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 こんにちは、いつもお世話になっています。

 タイトルの通り、「金閣寺・銀閣寺」の歴史を調べているのですが、名前の変遷や、その歴史について少しわからないことがあるので、質問させていただきます。

・金閣寺建築当時の名前、「北山殿」の読み方は「きたやまどの・きたやまでん・ほくざんでん」のどれなのか? また、なぜ、銀閣は「東山殿・東山山荘」と呼ばれても「東山第」と呼ばれなかったのか?
・「金閣・銀閣」がそれぞれ、「舎利殿・観音殿」とされたのはいつぐらいの話か?
・それぞれ建築にかかった年数は?

 以上です。断片的、予想でも構いませんので、少しでも何かご存知の方はお教えください、よろしくお願いします。

 また、こちらはご意見をお聞かせ願いたいのですが、「義政は銀閣に銀箔を張るつもりがあったかどうか」ということについて、なにかお考えはありますでしょうか? あわせて、よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

・「きたやまどの」、「ひがしやまどの」です。

   どの辞典でも同じです。
・どちらも山荘とはいえ、禅寺を意識して建てたもので、立派な邸宅を表す「第」とは言いません。
・義政は義満にならい、死後東山殿を禅寺にするよう遺言しました。  従って義満、義政の死後現在の「金閣、銀閣」が改装された時からそれぞれ、「舎利殿、観音殿」と呼ばれたと思います。
・東山殿は1982年着工で1989年銀閣完成だそうです。
・金閣は金箔張りで創建当時から金閣の別名が付いたと思いますが、銀閣の別名は先賢の書かれたように、江戸時代の文人が金閣との対比で呼び始めたというのが定説です。
・問題の銀箔張りですが、義政は張りたかったが、資金なく断念したと多くの本に書かれましたが、近年の説は義政はその気は無かったとなっています。   義満の平安王朝的明るさ好みの金閣寺に比し、禅的で厳しさ、暗さのある銀閣寺を見るともっともなようですが、月光に執心の義政を見ると、銀箔を張りたかったのではないかとも思います。   いぶし銀箔が月光を鈍く反射した銀閣を見たかったのかも。
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「義政は銀閣に銀箔を張るつもりがあったかどうか」


ですが、「義政の生前に現在の『銀閣』と銀を結びつける話はなかった」のが定説であり、現在の『銀閣』に銀箔がほんの少し貼られて『銀閣』と呼ばれるようになったのは遥か後年の江戸時代の話と聞いています。ですから、「義政本人は、銀箔のことなど夢想もしていなかった」と考えるべきでしょう。

また、永遠に輝きを保つ金と違い、銀という金属はあっという間に酸化して輝きをなくしてしまいます。銀を叩き伸ばしても、銀色に輝く「銀箔」にはなりません。金の地金を叩き伸ばして作る金箔は室町時代から存在して工芸品に使われていたでしょうが、「銀色に光る銀箔」というのが近代以前に存在したのか疑問です。

質問者様が、中尊寺金色堂や金閣と同じようにメタリックシルバーに輝く「銀閣」を想像しておられるのでしたら、「そんなものは室町時代には実現不可能であった」と考えるべきです。現代であれば、銀色の塗料や「銀以外の金属を使った銀箔」が普通に存在しますから容易に実現可能ですが。
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ご本家に聞いてしまうのが確実だと思います。


http://www.shokoku-ji.or.jp/
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