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日清戦争をする事が、当時、国防上必要だったという話を聞きますが本当でしょうか?

日清戦争が具体的には、どのように国防に役立ったのでしょうか?

もし、日清戦争をしていなかったら、日本は今頃、現在の領土を確保、出来ていなかったという事なのでしょうか?

その場合、どこの国の侵略に敗北していたと考えられているのでしょうか?
御回答よろしくお願いします。<(_ _)>

A 回答 (12件中1~10件)

当時は日米、日英の不平等条約を改定し先進国の仲間入りすることが焦眉の課題でした。

米英両国とも日本の侵略=植民地化は考えられていません。したがって日本の領土を侵略から守るなどは現実の国際情勢から課題にはなっていないのです。日本より遅れた国、支配勢力が分裂したり力がない所が欧米列強の餌食になっていました。当時の国家のスローガンは「国防」ではなく「富国強兵」です。
<もし、日清戦争をしていなかったら>
こういう設問そのものに無理があります。答えをいくら考えても「わからない」というのが正解です。もし、薩長と幕府の戦いで薩長が負けて徳川政権がさらに続いたら、日本は外国の植民地になったか?と問題を立てるような物。当時の各国政権中枢に居た人にインタービューするしかありません。
 ただ、日本が資本主義国として列強に伍して「帝国主義」の道を「選択」した限り他国の資源や市場を自国に取り込む=植民地化政策は必然の成り行きでした。国家としての発展を他国の犠牲の上でなす、という「選択」をしたことが重要なのです。当時は列強が他国を植民地化するのが「普通の国」のすることのように常識であったわけで、弱肉強食の時代だったわけです。強盗に囲まれて生きる他なかったわけです。で、日本も強盗の一味になって「富国強兵」による「豊かな国」を目指したのです。日本だけでなくアメリカもロシアも先進国すべてが「強盗団」であったわけでそういう時代背景を据え置いて歴史をとらえ返すことが大切だと思います。
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お礼日時:2006/11/08 17:42

No2回答したChindonです。


<もしも。。。。>に関して
昔から歴史上の事実を<もしも。。>と設定して自説を展開する学者は必ずいるものです。自然科学の世界なら何度でも実験が可能ですが、社会科学が対象とする歴史的現実は仮説を実証することもできません。ですから、<もしも、、、>の領域は科学の領域からはみ出したもの、その人の「解釈」の世界になってしまいます。その人の「世界観」を投影して、過去の歴史を眺めて「解釈」することになります。それは「科学的方法」ではありません。<もしも。。。>が科学的に説明できる、解釈ではないというのであれば、今、現在進行形の歴史的現実である、たとえば北朝鮮の数年先も読めるということです。北の核保有国への邁進、北の核放棄、親中国派軍人によるクーデター、金正日暗殺、東西ドイツ型の南北朝鮮統一の一挙の実現など各国外交当局が頭を悩ませている問題が神懸かり的に「わかる」とでも言うのですか?
100年前の<もしも、、、>が「わかる」なら数年先、いや数ヶ月先も「わかる」のではないですか?
 「解釈」のレベルでの談義は茶店での「井戸端会議」と変わりません。
 最近、日本人は「科学」すること、「科学的に考えること」が出来なくなっています。解釈学から卒業しないとダメだと思います。宗教が蔓延しているのも「科学的思考法」が身についていないからではないでしょうか?

この回答への補足

御回答くださった、皆さん、誠に有難うございました。<(_ _)>

皆さんの御意見を聞けた事、大変良かったと思います。有難うございます。

皆さんに良回答を差し上げられない事をお許し下さい。<(_ _)>

補足日時:2006/11/08 18:02
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お礼日時:2006/11/08 17:46

 日清戦争が国防上,やむを得ず起こされた戦争であると言うのは事実です。



 すでに回答にある通り,明治維新を迎えたばかりの新生日本の前に大きく立ちふさがる二つの大国がありました。ロシアと清です。どちらも領土野心の大変強い「修羅の國」とでも表現すべき御国柄で,その性格も残忍を極めていました。
 とりわけロシアは,太平洋進出の為に「不凍港」を求めて南下政策を続けていました。その障害となっていたのは、事実上清の影響下にあった朝鮮半島と、日本列島です。
 もし朝鮮がロシアの手に落ちれば,次に危うきは日本であることは,当時の情勢から考えるに自明でした。
 このため日本国内では,「征韓論」に代表されるような「まず朝鮮をどうにかしないと」と言う焦燥にも似た議論が巻き起こったのです。
 朝鮮をどうにかする為に,まず日本は清に働きかけを行いました。「朝鮮から手を引き,独立国として認めよ」と言う働きかけです。当然清はこれを無視し,陰に陽に朝鮮支配を続けました。
 そんな折、朝鮮国内で内乱が勃発し,これを収拾すると言う目的で清は軍隊を派遣しました。これを許してしまえば清の朝鮮支配はますます強くなってしまうので,「清の影響力を排除する」と言う目的で行われたのが日清戦争です。

 結果として日本は清を下し、日本の影響下に置く事に成功しました。
 しかしこの時までは,日本に朝鮮を自国の領土とする野心はありませんでした。あくまで朝鮮には「独立」してもらい,独自の軍隊を以てロシアの南下に備えて欲しかったのです。
 つまるところ朝鮮は、日本にとってロシアと言う荒波からの防波堤という役割を押し付けられたわけです。

 このようなことを考え、実行せねばならぬ程に,当時の日本人のロシアに対する危機感は頂点に達していたのです。
 もし彼らが、現代ロシアに北方四島をぶん盗られたまま声も上げず行動も起こさず,しかも(日本が主張する)自国の領海で操業していた漁民を拿捕だけになく射殺まで許す、今の不抜けた日本を見たら,どれほど嘆き悲しむことでしょうか。

 相変わらず,日本が起こした先の戦争を一括りにして「侵略戦争」と片付けたがる「自虐史観」信者が見受けられるようですが,日本は一度たりとも「侵略」を目的とした戦争など起こしていません。
 すべて、「日本を守るため」の戦争です。その為に日本に踏み台にされてしまった國は確かに多いですが,欧米列強が行ったような「収奪」のみを目的とした戦争のそれとは目的が全く違うことを知らねばなりません。

 当時は弱肉強食の狂った世界観が支配する世の中でしたから,たかが極東のちっぽけな島国が生き残る為には,こうするしか方法は無かったのです。
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お礼日時:2006/11/08 17:46

あらゆる戦争は両国が正当性を主張して行われ、自国外で戦争する場合は「生命線」「同人種」「同宗教」などを言い立てて、自国(権益)の保全が理由にされます。


後半のIFの話に繋がりますが、偶々負けずに済んだ2つの戦いは相手国側が深刻な内部問題を抱えており、良い結果を得る事ができました。
清国にせよ帝政ロシアにせよ、日本とに戦争はどうあれいずれ滅んだ国でしたので、戦争をしなかった場合でも日本領土まで攻めて来る事はなかったでしょう。
但し、それを当時に判っていたはずもなく、逆にそういった幸運で得た戦争の結果に酔って自分の実力を見誤ったのが、結果的に後の敗戦に繋がりました。
確かに日清・日露当時は侵略は悪という国際常識はなかったので、その前の征韓論にせよ特に非難される事ではありません。
また日本国内では失職した士族の活用に頭を痛めており、様々な国外進出(勝てる相手に戦いを仕掛ける)の理由付けが行われており、その一環として「朝鮮は国防の生命線」」という事が唱えられていました。
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お礼日時:2006/11/08 17:44

 日清戦争が国防上どれほど重要だったかを考えるのに、当時の清とロシアがどのような国だったのかをまず考えなければなりません。


 ロシアも清も日本より戦力において格段に上の超大国であり、両国とも強い領土拡張意欲を持っていたことは確かです。
 ロシアの極東の有名な港町ウラジオストックはロシア語で「東方を支配する」という意味で、東方進出の足がかりとなる港でした。陸路からはシベリア鉄道を整備し、着々と東方進出の準備を進めていました。
 清に関しては当時すでに翳りを見せ始めてはいたものの、歴代の王朝の中でもトップクラスの征服欲の強い王朝でした。有名な乾隆帝は10回にわたる外征を成功させた(十全武功)ことを誇り、十全老人と名乗っていました。
 現代の感覚では、仮に隣に強国があったとしてもそう簡単に侵略されるとは思いませんが、当時は違いました。アヘン戦争も、現代の感覚ではイギリスの言い分は通りませんが、結果として清はイギリスに香港を割譲(それだけではありませんが)することになります。また、日本でもペリー来航以来、明治後期まで不平等条約で散々苦しい目にあってきました。
 そうした経験から、列強諸国には少しでも弱みを見せてはならず、国を守るためにはあらゆる手段を講じなければなりませんし、またそうしたことは国際的に「悪徳」でも何でもありませんでした。
 こういった時代背景を考えると、日清戦争の国防上の意義は大きいと言わざるを得ません。よくこういった問題になると、侵略的意図がどうこうという話になりますが、それは問題のすり替えです。侵略的意図があろうがなかろうが、その国防上の意義は認めるべきです。
 仮に日清戦争をせずに、朝鮮半島が清、およびロシアに支配されていたとしたら、前述のような征服意欲の強い国がいつでも日本に攻め込める準備が整うことになります。そうなれば元寇の二の舞、規模はその時の比ではありません。太平洋戦争の末期、ロシアに攻め込まれた満州で起こったような悲劇が日本各地で起こっていたことでしょう。
 結果としては三国干渉によってロシアが遼東半島に進出してくることになりましたので、対ロシアにおいてはあまり変わらなかったのかも知れませんが……。
 場合によっては(朝鮮が清の支配下にあったとしたら)日露戦争で清がロシアに呼応して日本に攻め込み、沖縄や対馬あたりは今頃中国になっていたかも知れません。当然二面作戦となれば日本がロシアに勝てる可能性は限りなく薄くなりますから、北海道くらいは今頃ソ連になっていたかもしれません。
 そうなれば日本は太平洋戦争後、さらに朝鮮半島のように二分されるか、完全に社会主義国になっていた可能性も考えられますね。
 
 
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お礼日時:2006/11/08 17:45

[日清戦争をする事が、当時、国防上必要だったという話を聞きますが本当でしょうか?]



明治政府の最大の外交課題は、御存知のように条約改正と朝鮮問題。朝鮮問題とは、他の帝国主義国家(ロシアが意識されていた)が半島に入って勢力を扶植する前に、日本が半島の主導権を握って安全保障上の安定と海外経略を計ろうという国策です。これは明治政府発足当初から外務当局者によって説かれていました。
ただ当時の日本の国力の問題や極東で勢力を拡げるロシアへの脅威から、(朝鮮問題において)海外経営よりは安全保障のほうが当時の為政者により大きく意識されていたようです。

明治二十三年、日清戦争開戦の数年前ですが、山県が「外交政略論」で朝鮮を利益線(国土の安全と密接に関係する近隣地域)と位置づけ国防上の警鐘を鳴らしたのも、清国に対してではなく竣工が間近に迫ったシベリア鉄道(もちろんロシアの鉄道。軍事輸送に重点がおかれた)を意識してのことでした。

(日清戦争で)日本は「朝鮮の独立」という大義を掲げて、朝鮮の宗主権を主張する清国を追い出すわけですが、戦争目的は台湾の割譲や賠償金ではなく、あくまでも朝鮮半島を抑えて安全保障を安定せることにありました。つまり、この戦争は古くは征韓論、後の日露戦争と同一線上に位置する朝鮮問題であり、国防意識が土台になっていたといえるでしょう。

なぜロシアがそれほど脅威だったのか、当時の「恐露」とまで言われた日本人のロシア観はどんなものなのか、帝国主義の様相は、こういうことまで書けると「国防意識」の正当性をはっきりさせることができて、まともな回答に近づけるのでしょうが、あいにく時間の余裕もエネルギーもありません。
なので次の本をおすすめしときます。岡崎久彦さんの『戦略的思考とはなにか』(中公新書)と司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』(文春文庫)です。
前者は歴史の本ではありません。ただ、一章から五章まで(百ページくらい)が朝鮮半島にかかわる日本の歴史を安全保障面から概観していて、それが日清・日露戦争の非常に分かりやすい、しかも優れた概説になっています。『海から見た日本の防衛 対馬海峡の戦史に学ぶ』という教養書(PHP新書)もありますが、こっちの方が断然わかりやすい。
後者は御存知のように日露戦争を主にした歴史小説ですが、日清戦争も大きく扱っています。二巻の「日清戦争」「列強」三巻の「外交」「開戦へ」あたりを拾い読みするだけでも朝鮮問題や当時のロシア観などがよくわかります。
また、上記の両本には後進帝国主義国家であるロシアの露骨なやり口が詳しく書かれていますが、それなどは「日清戦争が具体的には、どのように国防に役立ったのでしょうか?」という問いへの間接的な答えになると思います。

私は他の質問には答えられませんが、日本が進出しなければロシアが半島の主導権を握ったことは明らかでしょう。
そのロシアとの戦争に日本が負けたらどうなっていたかを、司馬遼太郎さんが『坂の上の雲』の「外交」という章に書いているので引用しときます。(もちろん負けるとはいっても色々な負け方があり、それによって戦後処理も異なってくるわけですが、司馬さんは漠然と負けたときを仮定しているだけなので、あくまでも参考までに)

日露戦争にもし日本が負けていれば、朝鮮はロシアの所有になっていたことは、うたがうべくもない。
むろん負けていれば、日本もとられていたといえるだろうか。・・・ただ海ひとつへだてているために所有まではされなかったにちがいない。・・・英国の外務省は、日露戦争がおこるにあたって、日本がたとえ負けても国までとられてしまうことはないだろうとみていたふしがある。・・・
ただ、ばく大な賞金を支払うがために、産業は昭和中期までは停頓したにちがいない。
さらに、北海道一つをとられ、敦賀港と対馬一島はロシアの租借地になったにちがいない。


それと、何人かの方が「帝国主義という時代性を考慮する必要がある」という意味のことを仰ってますが、こういうふうなことへの戒めだと思いますよ。

歴史の研究や叙述の上で重要なことは、歴史の内在的理解の必要性である。歴史学は多くの場合、結果がすでにわかってしまっている事象を事後的に取りあげて、その原因を過去にさかのぼって究明し、関連あると思われる史実を明らかにして、その意味を解釈し評論する学問である。したがって、それはややもすると、結果から判断した演繹的説明に陥り易い。われわれは、ある時代に歴史の当事者たちが知り得なかった多くの情報をもっているが、そのことでかえって、それらの人々の日常的な知識や感覚、さらには当時の常識的な価値観や行動様式にあまり注意を払うことなく、歴史の状況を無視して、今日の価値基準や倫理観により、いわば「あと知恵」で歴史を裁断しがちである。
―『日本の近代 国民国家の形成・発展と挫折』鳥海靖著
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お礼日時:2006/11/08 17:45

現在、日清・日露戦争を侵略と定義するか、国防と定義するかは、


どちらの立場に立つかで変ると思いますね。

1)侵略はしない。侵略されたら戦って守る(この場合、戦場は日本国内なので、日本の民間人に多くの犠牲者が出る)

2)積極的に打って出る。侵略と周りにいわれる可能性はある。(この場合、戦場は相手国なので、日本の民間人には犠牲者は出ない)

日清・日露戦争を国防上必要だったと定義する人は、(2)の立場をとるわけです。(ブッシュのイラク攻撃も同質の問題)
つまり、あの時打って出なければいずれ露・英・独・仏といった列強諸国に侵略されていたであろう。それを、機制を制して打って出た事で日本の本土は戦場にならなかったのだ、、、と。(この時、注意しなければならないのは、後に起こる太平洋戦争は予期出来る人は誰もいなかったこと)

先制攻撃論を「侵略戦争」と切って捨てるのは、どうかと思います。
と、いうのも(1)の立場をとった場合、「侵略される」というのは「侵略される」側は選べない以上、いつ敵が侵略してきてもおかしくないわけです。そして、「侵略された」場合は『主戦場』は日本国土になるわけです。
その結果、多くの日本の民間人(兵士に駆り出されることのない女子供老人)にも犠牲が出る結果となります。
女子供老人(民間人)の犠牲を最小限にするには、『主戦場』が日本国内ではなく敵国内でなければなりません。
つまり、これが「先制攻撃論」の目的です。
決して、「暴力で人を従わせる事」が目的ではありません。(手段の一つではありますが)

しかし、「先制攻撃論」は先のイラク戦争のように「侵略の口実」になることも事実です。「侵略の口実」にさせないためには、実際に「敵」が攻めてくるだけの材料がそろっているのかを見極めなくてはなりません。
イラク戦争時の米国は、「9.11テロ」の恐慌状態のため、この冷静な観点が抜け落ちていました。故に、アフガン戦争とそれに続くイラク戦争が支持されたのです。(侵略される恐れは少なかったにもかかわらず)

当時の日本も、「9.11テロ」と同じ状況にあったとも考えられます。
つまり、「黒船来航」や「中国の列強による解体」、「不平等条約」といった象徴的な出来事により、「先制攻撃論」が浮上してきたと思われます。

>もし、日清戦争をしていなかったら、日本は今頃、現在の領土を確保、出来ていなかったという事なのでしょうか?

これは、歴史上の「if」なので憶測でしか語れませんが、、、。
私は、今の国土は無かったと思っています。
英国、もしくはロシアに蹂躙されていたでしょう。(もしかしたら、米国が守ってくれて今と変らなかったかもしれませんが。)
日露戦争に勝てたのは、あくまでもロシアは本気で戦っていなかったからです。
というのも、丁度ロシア革命に向かうまっただ中で、極東の小さな島国のことなんか関心がなかったのです。
それに比べ、日本は全力投球でした。あのまま、講和をせずに続けていたら間違いなく負けていたでしょう。(後の日米戦争と似たような経過をとったかと思います)
そして、またあの時期に戦争をせず、すこしでも次期がズレていたらあっけなく負けていたと思います。戦争に負けた結果はもちろん、領土が支配されていたでしょう。(北海道や九州地方はロシアのモノだったでしょう)
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お礼日時:2006/11/08 17:43

歴史は専門ではないのですが、認識としては、ほぼNo.2の方と同じです。



ここ数年、「日清戦争をする事が、当時、国防上必要だった」「大東亜戦争は連合軍に追いつめられてしかたなく突入した」というような論調が堂々とマスメディアに流れていることに、大きな危機感を抱いています。

「侵略される前に侵略する」これが今の米政権の立場であり、イエスマンである日本政府の支持する立場だと思います。

「みんな強盗だったから自分も強盗になった」「だから反省する必要はない」という論理に飲み込まれないように御注意下さい。

現行憲法も、現行教育基本法も、「暴力で他人を従わせてはならない」「戦争は大規模な暴力である」ということからスタートしているのですから。
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お礼日時:2006/11/08 17:43

維新直後の政府は、大陸進出に対して相当な焦りがありました。


すぐに朝鮮半島を支配すべきだと言う征韓論までありました。

侵略は良くはありません。
しかし、他国がやるならば、やらねば自国の存亡に関わるのでした。

自国の存亡の為やらねばならない。国防の一環と受け止められたのはその為でしょう。

しかしこれには、清に朝鮮半島が属国でないと認めさせる必要がありました。
大陸に進出するには、
朝鮮半島を支配する。中国の一部を租借する。
この2通りしかありません。

まごまごしていれば、北からはロシア、イギリス、ドイツ、フランス
と、ヨーロッパ諸国に遅れをとってしまいます。

>もし、日清戦争をしていなかったら、日本は今頃、現在の領土を確保、出来ていなかったという事なのでしょうか?

どうあがいてもロシアの南下は抑え切れなくなります。
朝鮮はロシアの物。海路はロシアの自由です。

海軍の機動力を生かせば、
北海道との分断(砲撃)九州の八幡製鉄所破壊と国家は破綻してしまいます。

現在のウラジオストックは、不凍港ではありません。
氷砕船で使えるようにしています。
これが事実(歴史)なんです。
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お礼日時:2006/11/08 17:43

1)日清戦争をする事が、当時、国防上必要だったという話を聞きますが本当でしょうか?・・・今振り返って考えてみて、本当に必要であったかどうかわかりません。

当時の為政者が日本に隣接する朝鮮半島が、清国の属国であったりしたり、ロシアに狙われていたりするのは、国防上マズイと考えていたことは事実でしょう。大義名分の一つであったと考えられます。

2)日清戦争が具体的には、どのように国防に役立ったのでしょうか?・・・朝鮮半島が清国または露国の手に落ちなかったということが一つ。もう一つは日本の軍隊の近代化と戦争技術の向上です。

3)もし、日清戦争をしていなかったら、日本は今頃、現在の領土を確保、出来ていなかったという事なのでしょうか?・・・日清戦争をしていなくても、軍備をキチンと拡充しておけば、今の領土くらいは確保できていたと思いますが。

4)その場合、どこの国の侵略に敗北していたと考えられているのでしょうか?・・・敗北したとは思いませんが、日露戦争はやはり起きたと思います。そのときの戦場はもちろん満州ではなく、千島あたりの紛争から端を発し、(イ)北海道が主戦場になるケースと(ロ)対馬から北部九州が主戦場になるケース が考えられます。
 勝負の決め手は敵の補給線を絶てることができるかどうかでしょう。日本連合艦隊とロシア太平洋艦隊の海戦やバルチック艦隊との決戦があったりして、これらに勝利を収め、最終的に露軍を撃退したと思います。(本物の日露戦争に判定勝ちしたんですから、架空の日露戦争も判定勝ちにしないとね(笑))
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お礼日時:2006/11/08 17:42

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