●最近わたしの長年の哲学研究の成果ともいえる「意識のファッションショー」
 というスレッドが削除されてしまいました。ふと 思いました・・・。
 なるほど哲学するということは いとも簡単に既製の概念やモラルや
 倫理や規範を超えてしまうのだなぁ・・・と。

 越えまい越えまいとするから まともに哲学できない。越えていいじゃないか。
 いや 一歩すすんで越えてしまおう!

 みなさんの哲学する視点は「どこ」の高さにありますか?
 また もっとも高い視点とは あらゆるものを俯瞰できる視線 それは
 いったい「どこ」だとお考えですか?ご意見教えてください。

A 回答 (31件中1~10件)

>あらゆるものを俯瞰できる視線


それは全てのことが分かる人の視点だと思います。

例えば机にみかんが置いてあってそれがどういうことなのか全て分かったならば、みかんと机については俯瞰できますよね。

何が全てか分からないうちは俯瞰なんてできません。主観になってしまいます。分かっていることのうちで、という具合になってしまって。でも何が全てかは分かりません。

でもそんなあきらめかたしてても仕方ないので、自分に「本当に」素直な視点が一番俯瞰に近いのではないかと思います。だからピカソも絵の記録を残したんではないでしょうか。私は本当に「人」の絵を書いた。だから私の描いた「人」であるはずなんだ。そして誰かがきっと何かを見つけてくれる。という具合に(人の形ではなく「人」)。
他に例えると何かアイデアを出すのと同じような感じかもしれません。

私はきっとchihokoさん以上に知識も頭もないです。
けどこんな考えから「私は私より頭がいい」と思っていたりもします。
かなり真剣に書きました。
何年後でもいいので返事待ってます。
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真実の在り処は知らないけれど(てゆうか、ここで皆さんがおっしゃられてることさえ殆ど知りませんでしたが、、)


「端」のほうのには無いのではないでしょうか。

赤ちゃんは、いつしか
例えばアイドルを夢みる。
理想に向かって努力し始め、それを自分の人生とするようになる。

いいことなんだけど、これは「端」に向かっている。

こんな風に、ほとんどすべての人間は「端」に向かって進む。
たまに後ろを振り返るが、それも「端」にむかって進むためにそうする。

そうして大きくなるにつれて、だんだんとバランスのようなものを失うような気がします。
少し、ベクトルを「内」側にむけなければいけない気がします。
いろんな事を知り、体験してもバランスを失わないようにしてあげるのが子供にとって良いことだろうと思いました。


神とか無とかはむしろ「端」過ぎですよ。
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>べつべつのものを分けて考察するのはあたりまえのことです。


なんやそりゃ(笑。そんなのは前提の話だろ。言葉、実体。←この時点で分別はされてる。さらに君は分別してるってゆってんやん、。何も考えずに即答したやろ。俺らにあたりまえのことを言うなや。なめてんのか?(笑
その前提の上で、例のようなことが君の文章、思考で起こってるってことをNO28はゆってるねん。
実体と、君のいうところの言葉と、どう比較されてるかって、言葉には実体がない。実体には実体がある。そのままや。
言葉がなければ眼も見えんし、耳も聞こえん。口から出るもの、文字にかけるもの、だけが言葉やない。概念のことを考えてもそう。どんな生きもんにも言葉はあるわ。
 
で、最終おれがいいたいのは、その前提、周知のあたりまえのこと、それを見直そうぜってはなしや。
>あなたの論調のいちばんつまらないのは
 あなた自身だけで納得していて 論拠が示されないところです。
 
これ系の話(哲学者的哲学調な)を君とすると息切れする(笑。
ああ、君の知らんことはなしてるんやから君が知らんわゆーのは当然や。
でも、君が知ってることを話してもしゃあない。お互いの共通点を見つけてもつまらん。知らんことを聞くのがええねん。わからんでもな。知らん世界があるってことをしるだけで。
>いったい「どこ」だとお考えですか?ご意見教えてください。
そりゃ場所を超えたとこや。もういいかげんにせぇってはなしやな(笑、もちろん俺のほうが。
>わたしは世界最大級の穴を持つ ←これが逃げ道のある表現。
俺らと話すときにそれがなんの役に立つねん(笑。
どうせなら、超世界級。これにしょう。超高校級みたいに。
ブラックホールってそんな感じやし。
どうせにげるんやったら、超えるほうに逃げようぜ(笑。
_____________
たよりにしてんぜ?ちっこちゃん。
______
何やその名前(笑。
海になった気持ちで考えてみ。山がすきなら山になった気持ちで。
そしたら、自分が無いとか、無言の意味とか、ニュアンスはわかるわ。
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じゃあわたしからも。


1/100が、質の違いなら、量の違いは論点にはなりません。
りんご99こと、入れ歯一個。入れ歯はりんごの1/100にも満たないとはいえない。
ちほこさんの中で言葉と実体が分別されている限りは、二つを相容れて語るとおかしくなります。それは逃げ道ではなく矛盾です。
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この回答へのお礼

●べつべつのものを分けて考察するのはあたりまえのことです。
 分けて考察するから 関係やそれぞれの影響を捉えることができるのです。

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/07/01 22:07

私は私、あなたはあなた、で、すむのなら、君は、 


 まぁええわ。
 
_________
まぁええんかいな(笑。ちゃんとゆーとけや(笑。
>逃げ道をつくっているのです。
逃げ道ってどこ?
逃げ道とかの話になるとは思わんかったわ(笑
そんなんまじでボークやん(笑
>あなたは 概念にふりまわされています。
そうでもないぜ?
きみと、philosophiaさん(まぁみんなやけど)は、あるという自意識にとらわれてるんちゃうの?
それやったら、自分のキャパ(枠)を超える快楽にはありつけんで?
まぁまぁ、もうちょいおとなしく話して(笑
聞く耳もたへん人は馬や鹿といったような人たちと一緒や。
落として落としてゆったら、実体も言葉の種類のうちのひとつ、みたいなもんやといったらええかな?
君的にはここが間違いやゆーんやけど、。もっと落としてたとえたら、君はじゃんけんグーしか出せへんのに、俺がチョキ出したら「君は君、私は私」や。手が出るのは出る、でも、君には手がないねん。きみの出る手ゆうたら「自然」間違わないために「自然」。しかも、その自然が、君の目に映る自然や。だからせまいゆーねん。不自由やゆーねん。何かとあらば具体的にPlease!それじゃぁわかりません。たとえりゃ概念につかまってるというし、。君の言うことは俺にはわかるが俺らの言うことは君にはわからん。わからん部分はスルーして、共有、共感できん部分は多様性として残すべきって? 全性と多様性と、どっちが多様や、どっちが多様の本質を持っているかゆうたら全性やで。じっさいには。実質的には。
ガンものの言葉でやり取りするから、「多様性」やゆわなあかんねん。
君はまじめっこやけど、めがねかけてるまじめっこ?近眼の。電子顕微鏡とはいわんでも、虫眼鏡って感じや。
君が、概念が1、実体が100やゆうんやったら、俺らからしたら君の思ってる言葉は0.01になんで?
もっとのーみそ、大脳皮質?使ってこーや。

更なる快感獲得の為にも、自分を超える、自他をこえる、あなたはあなた、私は私ってゆーのを超えるんもええとおもうけどなぁ。。
 
>あなたがあなたの論理で幸せなら それでいいじゃありませんか。
 議論する点など何一つありませんよ。

共感する点ちゃうの?
逃げ道ってどこなん?そんなんしてるとは思わんかったけど。示してや。
おまえはおまえで勝手にやっとけなんて(笑
ガキくさいで(笑
>わたしは あなたほど自分の発言にも固執していないのです。
ちゃうやん(笑
自分なんて無いゆーてるやん。
↑逃げ道ちゃうで。
俺が固執してる、発言の動向みたいなのをゆーなら、解放かな。実感を伴う、。俺がどんな間違ったことゆっても、それがスルーでも、誰かがそないなったらええわ。君はあるということに縛られてんで。無いゆーたら無いも無いからな。何も無い。
君の嫌がることばっかゆってごめんな。聞きにくいやろーに。
久しぶりに謝ったわ(笑。
>すぐ消えちゃいますよっ。
言葉があって、そのうちで実体や。実体は言葉の一族、言葉の一ありようやから。
だから、消えるとかゆーよりも、現れるってゆったほーが近いかな。
幸せを現してる人は幸せに困らん。幸せを外部から享受している人は、幸せを失うかもってことで、ちょいビビらなあかん。
ビビってもええけどな(笑。
じゃ、「自分のキャパを超える幸せについて」なんかゆってよ。
逃げ道の話はやっぱもーえーわ。
幸せの次とかどう?次の幸せやなしに、幸せの次。
それか今生きる?
返事は遅くてもえーで。いつまたのぞけるか知らんし。
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この回答へのお礼

●逃げ道とは
 わたしは世界最大の穴を持つ ←これが逃げ道がない表現。
 わたしは世界最大級の穴を持つ ←これが逃げ道のある表現。
 あなたの論調のいちばんつまらないのは
 あなた自身だけで納得していて 論拠が示されないところです。
 だから わたしは お好きなようにという感想しかでてこないのです。

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/07/01 22:03

手足のかかる人だな。

。なんて、言っちまいたい。
無は並ぶもののない言葉だとよく言われるが、「無」は君の思っているよーな概念じゃない。
事実だ。語れば語るほど語弊を呼んでしまうが。
無いが在る?あるわけねぇよ。無いは無い、そこまで。同時に全だ。何も無いということにとらわれるなら、それはがんモノの無だ。感違い。
☆すべて無だ。
そういう事実。考えが合う合わないとかじゃなく、守備範囲が限定されているのかされていないのか、限られているのか限られていないのか。
乳首だって無だよ。乳首を開放するのがかんじんかな。君の無だったら何の役にもたたんぜ。
>どれだけ 次にいけてるかってこと
 いくらひまつぶしでも 次にいけない時間なら
 そとの景色をながめているほうが ましです。

 赤ちゃんを至高の哲学者と見る 発想はたぶんあたらしいです。

次に行ってるつもりが、感違いやったらどーする?
新しい。だからなんやねん。囚われるってゆーのはむなしいぜ?次にとらわれてちゃ、目先の、次にくるであろう幸せにとらわれてたら、本当に密着というか、同化しているものの幸せを感じれなくなる。
無や、神とかってのは、なんでもありってゆうことだ。自由。
でも、それも捨てるんだよ。無を知ることは自由を与える。何でもいいが。
君としゃべればしゃべるほど、階段を下りていかなきゃなんない。
君がどれくらい上ってるのか。どれくらいもぐってるのか。知りたい。
殺ぎをとす。君のいう創造、探す、模索するとったような発掘的な印象を受ける。
それはほんとうには創造じゃないと俺は思う。模索して模索して、進化した。
それと、創造は違う気がする。君の言う創造は俺らの言う創造で言えるが、俺らの言う創造を君の創造ではいえない。
お互い様って思うかも知れんけど、違う気がする。

>無までは簡単に行き着くんですよ。昔、無を生きようとしたが一ヶ月で飽きた。
君の無が、そのころから変わってないなら、ちっとも進んでないぞ。周回遅れや。
既存を超えたと思っても、周回遅れだったりする。次々って、すでに行っていると言う境地っていうのは、創造してるってことだよ。次なんて用意されて否い。
__________________
>実は 真っ白になった無の感覚の次が どうでるのかが ポイントだと
 感じているわけで。そこで のこのこ神が出てくる場合もあるわけです。
 わたしの場合は 真っ白の状態で 正に「乳首」がでてくるわけです。
 
白?俺らが透明やゆーてんのに、君は白やゆーねんな。何も無い、場所も無いのに誰がのこのこ、出てこれんねん。白紙とちゃうで。記憶喪失とちゃうで。真っ白って、概念のお骨が燃えのこってんのとちゃう?(笑。言葉っていうのは人間の所産やないで。人間のはがんモノ。本質的なことは表面的な形には見えてこない。殺ぎをとしたあとにも形はあるだろ。それは表面的だ。形無いものを君の目で見れるんか?君の思ってる「言葉」はほんものやないと、おれはおもってるんやけど。どうなんかなぁ(笑
「目立つ」よーな黒い乳首は気をつけなあかんな(笑。mcqgogoさん、なめたら幸せに、感電すんで(笑。

君の言ってる多様性ってや、無限が見られんわ。ひまつぶしはええからさ、君の持ってる一番を出してや。
 

って、そら飛んでるやつが階段使うかよ(笑↑はな、地に足ついてないから、あんま気にせんでええで(笑
でもな、ちにあしついてないしあわせっていうのもあるかもって、思っとけばええんちゃう(笑

_____________
ゆうけど俺は地中でも海中でも飛んでるから。そら(笑。
体が裏返るほどの快感を得たいって?
期待も想像もしなかったようなのが俺らに訪れることをしってんだけど。
道具としての言葉は、大事なところで役には立たない。だが、命ある言葉というものがある。そばにいて然り、かけがえのないもんだよ。ずいぶん文句ゆーたかもしんないけど、いいたいことゆったらこうなってもーたわ。
変幻自在のバッティングの前に、魔球を投げる前に、ボークだったりして。

サーフィスのことはもうええわ。
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この回答へのお礼

●あなたは 概念にふりまわされています。
 わたしは あなたほど自分の発言にも固執していないのです。
 だからちゃんと読解すればわかりますが わたしは常に自分の表現には
 逃げ道をつくっているのです。逃げ道がある論理に アサハカな反論は
 つまらないだけです。

 あなたがあなたの論理で幸せなら それでいいじゃありませんか。
 議論する点など何一つありませんよ。

 人間は実体の重要性が100だとすれば 概念なんて1もありませんよ。
 極論すれば ことばなんてどうでもいいんですよ・・・。
 概念だけで幸せに行き着いたと思うのは幻想です。すぐ消えちゃいますよっ。

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/06/28 01:51

ふとしたキッカケでやってきました。


teppeiと申します。
少し、私の見解を述べたいと思います。

しかし一つ注意しておきますと、「哲学する」という語は、そもそも厳密に定義することはなかなか難しいものだと私は常々思っております。ですから、本来は「哲学する」ということ自体についての議論が先になるものだと思いますが、まあ、あえて目をつむって、質問に対する答えの方を良い意味で自由に書いてみたいと思います。
もし「哲学する」という語について、質問者の方が明確な定義を持っていらっしゃったら、一言教えて戴けると幸いです。


>みなさんの哲学する視点は「どこ」の高さにありますか?

まず、哲学という行為を語義の通りに「普遍知識を愛すること」と考えれば、
普遍知を愛する状態というのは、簡単に言って、万物が一に眺められる地点に立ち、己が一にもなり万にも成り得る、まさにこのような感覚がこの意識と合一している、そういう状態だと思います。そして、
たとえばヘラクレイトスの言葉を味わう時は、自身がヘラクレイトスになり、
デカルトの思索を辿るときは、デカルトになる。
ヘーゲルの理性的思惟を体験するときも、そう。言ってしまえば、哲学は、なんでもそうだと思います。
わかりやすく言えば、あらゆる人間は個別であると同時に普遍を自身に秘めているから、その普遍の方の感覚を育てて、個別である我々の側から赴いて普遍の側とまさに同一になる、そんな感じと言えばいいかな。

ただし哲学するというのは、普遍知を愛するだけではなく、普遍知を探す、
つまり「自らの意識の中で理性を介して思考する」という行為でもあるから、
その現場というのは、言わば直観の断続的連続だと思います。
知りたいという気持ちがまずあって、そして知ろうと思う。志す。
そのとき、仮定(もし~ならば)、推論(~であれば~であろう)などの思考形式をフル活用しながら、その背後に隠れている理性的感覚と照らし合わせてみる。その繰り返しだと、私は思っています。


>また もっとも高い視点とは あらゆるものを俯瞰できる視線 それは
>いったい「どこ」だとお考えですか?ご意見教えてください。

これは、「あらゆるものを俯瞰できる所は『ここ』だよ」と言ってしまった瞬間に、
そこではない、と言ったような質のものだと思います。
西洋哲学から引くなら、やはりデカルトの「コギト存在」でしょうか。
仏教哲学を使えるのなら、空即是色の空、もしくは禅の発語地点とかですね。

哲学の視点というのは、高いと言えば高いけれど、低いと言えば低い。
高いと同時に低い、というのが最も的確かと存じます。


どうやら長くなったようですね。(^-^
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
質問の答えになったかはわかりませんが、とりあえず一つの意見として述べさせて頂きました。

参考URL:http://www7.plala.or.jp/limelight/
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この回答へのお礼

●哲学するとは 自分で考える ということを指します。
 普通自分で考えるというと 事例を思い出しながら 組合わせたり
 引用したりして結論に至る場合が多いように思います。だからそのような
 自分からのオリジナリティの少ないものを排除した なるべく自分の
 オリジナリティの高い思考を「哲学する」と定義しております。
 思案のあげく誰かの考えに行き着いた これは哲学ではなく 思い出したの
 類であると思います。様々な既存の考えを選択する哲学もあるでしょうが
 独自に考えを進める方がより頭脳を使います。その意味では 哲学するとは
 頭脳を使うことと言うこともできます。

 teppeiさんにとっての哲学の視点は理解できました。
 わたしは 他者の哲学を参考にはしますが理解しようとは思いませんし
 同化することは不可能だと思いますし 同化する必要もないと考えております。

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/06/28 01:36

「無に戻すべき」という概念を持つ概念をも超えるべき概念をも超えるべき(以下繰り返し)、ということで。



「ひとはもともと孤独であり、ひとりで死んでいくものではないでしょうか」
は事実であり概念でもある。その概念をも超えるべき概念をも超えるべき(以下繰り返し)。

でも無が在ると考えられるのはどういうことか。
在るからなんですね。
無かったら無い、でもその無いが在る。

我々はすでに無にいるのかもしれません。

それなのに。

概念を超え出ようとしたときからまた概念となる。
どうやっても絶対矛盾である。
だから「超え出ようとしない」ことで概念とならない。
挑戦する概念など最初から「無」かった。
勝手にあると看做すから、あれこれが起きる。
その上でその概念に挑戦し打ち破ら「なければ」、と思ったときから再度概念の上塗りとなる。
しかもそれを必要な「べき」となると再々度の概念(打ち破るべき最初の方)の概念(打ち破ることの方)の概念(具体性が無いの方)となる。
正確には5番目の概念です。

顕在意識もまた概念である(1番目と2番目の概念)。

前出の赤ちゃんは1番目の概念のことですね。やはり赤ちゃん自身でさえも何の概念も持たずに……は無理のようです。
でもその概念も赤ちゃん自身が無いと思えばいい(どうやって?)。

哲学をし、知るのは最初から超えるべきものなど何も無いことに気づくことです。
ただあるがままにあることを認めることを知ります。それが問いであり、答えでもあります。もちろんそれでハイおしまい、ではなくて、ただの振り出しに戻っただけです。その無為な繰り返しですが、無用な「べき」は必然的に無くなります。

すでに概念など無いのに、あるかのように思い、もめる。
そしてそれ(もめるもとの概念)をも「ある」と思うからある。
進むところはどこにも無い。

それでも超え出たければ簡単。超え出るとも何も考えないことも考えないことも(以下繰り返し)。
禅の世界にありました。
最初から視点はあらゆるところ全てにありました。
すでにして自然にいました。

無も在りますし。

ですので視点はどこでもないがどこでもあるところです。
全です。
あると思えばあり、無いと思えば無い。こんなに自在です。すでに。
ついでに高める「べき」自我もありません。ただ「知る」だけです。
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この回答へのお礼

●あなたは 無いという概念にふりまわされているだけです。
 概念を無くするということは 概念をつかわないで思考することを
 指します。概念のどうどうめぐりから抜け出れないようでは
 まだまだですよ。

 考えないということで 生きることは可能なのです。

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/06/20 00:52

「無」が「有る」ことが「在る」ところです。


でもここは「無が無い」ことが「在る」ところだ!

それはさておき。

高さも奥行きも何もなく、でもどこにでもある。
誰のものでもないがゆえに誰のものでもある。

何だ、「神」と呼ばれしものではないか!?
「神」が嫌なら「真理」か?!
いずれにしろ。

私は私であるが私は私ではない。
断じてない!
何がない?!

「神」を考える私は何だ!

もはや私は私ではありえなかったのだ、と知る。
いや知っていたのだ。
知らないものを知ることはできない!

俯瞰をする私を俯瞰をする私。

ということで。
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この回答へのお礼

●人間は いま考えている自分を俯瞰する視点を持っています
 それは俗に言う自我というものです。
 そして自我では考えることができません。
 そう言う意味で 人間は生まれながらにして 最も高い視点を持てる
 脳の構造を有しているわけです。
 問題はその自我をどう高めていくかなのです。
 生まれてきたときは 自我は本能を除いては無なわけです。
 それが 環境により概念により地上に降りてきてしまうわけです。
 わたしは その自我をもう一度「無」に戻すべきだと思うわけです。
 そのためには顕在意識で これでもかってくらいに既存の概念に
 挑戦していく心構えが必要だと思います。
 そして あらゆる概念を打ち破る脳内リンクが必要になります。
 孤独な作業です。でも ひとはもともと孤独であり ひとりで死んでいく
 ものではないでしょうか? 
 おおいなる流れの中で 自然に帰るように なんの概念も持たずに・・・。

 ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/06/19 14:37

それぞれの方が chihokoさん の包容力ある胸を借り、何ものかに目覚めたかのように、本質的なことを論じていることに共感を覚えます。


顰蹙を恐れてあまり何度も書き込まないことを心掛けてはいたのですが、治外法権的な風通しのよさが漂って来はじめたので、また書き込みをさせてもらいます。

「神を持ち出す感覚が弱い」、と言われながらも臆面もなく同じものを担ぎだすのは、「神様=教科書」の図式がちらついて、言い訳がましくもあり、その負い目が今の日常にも薄っすらと影を落としはじめているので、正統派のリターンマッチを行いたくなりました。「教科書」に載っていないから解らない、と言っているような気持ちが消えないのです。
僕は自分の成長する「神」を生涯大切にしますが、「神」に頼る人間の端くれとして、それとは別にもう一度考えてみることにしました。
どうぞ chihokoさん 私にも、見たことのないその胸を貸してください。

>もっとも高い視点とは あらゆるものを俯瞰できる視線 それは
>いったい「どこ」だとお考えですか?ご意見教えてください。

「神」を考えるときに行きがけの駄賃で、より大きな事柄を整理したつもりだったのですが、「無限」「宇宙」「自然」のほかにも付け落しがあるような気がしていました。それは「自由」でした。皆さんのやりとりと、そこにヒントがありました。

「あらゆるもの」とは全てを見わたせない以上、それこそ概念そのもので想像を超えた事柄です。「神」を考えた時に付け落しがあったと同じように、全てを想像し切ることができないのは明らかなので、考えようとすると僕らは、「あらゆるもの」という言葉と概念の助けを借りるわけです。(それにしても贅沢な問いかけだなぁ)
そこで僕が概念上、もっとも高い視点に立ち、 あらゆるものを俯瞰できる視線をもって眺めた思考の実験を行うと、全てのものがハレーションを起こし、光と色の6原色が混ざり合い真白になって、しばし呆然とし、そののち、冴え渡った無の体感、と言った思いがしてきます。
だから、貴方の言う「考えないこと」、と言うのは解としては正しそうにみえます。言葉を換えると、「捕われのない空」でしょうか。「概念の生まれいずる所」、のようにも思います。
宇宙の始まりを考えると極小の世界に立ち至る、そのことの精神への表象のようにも思えます。

実は僕は「自由」な心を持ち出して視覚を乗り越え、この難問に挑もうと企んだのですが、思考実験をしたここで放棄します。
迎合は嫌いですが止むを得ません、尻切れトンボのおかしな文章は、あなたのせいです。胸を借りる前にやられてしまいました。居酒屋で歌でも唄っていた方が僕にはお似合いでした。

とんでもなくいい所に気付かれました。飲み代と20ポイントは貴方です。
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この回答へのお礼

>chihokoさん 私にも、見たことのないその胸を貸してください。
●実は 真っ白になった無の感覚の次が どうでるのかが ポイントだと
 感じているわけで。そこで のこのこ神が出てくる場合もあるわけです。
 わたしの場合は 真っ白の状態で 正に「乳首」がでてくるわけです。
 乳首の感覚をとおして 自分を再認識し 相手を認識します。
 胸をお貸しできるものなら お貸しいたしたいのですが 舌がネットを
 飛び越えて わたしのところまで来てくださることも無理なお話ですよね。
 どうぞmcqgogoさんの お近くの乳首で 無の次へお進みくださいませ。

 さて 自由とは すばらしいところに着眼されましたね。
 自我とは 自分のなかで考えることはしませんが 自由ではありませんよね。
 自我が 真善美という感覚をとおして 顕在意識に語りかけます。
 今の 自分の行動・考え方は 間違っていたと・・・。
 この自我の真善美とは 顕在意識の活動によって変化してしまう性質があり
 人によりまちまちなのは よく観察できる事柄です。
 自分の物心ついた頃 3歳くらいでしょうか。
 この時点ですでに 真善美の感覚があるわけで 社会のなかで生きることで
 最初の真善美が 雲ってしまった記憶があります。
 わたしにとって その最初の真善美を微かながら よびもどしてくれる感覚こそ
 乳首感覚なわけです。さてmcqgogoさんは なんなのでしょう?
 この話はここの設問を超えてふかまりそうなので これ以上は割愛しますが
 やはり 高い視点をイメージできたら その次に進みたいものですよね。

 叔父さんがスパイダーマンに言いました。
 「おおいなるちからを持つ者は そのちからの責任を負わなければならない。」
 世にさまざまに言われる 神たちは なんらかの責任を負っている証を
 わたしたちに見せたことがあるでしょうか?
 わたしは その意味で 神よりスパイダーマンのほうが好きです。
 mcqgogoさんの成長する「神」(そんなのアリ?って声が聞こえてきそう・・)
 さまにも 責任を負う感覚を進言くださいませ。
 たとえば ゴミを拾える大いなる力があるならば ゴミを拾うのが
 その責任を負うことになるのです。いわゆるチョボラですよね。
 人間ですら その力の責任としてチョボラをするのです。
 神がチョボラをしてくださいとは 申しません。
 神なら 清々堂々と そのちからの責任を負うべきです。
 mcqgogoさんの成長する「神」さまは はたしてわたしのこの苦情に
 どのように お答えなさるのでしょうか?
 ふと そんなことを考えた 夕でした・・・。

 ご回答ありがとうございました。(ご回答笑いながら楽しませて頂きました。)

お礼日時:2002/05/14 19:20
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