プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

オレは、ひとつひとつの決断だと思います
小さなことから全てです。、
ちなみに、19歳で自分探しが始まったところです。
皆様のご意見をお聞かせ下さい。

A 回答 (6件)

立派なおばさんの仲間入りを、一応は出来てるかなぁ~と思う30代です。



うーん、私の場合は、「経験」でしょうか。

自分探しをよくないというおじさんたちもいるんですが、個人的には、一回ぐらいはどこかへ探しに行って、「やっぱり自分はどこに行っても自分なのだ」と思うものなのではないかと思います。
青い鳥みたいに。あるいは、パウロ・コエーリョの『アルケミスト』みたいに。

決断については岡本太郎氏も言ってますよ。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/gp/product/4413090101
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誰もが、日々、生きていくために何がしかの決断をしています。


「AとBとの二者択一を迫られた時に決断を保留する」という決断も含めてです。
それぞれの脳髄が、決断と反省を繰り返していることは紛れもない事実。
そして、その繰り返しを通じて、脳髄が独自性を獲得していくことも事実。
このように考えれば、「一つひとつの決断の果てに」との答えもありのようです。
だが、それは、無意味と言えば無意味な答えかと思います。
「一つひとつの決断のあり方がどのようであれば・・・?」
こういう問いへの一歩前進が望まれるところです。

私が思うに、「一つひとつの決断のあり方」を左右するものは3つ程度あります。

一つは、スタンス(立場)です。
二つは、欲望等の処理能力です。
三つは、決断能力そのものです。

社会で出れば、実に、自らのスタンスのあり方を問われることが多々あります。
スタンスが違えば、決断のために収拾する諸情報も処理の目的も違ってきます。
いかに、優秀で論理的な決断能力を有していようともスタンスの影響から逃れるのは至難。
ですから、社会と自分との関係のあり方がまず重要だと思います。

ところで、今日程に、メディアが日々欲望を掻き立てている時代はないでしょう。
ここでの質疑を見れば、欲望等の処理能力に欠けていると人生を狂わせることは明らかです。
そういう点では、自らの欲望を抑制して自分本来のスタンスを堅持することも肝心です。

植草教授は、その優秀な決断能力を行使するスタンスに問題があったようです。
富や地位や名声というスタンスは、欲望等の処理能力の欠如を表してもいます。

質問者は、年齢を重ねてることで人生を色々な角度から俯瞰できるようになるでしょう。
その時に、どういうスタンス・視点で自分の人生を振り返っているのか興味あるところです。
自らの決断能力の高さを決して誇らず、欲望にも負けることなく到達する場所はどこでしょうか?
どういう場所であれ、後悔とか絶望とかと無縁であればいいです。
どういう場所であれ、多少、弱者と痛みを共感し合えるならば最高です。

「人をして言うに任せよ!わが道を行く!」-自らの場所探しの旅の成功を願っています。
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こんにちは。


そうですね、「自己の確立」とは「自分自身で決断を下すことができるようになる」ということですよね。そして、「自分探しの旅」はここから始まります。

「自分自身で物事を判断し、行動を選択することができる」、これが「第一段階」であり、「自己の確立」ですね。このためには、最低でも「自分」と「環境」というものを別々に認識できなければなりません。だいたい、小学校三年くらいまでですね。そして、更に大脳皮質の全ての機能の発達と、ある程度の学習期間を経て、理性的な行動の選択を行えるようになるのが概ね十五歳から二十歳までです。
ですがその結果、自分自身で決断を下すのですから、当然、自分の行動には自分が責任を持たなければならなくなります。ですから、単に心理学的な精神年齢がそこに到達したというだけではなく、やはり社会との関わりというものを考えますと、既にこの時点で必然的に「第二段階」へ移行しているということになります。質問者さんは現在、この「第二段階」にあるわけですね。そして「第三段階」とは、質問者さんの仰る通り「自分自身を知る」ということです。

自分で決断を下したならば、その行動には自分が責任を持たなければなりません。これがどういうことかと申しますと、それがどのような結果に終わろうとも全てが自分の責任であり、あれこれと言い訳をしたり他人のせいにしてはならないということです。もちろん、それに対して他人がどのような評価を下すのかは決して自分の思い通りにはなりません。
自分の考えは間違っていなかったか、自分で決断を下す以上、質問者さんは「自分の行動」というものを、「それがどのような結果であろうとも」常に「冷静」に見詰めてゆかなければなりません。これによって初めて、「自分がどんな人間であるか」ということを客観的に評価することができるようになります。
第三段階とは「自分を知る」ということです。このためには、どのような結果であろうとも常に冷静に受け入れ、自分というものの評価をなるべく客観的に積み重ねてゆく必要があります。

このように、これは心理学の問題ではなく、社会との関わりを含む方法論です。ですから、「受け入れるべき自分の行動の結果」とは、当然のことながら「自分に対する他人の評価」というものが相当の割合を占めることになります。自己を確立し、自分自身で行動を選択するということは、それはそのまま社会との関わりを持つということです。我々はその中で、自分とはいったいどんな人間であるのかを学んでゆかなければなりません。
まだお若いですよね。決して焦ることはありません、じっくりと腰を据えて「自分探しの旅」を始めて下さい。但し、第三段階のあとにはいったい何があるのかは、実は私もまだ知りません、ゴメンなさい。
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その通りだと思います。


「オレは質問する」と決断したので、
あなたは、
「質問をしたことのあるオレ」
と自己規定されます。

だけどもしも、質問することは
「オレにふさわしくない」
と思い直したら、
「試しに質問してみたが、ふさわしくないのでその後質問しないオレ」
というような自己規定にかわります。

こんなふうに、自分らしい自分を探していくのでしょう。とにかく何かを試しにやってみることで自分探しができるのは、若い人の特権でもあるでしょうね。

私は自分を探すという意識はなかったものの、行き当たりばったりの半生を送ってきたように思います。振り返って、思うのは、安易にできることに流されずに、恐ろしいほどにその道に入ることを躊躇するほどのことを勇気を持って取り組むことが、ひょっとしたら一番自分らしかったかもしれないと多少後悔するところがあります。実はそれは、平凡に生きることでしたが。

どんな生き方がいいとか、どんな自分がいいとかということを、これだと薦めることはできません。私は私の道を、あなたはあなたの道を歩くだけです。
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年齢とともに社会が要求しているのは


「家族を含めた他人に対する気配り」です。
年齢とともに、自己の経験も踏まえて、
相手の心がどれだけ読めるか、相手の心を察して
どれだけ気配りができるか、それだけの事です。

 日々の日常において、どれだけ思いやりの精神で
接しられるか、それだけです。

「自分探し」というのは、見てくれではかっこいいように
思えますが、(他人との関係を除外した)「自分探し」と
いうのは、究極的にはエゴイストになる道です。

 
というのは、普段の日常に隠されていて、
どれだけきめ細かな相手に対する対応が出来るか 学ぶことが
最も重要だと思います。

 無人島で一年も生活していると、他人の善意のありがたみが
ひしひしと分かると思います。無人島での生活によって、
はじめて人は、他人との係わり合いがなければ自己の存在意義
はないということを痛烈に知ることとなります。
 
 あと、その逆で人を信じすぎるのも「他人にだまされやすい
体質」になりますのでご注意を。

 「自分探し」というのは、要は(社会の一要素である)
他人との心のバランス感覚を知ること。
 なるべく他人の心を傷つけないように、身勝手な振る舞いは
止めて節度のある生活をすること。

 そして、社会の中で尊敬され、経済的にも社会的にも
恵まれた人生というのが、多くの人の理想ですから、
普段の勉強を大切にして、なるべく優秀な職に就くことも
大切だと思いますよ。究極的には職業に人生は
支配されますから。
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お若いですね。



「自分を」でもなく、「自分が」でもなく、自分とはどのように確立していくかという質問の立て方はユニークだと思います。
10代後半から20台の人を長く見てきておもうのですが、その人がその人のありようを決定していくのは主体的な決断の結果ではなく、むしろ非主体的な決断?や、望まない状況の受容の結果であるように思います。

つまり、「何になる」ということよりは「何になれなかった」ということがその人を規定するように思います。
あなたがいくら優秀な方でも社長と役人に同時になることは難しいですし、そもそもある会社に就職するとかある大学の学生となるということは別の会社や大学には所属しなかったということになります。
可能性としては、人は生まれたときには無限の可能性を持つわけですが、実際に生きていくと、良いことであれ悪いことであれ可能性が消えた結果としての現実の自分として生きることになるわけで、自分とはそのようにして現実化した存在であるわけです。

自分が望んだことであれ、望まなかったことであれ自分という存在は既に今ここにある存在以外の何者でもないです。それを受け入れていくことが自己の確立であると思います。

当然その結果はあなたの決断によって大きく変わるところもあるでしょう。でもあなたが決断しなかったことの結果であってもあなたはあなたでそれ以外の誰になるわけにもいきません。

世界のどこに行って自分を探しても、今ある自分以外に自分はないということを意識できれば立派なおじさん、おばさんの仲間入りができるかと思います。
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