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小学2年生の娘は、学校の宿題で毎日日記を書いています。特に長い文章にする
ことは求められていませんが、あまりにも抽象的な表現ばかりで、つまらない
文章になってしまいます。1年生の時から始めたので丸一年書いているのですが
成長がみられません。最近は先生に何を一番伝えたいかをテーマにして、いつ
どこで、誰と、何をしたか・・・。と下書きをさせています。書いている途中で
読み返す事をしないので後で読んでみると意味不明の文章になっていることも
あります。1年生の内は、特にアドバイスすることはしませんでしたが、あまりに
成長がみられないのでアドバイスをするようにしましたが、イライラしてしまって
このままでは国語嫌いになるかも・・・。どのようにアドバイスしてあげればいいのでしょうか?他のお子様と比べてみて、特に語彙が少ないとは思いませんし、テストなどでも長文の読解力がないというふうにも思いません。本を読む事も、漫画を読む事も好きです。ビデオや映画を観るのも好きなのですが、観過ぎなのでしょうか?自分で表現する事が苦手のようです。

A 回答 (10件)

私には小学校2年生の娘がいますが、娘の文章表現力について同じような不満を持っていました。



このあいだ、本屋さんで、小学館「宿題に役立つ作文の書き方」(学習まんが・どらえもん宿題解決シリーズ3)というのを買って来て、娘に与えたところ、塾の宿題をそっちのけで読んでいます。
いまのところ、作文が上達したという感じはありませんが、将来に期待したいとおもいます。

私は仕事で文章を書く事が多いのですが、そのマンガ本を読むと、あらためて、文章のことを考えさせられます。
また、文章に限らず、構成など、人を引きつける構成など、初心にかえって確認することができました。

まんがであること。どらえもんであること。ちょっとヤダナと思われるかもしれませんが、たいした値段ではないので、試してみたらいかがでしょうか。



「抽象的…」とのことですが、断定的に「~が美しかった」「~が楽しかった」「~に感動した」などとこどもが書くことですよね。
本来ならば、たとえば具体的に「露にぬれたバラの花びらが、朝の光りにきらめいて…」などと、具体的(具象的)な表現があって、そのうえで、
主観(抽象)的な表現、「美しかった」
と、作文して欲しいのですよね。

昨年、ドイツの中学生が遊びにきたのですが、来日の感想文を書く事になって知ったのですが、ドイツでは、「私は~と思いました」というような表現で文を締めくくるというようなことはないそうです。具体的な事実を連ねること。それだけだそうです。
日本では、抽象的ともいうべき、「あなたは何を思ったか…」という部分に注意が向けられるために、具体的な事象を書けないこどもが増えているのではないでしょうか。
心象を表現することよりも、対象を描写することに重きをおくドイツ。
彼らの実学主義の一端が、作文指導にもあらわれていると思いました。

また、何を取り上げ、どう描写するかによって、自分の思いは吐露されるわけなのだから、そういう心象風景をわざわざ表現するというのは浅薄な気もします。
将来、小説を書く事になれば、作者の心象風景を直接書きこむことは、それこそ禁じ手なわけですから、小学生とはいえ、将来誤りになるようなことを教えることに疑問を感じます。
小学生のときは、形容詞は使い放題。でも、作家になったら、形容詞には気をつけよう。それって、小学生をこども扱い、バカにしているような気がします。



あと、「ビデオや映画を見ることが好きなのですが、観過ぎでしょうか…」とのことですが、
いま「3色ボールペンで読む日本語」という本が出ています。このなかの文章に関する記述を映像に起きかえればビデオや映画の観過ぎというのはありえないと思います。

参考URL:http://www.shogakukan.co.jp/dora/05.html
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この回答へのお礼

たくさんの情報、アドバイス有難うございました。とても参考になりました。
描写の重要性に気付き、目からうろこでした。有難うございました。

お礼日時:2002/07/19 20:05

毎日日記を続けているんですね。


すごいなあと思いました。
先生に何を一番伝えたいかというテーマはいいと思います。
一度文章にすることで、先生やお友だちに言葉で伝えるときに、お話の種として使えるからです。

意味不明の文章は、まだまだこれからも続くと思います。
発達中の子どもたちです。ゆっくりゆっくり学んでいきます。
国語という授業は、高校生でもありますよね。
正しい日本語を小学校で全て学ぶことはできないと思います。
それよりも、毎日書きつづけることを、たくさんほめてあげてください。
国語の力だけでなく、何かを続けることの素晴らしさも学ぶことができます。
また、子どもが新しく習った漢字を早速日記で使ったときは、ほめてあげてください。
習った漢字でも、子どもたちは、つい楽な平仮名を使ってしまいます。
漢字は実生活で使うために学ぶはずですが、テストなど形だけで、文章の中に入ってしまうと、書くことができない子どもたちが多いのが現状です。

こつこつと続けることができるお子様です。
大丈夫です。いつかきっと力になります。
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この回答へのお礼

励ましのお言葉、有難うございました。漢字の話も参考になりました。
仰るとおり、面倒くさがって漢字を使いたがりません。怒るのではなくて
使った事を褒めてあげる・・・。私はアドバイスをしているつもりで
反対に追い詰めているかもしれません。これでは自由にのびのび日記を書くことは
できませんね。反省です・・・。どうも有り難うございました。

お礼日時:2002/07/19 19:49

わたしも毎日日記書いてますが、「いやだ」と思ったことはあまりないですね。

(もともと自分がやりたいと思ってやり始めた、ってこともあると思いますが。)ちなみにわたしは国語力がほとんどない、とよく人から言われます。それでも喜んで日記が書ける、ということはやっぱり自分が「好きなことしてる」って思えるからでしょうね。楽しみながらやるのが1番です。それに本が好き、ってことは良いことなので、これからのびる可能性だってあると思います。あと、「イライラしてしまって」というのがありますが、子供がいいと思う日記と大人がいいと思う日記は少し違うと思うので、特に気にすることはないんじゃないでしょうか。
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この回答へのお礼

大人の観点からしか見ていない事、反省しなければいけません。子供が自由に
のびのびと書くことが出来たら、文章力もついてくるかもしれませんね。
有難うございました。

お礼日時:2002/07/19 19:44

日記を書くのは、めんどうな事だと思います。

小学生のどの子に聞いても「日記大好き!」って言う子は、いないんじゃないでしょうか?
でも、毎日お母さんが一緒に下書きから子供に付き合って、日記を書いているっていう姿は、とてもいい事だと思います。ただ、あまり細かいと子供が嫌になってしまうんじゃないかなぁ?
下書きよりも、お母さんと出来事を話す中で、いい所をピックアップして「それ、いいね!今日の日記それがいいよ!」ってアドバイスしてあげたら、どうでしょうか?もし、いつ、どこで、何をしたか、って所を書かせたかったら、シールなどを使って、まず子供に書かせて、それが書いてある所に貼ってあげたりしては、どうですか?
でも、まずは、お子さんの感受性が大事だと思いますから、それを豊かにしてあげるよういろいろ経験させてあげて下さい。細かい事は、先生に任せましょう!
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この回答へのお礼

イライラして細かい事まで言い過ぎてしまっている時が確かにあります。
話の中からでも褒めてあげる事はできるんですよね。参考にしたいと思います。
有難うございました。

お礼日時:2002/07/19 19:40

「あまりにも抽象的な表現」とのことですが、お母様自身は日頃どのような表現をされることが多いのでしょうか?


ご質問の文章自体、抽象的な文章だと思われませんか?
娘さんの文章がどのようにご不満なのか、よくわからない文章に思えるのですが、いかがでしょうか。
それが決して「下手な文章」ではないのになぜかイメージが湧きにくい、知らない人には伝わりにくい、お母様自身はそういう話し方をされていませんか?
子どもさんに一番影響を与えるのはご家族だと思いますし、表現力というのは日常の生活の中で身につくものです。
上手な作文が書けることを目的にするのではなく、何をどう表現すればどんなふうに受け止められるのかを意識できるようになることが大切だと思います。表現上手になるにはそういう意識が大切だと思います。
そのためには日頃の会話でお母様がどういう表現をしていらっしゃるのかを意識されることも大切ですし、また、娘さんがお話をされるときにどう答えるか、ということもとても大切なことです。話し掛けたときの受け答えから、娘さん自身が無意識のうちに学ばれることは小さくないはずです。

ところで、ご質問の意図からははずれますが、先生はなぜ日記を書かせるのでしょうか。
上手な文章を書けるようになることを小学2年生で目的にされるのでしょうか。
毎日を振り返るという行為を目的にされるのであれば、毎日、その日を振り返って何かを書く、ということで充分目的は達成されていると思います。
また、毎日机に向かう習慣をつけるということを目的にされることもあります。学年が上がって、家庭学習が重要になったときにその習慣があるかないかは大きな違いですから。

長くなりましたが、気長に気長に、ゆったり見守ってあげてください。
毎日嫌がらずに日記を書こうとする、その姿を誉めてあげるのが一番成果の上がる方法かもしれませんよ。
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この回答へのお礼

はい、反省してます。私の話し方の影響が大きいのかもしれません。有難うございました。

お礼日時:2002/07/19 19:37

作文嫌い歴十数年のmay-may-jpと申します。



私が作文を嫌いだった理由は、
・元々感情表現が苦手なため、書くことが思いつかない。
・読書感想文など、嘘の羅列だと思っている。
・結局最後に親に直されるため、やる気にならない。
というところでしょうか(^^;
教科書なんかで「感動しました」なんて見ると、「小学生のくせに、感動が何かって知ってるわけ?バカじゃないの?」と本気で思ってました(笑)

その昔、小学校の先生は「朝起きて顔を洗って・・・」という作文はダメだと言ってたけど、spontaさんの文章を読んで、それができなければ感情のこもった作文は書けないんだ、と妙に納得してしまいました>_<

昔から、文章というものを難しく考えすぎていたような気がします。読書が好きならなおさら、「物語のような文章」にとらわれすぎてしまって、自分が何を書けばよいのか分からないのではないでしょうか。・・・私がそうだったので・・・(泣)

今は個人的な日記や論文調のものは、それなりに書けますけどね。人に伝えるとなると、会話でもやっぱり苦手です。
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この回答へのお礼

回答をいただきまして、有難うございました。おっしゃるとおり、読書感想文って
時に鳥肌が立つような表現があったりしますよね。それを本当に自分の力で書いたとしたら、かなり要領のいいお子さんなのかもしれません。(うちの娘は思いっきり要領の悪いタイプです。ここで点数稼ぎをしろよ!!!って腹立たしく感じる
ことも多いです。)小さい頃から嘘を並べ立てて点数稼ぎができるようじゃ、逆に
こわいことですよね。それから、親に直されるから・・・のクダリ、耳が痛いです。親に直されてばっかりじゃやる気もでませんよね。子供には子供の思いがあって文を書いているのかもしれないのに・・・。有難うございました。

お礼日時:2002/05/07 23:04

 口を挟んで申し訳ありません。



 思ったんですけど、小学校2年生で抽象的な文章が書けるって、かなりの文章力だと思うんですが……。
 俺は今だからこそ趣味でインターネット上に小説とか載せたりしてますが、小学校の頃は現実をそのまま描写する程度のことしかできませんでした。
 自分の考えを作文に盛り込むなんてことができたのは、県の作文コンクールで1、2を争うような人だけでしたよ。 
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この回答へのお礼

そうなんですかね。私は多くを望んでしまっているのかもしれません。
自分自身の子供の頃には・・・と思い返すのですが、自分はもっと上手な文を・・・なんて思うのですが、私の小学生のころの記憶はもしかすると高学年の頃
のものかもしれませんね。有難うございました。

お礼日時:2002/07/19 20:01

ただ、イライラするならアドバイスを親がしても仕方ないと思いますよ。


成長は目に見える物も確かにありますが、見えないところで成長する面も多々ありますよ。身長や体重などの成長は目に見えて分かりますが、子供の内面から発生する文章や語学力は外側だけで判断する物ではないですよ。

人には個性があるというでしょう。個性があるというのはその子なりの感じ方があり、自分のイメージを持っていると言うことです。周りの一般的に上手と言われる表現と、自分でイメージする表現は必ずしも同じではないのです。

私の姉は読解力/文章力ともに長けていて、かなり良い文章を書いていたのですが、私は、国語が苦手で作文などがあってもはっきり言って笑われるような下手な文章でした。しかも、比較される上に、書くときには見直しもしない子供で、見直ししなさいの嵐でしたが・・・

もしかすると、
kosugichanさんのお子さんより読解力や文章力はなかったかもしれません。それでも、今は人並みかそれに相当する程度はできていると思います。まあ、良い部類には絶対に入らないでしょうけどね。
花開くときは、急速に子供は伸びます。ただし、それには個人差があり、素直に受け入れ、理解し実行できる場合と、大きく遅れるがあとで大輪の花をつける場合。お子さんも、もしかするとどうして書けないのか悩んでいるのかもしれませんよ。
歩くのが早いか、遅いかと同じような物で、実際に実行できるようになるまでには時間がかかる場合もあると言うことです。子供が歩かなかったら親は、心配しますが、子供が大きくなり、オムツがとれない、何かができないとなると親は、イライラする・・・ということが何かで紹介されていましたが、私自身もそうだなと思ったことがあります。いつの間にか、生まれたときに望んだ、「元気に大きくなってくれれば」から「期待の星」何々ぐらいはできないと・・・となってね。親ばか・・・

親ができるのは、見守ることとほめること、そしてちょっとだけこうしたらとアドバイスすること、人と比べるなとは、親の立場になると言えませんが、比べても家はあとから花開くからと構えた方が良いですよ。
それと、ほんとに全く成長がないかどうか、見直してみてはどうでしょう。もしかするとほめる点がいっぱいあったかも・・子供はほめるとそれを栄養に伸びますから、小さなほんと見逃しそうな些細なところでもほめるのは大事です。

そして、大事な記録は残しておくことです。
将来見るとこんなこともあったなと、きっと楽しめますよ。まだ、小学校2年生でそれも始まったばかりです。まだ、1年生を抜けたのも2ヶ月前ですよ。初等教育はあと5年(丸4年以上)ありますから、焦らないことです。

もし、今年度~3年生の終わりまでに何の効果もないときは、また質問されてはいかがでしょう。
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この回答へのお礼

仰るとおりイライラしてもいい方向にはいきませんね。それぞれ個性がある・・・
というお話。わかっているつもりなのに忘れてしまっています。子供に全を望んで
しまっているのかもしれません。間違っていますね。反省です。もしかすると少しは成長しているのかもしれないですよね。もう一度一年生の頃の日記を見直して見ます。有難うございました。

お礼日時:2002/07/19 19:54

「あまりにも抽象的」というのが、どのようなものなのかわかりませんが、


逆に小2で抽象的な文章が書けるというのは、
文章力があるのではないかと、私は思います。
たぶんお嬢さんは、書きたいという気持ちに突き動かされて日記を書いているわけではなくて、
それで、お母様から見て「つまらない」日記になっているのではないでしょうか。
読書がお好きだということなので、
本人がどうしても、このことは書いておきたい、人に伝えたい、
そう思うことがあれば、素晴らしい文章をお書きになるかもしれません。

うちの娘は小6で、やはり何年か前から宿題で日記を書いています。
しかたなく書いている雰囲気が濃厚で、
やっつけ仕事のようで、あきらかに手抜きが見られることもありますが、
本気で書きたい時は、おもしろいものを書きます。
(中3の息子は全然ダメ、本も読みませんし)

お嬢さんは、まだこれからどんどん成長なさると思いますよ。
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この回答へのお礼

その通りです、仕方なく書いているのです。
書きたいという気持ちがないのに、「書きたいと思いなさい!」と要求
したって無理な話ですよね。もっと長い目で見ないといけないですね。
有難うございました。

お礼日時:2002/06/27 00:31

家の子供は今、小6ですが、作文が大嫌いです。

小1の時など、何を書いてよいか分からないと言って、作文に、今日は何を書いてよいか分かりませんと書いたこともあります。先生に相談すると、たくさんの思いがあっても、文章にすることが苦手な子がいるとのこと。私も作文はイメージの世界に近いものがあると思います。お子さんの場合、読書も好きと言うことなので、長い目で見られてはいかがですか?家の子も今でも作文は好きではありませんが、書けるようになってきました。特に何をしたと言うこともありませんが、私は絵本の読み聞かせを小4くらいまではしてやりました。自分で読むのと、人に読んでもらうことは、子供のイマジネーションの世界が違ってくると思います。聞くことに集中すると、イメージは広がります。後、作文集などがありますが、それを読んだり、読んでやったりしました。目の前のことばかりに焦りがちですが、まだ、小2じゃないですか。ゆっくり見守っていかれたらいかかですか?
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この回答へのお礼

返事が遅くなり、大変申し訳ありません。回答を有難うございました。そういえば
このところ読み聞かせをやめてしまっています。時々読んでやると喜びます。
ただああ書け、こう書けというより、楽しく文章に触れる事の方が大切ですよね。
読書感想文集なるものを、学校で購入し、読んでやりました。知っている本の
感想文なんかはものすごく興味を持ってくれました。これからは小さかった
頃のように、また読み聞かせをしてみます。有難うございました。

お礼日時:2002/06/08 01:44

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