大手前という地名
大阪の大手前について
歴史的にどのあたり(エリア)まで「大手前」と呼ばれていたかを教えてください。?
ちなみに現在は大阪市中央区大手前1丁目~4丁目まであり、大阪城公園の西側に隣接したオフィス街で、大阪府庁や合同庁舎などが立ち並んでいます。
「大手前」は、日本の城の大手門の前にある処の地名であり、日本各地に存在する。(百科事典ウィキペディアより)
普通に考えれば、現在公共機関(大阪歯科大、合同庁舎(法務局)、NHK,
大阪府警、大阪府庁等)がある一体(大手前2~4)迄だと思います。
大手前1となると追手門にまで係ってしまいますが。
馬場町まで行くと、大手前から一寸離れてしまう、又町名の由来
(馬場)から「馬小屋が集合した町)、法円坂の大坂医療センターに
は何らかの大阪城付属の施設があったと思われるが、地理的には
主要な官施設とは思われない。
ここで検索しました。法円坂、、、
法円坂の歴史当院の所在地は、江戸時代は「代官屋敷」が置かれ鈴木町
と呼ばれていた。明治2年に大坂府がここに大坂府医学校病院を創設
し、翌年にはこれが大学(後の文部省)の管轄になったが、明治5年
に文部省による学制改革で大坂医学校が廃された。
===以上 大坂医療センター沿革の頁から引用 ===
シーボルトの娘(いね)や大村益次郎(村田蔵六)も縁があるようです。
http://www.onh.go.jp/enkaku/index.html
大阪の大手前は、明治12年に大阪府に東区・北区・南区・西区が設置されたとき、大手門前の京橋~谷町に接した一帯に「大手前之町」の町名が付けられたということです(当時は東区)。
そのときの町域が今の大手前1~4丁目の全域か、大手門に近いごく一部地域だったかは未確認です。いずれにしても、江戸時代は大坂代官所の武家屋敷が建ち並んでいたところでしょう。明治以降はそのまま官有地として国や大阪府の官庁が置かれていました。詳細は当時の地図で確認してください。公共図書館に行けば資料があると思います。
少なくとも江戸時代の城下町はどこでも武家屋敷一帯に町名などはなかったはずです。大阪の大手前も、武士が屋敷の住人の名前や城門の名前で呼ぶことはあっても、町民が地名で呼ぶことはなかったと思われます。
ANo.1 さんの
>それは地域によるのでは?
質問者さんが「大阪の大手前について」と明記してあるので的外れな指摘でしょう。資料を見れば分かることは確かですが、それを言い出すとほとんどの質問がそういう回答になってしまいます。
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