プロが教えるわが家の防犯対策術!

 今年教員採用試験を受験し、ある自治体の「補欠」になりました。

 通っていた教員採用試験対策の予備校からは、「補欠で落ちた事は聞いた事はない、大丈夫だから安心して待て」と言われ・・。この2ヶ月、サークルでモメて退会したり、元彼女への思いが断ち切れなかったり、誰にも必要とされていないと感じるようなつらい日々を送っていました。ただ、合格通知を夢見て毎日を送っていました。
 22日から「合格通知が来た」とネット上で情報が寄せられ始めました。私は少し遠方に住んでいるので、1次試験の結果も1日遅れで来ています。そのためバイトがあったのですが祈るような思いで家を出て、道端の地蔵さんなどにもお参りをしていました。しかし、思いは届きませんでした。
 ここでこのような弱気な質問をするのがダメなのかもしれませんが・・教育委員会の方にチェックされていたのかなとも思ったりもしますし。

 今年は本当につらいことが多かったです。年初めから祖父が急死、4月には交通トラブルから暴行を受けた事もありました。就職活動でもうまくいかず、ゼミ旅行ではメンバーのあまりにぞんざいな態度にケンカ、7月には彼女に振られたり・・。いいことなど、なかった気がします。
 しかし、死を選ぶ事は出来ない状況です。塾講師のアルバイトをしているため、責任があります。もうすぐ生徒たちは受験です。大人しい生徒が多いため反応は薄いですが、皆熱心に授業を聴いてくれています。

 でも、1人暮らしをしているのもあって、気が狂いそうになるときもあります。今も眠れません・・。明日こそいい日が、と思って寝ても、虚しい日が続くだけです。どうすれば気が楽になりますか?アドバイスをお願いします。
 

A 回答 (5件)

 調子の悪い時は、自分で悪い出来事を探して、悪い方へ追い込んでいくモノです。



 祖父の急死は不幸な出来事ですが、それ以外は本人に問題がある気がします。

 教員は少子化で採用枠が減少してるため、以前より狭き門になってます。知り合いに一流大学をストレートで合格する優秀な人間(教員志望)がいますが、やはり教員になるのに苦労して、結局3年がかりで北海道の教員に採用されました(第一希望は東京)。

 少なくとも、塾講師の仕事は順調なようで、悪い状況ではないと思います。
 ---------------------
 (個人的には)彼女にふられるのが一番ガックリくると思うので、良い彼女がみつかれば、状況は好転するかと。

 (経験から)こういう時は、女の子と会話すると気分が少し晴れます。もし知り合いに愚痴をこぼせるヒトがいなければ、女の子と会話できるお店に行くとか(まぁ、職業柄ムズかしいとは思いますが…)。

 ありきたりですが、死ぬ気があれば、なんでもできますヨ。教員をあきらめて一般企業に就職したり、伴侶が欲しければ、結婚相談所に行って紹介してもらう事も出来ますし…。
    • good
    • 0

ツイてない年ってありますよ。


少し前後することはあってもだいたい同じくらいの年代に多い事からも、「厄年」なんて表現も昔からあるようですが。(ご興味おありなら早見表リンクしておきます)
同年代同士でも何かとトラブルあるかもしれないですねー☆
信じる信じないは別として、気休め程度の気分で厄払いしてみてもいいかも?
わたしも、地元でやった厄払いの効果があまり感じられなかった(いろいろ相次いだ)から、住処に近めのところにちょっとお参りしてみましたっけ。

貴方にとって、どういうのが居心地いいのかわかりませんけど。
わたしは一人暮らしは飽きるまでやりました。
とりあえず、仕事の合間のわずかな時間で好きな書き物したり絵を描いたりして音楽かけて。
ウツウツしてきたら美術館とか巡ってみて、音楽家や画家の人生とかに思いをはせてみたり、一人暮らし仲間とも遊んだり。
家族が出来たら、自分の時間作る方が難しいですから、ひとりの時間を楽しめるのは今のうちです。
心豊かになれば、自然と貴方の魅力も増すだろうし、趣味を通じての出会いもあるかもしれません。

いいことなかった、と失望を積み重ねてみても、今の貴方はまだ暖かいお布団や食事を用意できるのでは?
不運や不遇に心不安定になることもあるでしょうけど、まだ生きてる時間を楽しむ事を許されているはずだと思います。
身体を動かして、旅してみたり、その目で美しく見えるモノを探してみたり、思い切り音楽に打ち込んでみたり。
そういうことが許されているうちはまだ絶望とは違うと思います。

人は、逝く時には逝ってしまうもの、と思います。
わたしも数年前に祖父母が相次いで急逝しました。
別れは悲しいけれどいつかは来るものだし、それにいつかはまた同じところに自分もいっていろんな話もできるのだろう、と思います。
その時に「あれからどんなことを体験した、試した」みたいな話を楽しくできれば、とも思います。

今がドン底とでも思うのなら、そこから始めましょう。
希望があって当然なのではありません、ないところから始まるんです。
どうか、今の状況を心の糧にして、いじめや成績不振で苦しむこどもたちとも話が出来るようなオトナを目指してほしいです。
疲れた時には休んでもいい。でも、自分や他人に出来る事ももっと考えてみてください。
自分で「今」を無駄に虚しくしないで、せめて「心の休養」と考えるようにしませんか?

もう教員になりたい気持ちはなくなってしまったのでしょうか?
教職なら特に、どんな苦しい経験も活かせると思いますけどいかがでしょう?
何年か後に生徒に向かって「あんときゃさすがに参ったぞ」と笑って話す貴方がいれば、とわたしは思いますが。

書き連ねた中に月並みな言葉もあるかとは思いますけど、何らかの足しになれば幸いです。

参考URL:http://www.arawazu-kannonji.or.jp/hayami.htm
    • good
    • 0

教員採用試験に不合格な人も大勢いるわけですから「補欠」であっても「一縷の望み」があるわけです。

不合格の人達からすれば充分うらやましい状況です(だからといって慰めになるとは思いません)
他の方も書かれていますが、悪いことが続くとネガティブに考えがちです。
少なくともこんなところを教育委員会がチェックするはずもなく、仮にチェックしたとしても個人を特定できるわけもなく、まして膨大な受験者をいちいちネットでチェックするはずもなく....考えすぎです。
また20代前後の頃は思い悩みがちでもあります。
私自身「死んだ方が楽だろうな」と思うことがありましたが、今は生きていますし、辛いことと楽しいことは半々です。
就職できたから良いことばかりとも限りません。昨今の教育現場を見れば教員がどれほど大変か....報道を見ればその一端がわかるでしょう。
教員採用されていれば幸せいっぱいの明るい未来、ではなかったかもしれません。
ようするに「受け止め方」なのです。
悪い方向ばかりに考えるからそうなるのであって良い方向に考えれば見方が変わってきます。
少なくとも塾の生徒さん達はyujirunnerさんを必要としているわけです。yujirunnerさんの授業で合格できた人もでてくるでしょう。それは充分に意義のあることです。
夢と希望は与えられるモノではなく見出して自ら切り開くモノではないかと思います。
死を選ぶのは簡単ですが、結果はひとつしかありません。
しかし生きていればいくつもの結果があります。それに自ら死を選ばなくても人間はいつか死ぬのです。慌てることはありません(^^;
学生時代を過ぎると時間というのはもの凄く早く流れます。10年20年はあっという間です。
    • good
    • 0

死を選ぶくらいなら、とりあえず来年もう一度受験してみたらいかがですか。


それとも、もう受験勉強をする気力もないのですか。
もしそうならば、長い間のストレスで、精神的に疲れ切っていることも考えられますので、精神科に相談するなり、対策を取ったほうがいいと思います。無理して受験勉強すると悪化してしまうかもしれません。
私としては、とりあえず「心の休ませ方」加藤諦三著(PHP刊)を読むことをすすめますが。
    • good
    • 0

「再度トライ」


これ以外、ないような気がします。
前回とは必ず同じとは思えません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 私もそう思い、日ごろからがんばってきたつもりです。

 試験だけではなく、毎日がそうでした。人間関係でうまくいかなかった時でも歩み寄る姿勢を見せ、就職活動でも今度の企業こそは・・と思い毎日スーツを着てがんばっていました。寝る時も明日こそはいいことがあるようにと願いながらでしたが、つらい事が起きる虚しい毎日でした。

 「再度トライ」、やってもまた裏切られるだけだと思います。どうせ生きていて虚しい毎日が続くだけなら、今断ち切ったほうがどんなに楽なのか・・けれども、そんな勇気も私にはありません。

お礼日時:2006/12/24 13:01

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!