怖いタイトルで驚かれた方もいらっしゃるかも知れませんが、以前に質問されている「ここはどこ?(http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=212443)」と本質的には同じ内容の儚い質問です。

私は、幼いころ自分を囲む世界の存在を疑問視していました。
(この疑問を理解していただくために、あれこれと説明を用意していたのですが、他の質問への回答などを読ませていただくと、どうやらここではそのような説明が不要に思えます。)

子供のころは、このこと深く考えることでとても強い孤独感を感じました。
35になり、家庭を持ち、精神的にもまあ健康かと思える現在では、さすがにこの孤独感に苛まれることはありませんが、依然疑問が解決している訳ではありません。

同じ疑問を持たれている方が他にいらっしゃるのも知っています。
なにかの本に、「自分の後ろの世界が実は存在しないのではないか?と思い、不意打ちで後ろを振り返ったりもした」というような著者の経験が書かれていたのですが、私もこれと同じ事を子供のころにしました。また、上述した過去の質問も、本質的に同じもののようです。

ところで、この疑問を持つ人と、持たない人との違いはなんでしょうか?
誰しも持たれる疑問であるように思うのですが、予想するに大半の方がこの疑問を持たれた事がないように思えます。

また、この疑問は「生きていく」という目的に対してはネガティブなもので、考える必要性のないものかとも考えます。つまり精神的には不健全な思慮であり「病気」の元になるものかとも思うのですがいかがでしょうか?

有識者の方々、また同様の疑問をお持ちの方、ご意見をお聞かせください。
よろしくお願いいたします。

A 回答 (10件)

わたしも同じような疑問を10代の頃に抱いておりました。


 ふと思うものなんですね、こういうのって。当時はその疑問を考えるだけで恐くて眠れませんでしたが、やはりどこかで気になっていたので、考えに考えて自分なりの答えに至った事が変な話、自信に繋がってます。
 疑問を持つ人、持たない人とありますね。私の場合、疑問を解決しようとする人、そのままにする人としておきます。便利な言葉ですが、生き方の違いだと思います。
 この手の話はプライドが関わってきます。疑問を解決しようとする人が集まり、自分を述べる。そして、そのプライドが質問を高めて行く。残るのは高められた疑問。デカルトも故人です。
 つまり私は、私が納得する答えを見付けたので、それで良しとしています。しかし深くしようとすれば、まだまだ切りがないでしょう。それこそ人生であるかと思います。年齢とともに考え方も変わってきますから、これからの楽しみでもあります。
 ところで疑問を抱いた原因は、私自身、結構いやしいところからだったと思います。
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この回答へのお礼

いやしいところ・・何でしょう?
失礼ながら興味を持ってしまいます。

この手のお話ができるお相手がいらっしゃったのですか?
うらやましいと思います。
私は少なくとも、そのような友人にめぐり合ったことがありません。

そうなんです。きりがないんですよね。それだけがわかっている・・
といった感じです。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/04/16 22:50

私も子供のころ、同じ疑問を持ったことがあります。

ですが、いつの間にか考えなくなりました。これは、いつ、なぜ考えなくなったのかは分かりません。
ただ、今この質問を見て私が思うことは、自分以外の存在を認めたからではないか、ということです。

子供のころは自分中心で物事を考えるものです。そして、成長するにつれていろんな情報が入ってきて、自分が実際に体験したり、見てきたわけでもないのに、現在までの過程が分かるからではないでしょうか。
例えば、どうやって地球ができたか、海や山ができたか、生命が生まれるか、物が建造されたり、製造されたか…。
子供のころに持った疑問が徐々に解明され、意識的、無意識的に知識として身についていき、決して自分が主体ではなく、この世界を創ったのも自分ではないということを理解したので、

「自分の後ろの世界が実は存在しないのではないか?」

という疑問が、不自然に思え考えにくくなったのだと思います。
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この回答へのお礼

その通りだと思います。
やはり、大人になり「現実」を知り、理性を得ることで
この疑問は失せていくものだと思います。
ただ、改めて考えてみても回答はみつかりません。
やはり、「自分の世界」だけしかないのです・・・

同じことを感じておられた方が多いので驚きました。
ありがとうございました。

お礼日時:2002/04/16 22:45

「自分の後ろの世界が実は存在しないのではないか?と思い、


 不意打ちで後ろを振り返ったりもした。」

●↑この経験は我家では主人と子供ふたりの四人が全く同じ事をしてました。
 小学校の頃の記憶です。
 また同じく四人とも 眠って起きるとこの世が無くなってるかもしれない
 という恐怖感を感じつつ眠りについた記憶を持っていました。
 これも小学校のころの記憶です。

 家族でなぜ小学校のころは いろいろ恐いことを妄想してたんだろうと
 話し合いましたところ。
 たぶん 感覚が鋭敏だったからだという結論となりました。
 子供のころの感覚の鋭さは 現在(大人)に比べると想像に難いくらい
 なまっぽくリアリティがありました。
 子供の脳の中身(性能)は 「クリア」という感じがします。
 五感はもちろん 想像によるイメージの明瞭感も格段にクリアでした。
 あのころ感じてたこの世の終わりの恐怖は いまではそのカケラすら
 感じることができません。とても残念ですが それが現実でしょう。
 脳の老化 刺激に対する鈍化(現実を生きるための脳の防衛策)
 が その原因にあるとおもいます。
●感覚がネガティブであることよりも。
 その感じを得られる感性を大切にしたいです。
 「敏感に感じれる」ということは 人生を豊かにしてくれますから・・・。
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この回答へのお礼

すごいですね・・・・家族全員ですか!?

みなさんの回答もあわせて読ませて頂くと、どうやら私の幼いころの感覚は、とても普通のことだったように思えてきます(これまでは、「同じ」と思えた意見を聞くことはほぼ皆無だったのですが・・まず人に話せませんからね。)

私の幼少のころの疑問に、この質問のような大袈裟な題を付けてみましたが、幼いころ(小~中学生くらいですか・・)は、自分の中で「なぜ自分は自分でしかないのか」という表現でした。
この表現が理解していただけるようであれば、なおうれしと思い書いてみました。

>その感じを得られる感性を大切にしたいです。
今はそう思います。けれど、ちょっとしたサバイバルもある社会(会社など)に、この感受性を「適応」させられそうに思えないのも正直なところです。
また、私は現在3歳の子を持ちますが、できればこの感覚を遠ざけてやりたいと感じています。

とても親近感が持てるご意見ありがとうございます。
chihokoさんのご意見にずいぶん私も勇気付けられました。

お礼日時:2002/03/30 02:09

哲学の正統的見解はstarfloraさんが述べていますので、私の方は


少々異端的(?)な見解を述べます。


『生苦とは、「あの世」と切り離される苦しみのこと』
| さて、ここまでお話しすれば、「生苦」の意味がおわかりいただけたかと
|思います。「あの世」ではすべてが一体で、仏の慈悲、無条件の愛、に
|包まれていたのに、肉体をまとって生まれてきたとたん、突然切り離されて
|一人ぼっちになってしまうのです。

| つまり、生まれることによって「個」が発生するのです。「個」は孤独に
|通じ、孤立に通じます。そして、あれほど豊かだった、仏の慈悲、無条件
|の愛が少しも感じられなくなってしまうのです。

| だからこそ、人間は悩み、そして苦しむのです。自分を愛することがで
|きず、人の愛を求め、満たされない人生を送るのです。つまり、すべての
|苦しみはこの「セパレーション感覚」に起因しており、そのおおもとが、
|「生まれる」ということなんですね。だから、「生まれる」ことは、人間
|にとって最大の苦しみなのです。

<「般若心経の科学」 天外伺朗/祥伝社 より抜粋>


上記の本の記述によりますと、「愛と慈悲」で満たされている「あの世」か
ら、人間が「この世」に生まれてくると、あの世で感じていた「愛と慈悲」
を感じなくなってしまうそうです。それが原因で孤独になり、世界から切り
離されたと感じるようになります。これを「セパレーション感覚」と呼んで
います。
ところが、この「セパレーション感覚」は人によって強弱があります。その
原因について、以下のように説明しています。

| お母さんも、赤ちゃんに対して限りない愛情を注ぎますね。あらゆる犠
|牲を払っても、時にはわが身を犠牲にしてさえ、赤ちゃんを護ろうとしま
|す。これは、人間に限ったことでなく、動物でも同じです。

| このような、母親の愛が文字どおり無条件の愛であり、仏の慈悲に近い
|と思います。
|....
| いずれにしても、赤ちゃんにとってお母さんの愛情がいかに大切である
|かは、いくら語っても尽きることがないでしょう。わずか一週間でも母親
|の愛情が途切れると、幼児の精神には大きな傷がついてしまうのです。

|しかし、それは「母親が不在であること」とは関係ないと思われます。
|おそらく、母親が一週間不在でも、こういう影響は出ないでしょう。幼児
|からすると、目の前に母親がいるのに、自分に対して愛情を注いでくれな
|い、何かほかのことにいつも気を取られている、ということが問題なので
|す。

| そこで、ひじょうに不安になり、「セパレーション感覚」が出てきてしまう
|のでしょう。

つまり、幼少期の母親の愛情が問題ではないか、と結論づけています。
私個人の体験から考えても、あながち的外れな意見ではありません。


>また、この疑問は「生きていく」という目的に対してはネガティブなもの
>で、考える必要性のないものかとも考えます。つまり精神的には不健全な
>思慮であり「病気」の元になるものかとも思うのですがいかがでしょうか?

そのとおりです。しかし「セパレーション感覚」は感じてしまうものであり、
感覚してしまうと、そこからネガティブな考えが触発されてしまうのを避け
ることは非常に難しいと思います。

結局は、その人の人生で、この「セパレーション感覚」をどうやって克服し
ていくかが大事なのではないでしょうか。「結婚」ということも重要な選択
肢の一つではないかと思います。

私個人としては、まだ独身なので、一人であれこれ工夫をしている最中です。
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この回答へのお礼

とてもわかりやすいご回答です。
私の文面を見ていただいておわかりの通り、私は哲学や宗教論に明るいわけではありませんが、「異端」という前書きのあとに引用していただいた「般若心経」の解釈が、私自身のこの問題の分析ととても近いことに驚きました。

大人になり、母から聞いた過去の家族状況や、(少々深刻な)現在の家族の状況から推するに、幼少のころの親から与えられる何か(「愛情」とは書かないでおきます)が欠落していたのでは・・と考えるようになりました。

また、cse_riさん自身のご意見として、
>感覚してしまうと、そこからネガティブな考えが触発されてしまうのを避け
>ることは非常に難しいと思います。
これにはまったく同感します。
私は、この質問を上げたことで久しぶりにこの問題について考えていますが、このネガティブな思考に抗う感覚(抗体のようなものでしょうか)が自然と現れてきます。

最後に私からもひとつアドバイスをさせてください。
cse_ri さんは、独身でいらっしゃると書いておられます。
結婚もそうかもしれませんが、子供を持つことは、「セパレーション感覚」克服にもっとも有効かも知れません。親になると愛情を与える側にまわります。
親になって感じる子供への愛情は、私の場合、独身の時には予想できなかった、とても強いものです。そのような強い愛情を持つことはとてもよい薬だと思いますし、同時に子供をこの感覚から守ろうという意識も生まれます。

ありがとうございました。

お礼日時:2002/03/30 03:20

 


  これは、或る意味非常に難しい問題なのです。ただ、哲学や実存の問題に、簡単な問題というのは普通ないのですが。世界と個の実存のありようが、連関する問題なのです。
 
  >私は、幼いころ自分を囲む世界の存在を疑問視していました。
  
  この言葉で何を語りたいのか、ほぼ分かると思うのですが、実は、こういう「表現・把握」は、思春期になってからか、またはもっと後の、二十歳を過ぎてから、子ども時代の自分の存在のモードを振り返って、このように解釈しているので、本当は、子ども時代に、このような体験は「ない」のです。
  
  それはどういうことかと言うと、「世界の存在の疑問視」というのは「世界の存在の了解」という問題になるのですが、子どもは、世界または何か事物ががあることを感じ、知っても、それは、「存在物の認識」と言い、「存在」の認識・了解とは言わないのです。つまり、何かがあること、事物があることは、動物でも知っているし、認識しているのです。しかし、彼らは、「ある」ということはどういうことであるのか、そのことに疑問を感じることはないのです。子どもも同様に、「存在物」の認識や、それについての疑問はあっても、「存在物の存在」ということは、実は分からないのです。ハイデッガーのような話になりますが、「存在 Sein」を知るのは、反省意識のある人間実存なのです。
  
  すると、この幼いころの認識、感じていたことは何かというと、それは、わたしの解釈では、「世界に対する違和感」であり、「自己に対する違和感」であるのです。この世界とこの自己が調和しておらず、違和があるということの実感が、自覚的に表現すると、「世界の存在への疑問」となるのです。「世界が存在しない」という時、それでは、「立ち現れている現象は何なのか?」という問いが出てきます。それに対する回答は色々ですが、例えば、「幻・仮象である」という回答があり、他方、似たような言い方で「偽物である」というのがあります。しかし、現に「現象しているのではないか」ということが云えるのです。実際、現象しているのです。従って、正確には、「この世界または自己は、幻・仮象、偽物である。本当のわたし、本当のわたしの世界は、このわたしでなく、この世界ではない」というのが、こういう感じ方の意味することなのです。
  
  これは本来性からの逸脱で、ヘーゲルは「疎外 alienation, Entfremdung」という言葉で定式化し、マルクスがこれを継承したのですが、「疎外」は、実存主義哲学で大きな意味を持って来るのです。つまり「実存疎外」という形での疎外は、「実存の本来性の疎外」になるのです。疎外という言葉は、「疎遠になる、よそよそしくなる」という動詞から造られている訳で、実存疎外とは、世界が、実存にとって、よそよそしい、何か自分の本来性と無縁なものと感じられるという「感受性・気分」の問題にもなるのです。認識的把握の前に、「気分」の問題として、世界のよそよそしさがあると言うことです。
  
  では、何故、世界がよそよそしく「感じられる」のか、です。エリック・エリクソンの自我同一性の理論からすれば、成長の発達段階ごとでの自我同一性の発達課題において、どこかの段階で「自我同一性の確立」に失敗した、あるいは、不十分にしか、同一性が確立されなかったのだということになります。「自我同一性」とは何かというと、「わたしはわたしである」という確認で、この場合、前者の「わたし」は、内面的実存的な、認識する主体の「わたし」であり、後者の「わたし」は、外面的社会的世界的な、認識される、他によって規定され評価される「わたし」なのです。そして、両方共が、「私」の認識あるいは把握のなかにおける「わたし」なのです。
  
  内面的に「わたし」とは、このようなものである、「誰」であるという認識または把握があり、これが、「世界のなかでは、わたしは、このように位置付けられている、誰である」という世界内の名指しとしての「わたしの自覚」と、調和するかどうかなのです。エリクソンの自我同一性において、基本的世界安定感という形の自我同一性があります。これは、第一段の発達課題、第二段の発達課題に大体相当しますが、小児精神病(自閉症)でない場合は、第二段階の発達課題または、第三段階の課題である可能性があります。青年期・思春期における、メインとされる自我同一性課題においても、課題達成の失敗は、社会人としての自信の欠如、男性または女性としての自信の欠如または混乱として出てくるのですが、それは、基底的な「世界の存在への違和」までは進まないのです。「世界の存在とのあいだの違和」というのは、従って、子ども時代の基本的体験における、自我の構成における刻印またはモードの構成ということになります。
  
  「No.224446 質問:心の支え」(http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=224446)の回答のなかで参照した、グノーシス主義のサイトには、「宇宙的孤児性」という概念が出てきます。これは、グノーシス主義の思想というか、その現存在姿勢の意味を解釈するため、サイトに文章を書いている人が記していることです。ハイデッガーの言葉に、「被投性」というのがあるのですが、これは、現存在は、「根拠なく」、この世界に「投げ込まれた」という実存の事態を表現しています。「宇宙的孤児性」というのは、「この世界=宇宙に、わたしは、理由が分からないまま投げ込まれたのであり、この世界は《わたしの世界》ではなく、そうとすれば、わたしの《本来的な故郷の世界》があるはずで、わたしは、故郷から離れて、このよそよしい世界に投げ込まれた、この世界の孤児である……こういう事態を、宇宙的孤児性と呼ぶようです。
  
  砕いた表現で言うなら、「この世界は、わたしにとって、よそよそしく、わたしの《本来の故郷》とは思えない」ということです。「世界の存在についての疑問」というのは、「この世界の本来性についての懐疑」であり、何かが欠けている、疑わしいので、後ろを振り返って、「不在の実相」が見えるのではないか、「非本来性=偽りの世界」である証左が、振り返る一瞬に見えるのではないかと思い、そういうことを試みるのだと思えます。わたし個人の経験で言えば、「振り返ることができなかった」ということがあります。振り返って、そこに「異様な相」を確認することの恐怖が、それを押しとどめたのだとも云えます。
  
  エリクソンの理論は、カール・グスタフ・ユングの理論と交わる所があるのですが、どこで交わるかと言えば、ユングの理論は、西欧的自覚自我の確立の理論と密接に関連し、集合的無意識からの自我の覚醒あるいは、自己確立の過程をユングの理論は描いているからです。無意識からの自我の確立という課題はフロイトのテーマでもあったのですが、整序された自我からすれば、混沌(カオス)として映じる無意識から自我を独立させるという成長の課題は、エリクソンの自我同一性理論の発達課題と極めてよく似ているのです。この場合、本来性や異郷は、無意識の世界に起源があるとも云えます。内的無意識世界と、外的な日常人間社会世界のあいだに自我はある訳で、図式化すれば、外的な世界の要請に応じて、自我の整序が行われ、無意識は意識の下に抑制されるのだということになります。
  
  無意識からの自我の独立・自立がうまく行った場合、自我は、外的世界の正統な住民・市民になる訳で、世界に対する「違和感」は生じないと言うことになります。しかし、子どもの頃や、精神病の人や、昔の未開人は、より自我の確立が脆く、あるいは確立されておらず、自我は未だ半ば、無意識に身を浸しているとも云える状態なのです。夢に無意識の世界が登場しますが、それは時に、懐かしい子ども時代の情景であったり、見たことがないか、しかし、懐かしい故郷だと思える場所であったり、逆に、何か恐ろしい異郷であるということもあります。《自我》は、無意識か、日常的この世か、どちらに属しているのか、ということが実は大きな問題となって、子ども時代には存在したのです。
  
  普通の発達では、自我は、光のある「この世界」へと進んで行き、そこを自己の定住の場、自己の本来的世界と認識します。子ども時代の中途半端な状態というものは、忘却され、個人的無意識にその遺跡を残すことになります。子どもの発達の過程において、普通に起こることとして、「エイリアン疑問、取り替え子疑問」というのがあります。こういう言葉では云わないと思うのですが、何と言うのか忘れました。これは、子どもが必ず一度は、自分は、本当に、両親の子どもなのだろうか、何か別のところから貰われて来た、「偽の子ども」ではないのかという疑問です。自分が偽の子どもかという疑問は、つまり、両親は、偽の両親ではないかという疑問である訳で、自我の安定の第一の基盤とも云える両親が偽ではないかというのは、「この世界」が偽ではないかということになります。しかし、これは、自我同一性の自己確認のために起こる疑問であるのが普通で、そうでないという保証を得て、自我は「この世界」は、まさに本物の世界だという確信に達するのです。
  
  従って、「この世界の存在に対する懐疑」というのは、どこかの段階の発達課題の達成の失敗か、または、混乱が存在するということになります。
  
  これは、発達心理学または無意識心理学での解釈というか、把握です。しかし、哲学的課題としては、自己の存在の根拠が見出せない、ということになります。この場合、「根拠」とは、実は、「わたしが《この世界》に存在していることの根拠が見出せない、ないとしか思えない」ということになります。核心としての「わたしの存在」には、実は懐疑はないのです。わたしがわたしだと認識するものが複数に分裂していたりする場合でも、それは「わたしの存在が、他在に宿る」のであって、「わたしの存在」は、懐疑以前なのです。というか、社会的発達的な「わたし」とは、社会や他者との関係で築かれた「わたし」なのですが、その根柢に「本来の原型としてのわたし」があるからです。
  
  「世界が偽」であるというのと、「わたしが偽」であるというのは、全然異なることのように思えますが、本当は同じ事態なのです。何故なら、「わたし・世界が、偽」と感じているのは、「原型としての基底自我」だからです。
  
  >ところで、この疑問を持つ人と、持たない人との違いはなんでしょうか?
 
  発達課題の達成が不完全であった場合と、比較的うまく行った場合の違いがありますが、それ以外に、自我と無意識とのあいだの交通が、子ども時代のように、なお、或る面で比較的に保存されている人とされていない人の違いでしょう。宇宙的孤児性というのは、思想を根拠付け、説明するための概念で、日常的にそう適用できる訳ではありません。世界に対する疎外感(よそよしさの感覚)以外に、無意識との交通の道を持っているので、無意識にある「本来的世界」を感じるが故に、「この世界は、実は偽りではないか」と感じるという違いでしょう。
  
  自我が、自己の安定基盤を失い動揺する場合というのは、文化衝撃(カルチャ・ショック)の場合がそうなのですが、その時、自分は「異郷」にいるのだ、「この世界は、自分の世界でない」と感じることがありますし、極端に珍しい、何か壮大過ぎるとか、戦慄させるような風景や場所に出会うと、「異郷感」とか「夢のなかにいるようだ」と感じます。
  
  >また、この疑問は「生きていく」という目的に対してはネガティブなもので、考える必要性のないものかとも考えます。つまり精神的には不健全な思慮であり「病気」の元になるものかとも思うのですがいかがでしょうか?
  
  そういう疑問というか、実存的直観・気分や世界把握を持つ場合、それが、自我の整序の(規模は色々でも)混乱に起因する場合は、広い意味で、自我が(この世の尺度で)「病気」であるので、そういう疑問になるので、話が逆です。単に「思考上の疑問」に留まり、実存の衝撃とかに繋がらないのであれば、別に問題はないでしょう。「思考上の疑問」として、距離を置いて、眺めることができるなら、「世界の異郷感覚」の呪縛の外にあると云えます。(貴方の場合は、現在は、「思考上の疑問」となっているようです。「精神的に不健全な思慮ではないか」という意識があるということは、世界の「よそよしさ」の感覚ではないからです。「違和感」というのは気分・直観で、思慮ではないのです)。
  
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この回答へのお礼

非常に詳細な解説をありがとうございます。
回答の属性が「一般の方」となっていますが、驚きです。哲学者の方ではないのでしょうか・・
最初に回答を読ませていただいたときは、私の理解を超えた内容に、熟読することができませんでしたが、改めて読ませていただくことで、少々理解が深まったように思います。

私の疑問のような課題は、哲学では「基礎」なのでしょう・・
私のほうは逆に、自分の疑問が「奇病」ではなく、分類済みの「よくある病気」であることに、(予想していたとはいえ)安心させられました。
歴代の哲学者/心理学者の方々は、自分の疑問だけでなく他の持つ問題もこのように体系付けられたということは凄いことですよね・・。

ありがとうございました。

お礼日時:2002/04/16 23:21

世界を観るには、世界の果てに立たなきゃなんねぇ。


世界の果てが、自我。
果ての向こうに我は無い。
世界の果てとしての自己認識があれば、孤独に悩む事は無くなる。なんでかって?みんな世界の果てにいるからだよ。
疑問をもつ、持たないについてだが、持たないほうがいいな。いや、どっちでもいいか(笑。両者に違いはないとおもうよ?
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この回答へのお礼

>世界の果てが、自我。
>果ての向こうに我は無い。
とても深いご意見ですね。今晩寝るときに、じっくり考えてみたいと思います。
caballero さんの他の回答を少し読ませていただきましたが、とても的確なご意見が多く、感心させられてしまいました。
今の私には、この言葉を理解することができませんが、真実なのかもしれません。
(この場で、「真実」などと言ってしまうのは、よくないかも知れませんね・・もともと真実があるのかないのかもわからないのですから・・)
ありがとうございました。

お礼日時:2002/03/30 01:41

タイトルは哲学的なアプローチですが


この質問の答は、どちらかというとユング心理学のコンテクストの中に
あるような気がします。

>自分の後ろの世界が実は存在しないのではないか?
これは「無意識」「深層心理」といったものとして
解釈していいように思います。
人間は自分の行動を意識することが出来るし
多くの行動や考えなどは意識的統制に従っているが
自分では意識し得ない心の動きの存在を仮定し
この存在をユングにおいては「無意識」と呼びます。
この「無意識」を形成する要素として
まだ倫理観や道徳観が身についていない子供の頃の「原体験」が大切だと考えます。
子供の頃、さまざまな「体験」はまだ解釈できず
得体の知れない「原体験」として記憶されます。
大きくなるにつれ、さまざまな「体験」の解釈を学びます。
このとき「あのときの体験は○○ということだった」と理解し納得してしまうと
その原体験は失われ、忘れ去られてしまいます。

>この疑問を持つ人と、持たない人との違いはなんでしょうか?
つまり「原体験」を覚えている人と、忘れ去ってしまった人の
差ではないでしょうか?

こういった「原体験」を、その理不尽さや残酷さを
ファンタジックに語りついだものが「伝説」や「民話」「昔話」というものです。
その理不尽さや残酷さに教育的配慮が加わると
伝説・民話・昔話は「童話」に書き換えられてしまいます。
このような教育タンとしての「童話」を読まされ
倫理や道徳を植えつけられ
科学教育を刷り込まれていくるうちに
多くの人は「原体験」を忘れてしまうのでは
ないでしょうか。
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この回答へのお礼

なるほど・・・大変参考になります。
「原体験」は解釈されないことで、消化不良のように残り(忘れない)、私のような者は、消化不良を残して大人になった・・という解釈は近いですか?
この見地から一度じっくり考えてみたいと思います(初めて伺ったご意見でもあり現時点では、理解を得ておりません)。
非常に新鮮なご意見、ありがとうございます。

お礼日時:2002/03/30 01:26

想像力の差だと思います。


自分の存在する世界を疑ったとき、その先に何があるのか、あるいは何も無いのか。
そういうことをリアルに想像すれば、恐ろしくなりますよね。
自分の認識している以外の世界を想像できるか否か。
その想像をどれだけ、自分の近くに引き寄せるか。
そういうことではないかと思いますが。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。
無限への想像などと結びつくのかも知れませんね。
自分が何なのか?と同じで、恐ろしさを感じる疑問です。
また、我々のほうが想像力が豊か・・と取っていいのでしょうか?
そうだとうれしいですね。
けど、こんな苦しい疑問が湧いてくるのなら、あんまり想像力はなくていいのかも・・とも思います(笑)
ありがとうございました。

お礼日時:2002/03/30 01:15

 日蓮大聖人は依正不二という法門を説かれています。


 依とは、私たちが生活するこの国土をいい、正とは、私たち人間のことです。この法門は、人間の思想や行動がそのまま非情の国土世界に反映するという“不二”の関係にあることを明かしたものであり、国土の災害や戦乱・飢餓を根本的に解決し、悠久の平和社会を実現するためには、正報である人間が清浄な福徳に満ちた生命に転換しなければならないことを示したものです。
 如何でしょうか? 
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。
odd-artさんのご意見は、私のような者の理解を超えたものなのかもしれません(失礼な印象を持たれたのであれば申し訳ありません)。
このような高い理想を持つ方に、私の非常に個人的な悩みにご意見が頂けたことをうれしく思います。

お礼日時:2002/03/30 01:01

 思わない人がいる、というのが逆に驚きだったことがありますが(笑)



 俺が思うに、俺自身こんな考えを持った理由が、「日常生活での自由度」が大きく関わっていた気がします。
 小さい頃はとかく何でも親がしてくれたので、自分の自由になったものですが、次第に親が目をかけなくなったりして自由度がなくなると、自分を保護してくれるものに対する不安から、このようなことを考えていたようです(少なくとも俺は)。

 特に小さい頃は、周囲の人からチヤホヤされるような人間でもなかったので、言葉に少しでも悪意が含まれていると、(本人はお世辞で言ったとしても)少々ナーバスになってそんなことを考えていたようです。
 高校生くらいになって、特技に関して周囲から一目置かれるようになると、いつの間にかなくなっていたんですけどね。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。
質問にも書いたように、ほとんどの人がこのようなことを考えないように思います。不思議ですね。
共感いただいてうれしく思います。

お礼日時:2002/03/30 00:55

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