中田英寿選手が日本代表のエース的存在になった経緯について
引退したサッカーの中田英寿選手が、日本代表のエース的存在となった経緯を良く知りませんので、教えてください。
中田英寿選手が日本代表の中心人物とみなされるようになったのは、1997年のW杯フランス大会のアジア予選で、マレーシアのジョホールバルで行われた、日本VSイランの試合で活躍したからでしょうか。
つまり、その試合が、日本がW杯に出場が決まった非常に重要な試合だったので、その試合で活躍した中田英寿選手が日本代表のエース的存在とみなされるようになったのでしょうか。
もし、その日本VSイランの試合で中田英寿選手があまり活躍しなかったら、中田英寿選手は日本代表のエース的存在にはならなかったのでしょうか。
回答(2件)
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No.2ベストアンサー20pt
中田英寿はU15の時から全世代の代表の主軸選手として活躍してきた、いわば筋金入りのトップエリートといっていい存在でした。
U17やアトランタ五輪では年齢的には一番下であったにもかかわらず、それぞれエースとして君臨した財前、前園に継ぐ存在として高い評価を受けてました。
A代表としては20歳で選出されて以降、ものの数試合で主軸選手にのし上がりました。その時点で、当時不調だったカズに変わり日本のエースとして扱う声も決して少なくなかったです。
一般的にエースとして認知され始めてきたのは質問者さんの考えてる通りジョホールバルで全得点を演出してチームをフランスに導いたあたりかなと思います。
その後カズが代表メンバーから落選してしまったためその立場が不動のものになったというのが僕自身の印象です。
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No.1ベストアンサー10pt
こんばんわ。
自分はサッカーを観始めてあまり長くないので詳しくはお答えできませんが、中田選手が中心的存在になったのは海外での活躍が大きかったのだと思います。特に最初のクラブであるペルージャ、次のクラブであるASローマに在籍時の彼の活躍は凄いものでした。
特にローマ時代は日本人にして二桁得点をマークし(10得点?)、一時期は同僚であるあのフランチェスコ・トッティ(イタリア)をもベンチに追いやる程(トッティの不調もあったでしょうが)の活躍をしました。
功績について細かくは他の方に御任せしますが、上記の海外での活躍が彼が日本のエースと呼ばれた所以だと思います。
この回答へのお礼
ご回答ありがとうございました。
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