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江戸時代までは、武家社会で農業が国の主な産業だったと思いますが、何がきっかけでいつから工業国になったのですか?
たぶん、明治時代頃からだと思いますが、日本はどちらかというと、かなり時代遅れな感じがしてます。

それが、いつの間にか、時代が変わってますよね。

第二次世界大戦前から日本はロシア、中国(清)にも
戦争で勝ち、世界大戦では負けたにしろ、戦艦や戦闘機などの技術力は当時では持ってたということですよね。
何故日本は工業国を選んだのですか?

現在でもほとんどの国が発展途上国だと思いますが、
何故、こんなにも差が開いてしまったのですか?

中東の国は地下資源が豊富なのでお金もってそうですし、ヨーロッパに近いからそれなりの技術力が伝わってもおかしくないと思うのですが。
それより日本の方が島国で、アメリカ、ヨーロッパから離れてるから遅れそうな感じがするのですが。

A 回答 (3件)

> 現在でもほとんどの国が発展途上国だと思いますが、


> 何故、こんなにも差が開いてしまったのですか?

この質問のみに対して、国際経済学や開発経済学的視点ですと
植民地政策による資源の剥奪、そして、その関係に基礎付けられた、従属的経済関係が、植民地独立後も続いているからだと、説明する説があります。
また、発展途上国の農産品中心の産業と先進国の工業・サービス中心の産業での交易は、相対的に発展途上国が不利であるからとする説もあります。
このあたりの議論は、「従属理論」や「プレブッシュ=シンガー命題」をキーワードに検索していただけると、より正確な説明があるかと思います。

資源があっても、なぜ中東諸国が発展途上国なのかという疑問ですが、
確かに、中世においては、アラブ圏の方が、ヨーロッパよりもむしろ先進地域でした。しかしその後、産業革命が起こり、全世界に広がる植民地という市場を有していた、ヨーロッパが一気に先進国へと発展しました。
産業革命の頃は、石炭が重要な資源でした。
それから資源は、石油へと転換するわけですが、その頃には中東地域も植民地化されたりしていたわけで、独立をしても、石油を採掘する技術や権利は旧宗主国の企業が有したままでした。という、背景があります。
(けれども、おそらく日本人一般のイメージ以上に、中東の大都市は近代的都市だと思います。)

大半が旧植民地の発展途上国といっても、
先進国の仲間入りした韓国、シンガポール、香港、台湾は、かなりの工業国です。
また、コンピュータ関係の部品の製造国を見れば分かるとおり、タイ、マレーシア、インドネシアなどの国や、中国。
近年では、インド、ブラジル、など、工業化という点では、日本にも引けを取らない国が確かにあります。

一方で、サブサハラ以南のアフリカ、内陸国、島嶼国など、そういった発展から取り残されたかのような国も多くあるのも、事実です。
その国の自然環境や歴史といったものが、大きく影響していることは否めません。港がない内陸国は、陸路のみで、やっぱり貿易には不利です。そもそも土地のない、島嶼国は工場を建てる場所がありません。内戦を経験したり、今もなお紛争を抱える国は、やはり安定的な経済活動は行えないでしょう。

何故差が開いてしまったのかという問いに、最終的な答えとして、
日本には、後発的ですが、産業革命を迎える条件が揃っていた。その条件はかなり、限られた国しか持っていなかったというのが、一つの回答でしょう。
それに、先進国は経済発展の足を止めるわけでなく、常に最新技術を研究し、それを蓄積し、実用化しているわけで、10年20年で越えられるものではないでしょう。
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>何がきっかけで



黒船が来航がきっかけです。帆がなくとも
人がこがなくとも船が動いてきたから
驚いたんでしょ。

>何故日本は工業国を選んだのですか?

 日本は、長崎の出島を通じて、オランダと
交流があり、オランダを西洋の先進国だと
思っていた。ところが黒船をきっかけにヨーロッパ
の国々と付き合い出したら、オランダは商業国で
大国ではないことがわかった。
 産業革命の直後でもあり、工業先進国が力を
持っている事がわかって、とりあえずまね
しとかないと大変な事になると思ったのでしょう。

 慶應大学のもとをつくった、福沢諭吉は
外国ツウで、外国語が得意な有識者として
当時は有名だったのですが、彼の日記にこんなのが
あります。
 あるとき、横浜の港を歩いていていたら、
外国からの荷物が山積にされていて、そこに
書いてある文字を読もうと思ったら、全く読めなかった。
後から、それが英語である事が分かった。
というもので、福沢諭吉のような人でさえ、
オランダ語がヨーロッパ世界の共通語のような
感覚でいて、英語を読めなかったというものです。

>現在でもほとんどの国が発展途上国だと思いますが、
何故、こんなにも差が開いてしまったのですか?

 日本が運がよかったというのが、本当のところだと
思いますが、日本を植民地化しようとする
欧米諸国それぞれの思惑をうまく利用して、
結果的にそれぞれの国の協力を得られた
からでしょう。
 日本に大砲売っておけば、今後の話が有利に
働くと思ったんで、大砲売ってあげたら
その大砲で外国の船を威嚇する。すると
日本が特定の国とつながっていることが分かる
んで、ほかの国がまた何かをお土産にくれる
わけです。

 日本の刀鍛冶屋の技術と、寺子屋制度も
有利に働いたとも言われます。産業革命の
中心は鉄の鋳造技術ですから、それを
受入れる技術がちょうどあって、親方から
何かを学ぶといった仕組みが、寺子屋制度
通じて国内に広がっていたから、外国の
技術をみんなで学ぶといった環境があった
のでしょう。

 
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専門的なことは分かりませんが私見を述べたいと思います。



日本には資源と呼べるような物はおっしゃるとおりないと思います。このことは逆に考えてみれば資源がないからこそ自分たちの知恵を使って生活をする必要があったのだと私は思います。さらに、江戸時代から藩学校や寺子屋など教育に重点を置いていた国だったため高い教育水準に達していたために短い期間で他国の技術を学びそれを元に新たな技術を開発することができたのではないかと思います。
まとめると日本が生き残るためには工業(ものづくり)しかなくまた、それを実現するだけの能力を有していたということではないでしょうか。
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