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いま、今昔物語や日本霊異記を読んでいるのですが、「鬼」について非常に興味をもったので、自分なりにまとめて研究したいと思っています。
自分は文学部じゃないので、なかなか頼る人もいないので、もし知っていることがあれば教えてください。
おすすめの文献や、サイトもおしえていただければ幸いです。

時代は平安時代くらいの鬼のイメージに絞って調べたいと思っています。

鬼といっても
・人が鬼になるパターン
・奇怪な事件が起こったときに鬼の仕業とする
・地獄の獄卒(えんま王の使い)としての鬼
・異国の人を鬼とした
・百鬼夜行にでてくる鬼

など、自分が本をよんだだけでもこれだけの種類?の鬼がでてきました。
その各理由(例えば、なぜ人(特に女や老婆)は鬼になるのか)や、時代背景について調べて生きたいのですがよければアドバイスお願いいたします

A 回答 (7件)

大学院にて女性と鬼との関係性を研究しています。


学部生の頃に卒論で信州戸隠(鬼無里)の鬼について書きました。最初は「鬼の無い里」という名に魅かれただけなのですが、現在卒論を昇華させ、女性と鬼という論を稚拙ながら考えさせていただいています。
kamutarouさんがご指摘なさっているように鬼には様々なパターンがあります。それは鬼という言葉の意味から考えなくてはなりません。それはもちろん辞書などでわかる範囲を超えて、鬼と呼ばれるものが伝承として伝わっている地域に行き、フィールドワークを行うことが必須です。鬼と一言で言っても、地域によって意味が様々に違うことが多くあります。
鬼の語源が穏(オン)という韻の変化というとこはすでに回答されている方がいらっしゃいますが、それは、一説です。(穏)オンという言葉の韻だけでは説明しきれないことが多々あります。それに、こうも都合よく意味がつけられていることを考えると、本来の意味ではないとも考えられます。また、死者の霊魂という意味での鬼は古代中国の考え方で、日本にも伝わってきていますが、現在は、それ以前に元から日本にいたという鬼の意味と混ざってしまっています。この日本に元からいた鬼については、まだ研究が行き届いていません。私はこれが気になって、研究しています。

本来の鬼の姿を知るために、文献を読んだり、時代背景について調べる事は必要なことですが、それだけでは真実は見えてきません。学ぼうとする気持ちがあれば、学問は誰でもできます。がんばってください。
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「鬼」はスーパーにも売っていないし、其の辺りをうろついている訳でもないので何時の時代でも一般の目には馴染みがない。

従ってどうにでも創作し易いのでどちらかと言えば悪いイメージで創られて来たと言える。ですから殆どの人は「鬼」に好感を持っていないし、「鬼」と言う字や話になると皆さんイヤーな感じで一歩引きます。

そして鬼ごっこの時に「鬼さん、コチラ、手の鳴る方へ」と囃したてるように、鬼は本質的に「追いかける」役を持たされる。また例えば昔話を聞いた子供が「鬼と仲良くなりたい」と思ったとしても、其の子供たちでさえ、他人から自分が「鬼」とか「鬼っ子」と呼ばれたいとは思わない。

そうなるのは多分、瓦屋根の上に載った鬼瓦を見たり、節分の時に「鬼はー外!」と煎り豆を投げつける悪習にもよるのでしょう。でも果たして鬼はそんなに悪くて怖いものでしょうか。今の社会には結構「仕事の鬼」とか「鬼監督」などが実在しますが、多分皆さん、何れも責任感が強いとかエネルギッシュな良い人たちではないか。

であれば「仕事を追う男、責任を追及する人」と置き換える事も出来る。「日本昔話」にも鬼が時々出て来ますし、日本各地にも結構「鬼伝説」が残っています。彼らは総じて力持ちとか人の良い存在として語られて来た。しかし其れだけに義憤を感じていったん立ち上がった時にはやがて反対勢力から悪者にされて誰かに退治された話として残った。

また岡山や熊野には鬼ヶ城などの名勝旧跡があったり、長崎の鬼岳などがあり、また各地には鬼沢とか鬼塚、鬼住、鬼怒川・・・・などの地名や苗字を持つ人が実在します。けれどもそれほど強い鬼が、逆に誰かを征伐し亡ぼしたと言う歴史が国内にはないから不思議です。

ですから逆に、「鬼とは前政権を亡ぼした新参の権力側の事ではなかったか」と言うような見方をする歴史ドラマが繰り返し作られる。でも実際は、鬼がやがて小さな島や城のような所に閉じ込められたり、何れも亡ぼされた例が多い。

けれども鬼が退治されて滅ぼされた名残として、其の子孫が僅かに生き残って鬼の付く苗字を持ち、鬼の地名の地域に住んでいるのかと言えば其れも違う。早い話が、鬼とは先祖を神として祭った人達でした。

何時の時代にも進化論はあった。旧風を打破して新風を入れるのが革命の論理である。

従って新興権力者は前勢力(旧風、伝統、保守)を「悪だ」と決め付けて滅ぼした。もしくは滅ぼしてから後に歴史を書き換えた。自分を正義として書き換えるために、前勢力(敵)に「鬼のレッテル」を貼って悪者に仕立て上げた。

こうして亡ぼす手口は長い間旨く行った。つまり、鬼の再生産で歴史が綴られたとも言える。

謡曲や能にも観世流の鬼が登場する。このように創作された鬼が多いし、心の中の夜叉も鬼とする仏式観念が作られた。だが其の手口は国内でしか通用しなかった。

戦前・戦中には例えばアメリカやイギリスを「鬼畜米英」と言いながら、結局は日本が滅ぼされました。日本で鬼を創作しても国際的には通用しなかったのです。

このように、鬼は其の時代の敵として為政者が拵えて民衆に刷り込んだものが多い。支配者にとって邪魔な存在、例えば与党にとって野党は鬼である。この様な手口は何時の時代でも便利に使われたものの、実際に強くて悪賢くて鬼より怖いのは権力を笠に着た支配者でした。要するに「鬼」を作った輩は、そう言う一握りの権力者と其の手先である。

其れに虐げられる一般民衆の側、支配構造からハミ出たアウトローや弱い人たちにも鬼はいたが、其の鬼は正直で純真で無欲で力持ち。常にひっそりと暮らした民衆であって、鬼として誰かを亡ぼして支配した事はなかった。所が近代の支配者と其の手先たちは何時も鬼とは逆に、神のように振舞っている悪魔である。

彼ら権力者は何時でも神のように人々を裁き、其れに異を唱えたり正しい事を言う者を悪者(魔女)や鬼のレッテルを貼って血祭りに上げたのが此れまでの歴史でした。

●節分の夜には決まって鬼が登場するが、何処でも鬼は、人々から「鬼は外 !」とばかり煎り豆を投げつけられ、頭を抱えて退散する。なのでユーモラスだが哀れな存在と見ている。

こうした鬼は決まって牛の角を付け、虎皮の褌を付けている。しかし鬼たちの素性は珍獣・妖怪ではなくて方位の丑寅、つまり北東を意味した。

其処から丑寅の方位を鬼門と言い、其の方位の暦の節分が明けると翌日は立春であり、昔はお正月、つまり新春が始まった。とすれば鬼は珍獣・妖怪ではなくて、方位と暦を司り、春を齎す役者だったと推定出来る。彼等はつまり、正しく太陽観測した暦によって先祖祭りをする和人(原日本人)でした。

其れは兎も角、観測に関わる点については漢字から見ても分る。鬼の古字は上の「点」が三角形でした。此れは太陽観測に使う見柱を意味し、観測精度を上げる必要から柱の先端を尖らせた形です。

其れが「鬼」の頭に付く「点」即ち「ツノ」であり、続く「田」の字は水平面を四角に仕切った形を示した文字です。

此れは円または方壇、即ち法界・結界の意味でもあった。其処では柱を倒して円周を描き、或いは柱を定尺として方形の面積を画いたのです。こうしたのは日影を観測して方位を確認する必要があったからです。

更に真昼間の日光の動きは早く、中々捉え難い。其の日光の動く早さを強調するために「田」の下に「人足」を付けて示した。

太陽の陽の字にも「易」の旁を付けたのも同様の理由からです。此れは獣の足のように日光(日影)の動きが早い事を示すためでした。「易」とは占いの事であるけれども元々は「変化」を意味した。

変化する光を観測する所を場と書き、また三態に変化する水の熱くなった物を湯と書きました。場とか湯の文字には変化を意味する「易」の字を当てました。そして鬼の字には「ム」の字も付きます。

此れは角度、即ち日影の勾配を計る作業を意味した。つまり鬼とはこうした神柱(見柱・大柱・宮柱)を立てて、その柱の下で作業をする方々(ヒジリ)を意味しました。

其れに、鬼は、赤鬼や青鬼として今も出て来ますが、此れは四季を四方で計ったからです。つまり五行の理で方位を示したものであり、五方に対する五色を表している。

東西中南北が青・赤・黄色・白・黒となるのは相撲の場合も同じです。ただ鬼はユーモラスに見えても実は怖い存在である。人は鬼を人間以下の獣か「化け物」の類と見下していますが、其れは何の根拠もない偏見と誤解であって役には立たない固定観念です。

嘘だと思うなら「墨子」とか「鬼の日本史」(沢 史生著 彩流社)を一読すれば良い。

鬼は怪獣やオバケでもケモノでもなく「神」かヒジリでした。其の点については今でも「鬼神」とか、「神出鬼没」と言う熟語が有ります。鬼神は自由自在に変幻し、出没出来る、と人は見た訳です。

鬼が去ればその代わりに神が出現するように見えても実は、鬼と神とは同体異面だったのです。

また日本史を裏から見れば、厳格な天文観測を基に祭事と祭政一致の政治をした出雲の神々が、やがて大和から追われた事実が分るだろう。以来、正しい太陽暦が消されてなくなって渡来の暦法による暗い時代としました。正しく暦を作ったのはつまりは鬼たちでした。

彼らは結果として追われたが、本来は太陽を追いかける人々でした。

だから其れも知らずに「来年の事を言ったら鬼が笑う」と古人は戒めたのでしょう。其れにしましても「百鬼夜行」とか「疑心暗鬼」とか「悪鬼!」なんて言う熟語はどうも馴染まない。

鬼は朝と昼を祭るヒジリ(神人)なのですから夜に出歩く事はないのだ。魑魅魍魎(チミモウリョウ)とか暗鬼なんか、一体、何処にいるのだろう。

さて地上に柱を立てた様をリアルに示したのが今では鍋蓋と言われる┻の字(鍋蓋を参照)であり、其れに地平・水平線を意味する横線を付け、或いは四方を意味する「+」に横棒を付けて「土」の字とした。

其の上さらに横棒をもう一本加えて「王」の字にしています。文字は、鬼や王が天文観測した事を示す一貫した図式になっています。

「王」はつまり、天地を繋ぐ人だった。もっと厳密に言えば、日の下であの世とこの世を繋ぐのが墓標であり、見柱であり、其れを祭る「鬼」たちでした。ただ鬼は「君臨すれど支配(統治)せず」でした。

鬼と共に働いた人達が古の聖、即ち「日知り」であり、常に天上を見るヒジリと多数の俗人とを繋ぐ役目が天下を纏める人王の立場でした。

それに対して権力者は常に神や正義の名を騙り、実力でなくて権力(仮のチカラ)を借りて人民を支配する存在です。特に今は偽王(政府)が民主化など渡来の観念を騙って正義とし、其れを着て権力を振るう立場となった。だから鬼の出る幕ではないが、「鬼監督」とか「仕事の鬼」などは活躍しています。

色んな鬼が作られたし、中には上記のような偏見で鬼を見るので注意を要する。鬼に冷た過ぎるのです。鬼は赤鬼や青鬼、前鬼・後鬼など、もっとオーソドックスな観念で見るべきですが、人は、何か、気に入らなければ直ぐに「鬼ババア」とか鬼女と言うのですね。

悪鬼とか、鬼畜(米英)と言う場合も此れは恐ろしい差別と偏見です。

其れに「百鬼夜行」とか、「疑心暗鬼」なんて書く熟語は真に迫る言葉だとは思うが虚構と言いたい。太陽のしもべである鬼は昼しか行動しない。夜行性は黄泉の西洋人や都会人や化け物とケモノであって鬼ではないのです。
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まだ調べているかわかりませんが、平安時代の鬼について面白いエピソードをご紹介します。


源頼光が鬼の手を切り、鬼が取り返しに来たというエピソードが伝えられています。

また、桃太郎の鬼についてある説をご紹介します。
鬼とされていたのは温羅(うら)という男で、桃太郎は大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)がモデルであると言う説があります。吉備津神社では今でも鳴釜神事というのがあります。
願った願意が叶うかどうか温羅が教えてくれると言う神事です。
大吉備津彦命の夢に温羅が現れ災いや幸いを教えよう、といったのが始まりです。
悪として討たれたものを神として祭ることの典型ですね。
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鬼というと酒呑童子とか桃太郎の鬼が島の鬼が思い出されます。


酒呑童子の住む大江山は優良な鉱山(銅山?)でした。政府は自分の物にしたいが地元豪族が渡しません。政府は武力行使に出たいが朝廷や都人が納得しません。そこで「鬼がいる」と言えば「退治しろ」の命が出てどうどうと攻められたのです。今日では鬼は核兵器となってイラクという大江山へ攻めた人もいますね。桃太郎の鬼達は外国との貿易を行なっていた村上水軍でしょう。珍しい品を幕府が無償で欲しがったのを拒んだために鬼にさせられたのでしょう。
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 yhahoo!、google等の検索サイトで、



 鬼の研究

をキーワードに検索なさることをお勧めします。
 馬場あき子さんの「鬼の研究」も、もはや古典の域ですね。


 
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自分の雑然とした考えですが・・・。



鬼の名の由来は「隠」というものでした。
元は、「姿の見えないもの」という意味だったようです。
また、漢字の「鬼」は、死者の霊魂という意味です。
これが、時代を経るにつれて、様々な形になっていったようです。

鬼になる人(女)という点では、宇治の橋姫・鉄輪が有名だと思います。
これらの影響もあるのではないでしょうか。
また、陰陽道では女性は陰陽の「陰」ですので、鬼になりやすい存在とされたのだと思います。

奇怪な事件が起こったときに鬼の仕業とする、というのは、妖怪のようなもののことでしょうか。
江戸時代など、時代が下っていくと、それぞれの現象に名前が付いていくようですが、そのさらに昔は、多くが単に鬼とされている気がします。
また、平安時代は「怪異」は朝廷の認めたものしか怪異ではありませんでした。
その際、誰も姿を見ていないものを表現する手段としても用いられたように思います。

地獄の獄卒としての鬼は、仏教の影響です。
牛頭馬頭などの獄卒がいます。
そもそも、何でも「鬼」としてしまったため、こんな混乱が起こってきたのでしょうね。
それもまた面白さの一つでしょうが。
訳したときに「鬼」とした影響かな・・・と個人的には思います。

>異国の人を鬼とした
古来から、大和朝廷に服属しない民は「鬼」「土蜘蛛」などと呼ばれ、蔑まれてきました。
山の民などは、いつの間にか異界の存在として、畏れられたのだと思います。
異国の人々も、畏れの象徴+身体的特徴・日本人との差異からそう呼ばれたように感じます。

百鬼夜行にでてくる鬼とは、一般に知られている鬼の姿、ということで宜しいのでしょうか。
牛の角、虎の牙、虎の毛皮の腰巻等のイメージは、陰陽道の鬼門(丑寅うしとら)からの連想で、後代になって形作られたものです。

憶測で申し訳ありません。
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系統立ててきちんと調べたことは、ありませんが、と、お断りを先にしておきます。


安達腹の鬼女は、元人間ですが、邪悪なものに、心を乗っ取られるというかんじです。
金太郎伝説のやまんばは、元々、そういう種というかんじです。
猫や、狐が一定の年月を経ると、怪異のものになるように、当時としては、長命であるというだけで、異質な扱いをされたのではないでしょうか。
酒呑童子、源頼光の退治した鬼も特殊能力があるところから、生まれついての鬼だと思います。
キャラクターも与えられずただ、悪いだけの鬼もあります。
桃太郎の鬼が島の鬼たちです。
桃太郎は、太平洋戦争の正当性のためにも利用されましたが、侵略、戦いを征伐、退治ということで、正当化した、歴史があるのではないでしょうか。
鬼無里(きなさ)、こぶとりじいさんの鬼、異国の漂流者は、天狗も考えられます。
地獄の鬼、牛頭馬頭は、地獄の住人です。
別世界だと、思います。
百鬼夜行も想像の産物だとおもいますが、当時の人の感性は、鋭かったのだなと思います。
泣いた赤鬼、鬼の鬼六、やまんばの錦色々な作品も思い出されます。
とりとめがなくてごめんなさい。
自分が相当な鬼好きであることを今、自覚しました。

参考URL:http://www.kanze.com/nonotayori/adachigahara.htm
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