邪馬台国の女王「卑弥呼」とは何者か?
魏志倭人伝に登場する邪馬台国の女王「卑弥呼」とは何を意味するのでしょうか。当時の日本に邪馬台国という小国があって、その領袖は女性であり、「卑弥呼」という名前だったと、素直に読むべきでしょうか。それとも、一部の歴史家が言う様に、邪馬台国とは初期の大和朝廷のことであって、女王というのは当時の中国人の誤解であり、当時の日本人が領袖を「日御子(ひのみこ、ひみこ)」と呼んでいた。それを中国人が聞いて「卑弥呼」の文字をあてた。「日御子」は後世になって「天皇」と呼ばれるようになった、と考えるのが正しいのでしょうか。
回答(8件)
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こんな考え方もあります。 確証である魏志倭人伝と、記紀の確からしい部分と、神話の一部を参考にして、特に仲哀天皇までの14代という数字を重視したい。 数字は覚えやすく、王14代というのには根拠がありそうだ。
存在が確からしい神功皇后は卑弥呼(240年頃)ではない。 仲哀天皇の皇后に立后した「丁巳」は357年か297、237年のいずれかだが、宋書の倭の五王の記録より、王の在世は20年前後であり、237年ではありえない。
卑弥呼は崇神天皇前後との説があり、年代的には不具合はない。
神武天皇は誰か、最初に金印を貰った王(50年くらい)ではないだろうか。 この王は北九州の諸国をまとめた最初の王で、東征した王ではない。 亡くなったあと、金印は神の島に納められたのだろう。 そのあと9代190年で矛盾はなさそう。
卑弥呼はアマテラスとの説あり、もっともらしい。 この頃九州の大半を収めたようで、日向にも行ったであろう。 高千穂の峰を見て神の山と感じたのではないか。
力をつけたヤマト国が卑弥呼の時代に、東征を始めたか後の王かは判らない。
この回答へのお礼
史料の乏しい古代史は色々な仮説が成立する余地があります。古代史とは、仮説で成り立つ歴史であるとも言えます。私も、自分の仮説を立ててみようと思います。
Pinhole-09様のご意見は非常に参考になりました。ありがとうございました。
卑弥呼は「日巫女」だと考えまてます。
古代日本はシャーマニズム的宗教国家であったのではないでしょうか。(だから政治をまつりごと=祭事と呼ぶ)
ですから巫女(みこ)は神の御子(みこ)、皇子(みこ)、神子(みこ)であり、国家の指導者的立場にあったのではないでしょうか?
古代日本は言霊信仰を持っていたはずですので、こういった読みの一致にも意味があって当然だと考えます
この回答へのお礼
>卑弥呼は「日巫女」だと考えまてます。
やはり卑弥呼は女性だったのですね。ありがとうございました。
>邪馬台国とは初期の大和朝廷のことであって
大和朝廷というものすらが、どこから始まると言えるのか定説はありません。
あなた自身が、どの天皇を大和朝廷の天皇とするのか、そこから考えないといけないのではないでしょうか。
つまり、皇統でいうところの、神武からいうのか、雄略から言うのか、そのあたりを、あなたの中で、紀記と考古学的な歴史認識を整理する必要があると思います。
この回答へのお礼
どうもありがとうございました。もっと勉強します。
とりあえず、日本書紀と古事記は、事実もなにもあったものではないのは、読めば分かるかと思います(人間は140年も生きません。ちなみに日本人の男性で現在生きている最高齢は110歳。科学的には130歳程度が人間の限界寿命でないかといわれています。もちろん長生きの女性で、です)。
さて、邪馬台国ですが・・・邪馬台国なるものがあった、というのは中国側の資料でのみ確認できる項目で、日本側にはそのころの資料は、文字としては残っておりません(そもそも、文字があったのかが疑問。そして、記類に至っては、あてにならないほど現実性がない)。つまり、この時代は、中国側の資料を参考にしていくしかないのですが・・・
第1、どこにあったのかすらも特定されていない国です。九州説、畿内説ありますが・・・いまだに決定打はありません。「存在していない」という説すらあります。
結局、さまざまな資料を読んでいって「自説」をつくりだすしかない項目かと。
http://inoues.net/index.html
かなりいろいろな資料がありますね。このあたりとか、本を読んで「こうではないか」、と考えていくのが妥当かと。
ヨーロッパ世界におけるフン族のように、外部資料(つまり、キリスト教国といった「外国」の資料)しかのこっていない話は歴史では良くあることで、これらに「定説」はありません。
よって、卑弥呼がなにであるかというのも「~が正しい」というのは存在しません。
この回答へのお礼
>本を読んで「こうではないか」、と考えていくのが妥当かと。
勉強をして、自分なりの仮説を立てます。ありがとうございました。
No.4ベストアンサー20pt
私達は『姫巫女』ではないかと思ってます。
日本側の文献(古事記と日本書紀)ではこの時期、皇位は空位となっています。
三国志期の日本は、日本武尊による東征が行われ、その息子・仲哀天皇が192-200年まで即位し、270年から応神天皇となっています。
ここからは想像の域ですが…
魏書東夷伝倭人条で言う倭が乱れというのは日本武尊の東征と反対勢力による抵抗運動のことではないでしょうか?
年号との照合が合わないのですが、根本的にあの年号はおかしいのです。どの人も100歳位まで生きており、無理矢理西暦に合わせて**年~**年まで即位と言っているのです。飛鳥時代の人が我々と同じ暦を使っているわけがありません。(ちなみに天皇陵も明治になって決めたものです)
これらから考えると、日本武尊とその後の混乱が「魏書東夷伝倭人条」に書かれていることと考えるのが筋だと思います。
仲哀天皇が没し、日本武尊に制圧された地域で反乱が起きた。仲哀天皇の息子は幼かったため、姫巫女(神功皇后 息長足姫命)が陣頭に立って反乱鎮圧を行う。姫巫女は占いで戦いの時を決め圧勝した。無敵の姫巫女軍に抵抗するものは減ったが、姫巫女が没すると反乱軍は勢力を盛り返した。そこで幼い誉田別尊を陣頭に出兵するが、統率能力に欠けた。そこで侍女の伊与が占いで戦いの時を決め、反乱を鎮圧した。その後に誉田別尊が天皇に即位し応神天皇となった。
古事記・日本書紀・魏書東夷伝倭人条の3つを年号照合と物語照合を行うとこの形が一番すっきりします。
この回答への補足
興味深く読ませていただきました。卑弥呼は神功皇后であるというお考えは、日本書紀の撰者と同じです。日本書紀の神功皇后の章では、魏志倭人伝が引用されております。
それならば、魏志倭人伝に女王と記されてもおかしくないわけです。しかも、邪馬台国は初期の大和朝廷である・・と。
No.3ベストアンサー10pt
おはようございます。
卑弥呼に関して言えば、「まぼろしの邪馬台国」にはじまり、数多ある邪馬台国に関する書籍を諸説読みましたが、自分としては敢えて「日向一族の祖」とする原田説が一番有力ではないかと考えています。出雲が権勢を誇る九州に於いて、出雲の祖である素盞嗚と契り、タギリをはじめとする、後の宗像三女神を産みます。そのタギリが、素盞嗚の後継である大国主と夫婦となりますが、大国主が没した後、末子である、幼少の言代主がその覇権を相続、その祭祀・政を後見人の卑弥呼が継承します。それに反発した出雲族に対して、高千穂が旗揚げして出雲に攻め込み、その覇権を日向族に譲る事になります。これが有名な「出雲の国譲り」ではないかとされており、あくまで個人的見解として、時期的にもこの卑弥呼の摂政時代と、「魏志倭人伝」に出てくる邪馬台の卑弥呼が同一ではないかと思っております。
また、魏志倭人伝に出てくる史実が、日本史や記紀に出てくる史実には全くみられないので、突出した特別な、しかも短命の「邪馬台国」と呼ばれる国家があったのではないかと言う説も、なかなか捨てがたいと思っています。
いずれにしろ、いまだ研究の途中にあるものですから、質問者様が言うところの「正しい」解答と言うのは無いのではないでしょうか。名著、宮崎先生の「まぼろしの邪馬台国」をはじめとして色々本が出ているので、目を通されてみて、ご自分でミステリーを解くのも面白いと思いますよ。前述の原田説の原田大六氏の「実在した神話」などに書かれています。
http://books.yahoo.co.jp/book_search/author?auth …
お時間があれば、一度読まれてみてはいかがでしょうか。
ご参考になれば幸いです。
この回答へのお礼
原田説を勉強してみます。ありがとうございました。
現状では、中国の史書に名前があるくらいですから「邪馬台国」は実在したのでしょう。しかし、これについても史料が乏し過ぎるために仮説の域を出ず明確な断言が出来ないのです。魏志倭人伝にですら、邪馬台国については抽象的表現ばかりなのだそうです。
ですから、前半部分が最有力説と理解した方が良いかと思います。
この回答へのお礼
魏志倭人伝の記述を素直に読めばよいわけですね。ありがとうございました。
まず正しくは「魏書東夷伝倭人条」です。
私の個人的な意見としては
大和朝廷と邪馬台国は別の国家集団であると
思います。
当時の中国人は直接日本列島を訪れたわけでは
無く邪馬台国から来た使者の話とかを聞いて
書いてると思うのでかなりいい加減な内容に
なっているのは否定できません。
悲しいかなその時代の日本側の文献は存在しないので
結局は真実は闇のなかです。
まあ、謎なので勝手に色々想像できるのが面白いのかも知れませんが・・。
私は卑弥呼は「日の巫女」の事かな?と思います。
失礼いたしました。
この回答へのお礼
早速のご回答、ありがとうございました。
「日の巫女」ですか。「卑弥呼」は巫女さんだったということですね。古代は政教一致だったようですから、あるいは、正しいお考えかも知れません。
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