言えば、ロンメル軍に従い、トゥブルク攻略した事くらいでしょうか。
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(1)「あの時点で敗北が決定したんだなぁ」というのは角度を変えれて


見ればいくつかあります。
Aスターリングラードの敗北・・・1943.1.1
Bモスクワ攻略失敗・・・・・・・1941.12.16
Cイギリス侵攻の断念・・・・・・1941.4
Dポーランド侵攻・・・・・・・・1939.9.1

Aは、歴史の世界ではほぼ常識のように語られるポイントです。
スターリングラード(同時期のエルアラメイン)以前はドイツは
占領地域を拡大していたし、以降は退却の連続です。
Bは、ドイツお得意の電撃戦に限界がでたことと、ソ連を打倒できず
同時期に米国の参戦を招いたことによります。
Cは、イギリスを屈服させられず、ドイツが歴史的に見て最も恐れる
「西のイギリス東のロシア」という状況を作ってしまったことです。
Dは、それまで一人の戦死者も出さずに第一次大戦で失った領土を
奪い返してきたドイツが、初めて損害を出した上、英仏と戦争状態に
陥りソ連と直に国境を接することになってしまったからです。
戦争準備などドイツはあらゆる面で出来ていなかったのに、はったり
で押し進めたヒトラーの無血勝利に終止符が打たれた瞬間でした。

(2)エチオピア・フランス・ギリシャ・エジプト侵攻はどの戦線でも
イタリアが有利だったのにも関わらず全て失敗しています。
そのうえ、2年間弱も国内が戦場になりました。
戦況が良い時期は無かったと言えます。
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1)


 最初のつまづきは、バトルオブブリテンです。
 この作戦が成功しなかったことで、ドーバー海峡の制空権を握れなかったドイツ軍はイギリス上陸ができなくなり、将来の連合軍による大陸反攻の目を残すこととなります。

 次は独ソ戦の開戦。戦略的に二正面作戦が不利なことは軍事上の常識でしたが、電撃戦により短期間でソ連を征服できると考えたヒトラーは、独ソ戦の開戦に踏み切ります。
 しかし史実が示すように、結局ソ連は征服できず、戦線がとりとめもなく広がる中、補給線が延びきって国力を損耗しつづけるわけです。(これは、中国大陸を征服できなかった日本と類似しています)

2)
 私の記憶では、あまりなかったかと。(;^^)
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1.ソ連に攻め込んで戦線が膠着したことと、アメリカの参戦でしょう。

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