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聖書のどこにもキリストの誕生日に関する記載はないそうです。
※もし実際には記載がありましたら、どこに、どのように書かれているかお教えいただければ幸いです。
なぜ、12月25日がキリストの誕生日ということになったのでしょうか?
また、12月25日でないとしたら、実際の誕生日はいつなのでしょう?

A 回答 (6件)

「ルカ 2:8」の記述を信じれば「12月」は在りません。


パレスチナ地方は11月から3月は「雨季」になります。
現在、この地で昔ながらの生活を営む放牧民(羊飼い)は「4月から10月」の間しか「夜通し」家畜の放牧をすること無いようです。
http://www.pcs.ne.jp/~yu/twi/qumran/qumran.html

「マタイ 2:7ー10」にあるベツレヘムの星の記述を正確な天文事象の描写として捉えた場合、月による木星食のあった「BC6年4月17日」を生誕日と発表した天文学者(マイケル・モルナー)がいます。
http://www.pcs.ne.jp/~yu/trek/2002/bethlehe.html

「歴代 24」でダビデ王が1週間の神殿奉仕に割り当てた24組は6ヶ月間隔で毎年2回の神殿奉仕の義務があり、9月末か10月初めの仮小屋の祭の終から第1組の神殿奉仕が開始されます。
「ルカ 1:5、8、9」によると、「バプテスマのヨハネ」の父「ゼカリヤ」が「神殿奉仕」をしていた期間に天使からヨハネの誕生を告げられますが、ゼカリヤの所属した8番目の「アビヤの組」は11月末か12月の初めの1週間、その後6月末か7月の初めにさらに1週間奉仕をします。
天使告知からヨハネの母はまもなく受胎したので妊娠期間を考慮すると、ヨハネは9ヶ月後の9月初め、または4月初めに生まれたとすると、「ルカ 1:26」でイエスはヨハネより「6ヶ月程」若いとありますから、イエスは「3月初め」か、あるいは「10月初め」の何れかに生まれたと考えられます。

マルクス=アウレリウス帝が「無敵の太陽神=Deus Sol Invictus」をローマ帝国の最高神と定めた後、西暦304年にディオクレチアヌス帝が「無敵の太陽」の称号を「ミトラ」のみをさす称号として「無敵の太陽ミトラ=Sol Invictus Mithras」が帝国の保護者(救世主)となります。テオドシウス帝により380年にキリスト教が国教とされるまでの数十年間ローマ帝国の国教はミトラ教でした。
392年にキリスト教以外の異教信仰を禁止する帝国の政策でミトラ・キリスト(救世主なるミトラ)という呼称がイエス・キリストになり、救世主・無敵の太陽のイメージが、少年の姿をした「ミトラ・キリスト」からひげを生やした「イエス・キリスト」の像へと操作され、これがイエス・キリスト(像)誕生の真相であるのなら「12月25日」は妥当な生誕日と言えます。
他にも「聖母子像」が200年頃帝国内で(特に女性に)人気のあった「天上の女王・海の星・処女の聖母」と呼ばれた「イシス」であるのは確実で、イシスの神殿は後に「聖母アリア教会」になっています。

確かなことは初期の教会指導者は本来異教徒の風習である「生誕日を祝う」気持ちなど微塵も無かったのは間違えありません。

*イランのミトラ=サオシャント伝説 「処女母」としてこの世に現れた女神アナーヒターは秘蔵されていた「ザラシュストラ」の精子を使って「サオシャント=救世主」なるミトラを生んだのは「紀元前272年12月25日、聖なる洞窟の中」である。ミトラは、人々を教え導きながら平和に暮らして前208年にバージェスタン地方のビド・アーバード村で64歳の天寿を全う「昇天」した。
http://homepage2.nifty.com/Mithra/HP_Mithraism_H …

*「マラキ書 4:2」ではキリストを「義の太陽」としています。
*ローマ教皇(パパ)が被る三角の帽子は「ミトラ帽」と呼ばれています。また、ミトラ教の最高位は「パパ」と呼ばれました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。誕生日を「祝う」という風習がないとしても、おおよそでも誕生日がわからないと自分が何歳なのかわからなくなってしまうのではないかと思うのですが、昔の人々にはあまり重要ではなかったのでしょうか。

お礼日時:2006/12/17 00:57

ご指摘のように、クリスマスはキリストの誕生日ではありません。


皆さんが書いているように、ミトラス教の「冬至の祭り」をそのままスライドしたんですね。
これは、キリスト教布教を円滑にするために行われた措置のようです。
「冬至の祭り」は人々の健康とその年の農作物の豊作を祝う祭りで日本で言うなら、神社で行われる秋祭りに近いと思います。
キリストについては、誕生日どころか実在していたのかさえ歴史的に怪しいという意見もあります。(個人的には実在していたと思いますが。

余談ですが、現在の日本のクリスマスも宗教から離れていますよね。国際的なイベントとして、人々が楽しい気分になれるなら、それはそれでいいと思いますが。。。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。私もキリストという生身の人間は実在したと思います。歴史でも処刑されたという記録はありますし。

お礼日時:2006/12/17 00:53
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。ご紹介いただいたサイト面白かったです。

お礼日時:2006/12/17 00:51

12月25日をキリストの誕生日と定めたのは、4世紀のニケーア公会議です。

ミトラス教における「聖なる誕生日」を盗んだ格好ですね。
ちなみにクリスマスのころのパレスティナは雨季ですので、天に明るい星が輝いても、下界では見えません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。雨季というのは気づきませんでした。

お礼日時:2006/12/17 00:50

12月25日のキリストの生誕祭は、遅くとも345年には西方教会(ローマ)で始まったようです。

おっしゃるように聖書にキリストの生まれた日は記載がありませんが、旧ローマ帝国内におけるキリスト教布教活動のなかで、「冬至の祭」を引き継いだものではないかとも言われています。
かつてローマ帝国領に広範に流布した宗教はミトラス教といい、キリスト教とローマ帝国の国教の地位を争ったほど優勢な宗教でした。このミトラス教では、短くなり続けていた昼の時間が冬至を境に長くなっていくことから、太陽神ミトラが冬至に生まれ変わるという意味で、冬至を大々的に祝う習慣があり、この習慣をキリスト教が吸収し、イエス・キリストの誕生祭をこの時期に祝うようになったとされています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2006/12/17 00:49

>なぜ、12月25日がキリストの誕生日ということになったのでしょうか?



12月25日はゾロアスター教の大天使・ミトラの誕生日です(ミトラは人気があって、後にミトラ教の主神となります)。
キリスト教は、それをパクったのです。

>また、12月25日でないとしたら、実際の誕生日はいつなのでしょう?

確定はしていないみたいですが、夏くらいではないか、という学説があります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。生存中から有名だった人物の誕生日がはっきりしていないというのは不思議ですね。

お礼日時:2006/12/17 00:48

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