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真珠湾攻撃の際、米空母2隻を撃沈していたとしたら、
その後の戦史はどのように変わったと予想されるでしょうか。

A 回答 (13件中1~10件)

実際の戦史で、太平洋上の米空母がたった一隻になるまで追い詰めた瞬間がありました。


1942年9月15日に伊19が空母ワスプを撃沈しましたが、この時点で、太平洋上の米海軍の可動空母はホーネットただ一隻です。
(サラトガ8/31被雷小破、エンタープライズ8/23第2次ソロモン海戦にて小破、ヨークタウン6/5ミッドウェー海戦にて沈没、レキシントン5/7珊瑚海海戦にて沈没)
この当時はガダルカナル争奪戦の最盛期でしたが、可動空母がたった一隻の米軍に対し日本が優位に立つことはありませんでした。
南太平洋戦線では既に米陸軍などの航空基地が建設されており、時すでに遅しだったとの見方もありますが、ひとつの事例です。
いずれにせよ、戦線が延びきった日本軍には小兵力でも対抗できるということです。

話を戻して、真珠湾で空母2隻を撃沈していた場合、珊瑚海海戦やミッドウェー海戦は有利に進められ、ポートモレスビーやガダルカナル、ミッドウェーの攻略に成功していたかもしれません。あるいはニューカレドニア、ハワイ、アラスカダッチハーバー、ポートダーウィンまで触手を伸ばしていたかもしれませんが、ここまで拡大した戦線を維持することは当時の日本には不可能で、兵力が分散したことにより戦史よりももっと速いテンポで崩壊、敗戦に到ったかもしれません。
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この回答へのお礼

エクセレントな回答ありがとうございます!

お礼日時:2007/01/22 09:33

当時の日米の潜在戦力の差には大きく分けて2つの要素がありました。


一つは勿論72倍と言う経済力の差で、新しい空母や戦艦・戦闘機が次々に投入されて来ました。
もう一つは戦闘員の人的資質で、既に自動車運転が一般化していた米国では、徴兵された若者が「運転」と言う作業に違和感が無い状態でした。逆に運転をした事の無い若人が大半の日本では、ミッドウエーで失われた錬度の高いパイロットを補充する事ができませんでした。ムスタング機投入まであったと思われるゼロ戦の優位性が、パイロットの能力差により発揮できず、投入機数の差と合わせて連戦連敗の原因となりました。
米国においては、戦闘機・パイロット・空母共に十分な補充が図れ、仮に空母の撃沈があっても日本の予測以上に回復されたでしょうから、戦史の大筋に変化は無かったでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!

お礼日時:2007/01/22 09:31

2隻が帰ってくるのを待つと解釈すれば良いのでしょうか?



そうなれば日本は6隻の空母すべてをガス欠で放棄することになります。
日本の敗戦が早まったでしょう。

もし湾内にいたらを想定しますが、空母は湾内の爆撃では破壊できません。半年もしたら復帰してきます。

アリゾナがスクラップになったのは船体が火薬庫の爆発で折れたためであり、オクラホマは修理に時間がかかり過ぎるため廃棄した方が安かったためです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!

お礼日時:2007/01/22 09:31

私は米軍の思想の中で空母の重要性を日本軍以上に考えていたと思います。


これは空軍力重視からきた思想ですが真珠湾攻撃の予感が十分に予想された時点で空母を避難させ、戦艦群を残していました。
これは狭い湾内では雷撃攻撃が困難で爆撃では戦艦は破壊出来ないという常識的判断からでした。

結果は予想以上の損害を受けましたが、かえって空軍の重要性を立証した事になり、その後の建艦努力を空母建造に集中することになり彼我の空母戦力の懸絶を生じました。

空母は搭載航空機の高性能と熟練パイロツトを揃えなければ役に立たない代物です。 しかも対空防御に一段の強化が必要です。
このような周辺事情に対する配慮にも米軍の配慮は勝っていました。
低空飛行で接近する雷撃機には円形配備の護衛艦で防戦し、急降下爆撃機には接近探知信管の開発、対空砲火の集中で対抗するなど、直衛戦闘機のレーダー利用による早期準備などです。

例え2隻の米空母を撃沈したとしても少し戦争を長引かせただけで態勢は全く影響されなかったとかんがえます。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!

お礼日時:2007/01/22 09:31

戦史は勿論変わる(例えばミッドウェーが無かったとか)でしょうが、大筋の流れは変わらないでしょう。


ただ、大きく変わる点があるとすれば、米の日本の上陸が遅れる=ソ連の上陸と同時になるということも考えられますので、今の朝鮮半島のような状態になっていた可能性も出てくるとは思います。
ただこれも日本人にとっては大きな違いでしょうが、世界史的にみれば、大した違いはないかとも思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!

お礼日時:2007/01/22 09:31

アメリカの機動部隊との激突は1942年5月の珊瑚海海戦で痛み分けをした時ですね。


4月には東京爆撃がありました。

ここで破竹の進軍が止まります。
ポートモレスビー攻略を断念します。

翌6月がミッドウエーです。
この付近が無くなる事になります。

私が考えていたのは、ポートモレスビー攻略で米濠遮断作戦が順調に進む事。

イギリスの植民地がフィジー島などの孤島のみとなり、
無益な争いになる事。
イギリスはインド防衛に専念し、日本はアメリカ攻略に専念する。
こう言う戦略的な外交による講和が結ばれる可能性が出る事。

明らかにポートモレスビーをアメリカは異常なまでに防衛しようと考えている。
これは、ポートモレスビーを契機にイギリスが手を引くのを恐れたとしか考えられない。

大体、ハワイ、パルミラ島辺りで日本軍が手痛い目に合うのがずれる程度かもしれませんが、

ジャンケンのパー(空母)を片方だけ使っていけないと言うジャンケンは、イジメでしかありません。

陸軍の爆撃機が空母を仕留めた前例が無い以上、
かなりの苦戦が予想されます。

他の方のおっしゃる通りで、本土上陸は出来たとしても、犠牲ははなはだ甚大なだけだと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!

お礼日時:2007/01/22 09:31

アメリカは開戦時空母6隻(ラングレーとロングアイランドは除く)あり、それが4隻になったらどうなったか、という話ですね。



開戦時、太平洋に3隻、大西洋に3隻配備されています。
2隻撃沈と仮定するなら空襲直後の太平洋は空母1隻の状態ですが、史実だとヨークタウンが12月に、ホーネットが3月に、ワスプが翌年の6月に太平洋にまわされています。
42年1月の時点で4隻であったのが2隻に、サラトガが都合良く史実通りに損傷していれば1隻に減っているため、輸送、攻撃任務等で苦労するとは思われますね。

その後も考えてみましたが、やはりヨーロッパで戦っている同盟国がどうやっても勝てないことのように、日本の敗北は免れないと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!

お礼日時:2007/01/22 09:31

何も変わりません。


真珠湾攻撃での日本軍の最大の失敗は、油貯蔵タンク施設を攻撃しなかった事です。
その施設を攻撃し破壊していたら戦況展開は、大いに変わっていたかもしれません。
途中で条件付講和も有り得たかもしれませんね!
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この回答へのお礼

ありがとうございました!

お礼日時:2007/01/22 09:31

多少戦争は長引いたかもしれませんが、やはり結果は変わらなかったでしょう。


「鬼畜米英」「敵性語」等々、敵も知らず戦端を開き、如何に相手を屈服させるか、終わりの始末をどうつけるか、そういうことすら考えんと、戦争を始めたのです。
最も、アメリカ合衆国の歴史を見れば、ギャングというより、町のチンピラそのものですから、対立は避けられなかったでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!

お礼日時:2007/01/22 09:31

基本は変わらない。


日本の敗戦が遅れたと言うこと。
真珠湾攻撃の目的は、アメリカに一発で沈黙させること。
米空母二隻が多めに沈没しても「リメンバーパールハーバー」に変わりはない。
ミッドウェー海戦は起きなかったかもしれないが、日本軍の兵站が1942年の春の段階で限界に着ていた。
その後の日本国力を衰退させたアメリカ潜水艦による通商破壊と米軍空母の喪失とは関係ないので、じわじわと日本は敗北に向かうことでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!

お礼日時:2007/01/22 09:32

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