プロが教えるわが家の防犯対策術!

 現在私たちが使っている漢字の音読みは、遣隋使の時代に日本に伝わったもので、現在までその読み方はほとんど変わっていない、と聞いています。
 今の中国の人の発音は、これとは大きく変化しており、驚くばかりです。

(Q1)中国における唐の時代以前の漢字の読み方は、わかっているのでしょうか?日本における読み方は仮名がありますし、また発音の仕方も、キリシタン時代においては、ポルトガル語の史料で割合ハッキリとわかる場合があります。
 古代の中国では表音文字はありませんので、難しいことだと思いますが、わかっている、もしくは研究が進んでいるとすれば、どのような方法で調べたのでしょうか。

(Q2)中国においては「漢字の読み方を漢字で表す」ということは、昔からあったことでしょうか?夷狄の人名などを万葉仮名ふうに漢字の当て字を使った例はありますが。

A 回答 (4件)

A1 全てが解明されたわけではありませんが、ある程度は研究が進んでいます。

特に上古の発音研究は、スウェーデンのベルンハルト・カールグレンあたりが有名です。
研究手法としては、「爾雅」・「廣雅」・「切韻」などの唐代以前の辞書や韻律書を基にした復元が代表的でしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 明快なご回答ありがとうございます。よくわかりました。
 スウェーデン人が出てくるとは思っていませんでした。この世界では有名な人のようですね。

お礼日時:2006/12/24 17:28

>現在私たちが使っている漢字の音読み


とあるので、国語としての音読みなのでしょうか。

これは中国から伝わったものが変わっていないのではなく、当時日本人が解釈し聞き分けた音(いわゆる音読みの音)があまりかわっていない、ということで中国語が変わっていないということではないという意味ではありません。
中国自体は、昔から国がたくさんわかれており、日本語に近いといわれる南東部の福建の中国語の影響のほか、北方から朝鮮を経て入ったものなど、いろいろな中国語が入ったと考えられます。

Wikipediaには、呉音、漢音、唐音、などがあり、それぞれが漢字をちがったように発音することが述べられています。その中で、日本が採用したものがあります。

また現在の普通話よばれる中国語も、北方の言葉にその要素をもっていましたが、具体的には戦後に毛沢東と人民政府が1950年代に制定した、政策言語と考えられます。簡体字も一緒に60年代に普及がはじまりました。実際には、それまでのローカルな呼び方を変えてしまったり、聞きなれない言語として急に登場した言葉もあったそうです。

北京がペキンからベイジンになったのも、イメージ戦略だったと考える人もいます(清朝の戦前から、戦後の共産軍と国民党の闘争など、中国も北京もも疲弊し汚い街というイメージがあったため)。
ペキンの名残りとして、昔漢字の影響があったベトナム(越南)のハノイの旧名は東京で、Dong Kinhとよみ、ペキンがPeking, Peikingとよばれていた「京」の音の名残りがみつけられます。

ですので
1)は、地域ごとに異なっていた、という解釈がされますし、実は広い中国では、現在でも完全に普通話がどの地域でもまったく同じではありません。また日本人のように標準に合わせる、中央にあわせる、中央が正しいという概念がかれらには乏しく(ないわけではないが、厳密に従っていなくても気にしていない)、自分たちの周りで話されている普通話が正しいとおもっています。

2)どの外国や敵の名をあらわすかにもよりますが、中国の歴史を追ってみると、必ずしも漢民族が支配した時代ばかりではありませんし、むしろ他の民族が支配していた時代がながくあります。
有名なところにモンゴルの元や、満州族(ジュシェン族)の清がありますが、どちらももともとの居住地域はペキンの北西、北東で、かれらは独自の文字(モンゴルの文字や、満州文字)をもっていましたが、統治上漢族のしきたりや文字を無くしませんでした。
彼ら(モンゴル、満州族)が漢民族より先に自分たちの音をもっており、それを中国統治上では書物に漢字で残した可能性があり、それが現在まで残っているものはあると考えられます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E5%B7%9E% …
http://mariyot.ld.infoseek.co.jp/manjuletter.htm

つまり中国=漢字の国、漢民族の国というわけではなかった、また戦後の共産党中国は、それまでの漢字文化をいじってしまっている、ということを知れば、ご質問のような疑問もまた違う観点から見ることができるとおもいます。

この回答への補足

 早速のご回答ありがとうございます。
 日本に伝わっている漢字の音読みが、今までほとんど変わっていないのは、柳田國男の「方言周圏論」と同じ理屈だと思います。
 質問文がわかりにくいようで、申し訳なかったですが、私の質問の本旨は「中国の古代の発音の仕方はどの時代までわかっているのか?」ということです。
 広い国ですから地方によって全然違うでしょうし、時代によって大きく変わっていると思います。
 唐代の発音は、日本の音読みなどである程度推定できると思いますが、問題はその先です。教えていただければ大変ありがたいのですが。

補足日時:2006/12/23 14:28
    • good
    • 0

日本語の漢字の読み方は、呉音、漢音、唐音(宋音)などと呼ばれるおおまかに3種類に分かれるとされていますね。

遣隋使の時代だけでなく、その後の室町時代あたりまで、様々な交流に伴って、読みが伝わったので、ときには体系的に、ときには個別的に伝来したことから、上記3種類のくくり方も、必ずしも適切とは言えないようです。

そのように、元となる中国での発音についても、時代による変遷、土地による違いがあるのは、ご存知の通りで、古くは秦の始皇帝が、漢字の統一を行ったという記録があると聞いていますが、漢字と発音は各地でまちまちだったはずです。
ですから、そのような統一、また王朝の統治制度あるいは科挙などの試験制度のためにも、言葉の問題は大きかったことでしょう。漢字については、学者のまとめた字義を解説するような書物が、古くから編纂され、いくつかが現代まで残っています。そういう資料を参考にして、ある程度の推測がなされているようです。
No.1 さんのおっしゃる反切は、今でも辞書によっては発音記号に添えて書いてある方式ですね。
もっとも、そういう参考になる文献があったとしても、その文字自体の発音が残っているわけではないので、実体はかなり謎ですね。

漢字の読みを漢字で表すのは、上で書いたように、漢人の域外の言葉に限らず、域内の他の方言などの発音の違いを表す場合においても使われると思います。

この回答への補足

 早速のご回答ありがとうございます。
 質問文がわかりにくいようで、申し訳なかったですが、私の質問の本旨は「中国の古代の発音の仕方はどの時代までわかっているのか?」ということです。
 広い国ですから地方によって全然違うでしょうし、時代によって大きく変わっていると思います。
 唐代の発音は、日本の音読みなどである程度推定できると思いますが、問題はその先です。教えていただければ大変ありがたいのですが。

補足日時:2006/12/23 14:13
    • good
    • 0

(Q1)


いつの時代かわかりませんが、「韻鏡」その他の発音辞典があり、ある程度の発音はわかるようです。

これらの辞典では「反切」という発音表記をします。反切では漢字の発音を子音と母音にわけ、それぞれが別のどの漢字と同じ発音かを示します。たとえば「臺」という字だと「都猥」が反切です。したがって、子音が "t"、母音が "ai" であろうと推定がつき、「臺」の発音は "tai" であったと結論されます。

(Q2)
夷狄の王の名前を、発音に近い漢字で表すのは普通に行います。匈奴の王「冒頓単于(ぼくとつ・ぜんう)」なんて世界史で習いません?
チンギス・ハーン(成吉思汗)や、その本名テムチン(鉄木真)もそうですね。清の皇帝の苗字「愛親覚羅」も音訳でしょう。

この回答への補足

 早速のご回答ありがとうございます。
 私のQ2の質問文の後段は疑問文ではありません。
 「反切」のご解説よくわかりました。想像していた通りでした。
 さて、このような発音表記は、中国では何時の時代から行われていたのでしょうか、教えていただければ大変ありがたいと存じます。

補足日時:2006/12/23 13:58
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!