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数日前にニュースキャスターが「つつがなく」を「とどこおりなく」の意味で使っているのを聞いたのですが、人が無事に、という意味ではなく、物事がスムーズに、という意味で用いるのも一般に許容されているのでしょうか?

A 回答 (5件)

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私も辞書の定義をチェックしてみたのですが
それだと、人が健康・無事であるニュアンスが大きいように見えませんか?
AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA
確かに、最近ではそのように使われることが多いと思います。

太平記に「源氏の世に恙無く候ける」という表現があるそうですし、元々は「故障・異常がない」という意味で使われていたようです。(昔は、この意味があったから現代でも正しいとは申しませんが…)
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「つつがなく」が「人が無病で元気であること」とは、ツツガ虫に噛まれたりしなければ病人も出ず一家平安といった具合に、「つつがなく(恙無く)」を、ツツガ虫がいないということと勘違いした後世の俗説ですね。


わたしも子供のころ、中学校の先生に聖徳太子の「日出ところの天子、日没するところの天子に文を遣わす。恙無きや。」の解釈で、そう教わりましたが、後日、誤っていたことがわかりました。

「恙」は「憂」という意味でした。「恙無きや」の出典をみてみましょう。
昔々紀元前3世紀ごろ、古代中国の「戦国の七雄」とよばれた国の一つ斉の国のお話です。
この斉王、北方の趙の国に人質にとられている威太后が無事かどうか、使者を遣わしてその安否を確かめさせた時のこと、
威太后も斉国のことを大変心配しており、その使者に尋ねた。
「歳亦た恙無きや、民亦た恙無きや、王亦た恙無きや」と。
これは「穀物の収穫(=歳)は順調か? 斉の国民は安らかに過ごしているか? 王はお変わりないか?」ということです。

蛇足ですが、使者は威太后に「その質問はけしからん」といったそうです。斉王の無事をまっ先に聞くべきで、それを最後に尋ねるとは何ごとだと。
しかし威太后が使者をたしなめて言うには、
「穀物の収穫あっての民、民あっての王である。本を差し置いて、末を問うことこそ間違っているのではなかろうか」と。
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祝い事や無事終わって当たり前のことが


それこそ「つつがなく」「終了」すると言いますが、
どちらかというと、第三者の他人がその「行事」に
対して言うのは違和感がありますね。

「つつがなく」にはある意味で「謙譲」「へりくだり」
の雰囲気を感じています。詳しい人教えて下さい。

ニュースキャスターが
ある行事が「つつがなく終了した」というのはかなり・
相当・大分・とても・大変・至極「違和感」があります。
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こんにちは


==============
つつがな・い 4 【▼恙無い】
(形)[文]ク つつがな・し

異常がない。無事である。
「―・く旅を終える」「日々―・く暮らす」
===============(大辞林)

そのニュース原稿の前後関係が不明ですが、私は違和感は感じなかったのではないかと思います。

たとえば、犯行はつつがなく実行されたなどというのは妙ですけど。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
私も辞書の定義をチェックしてみたのですが
それだと、人が健康・無事であるニュアンスが大きいように見えませんか?

お礼日時:2006/12/15 13:30

人だけでなく、物事「行事」「催し物」「祭事」などにも


一般的に使っていますね。
司会者
「えー、本日の新工場の開所式、沢山の皆様方のご臨席を頂き、
お陰様をもちまして、つつがなく、お開きとさせて頂きます。」
みたいな。。。。

至極便利で「丁寧に」聞こえる言葉ですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
ニュースキャスターが使ってるくらいなので
一般的には用いる人が多いのかもしれないですが
国語的にも正しいのでしょうか?

お礼日時:2006/12/15 13:31

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