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こんにちは。現役の時にAO入試で失敗し今浪人生活をしている者です。入試に向けて勉強しながら思ったのですが、入試制度っていたって無意味ですよね。無駄な競争です。別に勉強するのが嫌だから不満を言ってるのではありません。大学入試廃止を主張している方々のHPを見てまわったのですがどれも納得できました。
大学入試がなぜ有害か、何故廃止したほうがいいのか、入試にかわるものはなんなのかは長くなるのでここでは書きません。私は不幸にも大学入試が行われている時代に生まれてしまったのでしょうがないのですが、入試が行われている今の時代がはっきり言って無駄すぎると思うんです。早く準備期間を置いて新しい体制に移行したらいいのに。。
質問は、当然将来的には大学入試廃止の方向へ行くと思うのですが、今からどれくら後に国が重い腰をあげるのか、です。約10年後か、50年後か、100年後か。それとも国家は永続的に大学入試制度を維持し続けつるつもりでいるのでしょうか。

A 回答 (17件中1~10件)

この問題は我が国の「一番根の深い問題」で、解決すると我国の社会問題は全て解決すると断言できます。

しかし現実は絶望的です。その理由1)最深の根はマッカーサーが米国による一億日本人コントロールに「官僚主権」が最上のシステムであると知っていたからこれを残した2)現在の官僚が自分達の依って立つ「天下り用学歴システム」を壊すはずがない3)東大に入れなかった大学出身者大多数で構成するマスコミ人が、このヒエラルキーの継続を望んでいる4)入試廃止は塾予備校で生活している極めて膨大な人々の失職を意味する5)日本人は伝統的に「実質より形式」を重んじる。結論として、例えば英字新聞すらまともに読めない「大学卒」に誰も疑問を感じない現状なので、再度マッカーサーに登場頂くしか、打つ手はありません!
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月並みな意見ですが、ある程度の選別は必要かと。


抽象的になりますが、例え歪んだ制度であっても、全く入試がないのと、厳しくても入試があるのだったら、後者の方が国として発展が見込めると思います。
確かに現行の制度は多くの問題点を持っていて、改善すべきところも多々あるかと思いますが、大学入試の廃止は極端ではないのか、と思うのは私だけではないはずです。
具体例を示して説明できないのは残念なんですが、1か0か、全か一かとかのように、世界はそれほど単純ではないので、二つの入試制度の長所と欠点を理解した上での折衷案的な入試制度が最も現実的なのではないかと考えました。
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まず最初に、就学試験制度はなくならないです。

なぜなら入学希望者のある程度の水準を合わせないとお話にならない頭脳の人々まで入学し、結果大学の学術レベルの低下を招く恐れがあるからです。大学は中学や一部の高校と違い、落ちこぼれを救う甘さなど必要ありませんから(それでも実際救っている所はあるんですけどね)
ただし私も現状の入試制度が妥当だとは思いません。某W大学のような珍問・奇問の入試は改めるべきだと思います。少なくとも高校の履修内容をきっちりと理解している者であれば広く門戸を開くべきと思いますし、飛び級で10歳で大学生!という事例があってもいいと考えます。

そのかわり大学の学習内容は厳しく管理し、理解度が満たない学生をどんどん留年させるようにすれば大学も儲かるし国家全体の知的レベルも上がると思います。実際1990年代にも某M大学で法学部に大量留年が発生し、話題になったことがあります。
ところがその事態を望まないのが、他ならぬ実業界です。企業にしてみれば大学は安定的な水準の学生(つまり何も考えない個性のない学生)を毎年安定的に「供給」する場所にすぎません。
留年によって毎年卒業生数が安定しないことは、採用側にとっては望ましくないのです。M大学の件も実業界から批判を浴び、やむなく担当教授が「救済」せざるを得ませんでした。

話がそれましたが、入試制度はある程度の厳しさを維持しなくてはいけませんし、それが将来多少緩和したとしても、むしろそれは現在よりも甘くない状況になると想像した方が自然であります。

国際的に見ても今の日本の学術水準は台湾・韓国・中国・シンガポールなどアジア内でも十分「甘い」方であり、既に「勤勉な日本人」というジンクスは失ってしまったと見た方がいいでしょう。これから大学を目指す人も現役の学生も、そしてOBのわれわれもこの点にはもっと危機感を持つべきです。
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大学生です。



大学入試制度廃止というのは現実的に考えて不可能ですね。
大学側にキャパシティと予算の限界がある以上、定員以上の入学希望者がいるのであれば何らかの形で選抜を行わなければいけないのは当たり前のことです。
おそらく「入試制度を撤廃」したりしたら、多くの受験生が私立大学ではなく学費が安い国立大学(正確には国立大学法人ですが)に入学するでしょうから、殆どの国立大学の教育の質が低下(教員に対して学生が多すぎる、教室などが足りない等の理由が考えられる)し、場合によっては財政的に破綻する大学も出てくるでしょう。
入試制度廃止など、非現実的です。

何らかの形で入学希望者の選抜を行わなければいけない以上、どのような選抜方式を実施するかの話になるのですが、個人的には日本の「学力を基本として選抜を行う」制度は非常に優れている点が多いと思います。
何故なら、学力で判断するというのは非常に「平等」だからです。
学力というのは誰でも勉強すれば向上するものであり、日本の入試制度においては学力さえあれば出身校など関係なく同じ土俵に立てます。
それどころか高校なんて出ていなくても大検を取ってしっかり勉強しさえすれば中学校しか出ていなくても大学に入れるわけです。

それに対してアメリカなどの入学者の選抜方式だと、高校時代不登校気味だったりすると大学に入る上で非常に大きいハンデになります。
何故ならアメリカの大学入試制度では課外活動を重視する為です。
ひきこもりや不登校気味の人や、高校に行っていない人が一念発起して大学入試に挑戦しようとしても大きいハンデが課せられる、差別されるのがアメリカの入試制度です。

それに、他の何人かの方が言っている「日本の大学は卒業するのが楽だから入試制度をなくすべき」という意見はまったく意味がわかりません。
卒業するのが楽なのがいけないのなら、「入試制度を維持したまま」「卒業するのに必要な要件を増やす」、つまり「入るのがむずかしくて卒業するのも難しい」制度にすればいいんです。
わざわざ今の「入りにくく出にくい」制度から「入りやすく出にくい」制度に転換する理由がわかりません。
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http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2586687.html

AO入試は、簡単なものばかりではありませんよ
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大学生です。



入試制度を無くすべきだと考えているようですが、個人的には無くす意味があるとは思えません。

日本人には「アメリカの大学は誰でも入れる」と勘違いをしている人がいるようですが、これは大きな間違いです。
アメリカにも入学希望者の選抜制度はあり、その選抜基準は日本以上にシビアです。
例えばアイビーリーグと呼ばれる名門大学ではだいたい入学希望者が10人いると、1人か2人しか入学できません。

州立大学はそれに比べると容易に入学できまずが、名門大学と比べるとレベルが落ちます。(一部UCLAなど例外もありますが、そこは名門大と同じように入学するのは難しいです)

>戦後、大学進学率が上昇しそれに伴い大学が多くつくられ、定員よりも志願者が多い状況になった。
>そこで入試で選抜すればいいと考え、大学入試たるものができたと私は思っています。

これは大きな間違いですね。
戦前も入試制度はありましたし、戦前は大学の数自体が今に比べて圧倒的に少ないので競争率やレベルで言ったら今とは比べようもないほど高いです。
戦前に東京帝国大学に入学するのと今東京大学に入学するのとどちらが難しいかといったら間違いなく前者です。
質問者さんは受験制度について話すのであれば、まず最低限の受験制度に対する知識を身につけて欲しいと思います。

他の方もおっしゃっていますがAO入試などという学力が殆ど必要ない(受験勉強をしなくていい)試験のみで受験しておいて、受験制度を批判するなどちゃんちゃらおかしいな、というのが自分の個人的な感想です。
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 自分も昔から、入試不要論支持でした。


 今の日本の教育制度は、確かに諸外国に比べておかしい所があります。
 小・中学校は義務教育期間ですので、特に問題はありませんが、それ以降の高校・大学の入試制度に問題がありそうです。
 私が言う問題とは、単にトラブルと言う事ではなく、高校・大学に在学中、殆ど勉強もしないで、遊んでいても、卒業出来る制度の事です。
 高校にしろ、大学にしろ、入学時はそんなにハードルを高くしないで、容易に入学させれば良いのです。
 肝心なのは、卒業試験のハードルを高くすべきなのです。結果として、在学中真剣に勉学に熱中しなければ、卒業出来ないことになります。
 つまり、無教養な大学卒業生が居なくなり、社会レベルもアップします。
 義務教育以外は、勉強する為に入学するんでしょうから、当然の理論かと思います。
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 結論から申しますと、入試制度は必要だと思います。


 私は、質問者さんは実に真面目な人だと思います。確かに、入試もまともに考えると無意味なものを課しているのがあると思います。特に、国立は理系に古典や地歴を課したり、人文科学系に数学や理科を課したり、社会科学系に地歴や理科を課したり……。
 でも、私は入試は意味のあるものだと思います。やはり、定員をなくすと、東大や京大、早慶に人が集中し、教育環境がおかしくなると思います。これに対して、プラズマで有名な大槻義彦名誉教授の著書の一つに『「文科系」が国を滅ぼす―この国の明日に希望はあるか』(KKベストセラーズ)の中に、提言として解決法が書いてあります。(私見では、この方法にも大いに欠点があると思いますが。)
 さらに、入試勉強は要領も学べます。実社会は、要領の良さが必要な時が多々あると思いますよ。

 また、入試を廃止すると、高校時代まで勉強しない人が大幅に増加する、あるいは勉強しても偏りが激しすぎる、という高校生が増大すると思います。大学に入ってからガリ勉になれ、というそうですが、脳の機能で申しますと、高校生の方が、脳の記憶的機能は良いので、はっきり言って効率が悪いのです。しかも、大学教授の教えることは教養課程ですらマニアックな内容であり、そんなものは試験が終わったら瞬く間に抜けていきます。これだけなら教養課程は無意味に思えますが、要領良く物事をクリアする経験も大事だと思います。あの内容では、ガリ勉でクリアするのが間違っているとしか思えません。まともに勉強させようと思ったら、日本の大学教授も相当講義の内容を変えないと、教育は崩壊しかねないでしょう。どこもまともな教養の責任を取らない制度になると、専門バカと無知がほとんどを占めるでしょうね。
 とは言え、今の受験には欠けている物はあると思います。私見では、ディベートも課せばいいのに、と思います。企業に入ると、むしろこの能力は必要になります。新卒の場合は、大学での研究以前に、これが必要だと、昨日の企業研修で言われてまいりました。

 話はずれましたが、私は入試は、日本人の教養をキープする意味でも、物事をある程度要領良くクリアする能力をつけるためにもムダだとは思いません。
 結論は、大学入試廃止の方向には進まないと思います。理由は、一番効率的に大学教育ができる制度だからです。
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何をたわけたことを言っているんですかねー。

既に大学がレジャーサークルに成り果ててしまっており、大学の多くがおよそ高等教育を受けることに大きな能力不足の「学生」に占められ頭を抱えている現状があることをあなたも知らないはずはありませんね。事実上は既に大学全入時代、つまり無試験入学時代になっていますよ。そのような現実の前に立ってなおかつ入学をお断りされたという程度のひどさにご自分自身で気付く必要がありそうに思うのですが、いかがでしょう?
入試制度は、高等教育機関が自校が抱える生徒にその目的とする教育を行えるかどうか、入学後の生徒全体が「他の生徒から」迷惑を受けずに各自にとって有益な教育を大学から引き出せるかどうか、そう言った見極めをつけるために極めて重要と思います。一言付け加えますと、大学とはそもそも教育を「受ける」という意識で入る機関ではなく、自ら学ぶ為の「環境」を求めて入るところ、です。本当に「自ら」学ぶ意欲があるなら別に大学にこだわる必要は無いと思いますが。さらに現実論を言えば、大学教育には莫大な公費(つまり国民の税金)が掛かっております。私は、レジャー活動に現をぬかす「大学生」なるものに私の税金を投入することはお断りです。
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私は団塊Jr世代で一番競争率が高い時代に受験をした者ですが、その経験から言えば、当時でも志望ランクを下げれば幾らでも(例え偏差値50以下でも)入れる大学はあったし、今時ならなお更さらに楽になっている状況で、何を甘えたことをとまず感じてしまいました。


というかAO入試というのは推薦枠のことですし、所謂受験勉強ってものではないと思うのですが。まぁ学力だけではない総合的な人物評価が受け入れられなかったというのは、確かに学力試験だけで落とされるよりもショックかもしれませんが。

ただAO枠というのはいわゆる廃止論者さんが主張されるような得意分野での競争ということになるかと思うのですが。つまりは一般入試のような入学前の段階で専門分野とは直接には関係ない部分の学力も含めた上での競争ではなく、AO枠は入学後の競争で蹴落とされたというのとほぼ同じことかと。具体的に言うと例えば、ボランティアに興味を持っており、高校時代からボランティア活動に勤しんでいた人が、将来の職業もそっち系を夢見て、ボランティアのコースが豊富なある大学をAO枠で受けたとしましょう。で、今までこんなボランティアをしてきたし、大学に入ったら引き続きこんなことをしたいと精一杯アピールしたけどもやっぱり落ちたというのと、実際に大学に入って宣言通りに有限実行でボランティア活動に勤しんだとしてもそれでは足りないと落とされるというのは同じことではと。

あとついでに確かに今の特に一発入試のシステムそのものは無駄というか偏重しすぎとは思いますし、その偏りが初等教育にも悪影響を及ぼしているというような廃止論者の主張には同意します。
ただしこれは特に質問者さんに限らずですが、例えばアメリカの大学入試も厳しいものがあります。ただ日本で言うセンターテストのSATも1年に7回もあったり、高校の内申や論文も何ヶ月もかけて審査するしで幅が広く、日本で言う一芸入試や推薦入試(さらには縁故枠や人種枠なんてのもありますが)も多数あったり、敗者復活がしやすいし、内申評価も応用性が非常に高いという特徴がありますが、それでも望めば誰でも入れるという訳ではありません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1% …

で日本の入試状況もAO枠はますます増えていっていますし、推薦・AO枠はついには5割まで拡大していっています。
http://www.sundai.ac.jp/yobi/news/2006news/vol8/ …
そういう意味では50年も100年も待つ前に改革は現在進行形で行われているのではとも思います。
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