プロが教えるわが家の防犯対策術!

 
この質問は、aster が行うものです。回答文中では、呼ぶ場合は、aster を使ってください。なお、コメント欄を参照してください。
  
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そこで、質問ですが、わたしは「生きる意味」が見出せません。生きていることにかつて、夢や野望や期待があったのですが、いまや時は過ぎ去り、わたしは生きてあることに希望や未来へのプロジェクションが持てません。
 
元々、頭が悪く馬鹿だとは思っていたのですが、どういう訳か、自分自身の価値を過大評価していた若い時代がありました。いまや、自己の総合的な能力とか知性とかは、非常に低いものでしかないと実感しています。
 
もとより、わたしは社会に何かの貢献をしようというような、殊勝な考えはないのですし、きわめて利己的で、自分のことしか考えていないのが実状です。このGOOで、何か回答していることは、何か誰かの役に立っているのかとも思うのですが、あまりに失意が多いとも思います。
 
質問者のことを思って回答を書いているのではないのですが、幾分か、そういう場合もあるでしょう。
 
人は、わたしが現実的にいかに馬鹿で無能なのか、知らないとも思います。わたしは孤独に生きてきて、孤独に死んで行くでしょう。生きて、何を得たのか、何を成したのか、「空しさ」しかないというのは極論かもしれないでしょう。
 
わたしは、慰めが欲しいのではなく、いかにすれば「意味」があるのか、いかに残された時を生きればよいのか、参考意見を聞きたいのです。また、貴方は、いかに自己の人生に意味を感じられるのかです。生きていることに意味がないとは思いませんが、しかし、この世界は、わたしにとって故郷であると同時に、異邦であるのです(これは「哲学的問題」になるのです)。
 
わたしについての質問は、答えられれば答えます。
 

A 回答 (40件中21~30件)

あなたは真面目な方だな。

俺らみたいなあほは、阪神が勝てばそれで元気になるんだがな。俺にはもうあまり言うことねぇな。ただな、道が無いのに、そっからはずれるもなにもねェンだよ。完璧かどうかはどうでもいい。なんもわかっちゃねぇ。
男を求める女は愛くるしいが、あれほどくだらない生き物はいないよ。
自然にとけていけるってのは、いいもんだ。
でもな、とけていくってのは、それとわかれてるからとけていくんだよ。
もうすでにとけているというのが、まだある。そいつはとけないのにとけてる。
対象はいらん。奉仕に対象はいら
ん。自然もな、いらない。命もな、いらない。なにも、いらない。
 
ツバメを見たな。さっき。買い物から帰ってくるときにな。
世界を渡る渡り鳥。
おれらは、 世界から 世界を渡る 渡り鳥、か。


生きなくても いいんだよ。いっちまえばな。 
なにもいらない。俺には俺も、いらない。
必要ない。
なにもなくて、いいんだよ。
実存の要請に、応える必要もない。
ま、あってもいいがな。それもなくていいのうちだ。
うおっ。暇になってきた。
人間は飢えている。
孤独は大事にしなきゃな。
きけよみんな。
命が一番だって思っているうちは、苦しい。
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今日は


僕は貴方に、人生を生きるということについて共感を覚えるものです。

注意深く質問の文章や回答者へ返文を読みますと、貴方はとても高い知性(Intelligence)をお持ちのように思います。
的外れになる危険性を省みずに例え話を持ち出しますが、ご承知のようにCIA(Central Intelligence Agency)は世界でも最高の情報・知識が収集可能な機関です。しかしやっていることといえば、自国の一部人間のエゴのために暗躍し、外交政策失敗の尻拭いや自己保身の活動ばかりが目につき、陰謀説に登場するのはフリーメーソンと双璧を成しています。まるでどうしたら世界をミスリード出来るか考えているかのようです。何故こういうことが起こるのでしょう?
また違った意味でわが国の外務省の出来事は、知性について示唆を与えています。広く諸外国を知り、わが国知性の固まりのようにも見えた外務省が、一人の古いタイプの代議士の恫喝を恐れあるいは利用し、何故いとも簡単にみえみえの権力を嵩に着た手法に屈してしまったのでしょう?
すべての組織内の人間が皆同じとは考えませんし、貴方を彼らのようだというつもりも毛頭ありません。ここで確認したかったのは知性や学力というもののもつ、無力というよりもさらに厄介な側面です。人は社会的動物ですから、社会の規範でそれなりの評価を与えられると往々にして自己評価も高めてしまうことでしょう。その時に得られるプライドを奢りとするか誇りとするか、その相違は当人が実社会に与える影響に於いて極めて大きな隔たりがあると思っています。二つの事例は雄弁にそれを物語っています。
それではプライドの奢りと誇りを分かつ物は何でしょう、貴方はその問いかけにどのような解を提示されるでしょうか?
今のようにお迷いの時、このことを考えてみるのは意味あることだと思いますがいかがでしょうか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。お礼のレスを記しますと、何か批判や反論のようになる可能性がありますので躊躇しておりましたが、何も記さないのも非礼かと思い記します。

まず、わたしが高いインテリジェンスを持っているという評価は、いささか、実状とは違うとは思うのですが、質問自身にも記しましたように、そう考えている人が多いだろうとは思います。

>人は社会的動物ですから、社会の規範でそれなりの評価を与えられると往々にして自己評価も高めてしまうことでしょう。

わたしに対する「社会の評価」が高く、それに応じて「自己評価」も高くなるということでなければ、この文章は、わたしには適用できないはずです。CIAの職員や外務官僚のような「社会的に高い評価」をわたしが得ているとお考えなのでしょうか? それは貴方の「臆断」ではありませんか?

わたしの社会的地位とか、社会的評価とか、どのような所で判明しているのでしょうか。補足情報として、社会的地位とか、職業とかを間接的に問うておられるのでしたら、申し訳ありませんが、お答えできません。

また、そのような情報の確実性を前提とする問いかけは、些か、的はずれではないかとも思いますが。

せっかくの回答に申し訳ないのですが、何かの幾分なりとも具体的な例をわたしが記すだけで、「印象」においても、人々は「個人情報」を想定・想像してしまいます。わたしについて、答えられるものは答えます、とは、このような意味です。
(2002/0415/1625)

お礼日時:2002/04/15 16:33

●あなたのお礼の文を見ていて わかりました。



 >「実存の要請」が、この世で満たされていないように思える

 実存の要請を満たせばいいのです。
 衣食住は基本として押さええてください。これは言うまでもありません。
 「実存の要請」とは
 [ エロスと自然と一体となろうとする領域 ]です。
 エロスとは白めを剥いて思わず笑顔がほころんでしまう快楽であり
 自然と一体となろうとする領域 とは SEXのあと
 小鳥達の歌声を聞きながら おいしい空気とおいしい水と豊かな大地に育つ
 草木や花々の香を 受け入れながら まるで天国で眠りにつくような
 錯覚を起こさせるくらいの 最良の環境であるのです。

 ↑このことは人生の意味では なく。まず押さえなければならないことです。
 このことは 人類の40億年にわたる命の血と汗と涙の成果であって
 この感覚は侵すことのできない 本質の感覚です。

 このこと意外の社会における あるいは人生におけるもろもろは
 余興です。意味などあるはずもありません。

 ●ただひとつ 上にのべた「実存の要請」云々に匹敵する
  喜びがもうひとつあることを 述べます。
  それは 「尽くすこと」 「奉仕すること」しかしその 行為が
  相手 もしくは 世界にほんとうに奉仕していることなのか
  考えを進めるうちに 完璧はないことに気が付きます。
  結局自分を捧げる先も自分でしかないことに 気付きます。

  ※ひとの道は 外さぬよう ご注意を! 
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>わたしは孤独に生きてきて、孤独に死んで行くでしょう。


>生きて、何を得たのか、何を成したのか、「空しさ」
>しかないというのは極論かもしれないでしょう。

もしasterさんが、孤独や空虚さに囚われているのならば
下記URLのNo.7で述べている「セパレーション感覚」に
囚われているのだと思います。

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=242673


自分がこの世界と切り離されていると感じているのならば、
この世で何を得ても、また何を成しても、それに意味がある
という実感は得にくいかと思います。

もし私の推論がもし当たっているならば、この「セパレーション感覚」
の克服に全力を挙げてください。私も相当悩みましたし、
未だに完全なる解決はできていないのですが。

これを克服するには、個人で解決する道もあれば、家庭で
解決する道もあります。

個人で解決する道を行く場合、真理の探究と、個人レベル
での相当な価値転換が必要となるでしょう。
しかし、真理を求める中で安心立命の境地を見出した時には、
他の何物にも変えがたい喜びを感じます。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=242673

この回答への補足

 
補足いたします。わたしは、わたしの「人生」全体を通じ、「生きている意味がない」と言っているのではありません。以下のように質問にも記しています:
 
>わたしは「生きる意味」が見出せません。生きていることにかつて、夢や野望や期待があったのですが、いまや時は過ぎ去り
 
>生きていることに意味がないとは思いませんが、しかし
 
「しかし」と付いていても、この文章は、「生きていることに意味がある」と述べています。また、「かつて、夢や野望や期待があった」というのは、そのようなものを持っていた時代は、未来展望があり、夢や野望などを実現しようと試みていたのであり、その過程においては、「生きている意味」は感じていたしあったのです。
 
現在に至り、「生きている意味がどうも見出せない」という趣旨です。「生きている意味」というのは、生きる過程において実感されるものでもあれば、また、或る年齢で、振り返る時、何らかの満足の行く人生であったと言う思いで、生きている意味があった、というのもあります。
 
あるいは、これは重要なのですが、「総体世界」的に、「存在の意味の有無」については、述べていませんが、それは「ある」のです。「この世界」と「総体世界」の違いや、「この世界に生きる意味」と「存在の意味」の違いなどは、質問には、記せなかったことだとも云えます。
 
また、回答へのお礼のなかで、次のように記しました:
 
>人間は、「意味を求める」生物であるのです。
 
この後に、比喩の話を記していますが、「思考」で考えて意味があるないではなく、「意味を求める」という「実存の要請」が、この世で満たされていないように思えるというのが、現在の主観的自己認識での状況だという意味です。こういうことを述べると、話が錯綜して来ますので、「実存の要請」ということは、それを述べる必要がある場合があれば、もう少し詳しく述べます。
(2002/0414/0640)
  

補足日時:2002/04/14 06:40
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。ただ、仰っておられる「セパレーション感覚」は、私見では、人間に普遍なもので、この世の人間の誰一人として、それに「囚われた状態」から離脱できないものであると思います。

克服するのではなく、別のもので、「孤独の慰め」とするのです。人間は、生物である限り、何か食べないといけない訳です。そこで一日に二度か、三度か、四度か、幾らか分かりませんが食事をとるのですが、ここ五年間、毎日食事を取って来たので、今後は永遠に空腹を感じることも、何かを食べる必要もなくなるだろう、とはならないはずです。「セパレーション感覚」とは空腹のようなものでしょう。

回答して戴いたことには感謝いたしますが、回答について、反論するのではなく、それはわたしには納得が行かないのだ、と述べることは、事実を述べさせて戴いているので、決して貴方と議論しようということではありません。

「セパレーション感覚」はわたしにもあるでしょうが、それ以外の問題であるということになります。また、申し訳ないのですが、わたしは「安心立命」を求めてはおりません。(2002/0422/0224)

お礼日時:2002/04/22 02:35

>わたしについての質問は、答えられれば答えます。


逢いに来たと知ってくれ。世界に。果てで逢える。
そうだな。
種子として、生きればいい。
種が死んで、芽がでる。種は、死ななきゃ生きれない。
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それは違います。

過去を否定する事はない。
学ぶという事は、必要無いのです。
知っているのに、何を学ぶというのですか?
あなたは言ったときいてます。
「あなたが生きるということは、あなたが生きるということです。」
私はあなたに何をいえばよいのか?
あなたには、歩く必要もなければ、歩く道もない。 

前を向く必要もなく、振り返ることもない。
才能も要らない。価値など毛頭必要ない。
多く世に、知られることもいらない。
名声や、欺瞞の瀰漫す話も必要ない。
自分を捨てる必要もなく、得ることもない。

なんでもいいぜ?とはいったものですが、
なんでもねぇよ。も、いえることです。
じゃ、言っちまいましょう。

 
>わたしは、いかに生きればよいのか?
 「よく生きればよい。」
 
 
 なんでもねぇよ
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友人がイスラム圏の国を旅行して、その話を聞いたのですが、


未発展のところなのでたいした娯楽もなく、人生=生活だそうです。
だから毎日の会話のネタもほとんどなく、天気だとか収穫だとか
私たちが話の前振りにするようなことばかり話しているそうです。
人びとはそうやって人生の意味を考えさえせずに死んでいくそうです。
もちろん自分の評価など気にしない。自分に期待してないんですね。
期待したからといって別のすばらしい世界があるとは想像できないのかと思います。
彼/彼女らに人生の意味があるでしょうか?
やはりあまりないのかなぁと思います。
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この回答へのお礼

 
回答ありがとうございます。「人生の意味」とは、個々のかけがえのない「実存」にとっての「人生の意味」なのです。
 
貴方は、サイモン&ガーファンクルの「ルチャード・コーリー」という歌を知っておられるでしょうか。コーリーは必ずしもそうではありませんが、例えば、大富豪の家に生まれ、エリート大学を成績トップで卒業し、財界人・学識者として広く知られ、世間的に成功を収めた人がいたとして、彼自身にとって「人生」は「意味ある」ものだったのかどうか、それは、彼の実存の問題になります。

貧しくとも「人生の意味」を感じられる生き方もあるでしょうし、豊かであっても「人生の意味」を感じることのできない場合もあるのです。

これはあくまで一般論です。「幸福とは何か」という問いに似ているのかも知れないです。
(2002/0414/0711)
  

お礼日時:2002/04/14 07:16

端的に言います。


無価値な人間などいません。
どんなに自分が能力的に劣っているように見えても、人の
才能がいつ開花するかは、わからないのです。

十代から才能を発揮させる人もいれば、二十代や三十代で
世に名を広める人もいます。
歴史上の人物を見れば、中年までは鳴かず飛ばずで、老年
になってから出世し、国家の宰相になった人もいます。
(たしか中国の前漢の時代だったかな...)

また、あなた自身が超凡人であったとしても、あなたの
子供が世界や国家に貢献する立派な人物になる可能性だっ
てあります。親が凡人・子供が偉人といった例は、歴史上
に数多く実在します。

どうしても自分の人生に展望が見えなければ、独身者だっ
たら結婚して、思い切って子供の教育に力を熱情を注いで
もいいではないですか。それも一つの生き方です。


また、今の自分が、孤独で無価値な存在にしか思えないと
したら、今までのあなたが学んできた学問や、培ってきた
価値観に何か根本的な問題があるのでしょう。
仮にいろいろ勉強してきたとしても、少なくとも今のあなた
の悩みには少しも役にたっていないではないですか。

今までの自分を捨て、一から学び直してください。
単に知識を貯えるだけの学問ではなく、真に人生に役立つ
学問を探してください。求めつづければ、きっとみつかる
でしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。わたしは、自己が「無価値な人間」だとは思っていません。「存在が無意味であった」とも思いません。それは「補足」にも記しました。
 
>また、今の自分が、孤独で無価値な存在にしか思えないとしたら
 
わたしは、「質問」で次のように記しました:
 
>わたしは孤独に生きてきて、孤独に死んで行くでしょう。生きて、何を得たのか、何を成したのか、「空しさ」しかないというのは極論かもしれないでしょう。
 
「孤独」であることは、「無価値な存在」とイコールではないのです。また、生きてきたことが「空しさ」しかなかったとは述べていないのです。そう断定するのは「極論」だと述べているのです。「空しさしかないというのが真実です」とは書いていないのです。
(2002/0414/0657)

お礼日時:2002/04/14 07:01

こんばんは。



意味は思考で求めるものなんでしょうか?
どうにでも纏まりますよ。
でも、答えはどんどん変わって行きます。
そして十人十色です。
それこそ孤独です。

暇なら、価値観を変えてみてはどうですか?
それですら自分の範囲から抜けることはありませんけど。
枠は広がるでしょう、たぶん。

「小さく纏まるな」
いつか見たテレビの中の酔っ払いの言葉です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>意味は思考で求めるものなんでしょうか?
>どうにでも纏まりますよ。

これは大層、意外な回答でした。わたしの「思索や思考」はあまりに未熟で稚拙だったということかも知れません。長年に渡り、貧しき思考にて色々と考え続けてまいりましたが、「どうにでも纏まる」というような経験はなかったとも思います。

譬えが陳腐かも知れませんが、思考のステップは、一種の堂々巡りのような過程を持つように思えます。それでは、本当に同じところを回っているのかと言うと、これも少し違っているように思えます。「人の能力」には「限りが」あるということなのかも知れません。

同じことを繰り返しているような中で、気づかない時、思索のある飛躍があるようにも思えます。しかし「自分の範囲から抜けることはない」というのは、もっともなことです。

酔っぱらいの言葉にも、時に真理は宿っていることでしょう。貴重な御意見ありがとうございます。
(2002/0416/1144)

お礼日時:2002/04/16 11:49

人に自分を許せばいい。


全ての人に、自分を許せばいい。

*さっきは餓死しろとかいったけど、ながして。くだらない場つなぎ。
自分の命は守るためにあるんじゃない。だから、自分を人に許す勇気と言うのは、自分の命を守らない勇気です。
 
命はあなたを束縛しない。
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