プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

辛いんです。ホントに、凄く辛いんです。

親から愛されなかった事が原因である事は解っているのですが、カウンセリングを受けても、カウンセラーの暴言に言い返せない・・・。意地悪な人達に言い返せない・・・。
ここで踏ん張らなくちゃ、自分が辛くなるのに、投げ出してしまう・・・。でも、他の人の為なら身を粉にして動く事が出来てしまう・・・。でも、それで他の人が助けてくれるかと言うと、知らん振り・・・。

いつも誰かに(概ね親族)に利用されてしまう。でも、その親族は、私が窮地に陥った時に助けてくれるかと言うと、「お前は一人で出来るじゃないの?」と知らん顔。泣いてすがれば、「遠くへ引っ越してくれ」と言う始末。
あれだけ散々、私からお金を巻き上げ、労力を使わせ、時間を奉げさせた親族は、掌を返すように、利用できなくなった私を捨てた・・・。

カフカの「変身」を地でいっているようで、惨めになる。

そこまで酷い目にあいながらも、まだ、自分の為に動く事が出来ないのです。親からいつも、自分を後回しにするように躾られ、抑えつけられ、親に献身的につくす様に矯正されてきたので、どうしても、自分を傷つける事しか出来ないのです。

どうしたら、カフカの「変身」の世界から、自分を守る為に「変身」できるのでしょうか?自己治療法を教えて下さい。

A 回答 (12件中1~10件)

下の 参考URL、参考になるかな。


http://www.ad-labo.net/

参考URL:http://www.ad-labo.net/
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No.8です。



ここに何か書き込む(思いを吐き出す)ことで、自分を守れるようになるきっかけとなるかもしれませんよ。気が向いたときにでも、簡単にお礼なり補足なりしてみてください。あせらず、ゆっくりと変わっていきましょう。

あるいは、No.11さんもおっしゃってますが、「逃げ出す」勇気も大切です。
思い切って質問を締め切ってしまうのも、自分を守るための「変身」です。

私もガチガチの仕事人間でしたが、病いに倒れたのをきっかけに、「逃げ出す」勇気もあるのだということに気づき、自分を「守る」ことができるようになりました。繰り返しになりますが、あせらず、ゆっくりと変わっていきましょう。
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まず勇気です


どのような勇気かというと
「逃げ出す」勇気です

あなたを取巻く、また不利益をもたらすと
あなたが考える人々から
影響をうけない(最小にする)距離。
物理的にも精神的にも距離をとりましょう。

肉親もそうですが、カウンセラーなる人物からもです。
自己救済のためには
その行動を起こす勇気が必要です
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マイナス思考は一種の妄想です。


人の心を正しく理解できないためつらい思いをします。
おぼれた本人は妄想の自覚がないため苦労します。

「灰谷健次郎」と言う作家の本を読んでください。
文庫本で大抵の書店においてあります。
同じように人の信じられない方が集まった刑務所の読書室にもおかれており、人間性を取り戻すのに効果があります。
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こんにちは。


本当につらそうですね。
((((((((((((((tyouseiikeさん)))))))))))))))))) ←ハグです(笑)。
あ。(笑)なんて書いちゃいけないのか。
長いので、余裕のあるときにお読みくださいませ。

愛されたかったのですね。
愛され足りなくて(そんな感じがして)、自己肯定感・自尊心を育みそこなったのですね。
まずは、すっきりするまで、思う存分、愛されたかったと叫んでください。
その欲求に気づき、表現できるようになったのは、素晴らしいことだと思います。

~~~※※※~~~※※~~~※※※~~~※※※~~~※※~~~

今の「生きにくさ」が「親との関係」に「起因」しているのですね。
自分を尊重する権利(+責任)があるのは当然なのですが、それがあまり許されなくて、
それを行使する習慣が身に付かなかったということでしょうか。

まず、自分を尊重する、ということは、自分の欲求や感情に耳を傾け、それを自分で表現
し、自分で自分を満たす、ということです。つまり、自分の面倒を自分で見る、という
ことです。めちゃくちゃ大雑把に言うと、これが、自立する、ということです。
親御さんと質問者様は、親子とはいえ、別々の人間ですから、当然、欲求や感情も異なる
のですが、親御さんの欲求や感情を汲む習慣から解放されないでいるのでしょうか。
親御さんから「愛されなかった」というより、親御さんが「自分の支配下から質問者様を
解放しなかった」、そして質問者様は「服従することに抵抗しなかった」のではないかと
思います。つまり質問者様にも責任があるのではないかと思います。
もちろん生活能力がないほど幼いうちは、抵抗して見捨てられれば生きていけませんから
(理不尽な家庭でも)そこに適応して生きていかざるを得ませんが、成長し、服従する
(ことによって守られる)必要がなくなった今も、自分を尊重する(自分で自分の面倒を
見る)ことを放棄し続けているのではないですか。それは、見捨てられるのが怖いから
ではないですか・・・というといささか言いすぎかもしれませんが・・・自分の人生に
自分で責任を取るよりは、服従し、依存しているほうがラクだからではないですか?
なんだか、自分で自分を安全な檻の中に閉じ込め続け、その檻の中で「窮屈だよ~」と
叫んでいるように感じます。自分にくっついている「首輪」と「鎖」をうっとうしいと
思いつつ、それを失うのを怖れているように感じます。

~~~※※※~~~※※~~~※※※~~~※※※~~~※※~~~

前置きが長くなりましたが、解決策を考えてみましょう。

(1)まず、自分の人生に自分で責任を取る(自分で自分の面倒を見る)覚悟を決めましょう。
「首輪」や「鎖」を手放して、野良犬になったり迷子になったりしても、もう、自分で
どうしたらよいか考えて生きていくことができるのではないですか?

(2)自分の欲求や感情に注意深く耳を傾け目を凝らし、自分がどうしたいのか、自分が何を
感じているのか、考えてみましょう。
「今、私は疲れていて休みたいのかな~。」「今、私は怒ってるのかな~。悲しんでるの
かな~。叫びたいのかな~。泣きたいのかな~。それは何に対してかな~。」
という具合に。
「己の欲せざるところ、人に施すことなかれ」という言葉がありますが、これをするに
も、まず「自分がどうしたいのか。どうされたくないのか。」ということから考えない
と、本当に実行することは困難です。
まずは、自分に耳を傾けてください。

(3)耳を傾けて聞こえてきたことを表現しましょう。
人はみんな、関係の中で生きています。
表現し合い、受け取りあう必要があるんです。
自己肯定感・自尊心も、関係の中で育ちます。
愛してください認めてくださいと訴えることも、ムカつく悲しいと訴えることも、
悪いことではないと思います。
質問者様の訴えを受け取ることができるのは、親御さんだけではありません。
世界には1億人以上の人がいます。いろ~んな人がいます。
親御さんにできなかったことができる人も、たくさんいると思います。
例えば、100の愛情が欲しいとき、親御さんに100求めるのではなくて、100人の人に
1ずつ求めたらいいのではないですか?
質問者様が表現したことを、受け取ってもらうほど、「自分は表現することが許されて
いるのだ」ということも実感できるようになり、自己肯定感・自尊心も育っていくので
はないかと思います。

~~~※※※~~~※※~~~※※※~~~※※※~~~※※~~~

長い間、持ち歩いていた価値観や思考のクセは、手放すのにも、やはり時間がかかると
思います。のんびり行きましょう。

最後に、私が参考にした「自分への語りかけ」という文章を貼っておきます。
(なにやら病名が書かれていますが、それは気になさらないでください。)
http://homepage1.nifty.com/eggs/toikake.html
あと、この本も参考になりました。
http://www.daiwashobo.co.jp/books/ISBN4-479-7910 …

それでは。
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一度、専門の精神科医にご相談されることをおすすめします。

(^_^)
話を聞いてもらい、あせらず、ゆっくりと楽になっていきましょう。
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>親からいつも、自分を後回しにするように躾られ、抑えつけられ、親に献身的につくす様に矯正されてきた


:というのが原因だとおわかりになっているのであれば、第一段階はすでにクリアーしているということでしょう。
これすら気付けない人は大勢います。

このように分析できてもなかなか抜け出せないのはなぜでしょうか。
それは、自分は親から愛されていたのだと思いたいからです。
親は自分に対して献身的な愛を注ぎ続けてきたはずだ、と信じたいので、どんなに酷い目にあってもそれを根底から否定することが難しいわけです。
虐待の世代間連鎖などにもそういった要素は関係していると私は考えています。
親を客観的に見る目、つまり、自分を庇護すべき人間としてではなく、一個の別の人格を持った対等の人間として見る視点が必要になるでしょう。
彼ら(親)はtyouseiikeさんを愛していなかったと言っているのではありません。
ただ、愛し方を良く知らなかったのだと思います。
結果としてtyouseiikeさんは、自分自身を大事にしても良いのだという、自我の初歩的基盤を確立しきれずにいるのでしょう。
親の意向に沿うことがtyouseiikeさんの幸せにつながると親は信じ続けてきたのでしょうし、tyouseiikeさんもそれに慣らされてきたわけです。
おそらく親に悪気は無いでしょう。
無抵抗の赤ん坊の時から餓死せずに生き延びられただけでも有り難い、というぐらいの開き直りが必要かもしれません。
親といえども一個の人間であって、その能力には限界があります。
【彼らなりに】最善を尽くしたはずだ、と解釈するのが大人になる関門とも言えるでしょう。
親を一個の人間としての視点で見る、というのはそういうことです。
それは取りも直さず事実を事実として認める、ということでもあります。

現在の段階でtyouseiikeさんが他者(親も含め)に何かを捧げるのは、あくまで自分に対しても同じことを期待するからです。
あるいは、そうしないと他者からの愛や信頼を獲得できないという怖れがあるからです。

>自己治療法を教えて下さい
:ある程度ご自分で分析されているようなので、先に述べたように第一段階はすでにクリアーされていると思います。
次のステップへ進むには、
あなたは、もはや「守られるべき存在」ではすでにない、ということを自覚することです。
あなたは、「誰かを守るべき立場」にすでに立っています。
この「誰か」とは別に比喩的な表現ではなく、全ての人々がその対象になります。
つまり、あなたはそれだけの可能性を秘めた個人として(精神的に)独立する可能性を十分に持った人間だということです。

その可能性をどのように使うか。
その手助けをしてくれる人は誰一人いません。
なぜなら、それを自らの手で実現していくことが、tyouseiikeさんがtyouseiikeさんとしてこの世に生きている最大でしかも本質的な意味ではありませんか?

分析はすでに終了しているように思います。
その分析結果をどのように活用していくか、ということになるでしょう。
 
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まあ御気持ちは、よく分かりますよ。

でも
>「遠くへ引っ越してくれ」

って羨ましいかも。。。私の場合どうしてもネットリつきまとわれるのでね。「引越する」って宣言したら向こうは怯えました。

最近、私も年食ったってことなのか、しみじみ「疲れたな~あ」と思うことが増えました。
若くて、虚弱ながらもそれなりに若さに支えられてた頃とは違う、深い、ふか~い「疲れ」です。

私は貴方よりも、この年こいて、ようやっとアタマひとつ抜け出していると思いますが、ここまで来て、ふと我に返ったときに「疲れた。。。」と思いました。
うかうかしてたら「疲労沼」の底へとブクブク沈んでしまいそう。。。で、ついきのうも、サボってたおふろを使ったおり、久しぶりに、いつものアレをやりました。

これは、かつて哲学カテゴリーで披露したら質問者に猛烈に嘲笑されたので、それ以来あまり言わないようにしてたんですが。。。

湯船に顔を沈めます。苦しくなるまで。その間、ムチャのクチャにハラワタ煮えくり返るほど腹の立つことを思い浮かべます。

それでプハーーッと顔を上げた瞬間、「ああ息ができる、有り難や」と取りあえず思います。
「こない苦しいのに比べたら、文句言えんわ」と。
このまま顔を上げなかったら溺死ですので決して、お薦めはしませんがね。。。あと血圧高い人はね。。。

マズローの何だか知りませんが、にっちもさっちも上がれないときは逆に落としてみるのも一つの方法かと。
3日くらい食事とらないとか。あ、でも、これはやらないほうがいいかも。体力落ちると本当に動けなくなりますから。
貴方、健康のほうはどうですか?体力大事ですよ。
人が決然と立ち上がるには殺伐なまでの思い切りが要求されます。「自分との契約」ですな。

「両頭切断せば一剣、天によりて凄まじ」です。

取りあえず「私の」自己治療法、恥を忍んでバラシてみました。
がんばれ。
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本当に教えて良いんですか? 辛いですよ~



ANo.2の方とだいたい同じ意見です。

あなたが、今の現状を、「 親に愛されなかった、 親族に裏切られた、 人が助けてくれない」
と他人の所為に、している限り現状は変わりません!

カウンセラーは自分で立って歩く人を補佐するのが役目なので、
あなたが寄りかかろうとしても駄目です。

他人を責め、自分を憐れむ考え方、生きかたを変えなければ、変われません。
自己憐憫は、怠け者のいい訳に過ぎません、そこで泣き言を言っても誰もあなたを救えません、
自分は自分で救おうとしなければ、他人が救える物ではありません。

本当に親に愛されなかった可哀想な子供達は、
(悲しい事ですが)虐待などに合い(残念なことに)生きて行けませんでした。
五体満足で生きているのは、少なくとも愛されていた証拠ですし、
過去や他人を怨んでも、何も見返りは得られませし、分析しても意味無いことです。

今からあなたが、あなた自身の未来を決めることです、
自分の足で未来へ歩いて、自分自身が幸せになることが、唯一の建設的な復讐です。

覚悟を決め、自分自身で責任を取り、
よろけながらでも自分の足で歩いて行くことだけが、あなたを救うことができるのです。

こんな言葉があります、「笑え!世界が共に笑うだろう、泣け!お前ひとりで泣くことになるだろう」
それが、試練だと思い辛くとも、自分の足で立って笑いましょう。
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自分を変えたいと思うのならば、今現在起きていることと、過去の出来事との関連付けをすることはやめましょう。



いまの問題は、いま解決することです。
過去にあった出来事が今現在の問題の解決を邪魔しているとしてしまえば、いつまでたっても解決するための糸口を見つけられないようにしてします。

だからと言って過去の問題を不問にしなさいということではありません。
過去の問題はいままで解決できていないのだから取りあえずそのままでもいいのではないかと思うのです。
過去の問題が解決できないと、いまの問題が解決できないわけではないのですから。

優先順位をつければいいだけです。
目の前の問題から解決しましょう。
そして誰かの言ったことに縛られるのではなく、自分の気持ちを優先することです。
親族の方もそうしていたのだから。
誰かのためのいい人になるのではなく、自分のためのいい人になりましょう。
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