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受験英語の批判ってよく聞きますが、受験英語で培った知識って、英会話にも応用できるはずだし、全く役に立たないとは言えないと思います。それに、巷で売っているような英語の本だって、断片的にカッコーフレーズを散りばめただけで、あまり実のある効果は疑問です。
そこで質問ですが、受験英語には何が欠けていて何が余分なんでしょうか?

A 回答 (6件)

受験英語といっても高校受験のレベルなら日常会話で余分な知識は殆どないと思います。

でも、ご存知のように高校受験レベルでは必要な語彙や表現が圧倒的に不足していますよね。(それでも パズル的な問題も多くあり、実際のコミュニケーション力とは方向性がまるっきり違いますが。)ですから、高校に入ってから覚える語彙や表現の中には、日常会話でも頻度の高いものと低いものが入り混じっていてロスが多いのも否定できないでしょう。

受験英語で欠けているのは知識よりも姿勢でしょうね。英語に限らず外国語は文字より音を重視しなければなりません。文字ばかりを重視していては昔の漢文と同じです。読めるけど 聴き取ることさえ全く出来なくなります。

私は大学は推薦で入学したので、受験英語というのは経験がないんですが、前回のCeiriosenさんのご質問にあった英文から、受験英語ではあまり出てこないであろうという単語を拾うなら、jostleとqueue-jumperあたりでしょうか。逆に受験英語ではよく出てくるのに日常会話ではあまり使わない単語と言えば、dogmaticとかでしょうかね。

何よりも欠如しているのは英語に対するビジョンでしょう。英会話を覚えるにしても「間違いを恐れるな」と言われますが、神経質にならず図太く構えないと上達しませんし、先ずは 英語の間違いに対する余計な危惧を取り除くべきでしょう。また、英語を学ぶ目的として 視野を広げるというのがありますが、外国語=英語=学問=教科=点数=偏差値という図式を頭の中に作ったら本末顛倒ではないでしょうか。世界には色んな国があって、色んな人種がいて、色んな言語が話されていて、色んな宗教がありますが、みんな同じ地球人であり、人種的な偏見を持たないということは、英語の仮定法を覚えることよりも はるかに重要だと思います。それから、非英語圏の人にお礼を言う場合は英語で“Thank you”というよりも日本語で「ありがとう」と言った方が感謝の気持ちは相手に伝わります。

さて、受験英語で特に歯が立たなくなるのは、英語で他の外国語を学習する場合ではないでしょうか。 しかしながら、耳からフィーリングで覚えた人もかなり困難を伴うでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>日常会話でも頻度の高いものと低いものが入り混じっていてロスが多いのも否定できないでしょう。
そこなんですよね。中学の英語では到底物足りないが、高校の英語は少し難しいい割には、実用的な表現が不足していますよね。

>英語に限らず外国語は文字より音を重視しなければなりません。
どうしても日本人は文字を優先しますよね。

>jostleとqueue-jumperあたりでしょうか。
これは英語で書かれたフランス語の教本のフランス語のテキスト文の英訳から拾いましたが、他にもheftyという単語も受験の単語帳には載っていなかったですね。

>外国語=英語=学問=教科=点数=偏差値
逆に小学生の方が、国際的に広い視野を持っているかもしれませんね。

>人種的な偏見を持たないということは、英語の仮定法を覚えることよりも はるかに重要だと思います。
これも全く同感です。欧米人に臆する必要はないし、逆にアフリカや東南アジアの人を見下してもいけないと思います。

>“Thank you”というよりも日本語で「ありがとう」と言った方が感謝の気持ちは相手に伝わります。
なんかこれも見落としがちですね。

>受験英語で特に歯が立たなくなるのは、英語で他の外国語を学習する場合ではないでしょうか。
私は無謀にも英語でフランス語をやり直しています。フランス語の知識があるからまだいいものの、丸っきり新しい外国語だとお手上げですね。

お礼日時:2006/11/11 20:53

Gです。

 こんにちは!!

まったくの個人主張となります。

受験英語・学校英語というジャンルがあると言うことすらおかしいと思いませんか? また、英会話と言う単語が存在することもおかしいのです。

学校の先生が少なくとも3分の1の学生を「英語を使える」と言う自信を持たせたら、これほど大きな問題になっていないはずです。 そう思いませんか?

使えるとは、ブロークンでもいい、発音が少しおかしくたっていい、とにかく言おう・書こうとすることが出来、読んだり聞けたりすることが出来ればいい、というレベルです。 しかし、挨拶も出来ない人はどれだけいると思いますか? 

英会話学校へ言って「挨拶を習う」と言うことすらおかしいのです。

「受験英語で培った知識って、英会話にも応用できるはずだし、全く役に立たないとは言えないと思います。」 私もそう思います。 そして誰も、「まったく役に立たない」とは言っていないはず。 もちろん私も言っていません。

本屋で売られている英語の本のほとんどは宣伝文句で売っているだけのことで、実際に使える代物ではないですね。 しかし、売れるのです。 売れるのであれば宣伝文句を考えられる人は本を売って金儲けが出来る、とまで私は言います。

英語教育の犠牲者は卒業した後でも、本屋は英会話学校の栄時期になっているわけです。 (もちろん、出来るようになった人はいるでしょうが)

独学をしなくては英語に強くなれない!!のです。 日本では。 幸運にも学生時代に「教えることの出来る先生にめぐり合えた人」は今でも英語が強いはずで、英語は必要としない日本で英語を使って日と一番の楽しみや恩恵を受けていますね。 

余分なところなんてないでしょう。 文法ですらこちらの学校へ来て文法のクラスでいい点を取るくらいでしょうね。 でも、聞き取れない、しゃべれない、意思疎通が出来ない、じゃ、誰も、英語が出来るやつ、なんていってはくれないでしょう。

受験英語に一番かけているのは、英語を使えるように教えようとしない英語教育方針と英語を使えない教師がいる、と言うことです。

暗記することを体系付けて生徒に提供している教師があまりにも多すぎる、と言うことです。 これほど何十年も「自分は出来なかったけど子供だけは英語をしゃべってほしい」と言って死んでいった親がいるのもかかわらず、教えたい教師ですら教える機会を与えられていない、と言うのが現状だ、とあるこのカテの常連の人が現場から嘆いた回答がありました。 私は「教えられない教師が教えている」と書きましたが、それ以上に教育委員会の犯した罪は決して許されるものではないでしょう。

しかし、これほど言っても、日本の英語教育はさほど変わっていません。 あと20年経ってもやっと三分の一の卒業生がしゃべれる程度だと思います。

使われている表現や生活に必要な表現を教えない限り結局いくらほんの一握りの人たちがかしこまった論文が読めても一般人である日本人が国際人とはなりにくいでしょう。

受験英語でいくら満点をとっても実用英語(つまり、英語です)を使いこなせる人は本当に少ないと思いますよ。 それよりも、使えるように勉強してきた人の方がもっと英語をこなしていると思います。

これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

学校で教える英語はよく批判の対象になりますが、私は音楽も問題があると思います。音楽とは本来、音を楽しむものであり、「音が苦」になっては本末顛倒だと思います。私も中学の音楽が嫌いでした。退屈な曲を聴かされ、苦手なリコーダーを吹かされ。英語と音楽をパラレルに考えるなら、ピアノにしてもギターにしても、学校の授業では殆ど教えませんし、そもそも多人数というのに無理がありますし、能力に合わせた個人レッスンも必要です。そして、何より自宅での練習ですね。能動態を受動態に書き換えるドリル練習をしたところで英語は話せるようになりませんからね。“I love you. ”を“You are loved by me”と書き換えたところでナンセンスですよね。

お礼日時:2006/11/11 20:30

個人的な見解を述べさせていただきます。



受験英語の目的は、試験で成功することです。試験で必要な英語の能力は偏りがあり、listening:speaking:reading:writing=2:0:7:1くらいだろうと思われます。これに従い、学習時間等が分配されています。

一方、日常生活で求められる言語能力というのは、日本語について考えてみれば分かりやすいのですが、listening、speakingの重要度が圧倒的に高く、かなり離れてreading、最後にwritingということになるでしょう。重要度と言うのは頻度と置き換えても良いかもしれません。当たり前ながら、重要なものほど多くの学習が必要になります。

同時に、求められる能力の質も考えなくてはいけません。一般的に、listeningとreadingは、speakingとwritingに比べて高い能力を要求されます。一つの理由としては、前者は知らない内容を扱うこともあるのに対し、後者は自分の知っている内容を扱うことが多いからです。ここでも、言うまでも無く、高度なものほど多くの学習が必要になります。

もし、受験英語を日常生活に求められる英語に近づけようとするならば、まず重要度の高いlisteningとspeakingを訓練し、その中で基本的な英語の音やリズム、構造や表現を学び、その後listeningとreadingによって、高度な内容に対応できるよう単語や文法を学ぶことです。そして、学んだことは、speaking、writingも含めたいずれかの分野で何度も触れているうちにだんだん定着していきます。

すなわち、基礎段階のlistening、speaking、高度なlistening、reading、そして定着に必要な全ての分野での学習が欠けていると言えると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>同時に、求められる能力の質も考えなくてはいけません。一般的に、listeningとreadingは、speakingとwritingに比べて高い能力を要求されます。
これは漢文から始まってオランダ語を経由し、外国語の学習というのが外国の文献の解読が目的とされ、コミュニケーションとしての要素がなおざりにされてきたからでしょうね。

お礼日時:2006/11/11 20:18

>受験英語で培った知識って、英会話にも応用できるはずだし、全く役に立たないとは言えないと思います。



その通りですね。役に立たないと言われるのは英語そのものではなくて、長年やっていながら話せない、書けない、聞き取れないからです。これは受験制度のためです。もし、受験用教材を使っていながら話す、聞く、書くができるなら、多少「お固いやつだ」と思われることはあっても実用的と言えるでしょう。

>断片的にカッコイーフレーズを散りばめただけで

これは「客引き」のためです。某英会話学校の「(Nature calls のような)いかにも面白そうな表現をして、生きてる英語」をうたったCMと同じようなものです。「受験英語=固い、古臭い→役立たない」と刷り込まれている大衆には非常に有効な宣伝方法です。

受験英語には今はほとんど使われていない表現(lestなど)があると以前から指摘されてきましたがさすがに今はこういうことは少なくなってきています。昔(親の世代くらい)の受験用参考書を見ると、例文が19世紀の文学作品だったり、Shakespeare まであったりします。問題作成者が昔気質の英文学者だったりすると古めの文章を使ってしまうことがあったのかもしれません。(学部のボス的教授で英会話がほとんどできない人が実際いました。)
受験英語には寛容さが欠けています。これは今日普通に会話で使われている表現が欠けていることとつながりますが、試験という性格上やむをえないとも言えます。たとえばこのサイトでも時々質問が出る than me のような表現は現実に使われているといってもなお変に思う人がいる以上試験にはふさわしくありません(あくまで例です。現実にこんな簡単な問題は出ません)。

積極的な運用能力が育成されないのは、現在の成績評価や受験制度が原因です。学校においても受験においても英語は実質的に必修であり、皆履修しなければなりません。英語に関心がなくまた将来の仕事に役立てようとする考えのない人も受けなければならない以上、実用的な力を養成しようとするのには無理があるのではないでしょう。逆に興味がある人は力を伸ばすために自分で方法を探すでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

trgovecさんは受験英語も実用英語も精通していらっしゃるとお見受けします。受験英語ではよく使われるのに実用英語ではあまり登場しないもの、それとその逆ももっと詳しく例証していただくと有難いんですが。

お礼日時:2006/11/11 20:14

>受験英語で培った知識って、英会話にも応用できるはずだし、全く役に立たないとは言えないと思います。



まさにおっしゃるとおりです。自分も含め今英語が話せる人の多くは、
受験勉強で必死に英語を学ばなければ、話せるようにはなっていなかっただろう、
という意味で、受験英語の効用を認めています。

とくにビジネスの場面などでの高度な意思疎通に、受験の表現は大いに役に立ちます。

>巷で売っているような英語の本だって、断片的にカッコ-フレーズを散りばめただけで、あまり実のある効果は疑問です。

これも、まったくそのとおりで、会話の本というのは、体系的に知識を身につけるのには役に立ちません。

>受験英語には何が欠けていて何が余分なんでしょうか?
当然、スピーキングとリスニングです。今年からセンター試験にリスニング問題が出るようになりましたが、
受験に出る量が圧倒的に少ないですから、受験生も時間をかけません。
会話文が出題されますが、あれは実際に会話するのとは全くちがう、
リーディングの問題です。

受験英語でテストできる受験生の能力に偏りが出るのは、ある程度避けられない部分もありますが、リスニングに関しては、問題量をもっと増やしたほうがいいと思います。


受験英語に対する批判は、中高6年間英語を勉強したにもかかわらず英語が話せない人たちの呪詛の言葉です。

彼らが話せない理由は2つ。
1.学校以外での、「話せるようになるための」自己学習の量が少ない。英語が話せるようになるためには、最低5000時間の学習が必要と言われています。この事実は、意外なことにあまり広くは知られていないので、「自分は悪くない」と考え、話せない原因を他に求める日本人が多いのです。
2.日本では本当は英語が必要とされていない。日本の社会で暮らすのに英語はまったく不必要であること。
それに加えて、企業のトップで英語が話せる人がほとんどいないことでわかるように、日本の企業で英語が話せることは、むしろその人物にとってマイナス評価につながることもあるのが悲しい現実です。
3.日本語は英語などの西欧語と全く違う言語である点。
4.先進国中最低の教育予算による、多人数の英語授業。

以上のように日本の社会の構造的な問題なのに、受験英語や英語教育に対する呪詛の念ばかりが絶えないのが現状だと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>受験英語の効用を認めています。
しかし無駄も多いような気がしますが。

お礼日時:2006/11/11 20:09

どの程度のことが出来るのが実用的かというのは、人と場合によって異なります。



英語圏の国で普通に生活するうえで困らないというレベルを実用的とするならば、受験英語で習う内容で余分なものなど何もありません。読む・書く・聞く・話すすべての分野で実力が欠けています。

個人で外国を旅行する上で困らない(アクシデントなどが無い、友達などを作らないという方針の場合)レベルを実用的とするならば、受験英語では読み書きはやや足りない程度ですが、聞く・話すの分野でまだかなり欠けています。

ただ、たとえば旅行ですと、たとえ言葉の面で苦労しても旅行自体を楽しむことは十分できますので、それを実用的とするならば、受験英語で十分とも言えます。度胸をもつ、大きな声で喋る、簡単に喋ってくれるように頼む、ジェスチャーや筆談を効果的に使うといったことが、英語力以上に重要になってきます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

一応目安としてネーティブの10歳程度を想定しますが、一概に結論は出せないと思いますが、かなり食い違いがありますよね。

お礼日時:2006/11/11 20:06

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