プロが教えるわが家の防犯対策術!

世界で一番古い先物取引は16世紀オランダで始まった、と言われている。「アントワープで胡椒の取引所があって、それがアムステルダムに移り、穀物、コーヒー、香辛料、等が先物取引の対象になった。さらに東インド会社の株も対象になった。これが16世紀末から17席初頭のこと」ということは多くの書物に出ているのですが、それ以上詳しいことが分かりません。大坂堂島の米会所より古いのですが、整った制度だったのかどうか、気になります。「オランダでの世界初の先物取引」に関するHP・本があれば教えてください。

A 回答 (1件)

 商業会計制度の発展に関して多少の興味があり、たまたま読んでいた本に多少の関連性がある記述が見つかりましたので直接の回答とはほど遠いかもしれませんが、少し触れておきます。



 中世の商業の中心地はルネッサンスを迎えたイタリアでした。比較的閉鎖的な集団が事業を形成し地中海貿易などで成功を収めたと言います。ただしその事業はハイリスクハイリターンであったため、概ね一航海ごとに精算され、非定期の計算による「口別計算」と言われる利益の分配が行われていたと言います。

14世紀から15世紀にかけてフィレンツェでは企業形態は洗練され、立場を越えて多くの人や資本が事業に参加するようになったと言います。そのため厳密な利益分配のための計算方法が要求されましたが、その計算の基礎となる期間が一般的に定期化されるようになるのは16世紀から17世紀にかけての(今のベルギーを含む)オランダからと言われます。

 当時最強の商業都市であったアントワープではヨアヒムズタラーで有名な南ドイツの銀、銅、当時から成功をおさめていたイギリスの毛織物などが取引の中心であったと言われています。アントワープでは年に何回かの大規模な市がたちその期間内の取引の精算のため、定期的な会計計算の考え方がはじまったとされます。

 また少量多品種の運搬形式から、より少量で(つまり運搬コストのかからない)利益の上がる多量少品種の貿易に大きくシフトしたのもこの頃だと考えられています。多量の商品の取引が継続的に行われるようになると、原理的に先物取引が発生すると想像できます。また、商品先物取引に関しては合理的な会計制度の普及が前提ですが、これに関しても十分成熟していたと考えられます。「整った制度」であったかどうかは、その規模を見ればある程度判断できるはずですが、たまたま私が読んでいたと前述した書籍の中には言及がありません。

 しかし当時の世界情勢にそのこれらの経済力がもたらした影響、軍事力増強のための経済力の集約が成功した歴史的事実をみると大規模な商品集約経済が成立し、商品先物取引に関してもシステマティックに成立していたと想像できます。その後ネーデルランドの氾濫勃発、スペインによるアントワープ占領により17世紀の繁栄を手にしたのはアムステルダムでした。

 当時の有力国家間の生産力のバランス、購買力を得てきた市民の台頭を背景にした消費経済の発展、水運を中心とした運輸技術の発達、これらの要素がもたらした経済の発展をうまく支え、促進したのが現代の企業組織の萌芽ともいえる東インド会社(オランダ)に象徴される組織でした。

 とながながと書いてもきりがありませんし、おっちょこちょいでよく間違った理解をしてしまうので、馬の脚が現れる前に止めておきますが、参考にしたのは友岡賛著「株式会社とは何か」(講談社現代新書)です。企業体の組織や会計方法の洗練化の歴史に関してはそのアウトラインがつかめます。

 恐らくお知りになりたかった具体的事実がほとんどなくそして肝心なところでは推測を交えた雑談的な内容になりましたが、これを批判的な契機として、適切な回答が寄せらることを期待します。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お礼が遅くなりました。今日図書館で友岡賛著「株式会社とは何か」を借りてきました。じっくり読んで、生かせるところが有れば、私のホームページに活用するつもりです。ありがとうございました。

お礼日時:2002/05/08 22:04

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!