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 昨年の米同時多発テロの後、アジアやヨーロッパの人とたまたまチャットで話題になったのですが、組織的な自殺攻撃は日本が起源なのでしょうか。あのテロが起こった時のテレビの実況では確かに「カミカゼアタック」とかなんとか日本語起源の言葉が繰り返されていました。チャットの中では「ひどいよね、でもこんな時だけ日本語が使われるのはいい気持ちはしない」というと「日本が発祥なんだから仕方ない」と言うようなことを言われました。

 組織的な自殺攻撃が行われるとしたら、それを行う側の体制末期の断末魔的行為であると感じます。第一次大戦のときを少しあたって見たのですが分かりませんでした。本当に組織的自殺攻撃は日本がオリジナルなのか、聞き捨てできないことなのでどなたかご存じでしたらお教え下さい。

A 回答 (8件)

自殺的攻撃(防御もある)は戦争にはつきものです。

しかし、神風のような明らかな自殺行為は少ないかも知れません。武器の近代化(戦艦対飛行機)の中での戦術であり、それがニュース映画として大々的に放映されたのが特徴でしょう。

自殺的戦闘行為は常に行われています。違いは志願か強制か、生き残れる可能性がたとえ1%でもあるかどうかでしょう。しかし、多くの兵が(神風以上?)命を失う点では同じです。キリスト教は自殺を禁じているので、例え絶望的でも生き残れる可能性がゼロなら上官は命令できない、奇跡的に生き残れる可能性があれば命令する(志願させて)と思います。特攻を擁護する気は毛頭ありませんが、文化を無視し、歴史を無視してこの種の議論をするのは好きではありません。

無差別攻撃を行って多くの非戦闘員を殺したのは、ジンギスカンを除けば、その数において第二次世界大戦における連合軍(中心はアメリカ)が人類史上初めてです。これも武器の異常な発達が人間の理性を超えた例でしょう。

A国とB国が戦争を始めて、早く戦闘を終わらせて勝つためには、非武装の民間人を
殺すに限るという論理を誰が考えるでしょうか。同じアメリカが半世紀後にはピンポイント爆撃で民間人はひとりも殺さない(実際には誤爆で殺しているが)と言っています。歴史を感じませんか。
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この回答へのお礼

 室町時代に日本に来た宣教師の記録を読むと、日本の伝統的ないくさが、ヨーロッパの戦争に比べてどれほど「平和的」であったか読みとることができます。武器の発達以前に農耕と狩猟で隔てられた民族性の違いのようなものを感じることがあります。

>ジンギスカンを除けば

 世界帝国を築くほどの戦略的展開の中では、殺戮を行った後、露悪的にその情報を目的の地域にばらまいてその後の進出を容易にする、最初のうちは意図的ではなかったにせよ、そのようなことがあったのかも知れません。ヨーロッパを席巻した蒙古軍はプレスタージョンどころか、確かに地獄からの兵に見えたことでしょう。

>特攻を擁護する気は毛頭ありませんが、文化を無視し、歴史を無視してこの種の議論をするのは好きではありません。

 そのお立場に敬服を表します。

>早く戦闘を終わらせて勝つためには…

 何十年たっても同じ理屈ですね。

 偶発的自殺攻撃は、何度か起こったものと想像しています。それが組織的となるとどうなんだろうと思いますが、みなさんに教えていただいたところによると大戦末期のドイツ軍によっても行われたとか。ドイツのキリスト教は当時ナチズムに完全に汚染されてしまっていたということなんでしょう。戦争の狂気の前には、愛を謳うキリスト教ですら無力であった、ヒロシマ・ナガサキの例も含めて肝に銘じておく必要があるかと思います。

 ご回答いただきありがとうございました。

お礼日時:2002/05/02 15:21

>日本の若者が、祖国日本を守るため、また祖国日本の勝利を祈り、自らの命を捧げて


そんなこと有りません。反戦を唱えれば.家族当然.親戚を含めて下手すれば友人知人をひっくるめて.天皇に対する反逆罪で拷問死です。天皇一族とその取り巻き連中による暴行と殺戮が当時の人々を戦闘に追い込んだのでした。
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この回答へのお礼

 戦争という事態が、敵と味方双方に引き起こす異常心理がその背景にあったのだと想像します。なによりもそのような事態に陥らないようにすることが「政治」の一番大きな責任のひとつだと思うのですが。
再度のご回答感謝します。

お礼日時:2002/05/06 01:26

 


  できるだけ簡単に述べます。
 
  まず、「カミカゼ特攻」は、自殺行為ではなく、祖国の勝利と防衛を意図しての命をかけた攻撃であったのです。世界の歴史や、文化の多様性の観点からは、欧米の戦争観が異常なのです。
 
  欧米は、キリスト教文化で、「自殺」を禁じていましたが、それ以外に、欧州では、戦争が近世・近代に至り、「儀式化」していたということがあります。この理由は、欧州の支配者は、それぞれの国の君主ですが、欧州の君主たちは、互いに血縁関係にあり、極端に言えば、親戚同士で、領土や権益を争って戦争していたのだとも言えます。
 
  戦場に立つ兵士は、死を覚悟せねばなりませんが、戦争を命じる君主は、背後で、君主同士結びついていたというのが真相です。その結果、戦争のマナーというものができ、これが極端になります。戦争は、君主と君主が行うチェス・ゲームのようなものとなり、戦ってみて負ければ、権益は君に譲ろうというような話が君主同士で、できていたのだとも言えます。
 
  この場合、「自殺攻撃」というのは、キリスト教文化と馴染まない上に、戦争を命じる君主からしても、ナンセンスなことになります。
 
  しかし、既存のいかなる君主とも縁戚関係を持たない皇帝ナポレオンが起こしたナポレオン戦争は、従来の戦争と様相が違っていました。欧州諸国は連合して、ナポレオンを滅ぼします。しかし、ナポレオンも皇帝となった以上、フランス王ルイ16世を処刑したような例が続くと、王侯たち自身の命も危なくなるので、ナポレオンは処刑せず、二度に渡り島流しにします。王や皇帝が、戦争に敗れると殺されるというような、例は作りたくなかったのです。
 
  第一次世界大戦において、新興国ドイツは、この暗黙のルールを破ります。そこで諸国は、ドイツを打破した後、制裁処置として過酷な条件をドイツに付けます。しかし、これは逆にドイツを激情させ、第二次世界大戦において、ドイツはもっと大きなルール違反を犯します。ナポレオン同様、成り上がり者のヒットラーが欧州の秩序を攪乱し、ルールを破り、自殺戦争を行うのです。
 
  欧州諸国は、米国も加わって、「文明に対する罪」の名で、ニュルンベルク裁判で、ドイツ指導者を裁き死刑にします。「文明に対する罪」とは、「欧州の秩序に対するルール違反」のことで、戦勝国が敗戦国を裁いたというより、欧州秩序の反逆者を粛正したのです。イタリアでは、ムッソリーニは国王に忠実で、その結果、首相を解任されますが、ムッソリーニは、欧州秩序の攪乱者とは考えられないので、イタリアで、戦犯裁判は開かれません。
 
  日本に対しては、世界を欧米のルールで律しようとしていた欧米にとって、黄色劣等人種の日本が、ルールを破ることを実際に示したので、懲罰を与えるため、東京裁判を開きます。欧米は、ロシアもルール違反で、懲罰にかけたかったのですが、ロシアは、欧米の力でコントロールできなかったので、以降、冷戦に入ります。
 
  アメリカは、大都市大坂と東京に無差別絨毯爆撃を行い、無辜の市民を多数虐殺し、更に、長崎・広島に実験目的で原爆を投下し、無辜の市民何十万人を虐殺します。「文明に対する罪」を犯したのはアメリカ自身です。自己の都合に合わせて他国に爆弾を落として、無差別虐殺を行うと言うのはアメリカの常套手段です。アメリカは、黄色人種や、イスラム教徒を、「人間と考えていない」のです。「リメンバー・パール・ハーバー」とは、何というエゴイズム、自己讃美の奢りの言葉であるかを世界に如実に示しているのです。
 
  日本を「悪役」に仕立てるため、「カミカゼ突撃」などを世界に宣伝したのは、宣伝の国アメリカのこれも常套手段です。宣伝すれば、幾らでも、事実をごまかせるという、功利的で自己に都合のよい考えばかりするアメリカの愚劣さでしょう。
 
  祖国を救うため、あるいは祖国の万に一の勝利のために、「自殺戦闘」に赴いた、歴史的に有名な、もっとも古い例は、アケメネス朝ペルシア帝国の侵攻に対し、「ヘレーネスの国」つまりギリシアを守ろうと戦い、全員が戦士したスパルタの軍勢にその歴史があります。スパルタ王レオニダスが指揮し、スパルタ軍全員が戦死した「テルモピュライの戦い」が、その燦然とした歴史です。
 
  ペルシアの大軍の前、戦えば、全員戦死は眼に見えていたが、ここで退却すれば、ヘレーネスはペルシアに蹂躙されることは確実であるが故、命をかけて、ペルシア軍の勢いを一時的に留めるため、全員が戦死した、この戦いこそ、「崇高な戦い」「崇高な犠牲」として、詩に歌われ、欧米でも讃美している勇敢な行為だったのです。
 
  欧米の古典ギリシア・ファンが愛唱し、おそらく欧米の歴史や文学でも教えられているはずの有名なシモーニデースの詩は、次のように歌います:
 
  >ああ、見知らぬ人よ、ラケダイモン(スパルタ)の国の人たちに伝えてほしい
  >貴方たちの希望に答えて、わたしたち将兵は、この地(テルモピュライ)にあって、全員が戦死したと……
  
  日本の若者が、祖国日本を守るため、また祖国日本の勝利を祈り、自らの命を捧げて、横暴な、ペルシアにも似た、大軍勢のアメリカに抵抗した戦いは、「崇高な戦い」という以外に何と呼べばよいのでしょうか。
 
  アメリカは、東京・大坂を焦土にし、長崎・広島に原爆を落とし、朝鮮半島で虐殺を行い、ヴェトナムで大量の枯れ葉剤を撒き、何を殺人の実験をしているのかです。何が「リメンバー・パール・ハーバー」で、何が「カミカゼ突撃」か。
 
  人権侵害、殺人帝国アメリカが何を偉そうなことを言う権利があるのかです。歴史の記録は残っています。アメリカの「蛮行」は後世、必ず糾弾され、大国のエゴと欺瞞の巨大な実例として、語り次がれるでしょう。
  
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この回答へのお礼

 確かにひとたびエクスキューズを得たアメリカ軍ほど残虐な軍隊は歴史上存在しなかったのでないかと思います。よくアメリカの友人と、それぞれ片言の英語と日本語でチャットで話すのですが、大戦末期の米軍による原爆や都市空爆の残虐さを指摘すると、あの犠牲がなかったら結果的に国土をロシアに奪われていたかも知れないぞと、その知日派の友人は言います。

 先の大戦の場合、日米の差はその具体的な軍事力の中身もさることながら、その狡猾さに於いて徹底的な開きがあったしかいいようがないと思います。アメリカはどうも真珠湾攻撃は事前に知っていたらしく主力艦は洋上に待避させ、そのほかの軍事面での準備も終えていたのは確かなようです。見方を変えれば、アメリカは意図的に日米両国民を戦争に引きずり込むきっかけを作るために自国民の命や財産をあえて犠牲にしたともいえます。卑怯な不意打ち攻撃というプロパガンダが米国民に与えるインパクトが大きければ大きいほど、米軍は相手国に対する残虐行為への免罪符が与えられる、そう考えればその狡猾さは確かに唾棄されるべきものでもありますが、一方では敵の術中にうかうかとはまってしまう日本の愚かさも忘れてはいけない要素なのかもしれません。何十年たってもこの枠組みはかわらないなと感じます。そう考えると真珠湾攻撃の真実を半世紀以上たった今日までも明らかにしないのは、現在のアメリカの世界戦略の中での政権運用に深刻な影響を及ぼすからにちがいないと勘ぐっています。

 私の場合も何人かの軍人ではない血縁者がその時死んでいますが、その悔しさを思うとき、ひょっとしたら、原爆や都市空爆といった無意味な殺戮が始まるまえにさっさと戦争を終わらせ、戦後処理のために日本人の叡知を結集できなかったものかと強く感じます。もちろん歴史に「もし、あのときこうしておけば」は無意味な議論であることは分かりますが。

 自殺攻撃は、戦争の残虐性が示す一つの断面にすぎず、それだけを取り出して論議することは無意味なのかも知れません。

 回答のために貴重な時間を割いていただき感謝します。

お礼日時:2002/05/06 01:21

中国の戦闘で.自国がどうやっても敗れると感じた時に.伝染病発生地区に逃げて敵兵を誘い込み伝染病発生地区で敵兵に殺されてしまいますが.敵兵に伝染病を感染させて.敵国に伝染病菌を持ち込ませ.敵国に壊滅的打撃を与えるという戦法を聴いたことがアリまス。



同様に日本軍の中国進行で妨害になったのが.体は滅びるが精神は不滅という宗教で(宗教名忘却).日本軍に対して自殺的攻撃を加えかなりの進行を妨害しました。おそらく.日本国政府にもこの話は伝わっていたでしょうから.これを2次対戦で使用したと考えられます。
自殺攻撃の発祥は中国です。というか.すべての戦争方法の発祥の地は中国です。日本は中国を模倣したに過ぎません。
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この回答へのお礼

 確かにいかにして戦いに勝つかという理論の構築については歴史的に中国に文化がありますね。しかし戦争そのものについては人類が誕生してから続いていたわけで、そうである以上、戦法の改良については人類が普遍的に向き合わなければならないことだったんでしょう、きっと。
 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/05/06 01:15

日本が大戦中に行った特攻(自殺攻撃)ですが、



使用された兵器(武器)を見てみると、既存の物から改良を加えたもの、さては専用の特攻兵器までも開発・量産されました。
量産といっても当時の国情から生産量は高くはなかったのですが・・・

このように多種多様の特攻兵器を生み出した国は、世界史において日本だけだと思います。

そう考えると、組織的自殺攻撃は日本がオリジナルと言われることも仕方が無いのかなと思います。

http://homepage2.nifty.com/matutec/tokouheiki/to …

参考URL:http://homepage2.nifty.com/struck/zero/kamikaze/ …
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この回答へのお礼

 ドイツの場合を調べてみたのですが、ここまで徹底的に目的化した兵器の改良は行われなかったという印象です。組織的というのをどこまで指すかという問題もありますが、どうも日本が始めたことだと世界中から思われているのは確かなようですね。

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/05/04 01:02

No.3のmartinbuhoです。

ちょっと追加します。

自殺的攻撃とともに自殺的防御(防衛)もありますね。
大きな城は周辺に幾つもの砦を持つのが普通ですが、敵の大群が攻めてきたとき、撤退の命令がなければ、死ねということを意味します。敵地内での殿軍も死と直面させられます。しかし、これらが余り問題にならないのは目的がはっきりしている(本城、本軍をまもるため)からでしょう。又助かる確率は低いながらゼロでもないからでしょう。

1835年、テキサスの小さな教会に立てこもった185名の義勇軍は3,000人以上のメキシコ正規軍を相手に10日以上善戦して全員玉砕しています。メキシコ領土をアメリカのものとしたテキサス独立のきっかけとなった有名なアラモ砦の戦いです。アラモ事件のあと、合衆国はテキサスを手に入れ、今度はテキサスとメキシコの国境で小競り合いを起こさせて戦争を起こし、スペインから独立して間もないメキシコから51%の国土を獲得しています(今日のニューメキシコ、アリゾナ、カリフォrニアと周辺地域)

Remember Alamoは100年後の日本軍のハワイ攻撃の時に思い出され、Remenmber
Pearl Haborとなりアメリカ国民を再び団結させたといわれます。

こうして見ると同じ絶望的な戦いでも、打って出れば無謀な自殺行為となり、城や砦にこもって玉砕しても本軍が勝てば英雄的行為と見なされる事が分かります。特攻隊も少ない飛行機を使って突撃せず上陸地点で待ち構えて玉砕すれば欧米の見方も変わっていたかもしれません。どちらにしても国を守る(城を守る)行為には違いがないのですが・・違いはその結果、勝ったのか負けたのかでしょう。
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この回答へのお礼

 興味深いエピソードの紹介、ありがとうございます。戦争に勝った方の価値観が世界を席巻するというのは、昔からかわらないようですね。

お礼日時:2002/05/06 01:08

 組織的自殺攻撃という面では、ドイツも第2次大戦末期にアメリカ軍に対して、攻撃機が自殺行為をしているようですので、日本のオリジナルと断定は出来ないようです。

ただし、このような行為はなかなか表には出てきませんので、小規模な組織的自殺攻撃は、第二次大戦末期には他の国でもあったのかもしれません。

 日本が他の国と異なるのは、誰のために何のために自殺行為をしてまでも戦うのかという「精神」部分では、他国とは異なると思います。空と海の両方からの組織的自殺攻撃は、日本が最初で最後かもしれません。
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この回答へのお礼

 特攻隊は関係のない民間人を巻き込んではいないことからも、単なるテロ行為をカミカゼアタックと呼ぶのは不当だと今更ながら感じます。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/05/02 15:02

日本の特攻隊による最大規模の特攻出撃と日を同じくして、米爆撃機群に向かってドイツではより多くの自殺攻撃機が出撃していたようです。


そうなると、特攻は日本独特の現象では無いと云えます。

参考urlをご覧ください。

参考URL:http://www.warbirds.nu/discussion/g0002.html
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この回答へのお礼

 なるほどよくわかりました。あのとき米報道機関にもドイツ語を交えて実況して欲しかったですね。早速の回答、ありがとうございました。

お礼日時:2002/05/02 14:57

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