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ボーアの原子模型において、原子がつぶれない理由について
プランクのエネルギー量子仮説をボーアが採用したから、さらに電磁波を出さずに安定する軌道をもうけたから。
ということを考えていました。

ところが、学校でボーアの原子模型がつぶれない理由を
不確定性原理で説明されました。
原子がつぶれない理由としては受け入れられるのですが、
ボーアの原子模型において原子がつぶれない理由なのか?
という疑問が湧きました。
不確定性原理は、ボーアが原子模型を考える段階ですでに確立されていたものなのでしょうか?そして、ボーアはそれを採用したのでしょうか?

A 回答 (2件)

 


  「不確定性原理」は、枝道とも言え、量子力学の基本原理は色々な形で表現できるのです。ハイゼンベルクの理論と、シュレーディンガーの理論が、一見すると、全然違う理論のように見えて、実は、数学的構造からすると、同じことを記述し、表現していると分かったので、この二人が、量子力学の系統的理論の最初の構成者として名が残っているのです(二人は、協力して理論を造ったのではなく、独立に別の表現で理論を造ったところ、後になって、数学的に同じ理論だと分かったのです)。
 
  不確定性原理から出発しても、量子力学は構成できるというのは、二人の理論ができて、量子力学という物理学の形が分かった後です。
 
  しかし、「不確定性原理」というのは、この二人が量子力学を理論構成する前から、そういう構造が、原子や電子に働いているという見込みはあったはずです。というか、プランクの量子仮説と、電子の「最低エネルギー軌道」の設定という二つのことから、何故、「最低軌道」があるのか、という所から、量子力学の理論が構成できる訳で、非常に多様な実験結果や、色々な複雑で多彩な考え方やモデルから、どう考えればよいのかボーア自身も確信がなかったのでしょう。
 
  振り返って見ると、プランクの量子仮説、ド・ブローイの物質波動説、そして、「最低電子軌道」の存在は、間違った考え方やアプローチやモデルに引っ張られないと、「不確定性原理」を導くに十分な仮説であったと云えるのです。
 
  しかし、それは、理論が確立し、原子のモデルの何が正しいかが分かり、量子の力の伝達などは、どう考えればよいのか、これが正解だというのが分かって始めて、間違ったモデルや考え方を簡単に排除できるので、多数の検証されていない可能性が一杯ある段階では、ボーアにも見通しが付かなかったということです。
 
  ボーアが迷った、あるいは考慮した色々な考えやモデルが、間違いであると、誰かがボーアをはっきりと説得できれば、ボーアがずっと早い時期に、量子力学を建設していた可能性があるでしょう。それほど、当時、考えや仮説は色々なものがあり、解かねばならない課題が一杯あったのです。
  
  ボーアの原子モデルで、原子が潰れない理由は、端的に、「電子の最低エネルギー軌道」を仮説で定立したからです。
  
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量子力学の書籍には、ボーア半径を不確定性原理から導く方法が、よく書かれています。

ですから、学校の先生は、ただこれを示したかっただけであって、特に、ボーアがボーア半径を導いたときに不確定性原理を使った、と教えようとしたのではないと思います。
ドイツの物理学者ハイゼンベルク(Werner Karl Heisenberg,1901~1976)は、1927年、「量子論的運動学および力学の直感的内容について」という論文を発表しました。この論文に、所謂、不確定性原理の定式化が記されています。オランダの物理学者ボーア(Neils Henrik David Bohr,1885~1962)が量子条件からラザフォード(Ernest Rutherford,1871~1937)の原子模型を理論的に説明したのは、1913年ですから、これは、不確定性原理の発見以前ということになります。
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