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一般人から成る陪審員のように、コモンセンスが現代のアメリカに与えている影響について教えてください!!ここでいうコモンセンスはただの常識ではなく、一般民衆の意見こそが最良であり、それが常識であるという考え方に基づくものです!陪審員以外の例をあげていただけると嬉しいです!

A 回答 (2件)

 


  コモン・センスは元々「共通感覚」の意味のラテン語から来ているのですが、それはとまれ。アメリカにおいて、一般民衆の考えにこそ、正しさが宿っているという考えは、自国民に対するデモクラシーの強調と、「市民の自由の尊重」にもっとも明瞭に出ているのではないでしょうか。
 
  市民・一般民衆に「自由意志」や「行動・決定の自由」を与えると、「レッセフェール」になり、それは政治経済社会活動において、不安定要素となるので、普通、欧州諸国でも他の国でも、「国家統制・国家の管理」があります。アメリカも無論、国家統制や管理はあるのですが、建前として、アメリカ市民の「良識」を尊重します。
 
  アメリカ市民も、自己のインディヴィデュアルである「自由と権利」、「選択の決定権」を持つことを望み、国家が、国民の意思決定や行動に介入することに反発する気風があります。このアメリカの気風のもっとも具体的な現れは、大統領直接選挙制にあるでしょう。
 
  アメリカは或る意味「衆愚国家」になっているのですが、それは、国民の意見を最上とする建前からであり、また実際、アメリカ国民の感情に大統領は阿る必要があり、政策が歪みます。ブッシュのアフガン侵攻指令が、国民の支持を得たことからそれは言えるでしょう。アメリカ国民が、報復を望んだので、ブッシュは、アフガン侵攻を実行したのです。
 
  ここに、衆愚になってしまっていますが、国民・一般民衆の意見こそ、最良であるというアメリカの伝統的な考えの見本があるでしょう。
  
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この回答へのお礼

非常に早く回答していただいて、ありがとうございました!!とても参考になりました!これでレポートが書けそうです。ありがとうございました!

お礼日時:2002/05/06 09:14

あまりたいした回答にはならないのですが、少々コメントさせて頂きます。



コモンセンスについて、陪審制の例を挙げておられますが、もう少し多角的に考えた方がいいようにも思えます。というのは、アメリカで「一般民衆への信頼」という意味のコモンセンスがはっきりと現れているものは、意外と少ないのではないかと思えるからなのです。

選挙制度もやや屈折しています。
まず、アメリカの大統領は「直接選挙」ではなく、「間接選挙」によって選ばれるものです。一般国民は州ごとに大統領候補者が選んでいる「大統領選挙人」に投票し、選ばれた選挙人が大統領を選出するのです。現在は形骸化していることは事実ですが。
ただ大事なことは、大統領選挙が間接選挙になった背景です。基本的な理由は、この制度が成立した時点では、デモクラシーに対する信頼が極めて低かったこと、つまり一般大衆に国のトップを選ぶだけの見識や能力を期待できない、と考えられたがゆえに、まず一旦ふさわしい選挙人を選出させるべきだと考えられたためです。つまり、コモンセンスを信頼しなかった結果が、間接選挙制になって現れているのです。

国会議員についてもそうで、下院議員は直接選挙ですが、州代表の良識府である上院のほうは、20世紀初めまで間接選挙制でした。やはり大統領と同じく、一般大衆の政治能力への不信のゆえにそうなっていたのです。
上院選挙制が改革されたのに対し、いくら形骸化しているとはいっても大統領のほうは間接選挙制のままである、という事実をみると、コモンセンスの評価はどれだけ改善したものか、あまりストレートに分析しにくいところでしょう。

陪審制の方は、よくコモンセンスを信頼して機能している成功例にも上げられます。ただこれも、成り立ちはその昔イギリスから送りこまれていた官僚裁判官への反発を背景に、どうせ裁きを受けるなら自分たちのコミュニティの人によって裁かれたい、という心情を背景に成立したそうで、そのような要因も考慮していいと思います。

つまり単純化して言えば、コモンセンスを信頼しているから陪審制を採用していることもあるのでしょうが、それだけではなくて、むしろ官僚制、テクノクラートによる支配に対する反発のようなものが実は背景にあるように思えるのです。
官僚による厳格かつ法的な究明よりも、地元コミュニティのメンバーによる、プロセスとしてわかりやすい裁判が望まれている面がないでしょうか。
(コモンセンス的には日本人のレベルは相当高いわけですが、日本では法律は「お上」に委ねる、という感じが強いのとまったく逆の、アメリカ独特の国民性の現れで、コモンセンスとはひょっとすると無縁のように私には思えるのです)

一例ですが、少し前のO.J.シンプソン裁判の際、極めて黒に近い灰色だった被告が陪審裁判で無罪評決を得ましたが、あの時にニューズウィークだったか、何かの雑誌が「我々は法律的な真実の究明よりも、コミュニティに裁かれることを選んでいるのだ」という風に、大変シニカルな論調があったのを記憶しています。
ここにインテリ層の本音が感じられたように思えた、というのは言い過ぎでしょうか?

そもそもアメリカはご承知のように、かつて人種のるつぼ、今やサラダボウルなどと言われ、人種のみならず考え方、能力に想像を絶する差を内包した国です。学力テストをすれば、先進国中では平均以下でも、ノーベル賞クラスの学者が輩出するのをみても国内の「格差」はわかるでしょう。
このような国で、単純に「コモンセンス」を信頼することは、言われているほど容易ではないのだ、という気がします。

コモンセンスへの信頼、つまり大衆の能力への信頼を政治面で実践するとデモクラシー、つまり大衆による大衆の統治が実現します。「少数の専制」への反発から生まれたデモクラシーは、うまく機能すればいいのですが、衆愚にも陥る危険を伴いますし、能力が足りない場合には「多数の専制」をもたらして、やはり問題になります。
私見ですが私自身は、アメリカで政治のレベルが保たれているのは、衆愚に陥りやすいデモクラシーのバランスをとる意味で、リベラリズムが強調されていることが機能しているためだと思っています。
リベラリズムのお蔭でいろいろな集団、アソシエーション、フェデレーションの活発な活動が保証され、個人の利益と集団の利益のレベルが擦りあわされるところに、衆愚に陥りやすいデモクラシーの欠点が克服される、というのがアメリカの特異な成功例だと思うのです。
(参考になるかどうかわかりませんが、似たことをトクヴイルの思想について回答していますので、意味があると思われればご参照ください)

全体として、質問者さんの意に添わない回答かもしれませんが、あくまで私見としてご覧くださるようお願いします。

参考URL:http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=224783
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この回答へのお礼

いえいえ、たいした回答どころか「なるほど~」と思いました。
信頼のおけるコモンセンスって実は存在しないように思えてきました。
ほんとうに詳しい回答ありがとうございました!

お礼日時:2002/05/13 18:30

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