A 回答 (10件)
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No.10
- 回答日時:
違う観点からになりますが、17~18世紀の日本は世界的に見ても金持ちの国でした。
それは労働生産性と言う観点です。
生産性の向上には当時であれば、識字率と器用さがものを言います。
識字率ですが、19世紀終わりの福沢諭吉の著書において、西洋に比べても日本の識字率は一番高いと記述されています。
どの国でも支配者階級の子弟が通う学校は存在していましたが(日本では藩校)、日本では町民や農民(女性も多数、教師としても)の子弟も学校(寺子屋、江戸では手習師匠)に通っていました。
特に江戸での識字率は90%近かかったらしく、西欧の先進国の首都、ロンドンやパリ(30%弱)に比べても異様な高さとなっていました。
全国でも男子で50%以上、女子で20%以上と平均しても西欧の首都よりをも上回っていました(僻地でも20%程度)
識字率が高ければ、農業でも手工業でも書き留めて他の地域や後の代に伝えることが出来、生産性は向上します。
もう一つが器用さです。
今でも使っていますが、箸を使う文化を見てもわかるとおり、細かい作業・細工を国民全体で優れていました。
芸術と呼ぶかは別として、米粒に絵を書いた民芸品も器用さの極みみたいなものではないでしょうか。
器用さが効率的に田畑を耕す道具や、手工業品を作るための道具を作り出せことを可能にしました。
労働生産性の向上で豊かであったことの証明は下記になります。
18世紀のマルサスの人口論で、人口は農業生産によって決まるとしていました。
これを上回るには西欧のように植民地を有し、強制的に富を移転させ、国民が生活できる糧を手に入れるのが一般的でした。
日本では、これを農業生産性の大幅な向上と、高度な分業体制の実現により人口が大幅に増えることになったのです。
この点からも、金銀などの埋蔵資源を考慮せずとも、当時の人口=国力の考え方からも、金持ち(豊か)な国であったと思います。
また一般庶民レベルで言えば、寺子屋は教養をも身につけさせていたので、学力・教養的にも世界最高水準であったのではないでしょうか。
回答者の皆さんの意見を総合して過っての日本国は支配層と被支配層が
旨く機能しあい生産性と文化を高めていったように見受けられます。しかし戦後の教科書では昔の日本の良い所は無視して悪い所ばかりを探し出しておしえているのではないかと思っています。幕末に日本に来た外人が世界で一番平穏で豊かな生活をしている一般住民はこの国の他にはいないだろう、と言っています。歴史とは自国の長所を知って短所を改めるのに役立つようにすべきと考えるのですが、なかなかそのような教育ができていないようで残念です。御回答有難う御座いました。
No.9
- 回答日時:
どこまで正確かという事は分かりかねますが、Angus Maddisonの「経済統計で見る世界経済2000年史」には2000年分の地域・国家の膨大な経済データの推計があります。
これによると、17-18世紀の日本における購買力平価(PPP)換算1人当たり国内総生産(GDP)は、西欧の水準には到底追いついていないようです。ただこの時期に中国の水準を追い越しているらしく、現在の日本は西欧諸国と同等の水準。この17~18世紀以降の西欧・アメリカで、経済成長がかつてない勢いとなり近代社会成立の地盤となりました。それ以前はどこの国でも大部分の庶民は貧しく、Andersonらの立場では国民(ネイション)といった概念すらも未形成だったと。一方、先進国と成長できない地域との経済格差は何百年も拡大し続けてきたようです。現在では例えば合衆国とエチオピアやタンザニアとの間の格差は、物価水準を考慮した購買力平価換算でも50倍に達しています(ソース:IMF)。
国内総生産(GDP)で比較すると日本は小さな値にしかならないのは
確かでしょう。かっての敗戦までは「もったいない」のもとで物を出来るだけ長く使い、江戸はあらゆるリサイクルされて再利用され、現在の
ような使い捨ての世の中でないので、GDPは大きな値にならないおもいます。有難う御座いました。
No.8
- 回答日時:
日本だけではありません。
中国・インド・トルコも世界有数の金持ち国でした。そもそも、国の富強は養っている人口に左右される面があり、それを考えただけでもアジアの国の国力は、ヨーロッパの国を圧倒的に上回っていました。
この関係が逆転するのは、ヨーロッパで産業革命が起き、人口と生産力が=の関係ではなくなってからです。
ヨーロッパ人にとっては、インドの綿布・香料、中国の陶磁器・絹織物などアジアに欲しい物が沢山あるにもかかわらず、アジアに輸出できるものがほとんどなく、ヨーロッパの銀がどんどんアジアに流出しました。
結局ポルトガルなどは、日本から銅を中国にもって行き、陶磁器を日本に持っていくなどの、中継貿易で稼いだお金でアジアの物産を買い、それを本国に持ち帰っていました。
インドのムガール帝国の有名なタージマハール廟は、イタリアから輸入した大理石で建てられるなど、とんでもない国力を持っていました。
イギリスがインドを植民地化してその富を手に入れ、強国となった19世紀初めでも、中国はイギリスを上回る金持ち国で、イギリスの銀が(中国は通貨が銀だったので、中国から買い物をすると、支払いに銀が必要だったのです。)どんどん中国に流れ込みました。
そこで、イギリスがとった方法が、「麻薬輸出」です。
インドで大量生産したアヘンを、中国に持ち込み中国人を麻薬中毒にすることで、中国からの貿易不均衡を解消する手を取りました。
麻薬中毒患者の大発生が中国社会で大問題となり、中国政府はイギリスが香港に持ち込んだ麻薬を強制的に没収破棄しましたが、その時の手続きに不備があったとして、イギリスは戦争を仕掛けました。これが「アヘン戦争」です。
世界史を理解すると、アジアの方がヨ-ロッパより、基本的には豊かであると言うことが解ります。
No.7
- 回答日時:
鎌倉時代から豊臣時代までは大名の所領は田畠のみで、
金山、銀山は元より、山、川、海に至るまで全て
将軍や時の天下人の物とする考えが普通でした。
ですから、天下を統一した途端、豊臣政権に金銀の運上金が転がり込んで来たのです。
それ以前は甲州金など、各国ごとに運上していたようです。
また、織田信長が選銭令を出す以前は、通貨の単位がまちまちで
信用の置けない通貨より、物々交換が強く主流でした。
江戸時代でも、
幕府に金山の権利があったようで、隠し金山などの言葉もあるようです。
>日本はもともと金持ちの国であったそうです。
佐渡に良質な金山を見つける事に始まったと思います。
慶長小判の金の含有量は84%で、重量17.9gです。
金が15g使われています。
現在の金相場1g約2690円としますと、4万円の金の量です。
1両の価値は現在4万円程度と換算されていますから、
いかに金の価値を低く見積もっていたかが分かると思います。
江戸時代には、8回の改鋳が行われました。
金の量を減らして行ったのですが、物価はそれに連れて上がり、
庶民は苦しみました。
享保の改鋳では小判の品質を急激に上げた為に
古い粗悪な小判2枚と質の良い新小判1枚を同じに見る取引が始まり、
通貨が1/3になる強力なデフレを引き起こし、庶民を更に苦しめる結果を招きます。
最後の万延小判は大きさが小さく金も慶長小判の1/8程度で、約2g(約5千円)しか含まれていません。
これは、佐渡の金山が出なくなったのが大きな理由だそうです。
実質、とんでもない量の金が日本国内を流通していたのです。
しかし、それだけに金の価値を過少評価しすぎていました。
有難う御座います。そうですか同じ小判でも慶長小判は最後の小判と比較すると8倍も違いますか、現在まで日本国内で算出した金を保有していたら総額何兆円ぐらいなるのか興味がありますね。
No.6
- 回答日時:
金銀銅がたくさんでていたのは本当ですし、教科書はわかりませんが、金を輸出していた話と、海外におけるジパング=黄金の国のうわさをからめて先生が話してくれたのは覚えています。
ちなみに、銅はアジア方面にも輸出されており、銅そのものだけではなく銅貨としても流通していたようです。
ベトナムに移住した日本人も歴史上に登場しますが、ベトナムの通貨ドンは、日本のドウもしくはドーを語源としていると、NHKでやっていました。
No.5
- 回答日時:
当時の日本が、幕藩体制の下で平和で安定した社会を作っていたことは事実です。
ヨーロッパと違って、戦乱や疫病で脅かされることも少なく、教育水準も低くはありません。(飢饉は別)しかし、貧富の差が激しく、水呑百姓はもちろん、下級武士も生存ラインすれすれの生活を余儀なくされていました。また、豊かな支配層の生活も質素で、建築ひとつとっても同じ時期のヨーロッパの宮殿や都市とは比較になりません。皮肉なことに、この富の源泉は、金銀を豊かに産した中南米諸国を収奪したことから始まったのです。
国としての豊かさは金銀をどれだけ産出するかではなく、経済の成長性、安定性、分配の公平性などで計るのがいいでしょう。安定性では確かに恵まれていましたが、あとの指標では格別豊かであったとは思われません。
なお、幕末の江戸の町並みを、同じ時期のロンドンやパリの町並みと比較されましたか。この頃、多くの欧米人が日本を訪れ感想を書き残していますが、清潔でよく手入れされているというのが普通です。逆に、欧米を訪ねた日本人は、異口同音に驚嘆しています。
街並みを比較するなら、街灯、歩道、下水、公共交通機関など、インフラ整備の状況も観察すると深みがでてくると思います。
有難う御座います。確かに金銀を沢山産出しても外国との取引がなければ価値が判らないわけですね。オランダから買い入れたものは技術書を金銀で買い入れたのでないかと解釈しています。
No.3
- 回答日時:
18世紀までに産出していた金の四分の一は日本産といわれています。
これらはほとんど、戦国時代に鉱山が開発され、戦国期から江戸時代に採掘されつくしました。そういう意味では金(キン)は、世界的に見てもたくさんあった(流通していた)でしょう。ただし、江戸時代中は鎖国していたので、それが豊かさとは全然リンクしていなかったかもしれません。その大量の金銀も江戸時代中にだらだら流出し、開国後から明治初期にかけては大量に流出しました。ちなみに日本は現在も菱刈金山でキンを産出しています。住友金属鉱山という倒産寸前の会社が、金鉱を発見して息を吹き返したのは有名だと思います。但し日本の場合人件費が高いため、採算に乗せるのはきわめて難しく、稼動している金山はそれ一つだけだったと思います。お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
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