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『哲学』って簡単にいうと、どんな学問なんでしょうか?

哲学について全く知見がないもので・・・
そもそも、どんな学問なのかさえも分かんないんですよ~。

こんなあほな私にも分かるようなお答えをお持ちの方お願いします。

A 回答 (10件)

類似の質問が下記URLで、しかもまだ閉じられずにあります。

どうしましょ?

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=12863
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この回答へのお礼

あっ、しまった・・・

あらら、ごめんなさ~い。

stomachmanさん、ナイスご指摘。

お礼日時:2001/01/13 15:01

 哲学は、常識では見えてこない前提を見破るためのタフな思考力を開発する学問なのです。

ソクラテスは「無知の知」を最高の賢さと考え、我々人間に「無知」といわしめる当のものの輪郭を描くことに情熱を燃やしました。カントは「哲学を学ぶことはできない、ただ〈哲学すること〉を学び得るだけだ」といいました。

 哲学の歴史は、前提を突き破ってその先を見ようとし、あるいはそのような人間のあり方を自分なりに解決しようとした試みの集合です。先達をヒントに自分なりの解決を模索する(「哲学する」)のが哲学です。

参考URL:http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-Bay/837 …
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この回答へのお礼

参考サイト中の
『なにしろ、philosophyという語は知を愛するという意味しかないのですから、
知識を得ようとするあらゆる活動は哲学と呼ばれる資格があります。』
には、少し刺激を受けました。

      ⊿         ⊿         ⊿

『哲学する』という言葉の使い方は一瞬、違和感を以って響きましたが
よく考えると、その使い方が
哲学の性質の一端を上手く示しているように思いました。

kyaezawaさん、どうもありがとうございました。
 

お礼日時:2001/01/26 17:03

哲学者によって若干解釈が違うようです。


極端な話「哲学とは何か」を追い求めることも哲学なのかもしれません。

カントは「道徳形而上学入門(岩波文庫)」の中で「全ての学問は哲学のいち分野である」と語っています。
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この回答へのお礼

「全ての学問は哲学のいち分野である」
確か、学者の井上円了も同じような事を言っていたような。

「諸学の基礎は哲学にあり」でしったけ?

う~ん、哲学って学問は他の学問とは
何かこう、性質自体が違うような感じですね。

toysmithさん、どうもありがとうございました。

お礼日時:2001/01/26 16:47

哲学の定義は



「宇宙や人生の根本問題を理性的な思弁で突き詰めようとする学問」

です。

ここで思弁とは?
「実証・経験によらず、頭の中だけで理性的に自分の考えを組み立てること」です。

例えば「何故、人類はここ(地球)に存在するのか?」を考えるとき、「太陽が出来て、宇宙塵が集まって地球が出来て・・・」と説明しては追い出されます。そんなもの判ってるわ!科学でやっとれ!とね。
この場合、哲学では人類が存在する意義を考えます。「地球上に現れた人類の役割は?」ここでまた「進化が云々」とやっては袋叩きにあいます。

もともとは人類のというよりは「自分」の存在価値を明らかにするための学問です。今ここに自分がいるのはただの偶然の産物ではなく、何か目的があるはずだ。とのね。

#科学だって元々は錬金術という金を作ろうとして発達した学問だし。。。
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この回答へのお礼

『思弁』という言葉は今回始めてちゃんとした意味について聞きました。

なにか大事そうなキーワードのような感じです。

覚えておきますね。

しかし、科学的手法・思考を採らない事が前提、というスタイルは
僕としては新鮮ですね!

自分の思考の幅を広げる為にも、
このようなことは常に意識していたいと思いました。

nonkunさん、どうもありがとうございました。

お礼日時:2001/02/11 16:41

哲学は真理を探究する学問です。

ですから、あらゆる学問の最上位に位置すべきものです。わかりやすくいえば、哲学の場が大学でありその下に自然科学、人文科学の学部があるのが本来のかたちだと私はみますが、古典的なあり方に過ぎないと現在ではみなされるでしょうね。(普通、大学内に哲学科が存在し多くの教授がそこで働いている)多分、求めておられる回答とは異なっていると思いますが失礼を承知で私見を述べさせていただきました。
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この回答へのお礼

いえいえ、感じたままのご意見で、ためになりますよ。

あらゆる学問の最上位に位置するという言葉には
最初は違和感が少しあったのですが、
今では以前に比べて、その言葉にもなじんできた気がします。


coolriverさん、どうもありがとうございました。

お礼日時:2001/02/11 16:56

今はいろいろ複雑化・多様化しているけど、もともとは「人間はどこから来て、何をし、どこに行くのか」というのを神抜きで考える学問ではないかと思っています。


 これはあくまでも個人的見解です。
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この回答へのお礼

個人的見解とはおっしゃるけれども、
今の僕には、『神抜きで』というのが重要な点のような気がしますよ。

sawachannさん、どうもありがとうございました。

お礼日時:2001/01/26 16:39

学問としては小難しいですね。


私も、学生時代に哲学の授業で困り果ててしまった経験があります。
何故、困ったかと言うと、他人の考えを学ぶ学問だったからです。

しかし、現在では「哲学」とは、自分の考えを自分なりの理屈でも
良いから、他人に伝える事を学ぶ学問だと理解しています。
自分なりの理屈とは言え、他人にとって理解できなければなりません。

そこで、古人はどの様にして、それを果たしたかを学ぶ必要が生じて
くる訳です。これが学校で学ぶ限界でしょう。
後は人生経験を通して、自分なりに自分の考えを練って練って、
練り続けて行く事をこそ、真の哲学という学問になっていくのでしょう。
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この回答へのお礼

確かに、学問として考えるとちょっと説明しづらいのかなって気がしてきました。

学問というよりかは、思考体系というか、、、、
なんかそんな言葉の方がいいような気がしますね。

しかし、なるほど。
学校で学べる限界が解っている上で
哲学に接した方がより本来の哲学に近づけますね。

teizさん、どうもありがとうございました。

お礼日時:2001/02/11 16:50

 「哲学とは何か」…この問い自体、哲学自身がしばしば発してきた問いです。

この疑問を抱いた瞬間から、もう哲学は始まっています。
 いろいろな方の意見を参考になさるのもけっこうですが、結局は、ご自分なりの「哲学」を、作ったり見出したり、練り上げたりなさればよいのではないかと思います。
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この回答へのお礼

『「哲学とは何か」…この問い自体、哲学自身がしばしば発してきた問いです。この疑問を抱いた瞬間から、もう哲学は始まっています。』

「う~ん、そこまで来ましたか」って感じです。(笑)


自分なりの「哲学」が大事なんですか。

これからは 「哲学」を考える時は、
少しそのあたりを意識してみるようにしますね。

ozapanさん、ありがとうございました。

お礼日時:2001/01/26 16:43

いろいろと回答がでていますが、私は語源から紹介しましょう。



そもそも「哲学」という名称は、西周(にし・あまね)が原意を忠実に訳し、
「希哲学」としましたが(賢哲の希求)、頭の部分の「希」を略し、
「哲学」という名称に落ち着きました。

そして原意である賢哲の希求ですが、発祥の地であるギリシャでは
ψιλοσοψιαと表記します。アルファベットで表記するとphilosophiaとなり、
philos(=フィロス/愛) sophia(=ソフィア/智)という語義で、
「愛智」、すなわち「智を愛し求める」というというのが直訳となります。

ここに哲学の真髄があります。
「どうしてだろう」「なぜだろう」こう疑問を持つ事が哲学のスタートであり、
その疑問を飽くことなく、所持する思惟・悟性・概念をつくして考え抜くこと、
それが哲学・ψιλοσοψιαです。
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この回答へのお礼

なるほど~。
哲学の本質をより明確に捉えられたような気がしますー。

語源からのアプローチって大事ですね。

zaraさん、どうもありがとうございました。

お礼日時:2001/02/11 10:04

 皆さんが仰っているように、「哲学とは何か」は哲学の主要な考察対象のひとつです。

それを先人たちがあらゆる方法で解明しているのですが、その論理的な仕組みや概念あるいは世界観などをまずは学ぶことが、「哲学する」ことの端緒となります。そのことによって、私たちが経験するあらゆる「事態」や「ものごと」に対して、正しい認識を獲得することが可能になるような態度が身につくようになります。そのことは取りも直さず凡ての学問の基礎となりうるでしょう。例えば数学、法学、美学の学問的基礎は「真善美」に対する基本的な哲学的「問い」から生まれています。また、私たちが抱く今ひとつの大きな「問い」である、「私って何」からは存在論的な追究を別にしても、身体に対する医学や生理学、心理学なども発生したといえます。
 「問いかけ」ることの根拠を問い哲学することは、難しく「愛知」と捉えるまでもなく、私たち人間にとってはごく自然な態度なのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

なるほど、哲学から始まってさまざまな諸学問への流れの一端をお教えしていただきありがとうございます。


『「問いかけ」ることの根拠を問い哲学することは、難しく「愛知」と捉えるまでもなく、私たち人間にとってはごく自然な態度なのではないでしょうか。』

そうですね。なんか、そういわれると自然ですね。
あと、関係ないかも知れませんが、それに加えて、
僕は自分が無知なことがちょっと怖いんですよー。
根本的な、知への欲求を感じますね。
そして、それが哲学の姿の一面なのでしょうか。

Lanternさん、どうもありがとうございました。

お礼日時:2001/03/01 11:48

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