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意識は物質でつくられているでしょうか?
それとも、物質的ではないもので作られているでしょうか?

A 回答 (15件中1~10件)

jimoさんへ


人間の意識が、脳の活動から作り出されている情報のようなものというのは皆さん一致しているのだと思います。
また、意識が本能(私は生存と繁殖と思っています)をベースに発展し作り出されているだろうことも同様に共通理解だと思います。
 ただ、その本能(生きたい、子孫を増やしたい)なりの主体性(自由意志?)が単なる自然現象で発生したのかどうか、またそれで説明できるのかというところが論点かなと思います。
 以下の点について、どのように考えていますか。

 1 地球上の歴史(期間)で、今のような複雑なDNA構造の生物が偶然に発生したのかは疑問とされていると思います。
 2 なぜ、偶然で発生するなら、今のDNA構造の生物しかいないのか。他の構造のものもいて良いのではないか。
 3 なぜ、生物は本能(生きたい、子孫を増やしたい)を持ち、それを遺伝するようになったのか。
 4 これは本当かどうかわかりませんが、植物も人間などが優しく声をかける場合と罵声を浴びせる場合で育ちが違うなどという話もあります。

この回答への補足

いったん閉め切らさせていただきます。
哲学カテへ移動します。

補足日時:2007/02/09 19:32
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時間が無いので要点だけ示します。

 色彩の認識に関しては調べる余裕が無いので保留します。

Jimoさんの言われる時間認識ですが、体内時計のことでしたらその機能として、生体活動の中で
生体一般の活動とは独立した、かなり正確な周期性を持った生体活動が必要になるはずです。
体内時計の解明は今の脳科学でも動物実験レベルであって、確立された学説ではありません。
参照サイトを付けておきます。

ところで、正確な周期性を持った体内時計が生体に存在すると “ 仮定 “ します。 それを
踏まえて核心に迫れば、それでは、” 今現在や時間の流れ “ はどのように特定されますか。
外界変化としての時計の目盛りですか。 時計が無い場合は体内時計ですか。

意識は “ 脳全般の活動 “ によって生じるのなら、意識は一定の周期を持つ時間性と多様な変化率とを
“ 併せて “ 持っているはずだから、そこからさらに、その特定部位の活動を基準とするような、
" 特異性 " を取り出すには、独立した高次の作用が必要にはなりませんか。

かなり古い記憶の想起でも、それが “ 10年前の記憶 “ と分かるためには、記憶内容に時間の
符号化も加える必要があります。 そうであるのなら、脳損傷での “ 機能の低下ほどには “
記憶内容の誤認や消失が起きないのは何故でしょうか。

機械的連続作用とは、一般的に言われる “ 因果的決定論 “ のことです。 語意からこの意味は即 理解できる
はずです。 自由意志の定義が曖昧だとのことですが、提示された問題を理解するうえで、これ以上の厳密な
定義をする必要は無いはずです。
質問主さんへ、 このページもかなり下ったので、質問を続けられるのでしたら新規に作られた方が、
新しい回答者も参加されると思います。

参考URL:http://www.aist.go.jp/aist_j/press_release/pr200 …

この回答への補足

そうですね新しいのを作りましょう。

補足日時:2007/02/09 16:26
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この回答へのお礼

哲学カテへ移動します。

お礼日時:2007/02/09 19:34

まず始めに言っておかなければならないのは,私は哲学に関してほとんど無知であると言うことです。

お二人が使われている哲学の専門用語と思われるものは,私にはすんなり入ってきません。いくつかの用語はWikipediaなどで把握できましたが。

ここから本題。
昆虫の件。昆虫の複眼とほ乳類の目(および脳)を比較するのは変では?そもそも昆虫がどれほど「色」を認識しているかも不明です。人類は三原色+明暗,鳥類の一部は四原色+明暗を見ていると言います。この仕組みは下位に属する生物には備わっていないわけですから,進化の過程でどのような仕組みになったかを解明しない限り,mk4243さんのような推測は出来ません。

機械論の件。何をおっしゃりたいのかさっぱり分かりません。「機械論」だと,なぜ「物質的な作用の連続性」につながるのでしょう?また,「連続的作用」とは何ですか?私が述べたのは,あくまでも「きっかけ」であって,一度「発火」した「意志」は,脳に蓄えられた情報や感情との相互作用によって新たな展開を得るものであると思っているのですけれど。

一連のmk4243さんの書き込みを読むと,言葉の定義が一人歩きしてしまっている印象が強いですね。つまり,本来揺らぎを持っているはずの言葉を,あたかも普遍的な意味に固定化して語っている,いわゆるレトリック的な表現になっているように思います。

私が書き込んだ動機ですが,それはつまるところ「興味があるから」です。それは,「もし「***」というキーワードがあったら,その文章を読む」,「もしその文章の内容について,返事の要求があったら,答える」など,いくらでも動機付けはプログラム化できると思います。そこには「自由意志」と言えるかどうか不明な状況が発生していませんか?何度も申しますが,「自由意志」の定義が曖昧です。

tenntennsevengooさんへ。オルゴンエネルギーというのは多分にオカルト的な話ですね。
時間の概念ですが,基本的にはクロック(時間を計る部位)に供給されるエネルギー量によるものと考えます。こんな実験があります。被験者を時計のない密室に入れ,「一定時間経ったと思ったら,出てきてください」とやると,若い人はほぼ正確に出てくるのに対し,高齢者は遅れて出てくるそうです。これは代謝レベルの違いといえなくもありません。また,何かに熱中していると時間の経つのが速く感じられるのは,熱中に必要な脳の部位にエネルギーを重点的に供給するため,クロックを司る部位の代謝速度が落ちるせいかもしれません。

> 分子や粒子などのミクロレベルの単体でも意識は存在すると

あり得ないと思います。そこで定義できる物理的な法則,エネルギーが見あたりませんし,今後も見つからないと思います。

この回答への補足

どうも意識物質非物質論の討論ではなくなってきましたが、その以前に意識が存在するかしないか討論になっているのでそれも踏まえて補足しますと
自分の意見はjimoさんの意見とmk4243さんの意見を足して2で割ったような意見ですね。
脳の物理的作用を阻害することなく意識が働いているのだと考えますね。
やはり、そのように考えると受動能動性理論であり、意識変容でしか理解出来ない超心理学を説明するには意識が存在するとしか思えないし、意識が存在せず物質一元論的な考えだとこの世の中をJIMOさんも見ることが出来ないわけですし、感情も感じません、また主体性も否定できないでしょう。
主体性がなければ自分自身は他の人でも過去の人でもあるわけですが現に他の人の精神状態を理解することは出来ません。よって脳の物理的作用を阻害しない存在として意識=非物質でよろしいのではないでしょうか?

補足日時:2007/02/09 01:13
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この回答へのお礼

ちなみに受動能動性は↓
http://www.eleutheria.com/philo/kant/gsmpa.html
>時間の概念ですが,基本的にはクロック(時間を計る部位)に供給されるエネルギー量によるものと考えます。こんな実験があります。被験者を時計のない密室に入れ,「一定時間経ったと思ったら,出てきてください」とやると,若い人はほぼ正確に出てくるのに対し,高齢者は遅れて出てくるそうです。これは代謝レベルの違いといえなくもありません。また,何かに熱中していると時間の経つのが速く感じられるのは,熱中に必要な脳の部位にエネルギーを重点的に供給するため,クロックを司る部位の代謝速度が落ちるせいかもしれません。

上記の脳の違いは認めます(mk4243さんは判りませんが・・)上記のような変化の中で意識も伴っているのではないでしょうか?
よければ意見お待ちしております。

お礼日時:2007/02/09 01:23

Jimoさん、回答を感謝します。



外界像の認識について機械論の立場では、各個体は独立しておりそこでの思考器官は、基本部分は共通性が認められるが
進化と共に独自性を持つように発展した。 そのために各個体の思考は複雑多様であり、行動の予測は不能だが生物と
しての基本活動では共通認識や共通感性が存在する。 と、概ねこのような説明になっていると思います。

色彩の印象が共通であるとする場合の、認識過程で色彩がどのように印象として成立するかが、今の科学では未だ
確実ではないから厳密な説明はできませんが、経験上から共通認識があるのは間違いないでしょう。
これは、昆虫の感覚行動や乳児の識別行動にも認められるから、原始的な感性として知識以前であるような共通性は
存在すると思います。

ところで質問主さんの本来の疑問とは、そのような意識や行動を司る “ 自己 “ が、物質的な作用の連続的決定性から
不完全であっても “ 独立 “ しているか否か、ということでしょう。 機械論の立場では、この連続的作用が続くことに
なるから “ 自己意識や自由意志 “ は物質の属性ということになります。

質問の核心はその点であって、特に自由意志を考える時には必ず犯罪者の処罰の妥当性が問題になります。

自然は因果的決定性によって推移し、意識は同じく因果論的に作用する脳の属性とするなら、認識される現象は
筋書きの決まっている演劇かTVのように、既に成立した世界像を認めるだけに過ぎず、自己の関与無く決定される世界を
与え続けられる思考内では、自己の行為について、現象に先行してその可能性の一つを選択する自由意志は生じ得ない。

犯罪者がこの理由から、これは社会全体の共同責任となると主張する場合、機械論の立場では処罰できないことになります。
自由意志については、Jimoさんがこの問題に投稿される " 動機 " を、ご自分で考えられるのも有益でしょう。

この回答への補足

次に書く質問はmk4243に対する質問ではなく機械論が物質も意識も含めて機械的に動いていると主張を持っている人に聞いてみたいと思います。
機械論の意識の定義は物質の属性ですから分子や粒子などのミクロレベルの単体でも意識は存在するとお考えでしょうか?

補足日時:2007/02/08 14:15
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この回答へのお礼

自由意志や動機や主体性これを意識ではないと定義することは不可能と感じておられるのだと思います、
私たちが認識する世界そのものも意識ですから自分の意思で決定し自分の意思で行動していてそれと伴って脳も変化していきますから存在すると言う意見は賛同します。

機械論でも属性と言っておりますから物質非物質で言えば非物質派という意見でよろしいでしょうか?

お礼日時:2007/02/08 14:57

外界像に多様性がないと,何か不都合があるのでしょうか?少なくとも私には気になることではありません。



あえて不都合があるとしても,以下のことが言えます。
「外界像に多様性がない」と決めつけられる根拠はどこにあるのでしょうか?例えば,生まれながらに目が見えない人に「青ってどんな色?」と聞かれて,どう答えますか?共通普遍的な表現が出来ますか?みんなが見ている「青」が本当に同じ色(刺激)に見えている(感じている)という証明はなされていないと思うし,出来ないのではないでしょうか。
このことは,五感全てに言えると思います。言葉になっている時点で,すでに脳で処理された情報がコミュニケーション可能な形式に翻訳されているのです。インタープリターのアルゴリズムが万人共通とは限りません(そもそも,母国語ごとに異なるインタープリターが存在するはず)。
これは,同じもの,例えばリンゴを見て「これはリンゴというものである」という定義がされているから,得られた感覚情報を基に,「こういう触感やにおいや色や形をした物体がリンゴなんだ」という認識をしているに過ぎません。リンゴをリンゴとして見ているのではなく,ある感覚情報をリンゴという言葉で定義されるものに変換しているに過ぎません。
従って,外界像に多様性がないと決めつけることは出来ないと考えます。

「内容の事実」というのがどういう事実かよく分かりませんが,「事実」とは実際に起きた事象であって,脳内に写像・転写された情報は既に事実ではありません。
一例ですが,幼なじみとの思い出話でさえ,時として「いや,違うだろ。こうだったじゃないか」というのはありますよね?「記憶」なんてものは,曖昧なものです。本人が事実と思いこんでいるけれど,実際には体験していないという事例はたくさんあります。

次にシミュレーターにおける「生物らしさ」ですが,「生物らしさ」って何ですか?原生生物から高等生物まで,何か共通した行動を取りますか?「らしさ」という言葉自体,無意味だと思います。

時間認識の件ですが,精神機能の低下が脳細胞の破壊から来ているわけですよね?それで充分では?脳という整理コンピュータがどんどん壊れてしまうのですから。時間認識だけを切り出すことの意味が分かりません。時間認識なら,コンピュータにも出来ますし。

この回答への補足

mk4243さんの言いたいことを自分なりに解釈し説明します。
時間が「短く感じた」とか「長く感じた」とかは脳の活動によって違います。
脳の活動の変化そのものが意識は「長いな~」とか「短いな~」と思うわけです。
しかし、意識が物質なら脳の化学物質反応で起きている「長い」とか「短い」とかいう意識の感受性を妨げてしまうので非物質的なものが意識を作っているということを主張しているのではないでしょうか?

補足日時:2007/02/08 02:11
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この回答へのお礼

jimoさんが言う現象はたしかにありますね~

a(青)≠b(青)ではあります。
でも関数の括弧内は青=青ですからmk4243さんの言ってることも間違ってないような気がするのでやっぱり受動能動性かなw

お礼日時:2007/02/08 03:38

Jimoさんこんにちは。

 お尋ねしたいことがありますが、よろしいでしょうか。
投稿限度文字数が 800字なので簡潔にします。 疑問として “ 言語の相違と認識の同一性 “ があります。

脳を情報処理装置と考えてそこから意識が生じると仮定します。 では外界認識をする時、外界から受け取る様々な情報を
生体電位に変換した後、神経線維を走る信号強度やシナプス間での神経伝達物質の濃度や受容感度には “ 個体差 “ がある
ので、そのような過程を経て外界イメージが形成されるなら、
独立した各個体によって認識される外界はそれぞれ違ったものになるはずです。

また対象を認識した際の、それに意味付けをして他者との疎通手段にする言語には、日本語や外国語など多様です。
これは人間各個人の思考機能の差異や多様性は当然あるからそれで説明できますが、
それでは外界認識において、他者は私の見る世界と同じものを見ているという、経験上の事実はどう説明されますか。
つまり、独立している各個人間の思考や言語には多様性があるのに、なぜ外界像には多様性が無いのでしょうか。

それから補足意見として :      jimoさんの指摘された脳の冗長性や常識については、
古い記憶を想起する時の内容の希薄な部分は、想起時に適当に脚色したり補充することで整合性が付くように修正する、
というご指摘だと思いますが、しかし “ 内容の事実 “ については想起時の脚色では説明できないはずです。

脳を模す ・ 神経系を模す場合の、原始生物の簡素な構造の模作によっても “ 生物らしさ “ が表れません。
時間認識の低下について、認知症は時間認識 “ だけ “ が低下する訳ではなく、全般的な精神機能の低下によると
考えられます。

この回答への補足

どうも意識物質非物質論の討論ではなくなってきましたが、その以前に意識が存在するかしないか討論になっているのでそれも踏まえて補足しますと
自分の意見はjimoさんの意見とmk4243さんの意見を足して2で割ったような意見ですね。
脳の物理的作用を阻害することなく意識が働いているのだと考えますね。
やはり、そのように考えると受動能動性理論であり、意識変容でしか理解出来ない超心理学を説明するには意識が存在するとしか思えないし、意識が存在せず物質一元論的な考えだとこの世の中をJIMOさんも見ることが出来ないわけですし、感情も感じません、また主体性も否定できないでしょう。
主体性がなければ自分自身は他の人でも過去の人でもあるわけですが現に他の人の精神状態を理解することは出来ません。よって脳の物理的作用を阻害しない存在として意識=非物質でよろしいのではないでしょうか?

補足日時:2007/02/09 01:08
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この回答へのお礼

上記の補足各場所間違えました。お詫びします。

お礼日時:2007/02/09 01:27

まず「人工知能」論ですが,そもそも生物の脳の生理化学的な構造が不明確である時点で「人の脳を模す」と言っても,それは極端に限定的な機能のシミュレーションに過ぎませんから,「意識」が生まれるはずもありません。

当然のことだと思います。
次に「自由意志」ですが,この言葉自体,人が勝手に作った言葉であり,きわめて主観的な概念であるといえます。そもそも動物にはそれぞれ基本アルゴリズム(本能)があります。人の場合は,この基本アルゴリズムに学習などの機能が備わっていて,個体ごとに異なる刺激(やけどかもしれないし単純な音声かもしれない)を受けることによって「個性」が生まれるものと思います。その「個性」を持った個体が,たまたま何らかの刺激(ひょっとしたら頭を通り抜けた宇宙線の電荷によるものかも (^_^) )を受けたときに「**したい」と思ったりしたとしても,外からは「自由意志」に見えるでしょう。要するに,「自由意志」という言葉自体が定義できないのです。

次に脳の冗長性。これは簡単な話でしょう。CDのエラー訂正機能を考えても良いし,ハードディスクのRAID構成を想像しても良いと思います。おそらくはこれら以上に高度な冗長性を持っているものと思いますが,とにかく,複数箇所に失われた情報を再生できる情報が保持されているというのがとりあえずの答えになります。
また,人は「常識」という,いわゆるテンプレートを持っています。失われた情報を「常識」と照らし合わせて記憶を復元することも可能でしょう。(思いこみで,体験してもいないのに体験したような記憶が残る例がこういった復元によるものと推定できる)

時間という概念。これも人の専売特許のように言われますが,本当にそうなのかはまだ結論が出ていないのでは?そもそも,道具を使うのは人間だけなんて言っていた時代はつい最近まで続いていましたし。
それに,認知症になると時間的な前後が不覚になることが多いようですよね。脳のどこかに時間の流れを整理する機能があるというだけではありませんか?「今」という概念がそんなに重要だとも思えませんし。

この回答への補足

jimoさんの回答ですとクオリアや主体性を説明できませんよね?

補足日時:2007/02/08 01:50
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この回答へのお礼

>刺激(ひょっとしたら頭を通り抜けた宇宙線の電荷によるものかも (^_^) )を受けたときに「**したい」と思ったりしたとしても,外からは「自由意志」に見えるでしょう。要するに,「自由意志」という言葉自体が定義できないのです。

とありますが受動能動性で説明できませんかね?
受動能動性というのは物事は自分で決めているんだという意思と光とか音とかそのようなものでコントロールされているんだという現象が両方存在しているという考え方です。
また、この二つは一つに統合されており2分化されたものではないという考え方です。
http://www.eleutheria.com/philo/kant/gsmpa.html

お礼日時:2007/02/08 03:25

ANo.6です。

もう少しマシな回答を思いついたので再投稿します。

「意識」が何故どのように生じるかについては現代の科学でもまだ解明できていませんが、少なくとも脳細胞のある種の「活動状態」から意識が生じるということは大分前から解っています。それはある種の薬物の使用とか脳の特定の部位に直接電気刺激を与えて「活動状態」を変化させることによって意識が変容することからも明らかです。

いま貴方はPCの前でこの回答文を読んでいることと思います。
PCを例に考えてみましょう。いま貴方のPCのCPUは、インターネットから送られてきた電気信号を解読してメモリを参照して情報をモニタの画面にドットで表示するという一連の作業を一生懸命行っています。貴方のPCは意識を持っていないはずですが(もし持っていたとしたら『こいつはくだらない回答を2度もよこしやがって』とふてくされているかもしれませんが^^;)、情報を取り込み・処理して・出力するという人間の脳の働きに似た「活動状態」にあります。

さてここで突然貴方がPCのパネルを開けて内部に水をぶっかけたとします。当然回路がショートしてPCは「死」に、電気的活動は停止します。さて、さっきまで行われていた情報処理活動はどうなったでしょうか?DOSのパラダイスに行って一生懸命プログラムの実行を継続しているのでしょうか?(ダメです。補償の対象外です^^)

PCの例で考えれば明らかなように、人間の意識も同様です。ヒトが死亡して脳活動が停止したら、情報処理活動は行えなくなります。従って意識を継続することは出来ません。PCにも人間にも「霊界」は無いのです。

まとめて言えば、「意識」とは、情報処理を行う物理的なメカニズムのネットワークの中で行き交う情報のある種の活動状態から作られている、と私は思います。

確かに現代の科学ではではまだ「意識」については解明できていないところがたくさんありますが、だからといって、ずいぶん前から間違いが既に明らかな「霊界」仮説で説明しようとしたら、なおさら解明は難しいことになると思います。

この回答への補足

意識継続は無理ですが今我々が住んでいるこの世界から主体性が外れ意識次元へ向かうということはあるんじゃないでしょうか?

補足日時:2007/02/08 01:36
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この回答へのお礼

>直接電気刺激を与えて「活動状態」を変化させることによって意識が変容することからも明らかです。

これは凄いことを聞きました。
主体性も変容してしまうのでしょうかね?
元の人格を電気刺激で変容させ外に追い出して別人格になりうるということもできるのでしょうか?
もし人格変容した場合元の人格が"外"に追い出されるわけですが私が言う"外"が霊界だということもあるかもw自分の希望ですがw

お礼日時:2007/02/08 03:07

ANo.1. ANo.2. ANo.4. の回答では、意識は脳の物質的属性であり、複雑な機能を持つ計算機械だという意見


ですが、このような機械論の立場から今の人工知能開発はスタートして、いずれその内に機械は意識を持つ
だろうという安易さのために “ 意識とは何か “ という議論は充分に行われませんでした。
このため現在でも、人工知能は “ カラクリ機械 “ の域から脱することは出来ていません。

マクロ的機械論の立場で脳を理解しようとすると、個体それぞれが持つ意識での自由意志については説明不可能
になるから、それは幻想だということになります。 また人間の夢知覚について、現実味を帯びた知覚対象と
認識過程も同じく説明不能になるはずです。

まだまだあります。 事故や戦争で脳に物質的損傷を受けるケースは多くありますが、損傷程度に “ 比例 “ して
人格が変容したり記憶が消失することはありません。 これは経験的に知られている事実です。
この記憶の問題にしても、機械論での説明として ” 古い記憶 “ は脳の担当部位に分散保存されるのであれば、
脳は生体活動していますから、当然古い記憶は蓄積されたノイズの影響は避けられないはずです。

しかし古い記憶について、正確さや記憶想起に伴う心像イメージが “ 古さに比例して “ 想起困難になるという
ことはありません。 また機械論だと、時間認識での 過去 ・ 現在 ・ 未来を成立させる “ 絶対的な今 “ が、
その基準として特定できないから、時間概念も生じないと考えられます。

この回答への補足

小胞がオルゴンエネルギーを発生させて意識と組み合わさっているということはないですかね?

補足日時:2007/02/08 01:31
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この回答へのお礼

なるほど!物質だと意識を理論体系化することが出来ないということですね!物質の規制から外れた見解を説明するには非物質的と考えるべきだということですね!

これはここの回答の中で一番頭をついているかもしれませんね~。消去法で非物質論を導いている回答ですね~。

半信半疑でしたが非物質論の方に心が傾いてきましたw

お礼日時:2007/02/08 01:26

どう考えるべきか、とても興味深いご質問です。



ここに一冊の本例えば「ハリー・ポッター」があるとして「これは何で作られている?」と問われたとしましょう。
物質的に見れば紙とインクの染みで作られているとしか言いようがありませんが、もちろんそれだけでは無いですよね。作者のローリングさんが創作した物語の情報が文字で表されて含まれているわけです。
物語の情報それ自体は物質的カタチはありませんが、文字を読んで理解することによって初めて読者に情報が伝わり、意識の中にイメージとして再生されるわけです。

さてご質問の本題に戻れば、私は、人間の意識とは脳細胞の中で行き交う「情報」の流れによって作られていると考えます。従って、意識それ自体は物質的ではないもので作られている、と思いますがいかがでしょう。
さきの本で例えれば、英語版・日本語版・アラビア語版では表記されている文字は皆違いますが、物語の情報はどれも変わらない(はず)なので、文字などの物質的カタチに依存していないことが判ります。

ただ、意識が存在するためには、情報を伝えたり記憶を保持したりする物質的なもの(人間なら脳細胞とか、PCならCPUやメモリとか)が不可欠であるのは、言うまでもありません。
本の例で言えば、紙とインク無しには本の中味(物語)も存在できないというわけです。

物質と意識の関係は、いわば、ハードウェアとソフトウェアの関係といえるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

脳細胞+情報の流れ→意識(非物質的)
ということですね。
なるほど。でしたらパソコンは意識は無いですねw
自分も非物質なような気がしています。(気がしているだけで半信半疑ですが・・・)なぜなら物質だともし大きな物質が意識に降り注いだら痛くてしょうがありませんからねw(非論的ですが・・・)

分かりやすい回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/02/07 02:44

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