江戸時代の庶民の米食
江戸時代の一般庶民はどのくらいの頻度で米の飯を食べられたのでしょうか?
年に何度かしか食べられないような話も聞きますが、時代劇とか見ると普通の町民でも飯屋とかで日常的に食べてるようでもあります。
都市部と農村でも違うと思いますが実際のところどうだったのでしょうか?
回答(4件)
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No.4ベストアンサー20pt
米の飯は食べていました。しかし白米のみの飯ではなく、米に麦・粟・稗などを混ぜた雑穀食が一般的でした(日本全体が毎日白米食をするようになったのも昭和30年代以降からです)。
まず江戸など都市部の生活は資料が多く残っているため、江戸の生活を持って「江戸期の一般的生活」と思いがちですが、当時日本の人口の8割をしめる農民層こそが、江戸期の一般的生活です。
先の回答にもあるように当時、江戸では脚気が流行していました。原因は白米のみを大量に食べる食生活ですが、参勤交代で江戸に訪れる地方武士ですら脚気を恐れていました。このことは地方では都市部、それも武士層でも白米のみの食生活は一般的でなかったのでしょう。
農民層も年貢(土地を持つ本百姓)や小作料(土地を持たない水呑百姓)、また種籾以外の米は、貴重な現金収入であるため、自分で消費する分は雑穀を混ぜるのも合理的ですし、保存や脱穀の手間を考えると白米よりも玄米に比重がかかるでしょう。
米の飯は食べてはいたが、白米飯はハレの日の食事で、通常は雑穀飯だったのでしょう。
時代劇などで貧しい農民や町民の姿が描かれることが多いので、つい昔は庶民はお米は食べられなかったのでは? と思いがちですが、江戸時代の人は都市でも農村部でもたいていはお米を食べていたようですよ。お米を食べられないのは不作の時、飢饉の時です。
ちなみに脚気は江戸患いなどとも言って、江戸などの都市部ではお米を精米して白米にして食べていたため(栄養不足で)、脚気にかかる人が多かったようです。昔はお米は食べてもおかずは漬物だけ、といった粗食が多かったようですから。
No.1ベストアンサー10pt
都市の居住者はかなり米食をしていました。
田舎から奉公に出てきて米ばかりで脚気になって田舎に返されると治癒したという例もよくあります。
また農村でも年に数回というようなことはなく、かなりの頻度で米食をしていました。
この回答へのお礼
ありがとうございます。
やはりある程度は米が口に入っていたんですね。
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