No.9ベストアンサー
- 回答日時:
No.6.7です。
せっかっく書いたのが編集途中で消えてしまいました。 とほほ。
秦氏・応神天皇・新羅・卑弥呼に関するつながりと思えるものを書いたんですが、、、
気を取り直して、前回の質問の方だけ返信します。
>邪馬台国は三国時代に地理的に近い「呉」でなく,何故遠くの「魏」に朝貢したのでしょうか。
地図で調べましたが邪馬台国が九州にあったとすれば、距離的にそんなに違いが無いように思えるのですが。
何故、卑弥呼は魏と交流を持ったのかは、、リンク張りながら説を書いたのですが、消えてしまったので、後日にでも。
>稲作の伝来は春秋時代の呉越の地方であることで繋がりは深いはずですが,
>華北の魏を選んだ理由も不可解です
中国の歴史も地理も疎いんですが、疎い私が提供できる情報だと
↓
http://www.amazon.co.jp/%E9%BE%8D%E3%81%AE%E6%96 …
『方を起源とし、覇権主義的な性格を持っていた龍の文明。一方、南の長江流域で発祥し、再生と循環の世界観を基本とした太陽の文明。約七千年前、この全く性質の異なる二つの文明が中国大陸の北と南に存在した。
その後、二つの文明は衝突し、結果、漢民族支配の龍型・中華文明が覇権を握ることになった。そして太陽の文明は滅び、一部は少数民族と日本民族へと受け継がれ生き残る。』
日本が何故龍崇拝ではなく太陽崇拝になったのか。
龍文明は畑作となり、太陽文明は稲作となった。
本を読むの詳しく載っています。
卑弥呼の概念が龍(蛇)崇拝なのか太陽崇拝なのかよくわかりません。
混在しているように思えます。
が大和朝廷の方が龍文明に近い気がします。
度々のご回答有り難うございます。
出雲系の国は明らかに龍(蛇)文化ですので,起源は中華にあるのでしょうか。しかし文字の伝来がありませんので?。
天孫系は天照大神に代表されるように太陽信仰でないのでしょうか。
安本氏は最近も旺盛な出筆活動で2003年から邪馬台国と大和国家の関連本を5冊発行されていますが,一貫する内容はヒミコ=天照大神,邪馬台国東遷→大和朝廷ですが,これと↑説を組み合わせると邪馬台国は太陽信仰→長江流域起源になりますネ。
しかし,色々と矛盾があります。
No.8
- 回答日時:
今度は海流です。
明らかに海流に上手く乗れば
対馬、出雲に到達出来る事が良くわかります。
逆に、見ての通り熊本で遭難したヨットは銚子沖まで流されました。
(約30日)
また、瀬戸内海が最も安全です。
最も仮説の多い南方からの島伝いですが、
これが思いの他島に近づかず、特に日本本土をかすりません。
この経路ですと種子島になります。
隼人文化に注目です。
済州島が海路のネックになります。
当時、見える航海日数か、計測の千里(当時の)なのかが大きな問題になると思います。海流X日数=里だからです。
http://www2.odn.ne.jp/~nov.hechima/higasisinakai …
また、漂流から、古代米の遺伝子問題はほぼ無視出来る可能性もあります。
問題は文字が無いと言う事です。
ぜひここを解き明かして下さい。
ご回答有り難う御座います。
”南方系は海流にあり”隼人や熊蘇は邪馬台国と争った狗奴国に比定できますので,彼らは縄文系を強く引き継いでいると思います。狗奴国はその後邪馬台国連合を撃破して,記紀の記述通り日向から東征したという説に繋がりますが,この点に関しては余り信じられていません。
稲作については季節の決定や苗場の育成等や耕地の作り方等,当時としては高度な技術が必要であり,ある程度の集団が必要であったと思われますので”流れ着く椰子の実”では済まないと考えます。
ポイントは邪馬台国が春秋時代に繋がりの深かった江南の覇者を避けて河北の「魏」に朝貢した事にあると考えますが。
No.7
- 回答日時:
No.6です。
>私の中国渡来説の欠点は,秦時代の中国では亀甲文字から脱却して
>いて漢字が存在したはずなのに「文字」が伝わらなかったという点です。
>司馬遷が書いた「史記」は漢代の初期ですので漢字はあったはずです。
私も調べた時期がありましたが、頭悪いのかまとめることができなかったので、代わりにお願いします。 ^_^;
そのページは一部で、全部だと
http://home10.highway.ne.jp/ikko/Japanese/Frame_ …
この人は、中世?の日本の豪族というか権力者は秦氏じゃないかということで調べたようです。
漢字は伝っていたようです。
ただ、特殊な、、、、呪術をやる人独占だったんじゃないかと。
呪術の道具として使用されていたんじゃないかと思えます。
問題を調べていて意外なことを見つけました。
昔は天と人の仲介者的存在がいた。
それは女性だった。
権力者に神からの祝福を与える役割をする女性で、西洋でいけば神殿娼婦・女性神官、巫女のような存在。
アマテラスは女性だとされていますが、何故そのようなことになったのか。
女神崇拝の概念では女神の地上の体現者は、西洋や中東やエジプトでは神殿娼婦や女性神官などとされていたようなのです。
従って地上の王である男に特殊な女神の力を与える神との介在者が、巫女だとされ、天の岩戸の一件もそのような概念の元に作られていることになり。
だから男性ではなく女性と神話に残ったわけです。
卑弥呼もそのような地位だったと思えます。
一説だと男が支配者だと災いが起こったので女性である卑弥呼をたてたところ女神の怒りがやんだと聞いたことがあります。
そしてそのような特別な権力者に栄光をもたらす女性は巫女で天と地を結ぶ介在者で、として天使的な存在と捕らえられていたわけですが、日本に中国の影響が入ると、神と人とを結ぶが、人間以下だとされるようになり、差別制度のもと、貶められていった。
つまりは古代は宗教の最上部で儀式をやっていたまるで神としてあがめられていたような、そんな人たちだったわけです。
人に非ずとは、人間以下ではなく人間以上の存在と考えられていたのに、中国の、、、儒学だったか別の制度だったか忘れましたが何かが日本に入ってきて、人間以下として差別されるまでになってしまった。 と。
とまあ 膨大な資料でくらくらくるので、まだそっちすら調べていないのですが、卑弥呼もつながりそうなので、調べるとなにか見えてくるかもしれませんね。
では、私ではくらくらきて整理がつかないそのリンク先に書いてあるもの、参考にして考察してみてください。
No6さんの特異なURLを探す能力に感心します。
双方とも特異性が強いため私もくらくらします。
邪馬台国の不思議さについての忘れていた疑問点があります。
邪馬台国は三国時代に地理的に近い「呉」でなく,何故遠くの「魏」に朝貢したのでしょうか。稲作の伝来は春秋時代の呉越の地方であることで繋がりは深いはずですが,華北の魏を選んだ理由も不可解です。朝鮮の公孫氏が絡むのでしょうか。
No.6
- 回答日時:
調査不可能な類なのですが、それでも周辺調査をして絞ったのが書かれているのがここ。
↓
http://home10.highway.ne.jp/ikko/Japanese/2_J.html
くらくらするので、まだ全部読んでいませんが、すごく熱心に研究されているなぁ・・・と思えます。
私も大陸から来たのだと思います。
ただ、異国という概念ではなかったようです。
万里の長城の中の人から見ると、その外に住む集団は野蛮人みたいな概念があったそうです。
日本という国ができるまでは中国の一部というか、向こう岸に住む集団みたいな感じで捕らえていたようです。
長らく日本に住む集団は自分たちは中国の一部 あるいは京からすれば地方という概念があり、本拠地中国を手本としていたようです。
あるとき、(そのきっかけは忘れました) 中国に対する望郷の念は消え、そして日本という国を独立した集団とする決心をして、中国を手本とせず、分離して独自の民族として自立を始めることにしたらしいです。
(かなり後になってかららしいです)
漢字は呪術が元になって作られた象形文字だったので、大陸から移動してくると同時に呪術も持ってきたと思います。
漢字の成り立ちの辞典持っていますが、これもか というほど漢字の起源は呪術が多いです。
なんで漢字が直線的かというと、亀も甲羅に彫って占っていたかららしいです。
だから画像を彫ると直線的になり、それが絵ではなく文字となっていったらしいです。
今ではかなり簡略化されているのですが、元の字 を見ると、占いの描写だとわかります。
無理な質問に対してご親切なご回答有り難う御座いました。
URLの著者は大変な努力をされているようです。秦の始皇帝の末裔が長江から渡来したという新設には驚きました。大変な労作ですがヒミコ=天照大神や大和と出雲の関係にも氏独特の説明をされています。
何度も述べていますが,私の中国渡来説の欠点は,秦時代の中国では亀甲文字から脱却していて漢字が存在したはずなのに「文字」が伝わらなかったという点です。司馬遷が書いた「史記」は漢代の初期ですので漢字はあったはずです。
江南から渡来したという点には異論はありません。
しかし↓の回答のようにヒミコや天照大神が女性である事から”母性集団である南方説”も捨て切れませんね。
No.5
- 回答日時:
黒曜石が日本各地から出土します。
これはほぼ、中部地方だけで産出されましたので思いの他交流は盛んであったようです。
また、縄文時代は平均気温が高く、東北地方の人口密度が大で、
近畿地方は過疎でありました。
ここで、平均気温の減少による、東北地方の食生活の崩壊から人口密度は逆転します。
魏志倭人伝では、中部山脈以北を邪馬台国の勢力の及ばない毛人の土地と称しています。
当時、毛人、銅鐸文化圏、銅矛文化圏の3勢力に分断していたらしいです。
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/doutaku.htm
少なくとも、大陸の技術輸入の影響が甚大であるようです。
銅鐸ですが、中国からも出土はあるそうです。
http://homepage2.nifty.com/LUCKY-DRAGON/kodai-3- …
しかし、結論付けるのは早急です。
問題はスサノオノミコトで、ここを解決した場合に真実が得られると聞いています。
>邪馬台国の祖先は中国からの渡来人
大和朝廷の初期から解決して行くしかありませんが、
もしそうなら面白いですね。
がんばって下さい。
お励ましのご回答,有り難うございます。
安本氏の説は著書を読みましたので,理解し納得していました。
しかし,中国から銅鐸の出土は知りませんでした。春秋の「越」は日本の越前,越中,越後に繋がりますし,消えた銅鐸族が”出雲の国”へとの考えが広がります。
素戔嗚尊の正体を解き明かすのは難題ですね・・・・・・。
No.4
- 回答日時:
みなさんのご指摘のとおり南方からが正しいと思いますね。
中国あるいは近傍の北方からであれば、「やまとのくに」や「ひむか」にこれほど卑下した「邪馬台国」や「卑弥呼」を当て字しなかったはずですからね。漢字の意味を学んだやまとのくにのひとびとは、後年「やまとのくに」や「ひむか」に「大和国」や「日向」の当て字をしてますからね。
ご回答ありがとうございます。
やはり”南方説”ですか。
日本人の起源を辿る場合には「日本語」というアイテムも重要ですね。
この点についても日本の多様性が見られます。いわゆる喋り言葉である日本の言語は縄文末期に成立していたそうです。その言葉の文法は”私は本を読みます”のようにS-O-Vの語順(北方系)です。その後,漢字という文字を導入しましたが,漢語はS-V-Oの語順のため辻褄を合わないため,”かな文字”を作りました。仮にかな文字の考案がなかった場合には喋り言葉と書き言葉の文法が異なる事になり,より難しい日本語になったと思われます。先人に敬意を表します。しかし,現代用語では説明できないような”当て字”が多く存在する事は周知の通りです。
私の仮説であります邪馬台国が中国からの渡来したという場合に”何故文字の伝来がなかった”という最大の欠点がありますが,当時の江南地方は未開地であり文字の広がりが有ったかは不確かです。不勉強かもしれません。
更なるご意見をお願いします。
No.3
- 回答日時:
女性をシャーマンとして、あがめるというのは先島とか八重山諸島に、今もその風俗が残っているそうです。
なので、邪馬台国を作ったひとたちは南方から渡ってきた人たちの子孫では?と勝手に私は推理しています。邪馬台国・南方起源説ですか。新鮮ですネ。
私も↓の回答に書きました如く,南方の影響が相当に強いとは感じています。
しかし,弥生人を人骨分類学や遺伝子解析をすると北方系が非常に強い-特にGm遺伝子の解析ですと南方系の影響は8%程度とされています-とあります。
また人骨分類学の埴原氏は古代から中世にいたる絵画に描かれる人の顔を分類すると支配者階級は細面に描かれていますが,足軽クラスはズングリ型に描かれていると指摘されています。
南方系だと一致しずらいのですね。
No.2
- 回答日時:
邪馬壱国を作ったのは誰か、
それはズバリ・・・陳寿です。
ま、陳寿も何かを見て書いたのは
明らかなのですが、
魏志の原典すらないので
今となっては元ネタも不明ですし
魏使は名無しなんで、
唯一名が残っているのが陳寿が作ったものですから
彼が”作者”となるでしょう。
ちなみに卑弥呼の
「鬼道に事え、能く衆を惑わす」という描写は
ほめ言葉じゃなくて、野蛮で無知な徳の無い女王という点を
強調したものであって、儒教社会の中国からみて
蔑んだものです。
だから倭人伝の内容からは少なくとも中国人であるという
証拠は一切ありません。むしろ異民族の習慣がつづられています。
ま、秦の始皇帝の桃源郷探しで、除福の一行が日本に来て
それが邪馬壱国だという”想像”は、いろんなところでありますが、
魏志にはそんなことはちっとも書いてなく、
残念ながら可能性は薄く、わからんというのが結論ですね。
ご回答有り難うございます。
ご指摘のとり陳寿あるいは使節者が間違わなかったら,邪馬台国論争は起こらなかったでしょう。
卑弥呼は「日巫女」という総称を指すという説が強いですが,安本氏は近著(5冊ほど)で邪馬台国東征論とヒミコ=天照大神説を力説されています。しかし起源には触れておられません。
No.1
- 回答日時:
こんにちは。
あまり可能性は高くないように思います。魏に限らず中国の史書には周辺の国々が朝貢したという自慢の記事がたくさんありますね。邪馬台国から約二百年後の、いわゆる倭の五王もその一つです。これらの国々なり王様たちが、みな中国の出だとは考えづらいと思いますが、いかがですか。もしも、卑弥呼が中国大陸の出身で魏の国に挨拶をしたなら、あの記録好きでプライドの高い中国人が、それを正史にとどめないわけがないように思います。さらに、私の勉強不足かもしれませんが、異民族のものがシャーマンの長になるというのも聞かない話ですし。
ご回答有り難う御座います。
縄文末期の人口は緩急条件が厳しく最盛期の25万人から7万人前後に激減したと言う説があります。この食料問題を解決したのが水稲農耕の伝来で弥生時代には一気に人口が膨張しています。
この末期に国が多く発生しているのですが,奴国にしろ邪馬台国にしろどのようにして,中国の情報を得て,侵略の可能性が低いのに朝貢という手段で「王」という名のを認証して貰ったのか不可解です。ここに質問の原点があります。
中国の儒教はシャーマニズムの前身と言われますが,ご指摘のとり古代の北方騎馬民族や中華においては”女性の長”というのはありません。
中国・中心部からの渡来であれば,「字」を持っていたはずでこれも矛盾点です。
しかし,稲作の伝来の起源や邪馬台国の特徴であります”高床式建””入れ墨””水に潜り魚を捕る”等は中国・江南の春秋時代にあった呉」「越」に起源が遡れます。
また日本語は文法上は北方系に属すると言われますが,語彙面では東南アジアが多く,それだけ”日本人の起源”は多様性に富むのでしょう。
しかし,たかだか1800年前の事が解らないという事はいささか悔しい思いです。
色々考えますと
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