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日本が今までに戦争をした国を教えてください。
中国、アメリカ、ロシア、はわかるのですが、第一次世界大戦、第二次世界大戦の相手国ともすべて直接戦争していますか?ドイツとも戦っていますか?

第二次世界大戦終結は日本の降伏が最後となり、他の国はすでに降伏していたのですよね?最後は日本とアメリカのみが戦っていたのですか?
降伏日がちがっても世界的に第二次世界大戦終戦記念日は1945年8月15日と統一されているのですか?

また、世界大戦中は味方同士の国が一緒になって戦う事はあったのですか?別々に戦っていたのですか?
教えてください。

A 回答 (13件中1~10件)

明治維新以後の日本の戦争の名称と”戦闘相手国”を古い順に書きます。



(1)台湾出兵(1874年):清 ←ただし、台湾の民兵(ゲリラ)との戦闘のみ
(2)日清戦争(1894-95):清
(3)日露戦争(1904-05):帝政ロシア
(4)北清事変(1900):清
(5)第一次世界大戦(1914-18):ドイツ帝国
(6)シベリア出兵(1918-22):ソ連(ボルシェビキ、赤軍)
(7)山東出兵(1927-28):中華民国(国民政府)
(8)満州事変(1931-32):中華民国(国民政府)、ソ連
(9)第一次上海事変(1932):中華民国(国民政府)
(10)支那事変(1937-45):中華民国(国民政府)
(11)ノモンハン事件(1939):ソ連
(12)大東亜戦争(1941-45):アメリカ、イギリス、オランダ、オーストラリア、ソ連

第一次世界大戦について:
日本は、日英同盟の関係で、ドイツとオーストリアの敵国となったが、戦闘した相手はドイツだけだった。

大東亜戦争について:
・インドなどアジアの諸地域は欧米の植民地であって独立国ではなかったため”戦闘相手国”としなかった。例えば、イギリスの植民地だったインドの人は宗主国イギリスの兵隊として日本兵と戦ったのでインドを”戦闘相手国”としなかった。同様にインドシアはオランダの植民地だった。フィリピンはアメリカの植民地だった。
・前記の5カ国のほかにも大東亜戦争で日本に宣戦布告した国は多数に上るが、日本側は宣戦布告しておらず、また、戦闘も行わなかったため”戦闘相手国”としなかった。

支那事変について:
支那事変は、1937年に日本と中華民国国民政府との間で行われた戦闘だが、初め、両国共に宣戦布告しなかった。1941年に至って相手は日本に宣戦布告したが日本は最後まで相手に宣戦しなかった。

大東亜戦争の名称について:
日本政府の正式名称である「大東亜戦争」には、1937年に始まった支那事変も含まれる。「支那事変を含めて大東亜戦争と呼称する」(1941年12月12日、日本政府閣議決定)
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#10です。

追加します。>第二次世界大戦終結は日本の降伏が最後となり、他の国はすでに降伏していたのですよね?

その通りです。私たち日本人の祖先は最後まで勝利を信じ、頑張って戦いました。日本一国だけがアメリカなど多くの国を相手にして戦い続けました。結局負けてしまったから日本はいじめられ、悪口ばかり言われますが、私たちは祖先の頑張りと勇気を誇りにしましょう。


>最後は日本とアメリカのみが戦っていたのですか?

最後まで戦っていたのは日本とソ連です。

1945年(昭和20年)8月14日午後11時頃、日本政府は電信で米、英、中、ソの四国に対して「ポツダム宣言を受諾する」と伝え、降服の意志を表明しました。ほぼ同時に大本営は、全ての戦線の日本軍に対して戦闘停止命令を発しました。

しかし、最前線の日本軍がジャングルの奥深くまで入り込み、しかも運悪く無線機が故障というような場合は戦闘停止命令の徹底に時間がかかり、フィリッピンでの日本軍の戦闘は同年9月2日まで続いたと言います。

また、相手が戦闘をやめなければこちらも戦闘停止できない訳ですから、千島列島でのソ連軍との戦いは同年9月4日まで続きました。これが最後です。
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戦闘といえるか疑問ですが.米国がハワイ王朝を攻撃したときに.平等条約に基づイて日本から軍艦1隻がでています。



坂の植えた村麻呂が蝦夷平定と賞して.現在の関東以北に領土を持っていた「蝦夷」に対して侵略戦争を行っています。
積丹以北はアイヌ民族の領土度アルトして.日本人女人を積丹以北に行くことを禁止するという証約締結を持って.アイヌ民族との戦闘が終結したはずです(これが北海道開発のときに問題となった。女人が積丹以北に行くとたたりにあうという神話になっていた)。
日本といえるかどうか.疑問ですが.薩摩藩が琉球王朝にたいして侵略戦争を仕掛け.琉球王朝を時刻の領土としました。

神話の世界というか.どうか疑問ですが.
任那の日本府が滅ぼされています。
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#10です。



誤りがあったので訂正します。

>支那事変は、1937年に日本と中華民国国民政府との間で行われた戦闘だが、

この文で、「行われた」を「始まった」に訂正。
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他の方もいってましたが


日本軍
オーストラリア、シドニー湾を攻撃してます
あと、インドに空爆しています

他の東南アジア諸国の詳しいところまではわかりませんが…

アメリカ本土に風船爆弾と、西海岸の一部を潜水艦の艦載機による単独直接攻撃してます。ほとんど意味ないですが。
これが日本軍の東西南の攻撃最大範囲では?
国と国とが「交戦状態」を宣言しているかということとは別ですが…

あとは西暦200頃(ふるっ)白村江の戦いで朝鮮半島へ出兵してますよ。朝鮮半島の一勢力の援助でしたが。相手は別の朝鮮王朝&中国王朝連合だったはずです。
対外戦争で一番古いのでは?

あと、アイヌ民族が独立していた時代に、アイヌとも戦争しています。
それいったら琉球王朝と薩摩藩も戦争しましたね。江戸初期。
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最後のご質問について


指揮系統や言葉が混乱するので基本的に違う国の部隊同士が混じり合って戦うことは無く、同じ戦線でも隣り合って共闘する形です(何らかの特殊作戦の場合を除く)。それぞれ連絡将校を派遣して作戦を打ち合わせたりします。

日本とドイツが軍事共同作戦を行った例として、ペナンやスラバヤを泊地とし、インド洋における潜水艦での通商破壊作戦がありました。この場合行動は別々ですが、同じ港を使い、戦闘時以外にも交流がありました。
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1:日本が第一次第二次世界大戦で直接戦った国


他の方を参照
2:第二次世界大戦終戦記念日
欧州では、対独戦勝記念日 5月7日(ロシアは9日)
3:いくつかの戦線であり
アフリカ戦線では、独伊がロンメル将軍の元で戦う
東部戦線では、ルーマニア・ハンガリーなど枢軸国がドイツと一緒に戦った。
イギリス・オーストラリア・南アフリカなどは、かなり一緒に戦っています。
以上が第二次大戦。
第一次大戦では、アメリカが遅れて参戦したので、戦線の補完として英仏の指揮下で戦いました。
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戦争をしたと言っても、日本から仕掛けた場合と、仕掛けられた場合がありますよね。


古いところでは、仕掛けられたのは、元(今だとモンゴル?)の元寇が有名です。
仕掛けたのなら、秀吉の朝鮮出兵や日清、日露戦争が有名どころです。
第一次世界大戦では連合国側で参戦して、ドイツの租借地(チンタオ)を占領してますね。
第二次世界大戦では枢軸側ですが、直接戦闘した相手は、中国、アメリカ、ソ連、イギリス(とその植民地軍)、オランダといった辺りではないでしょうか。
降伏は日本が最後ですね。イタリアに至っては、途中で連合国側に参戦してますし。結局日本は最後までこれらの国と戦っています。ソ連なんか終戦間際に宣戦布告して、8/15以後も攻めてますしね。

終戦記念日が世界的に8/15かと言うと違うようです。この日はいわゆる玉音放送が流れた日になりますが、ソ連などはこの日以後も戦闘していて、対日戦勝記念日は9月だそうです。更に言ってしまえば、サンフランシスコ条約に署名していないので、別途に講和条約が結ばれるまで戦争状態が継続していたと考えることも出来ます。

一緒になって戦うというのが、一緒に直接戦闘に参加したかどうかを指すのであれば、第二次世界大戦中は連合国側では、例えばノルマンディ上陸のようなおおきな作戦の最中に味方が一緒になって戦う事がありましたが、部隊が入り乱れてというイメージとは少し違うかもしれません。
枢軸国側は、ドイツとイタリアが共同した事はあるようですが、日本に関しては、ほとんど単独だったと言っても良いのではないでしょうか。
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どうも質問がつかみにくいのですが・・



1つ目。宣戦布告をすればその場で戦争状態となります。直接砲火を交えているか、単に書面上の存在かでこの質問は大きく変わります。宣戦布告は、1945年には南米各国が行っていたりしますから、結構な数が対日参戦しています(戦後を見据えて、とりあえず参戦だけはしておこうということです)。No3の方のURLを参考してください。なお、実際に砲火を交えているのは第2次大戦では米英蘭豪中ソ程度です。

2つ目、枢軸国として連合国に参戦していた国では、基本的には日本が最後です。しかし、当たり前ですが宣戦布告した国とは形式上ではありますが「戦争状態」となります。
なお、対独戦が終了したイギリスも、多数の艦艇を日本近海に回して砲撃を行ったり航空攻撃をしたり、インドから進軍もおこなっていました。また、中国戦域では、いまだ国民政府と戦闘状態ですし、8月9日にはソ連が対日参戦します。ちなみに、ソ連は8月15日以降も進軍を継続、結果的に朝鮮の北半分と千島列島のすべてを陥落させました。
なお、終戦(敗戦)については、国によって違います。ドイツは、自国の敗戦日である5月8日を敗戦の日としています。
アメリカは、対日戦勝記念日を自国で報道された8月14日(日本時間では15日)をVictory over Japan Dayとしており(同様に9月2日も記念日として認知しているようです)、ロシア(ソ連)、中国は現北方四島を占領し終えた9月4日をとり、先にも言ったようにドイツは敗戦記念日として5月8日をとっており、結構ばらばらです。
また、実際の経緯を考えれば、降伏勧告を「受諾」したのは8月14日、放送で国民に知らせたのが15日、軍への停戦通知は16日、そして、降伏文章調印が9月2日。
そして、「講和(本来はこれをもって戦争終結とします)」が行われたのは1952年4月28日。サンフランシスコで結ばれました。
ただ、基本的には日本の価値観に引きずられる形で、15日とするのが多いようです。

3つ目。質問が取りにくいですが・・・基本的に参戦状態となれば、その国に対して戦争を行っている国は、形式上は「軍事同盟」を結んでいる状態に置かれます。
なので、本来同じ天を仰がずのソ連に対し、イギリスとアメリカは支援を行っていますし、ガダルカナル上陸作戦では米豪艦隊が共同で戦闘を行っています。
また、スラバヤ沖海戦では米英蘭豪の混成艦隊が日本艦隊と戦闘を行っていますが、言語の違いがそのまま指揮系統の混乱につながったという事例もあります。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/終戦の日,http://ja.wikipedia.org/wiki/対日戦勝記念日
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第二次大戦終戦記念日についてですが、


連合国が合同で、日本に降伏勧告したポツダム宣言を
日本が受諾し、戦争を終結させた日が8月15日です。

実際には日本兵が信じず、交戦を続けた地もあるでしょうし、
戦争が終わったと知らなかった方々もいたので、
はっきりと8月15日で戦争が終わった とは言えないはずですので、
地域によっては世界的に8月15日とは言えないのかもしれません。
連合国の最後の敵である日本が公式にポツダム宣言受諾した日
として、公式に史実として残るのであれば、8月15日になると思われます。
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