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地獄

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  • 質問者:noname#69788
  • 投稿日時:2007/02/05 16:14
  • 困り度:暇なときに回答をください

地獄は、本当にあるのでしょうか。あるとすれば、仏教のような有期刑でしょうか。キリスト教のような無期刑でしょうか。

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  • 回答者:tokytime
  • 回答日時:2007/02/13 18:21

No.13です。

スエーデンボルグはキリスト教史上最大の神秘主義者です。
以下を参考にして下さい。


エマヌエル・スウェーデンボルグ(1688~1772)

科学者スウェーデンボルグ

キリスト教神秘主義最大の思想家であり、スウェーデンの最高、最大の学者でもある。ウプサラ大の神学教授の息子としてストックホルムに生まれ、84年の生涯の前半を科学者、後半を神学者として過ごす。

科学者としての才能は豊かで、天文学・機械工学・数学・宇宙論・解剖学・生理学・鉱山学など多方面の分野で先駆的な研究をし、当時としては驚くべき先見性を有した発見の数々がある。本職は鉱物学者でスウェーデン鉱山局に籍を置き30年弱勤務、研究をする。

神学者への転向

52歳ごろから幻視体験をいくどとなく体験するようになり、1745年4月、ロンドンでキリストの幻視を体験する。キリストが現れ、「人々に聖書の霊的内容を啓示するためにあなたを選びました。この主題に関して何を書くべきかを示しましょう」と語った。それ以来彼は霊界の探訪者・神秘主義者へと転身し、一切の世俗的な著作活動を放棄して霊的な研究へと進み、霊界探訪に基づく膨大な量の神学的著作を残す。

神学者への転向は彼の科学者としての名声を曇らせるものであったことは間違いない。転向後の彼を精神的な病にかかったものと見る人もいるが、霊界探訪に基づく膨大な著作には終始科学者としての理性的で冷静な目が貫かれ、緻密な整合性が見られる。カントが「それが霊界についてであるという点を除けば、これ以上理性的な本はないくらいである」と述べたほど、その内容からうかがえる著者の精神は健全そのものである。83歳で、予告通りの日にこの世を去る。

スウェーデンボルグが影響を与えた人々

スウェーデンボルグについてはその巨人的な才能や霊界探訪者としての側面ばかりが強調されがちだが、人物としては愛の人であったことを多くの人は知らない。その神学的な反対者たちでさえ、彼の誠実で勤勉で親切な人柄を攻撃することはできなかったという。

スウェーデンボルグの思想は特に後世の文学者たち(コールリッジ、ブラウニング夫妻、イェイツ、エマーソン、ヘレンケラー、リンカーン、バルザック、ボードレール、ドストエフスキーなど)を中心に大きく影響を及ぼしている。現在スウェーデンボルグ研究の中心地はアメリカであり、1850年設立のスウェーデンボルグ財団(Swedenborg Foundation)という非営利団体(1993年にニューヨークからペンシルベニア州ウェストチェスターに移転)やその他の有力な研究機関がある。ロンドンではスウェーデンボルグ協会(Swedenborg Society)が、ドイツではチューリヒのSwedenborg Verlagが著作を扱っている。

日本では、賀川豊彦や無教会主義の内村鑑三、さらに禅学の大家鈴木大拙がアメリカ留学中にスウェーデンボルグの思想に接し、影響を受けている。日本語訳はアルカナ出版と静思社が扱っている。(『スウェーデンボルグの思想』高橋和夫・講談社現代新書より要約)

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No.13ベストアンサー10pt

  • 回答者:tokytime
  • 回答日時:2007/02/13 02:17

NO.10です。

以前、エマニュエル・スエーデンボルクの著書を読んだときに、面白いことが書いてありました。

「地獄に投げ落とされる・・」と人は表現するけれど、彼らは決していやいやながら落とされていくのではない。
むしろ彼らは喜んで、歓喜に浸りながら地獄に飛び込んでいくのである。

なぜならば、地獄こそがかれらにとって最もふさわしいところ、最も自分の信条と一致したところ、最も楽しいところだからである。

地獄の残酷さ、醜悪さこそ彼らが慣れ親しんだものであり、生前にいつも行動した続きを継続できるところであり、気持ちが同調できる住人たちばかりが巣食っているところであるからだ。

彼らは天国になぞ死んでも行きたくないのである。
天国の清らかさ、慈悲深さは、彼らにとって地獄の炎や針の山よりも、もっと毒である。
彼らがその聖なるエネルギーに触れたならば、死ぬほど苦しみ、ちりぢりになって逃げていくだろう。

だから、彼らは心からよろこんで地獄の方へ向かって飛び込んでいく。
間違っても天国の方になぞ飛び込まない。

この様子を天界の住人から眺めると、まるで地獄に投げ込まれているように見えるだけなのである。


如何でしょうか。
スエーデンの宰相まで勤め、当時の天文学、科学、数学、物理学、医学・・全ての分野で最も優れた研究者だったエマニュエル・スエーデンボルクの膨大な「霊界日記」や「天界と地獄」などの著書は大英博物館に保管されています。

彼は60過ぎからしばしば就寝中に霊界を訪れ、その記憶を持って帰り、ひたすら記したのです。

自分がすべての学問の分野に精通した理由は霊界で体験したことを客観的に判断し、世の人々のためにその情報を提供するためだったと晩年に気付いた、と書いています。

興味のある方は読んでみてください。

参考になれば、幸いです。

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この回答への補足

エマニュエル・スエーデンボルクはカトリックですか、プロテスタントですか。

この回答へのお礼

ありがとうございました。

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No.12ベストアンサー20pt

  • 回答者:kettouti
  • 回答日時:2007/02/10 11:28

確か、シェイクスピアが、
「赤ちゃんは、どうして泣きながら生まれてくるのか?それは、地獄のような、この世の中に生まれてきたくないからだ」
という事を書いている物語があったと記憶しているのですが・・・。
言われてみると、声を出しながら生まれてくる事が生きている証だとしたら、なにも泣きながら生まれてこなくても、笑いながら生まれてくれば良いのにと感じます。
それから、この世の中に生きていると、良い事もあるでしょうが、嫌な事・悪い事がスゴク多いように感じます。(自分だけか?)
火事・放火・事故・事件・人的災害・自然災害・様々な事に対するストレス等。
仏教的に考えると、地獄とは「酷熱、極寒、飢餓、渇、剣樹、鉄釘、脳血、沸屎、石磨などの恐ろしい場所」と言われます。
しかし、これらの事はこの世で起きている様々な出来事が当てはまるように感じます。
ですから、地獄とは、この世の中の事ではないかと感じています。
シェイクスピアの考え方に自分としては同意出来るかなと・・・。

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こんにちは

簡単に、一例をあげてみると。
仏陀、釈迦無二の高弟、マハーモッガラーナ(って、知ってます??)は、釈迦無二が、地球に居た時、に同様に、地球に生まれていました。
(そこで、解脱、悟りを得ましたが。)
この方、別の宗教団体に頭を割られ、涅槃したとか。

この方の前生(ひとつ前??)は、地獄だったと言われてます。
(これは、有名な話です。)
だから、期間は有限と考えます。
なお、有限といっても、仏教の場合、いまの地球みたいな、時間、年の感覚、観念が、違い、カルパということばの単位を主に使います。
これは、01カルパ=宇宙が、創造され、破壊にいたるまでの期間をいう。
したがって、有限ではあるが、人間的な感覚では、無限ともいえるかもしれません。

上記の"前生(ひとつ前??)は、地獄"で、次の生は人間で解脱した。
その理由は、その前の前生に、やはり別の宗教団体に属し、仏陀の頭を割って殺した。このカルマによって、一度、地獄へ落ち、次の生では、逆に仏陀の弟子となる。そして、同様に過去世のカルマの開放により、頭を割られ涅槃したと。

キリスト教と仏教の違いは、宇宙に関する考え方、到達地点の違いだけで、あとは、ほぼ一緒だと思うので、同様に有限と考えますが。
以上

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  • 回答者:tokytime
  • 回答日時:2007/02/10 01:39

storm50さま、
地獄について私なりに理解しているものは以下のようなことです。

地獄も天国も、決して、神やその他の存在から与えられる刑罰でも報償でもないと思います。

死後の世界は、自分自身の感情のエネルギーが物質化(霊的物質)する世界です。

ですから怒り、おごり、妬み、恨みなどどいう負の感情は負のエネルギーを持っているので、負のエネルギーから生まれた負の物質となって表現されます。

例えば、他者に対する狂おしいほどの燃え上がる憎悪は、どす赤黒い炎となって自分自身を苦しめます。
この様子はちょうど炎熱地獄のように見えますが、勿論物質的な炎で焼かれるのではなく、自分自身の憎悪そのものが自分を焼き尽くすように苦しめるのです。
消えない炎であり、死ぬことができないので、その苦しみは実際の焼死とは比べることができないくらい辛いようです。

他者へ送った負のエネルギー(感情)は、それそのものが自分自身を苦しめることになります。
その負のエネルギーはありとあらゆる自分自身の障害となって表現されます。

他者に対して微塵も憐れみや慈悲を感じなかった人は、その潤い一つ無い、不毛の感情によって、草木一本生えない、全くなにもない、不毛の砂漠にたった一人で自分が居るのを発見するかもしれません。
そして、他者への愛情が湧かない限り、いつまでもその状態が続くでしょう。

逆に他者に慈しみと奉仕を捧げてきた人は、その愛情、慈悲、優しさのエネルギーから表現される、人を引き付けて癒す美しい自然や、整然と美しく整った町に自分を引き寄せていくでしょう。
そして、同じように美しい心を持った善人(善霊)たちと共に充実した日々が送れるでしょう。

どちらにしても自分自身の生前の感情とそれに伴った行いによって自分自身
を表現した結果が死後の世界を決定するのだと思います。

ですから何時まで地獄にいるのか決定するのは他ならぬ自分自身です。
たとえ、どん底の地獄でも、そこで心を入れ替え、他者に対する愛情と慈しみで心を一杯に満たしたならば、即、地獄から脱出できるでしょう。
そんな慈悲深い人は、地獄の暗いエネルギーの波長と合わなくなるからです。

そして、心の愛情の度合いにふさわしいレベルの天国にきっと行けるでしょう。
心に向上心があれば、愛情と慈悲に満ちた善霊たちがきっと助けてくれることと思います。

この様なことから、他の方も言及されていることですが、地獄、天国が心の中にある・・というのはたとえ話などではなく、真実だと思います。

又、生前だけではなく、死後もその行いによってどんどん負のエネルギー(悪徳)を積み重ねる人もいれば、心から負の感情を排除していって徳を積み上げ、どんどん高い霊界に上っていく人もいるでしょう。

結局、生前、死後に関わりなく、人は常に自分自身の感情のエネルギー(心の中の思い、他者への気持ち)によって自分自身を苦しめたり、幸福にしたりするということでしょうね。
それが死後の方が端的に表されるということでしょう。

参考になれば幸いです。

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この回答へのお礼

ありがとうございました。

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カトリック信者です。

まあ信者といっても、信仰は薄いので。。。

地獄は、あります。
「この世」です!

イラクやパレスチナやダルフールなど、この世には地獄がいっぱいです!!!
日本にも、地獄はいくらでもあります!!!

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この回答への補足

では、どうして人は、この世に子供を作るのでしょうか。

この回答へのお礼

ありがとうございました。

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  • 回答者:kigurumi
  • 回答日時:2007/02/09 00:47

私の理解ではイエスには地獄という概念は無かったと思うのですが。。。

しかも天の国は来ている と今でいうなら完了形になっているはずです。

イエスが言った死人とは、信仰心が無くなった人のことだと思います。
死者のよみがえりとは、かつて信仰心があったが、なくしてしまったので死者となり、再度信仰心を持ったことでよみがえったということだと思います。


カトリックには煉獄という概念があったと思います。
他の宗派には無かったと思います。
煉獄とは今でいうなら裁判所みたいなところで、イエスで例えるなら、慈悲と峻別の天秤にかけられ、いわば宗教裁判のような状態になり、あまりにも信仰心が無い場合は、信者を剥奪して追放。
永久に信者として認めないし関係も一切絶つ。
これが最後の審判。


信仰心が無くなった状態が地獄 と考えられていたんだと思います。

ラザロの復活とは、信仰心を取り戻したということだと思います。
恐らく宗教裁判にかけられ、一時禁固刑をくらったと思われます。
そしてイエスが彼を救った。
彼の信仰心の欠如を病人として例えたくだり。


聖書にはイエスの奇跡が載っています。
目が見えない人 足がなえた人。 
全て信仰心が極端に欠如した人たちのことだと思います。
従って文字通り 盲目の人を一瞬にして肉体的に目が見えるようにしたわけではなく、信仰心が無くなり宗教的に盲目 つまり 見えなくなったしまった人に 光を与え、目が見える つまり信仰心を取り戻した という話。

金持ちの家の前のラザロの話もしかり。
口先だけは立派だが、実態としては信仰心が無い人=金持ち。
金持ちが死んだ後、(信仰心が全くなくなったとき) 神に兄弟にせめて信仰心を持てと言わせてくれといいましたが、「既にモーセと律法がある。 それがありながら貴様は信仰心が無くなり死んだじゃないか」といいましたよね。


既にあるものを無いとする。
エセ信者にとってはまさに信仰心が無い=死です。
だったら、最初から生きるな=信者になるな ってことだと思うんですね。
信仰心があると宣誓した以上、その信仰心の明かりを消すようなよそ見はしちゃあ いけないと思うんです。

「あなたは神を信じますか」 これただしくないです。
「あなたは神が存在すると信じますか」が正しいです。
存在するという認識があれば、神は存在しているわけです。
疑うと信仰心が消えだすわけです。
神の存在が消えるわけです。
かつて信者だった人が信仰心をなくすと、生きながら死者になるわけです。

破門 追放されるまで信仰心が無くなった人が復活はあるのか?
よほど 信仰心がなくならない限り、破門は無いと思うんですね。
少なくともイエスの考えでは。

イエスが属していたとも一部言われるクムラン宗団。
赦しの規則がある。
信仰心が無くなった程度に応じて、罰則がある。
数日の禁固から、数ヶ月、最悪もう救いようが無い場合は、破門して追放。
それがパウロに起こった。
数ヶ月の謹慎処分ではすまないとんでもないことをしでかした。
ほとんどの律法を否定してしまった。
神を愚弄するにもほどがあるので、クムランではもっとも重い罰が与えられた。
破門 追放。
パウロはかなり頭にきたでしょうね。
イエスの思想殺し やりまくりました。
書き換えて改ざんしてしまった。
そして自分の思想をイエスの思想だと塗り替えた。

パウロの鳴らす音楽を聴かず、イエスのならず音楽を聴いていれば、一度誓った以上 信仰心の明かりは消えないと思います。

羊は主人の声を聞き分ける ハズですから。
どちらを主人だとしていますか?
パウロ それとも イエス?

イエスを主人としていたら地獄という概念は持つはずがない。
パウロを主人だとしませんでしたか?

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この回答への補足

煉獄とは、地獄に堕ちるほどではないは、罪を犯したものが有期刑の罰を受けるところというのを見たことがあります。

この回答へのお礼

ありがとうございました。

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  • 回答者:gellgugu
  • 回答日時:2007/02/07 18:55

有期刑だと思います。
そもそも仏教でもキリスト教でも仏典や聖書というものは聖者当人が書いたものではありません。
本当に神と対話し、真実を知ったのは聖者当人ではないのでしょうか?
例えば仏教は釈迦ですが、彼はバラモン教での苦行はおかしいと説きました。そして経文を読むだけで幸せは訪れると。
しかし後々仏教には難行苦行が復活しています。滝を浴びたり断食をしたり。
キリストは戒律を戒めました。そしてこう言います。神はあらゆる罪を咎め、あらゆる罪を赦される。
この言葉を信じるとしたら、大きな罪を犯して地獄に行った人も赦され救われる筈なんです。
恐らく無期刑という概念ができたのは勝手な予想ですが、地獄に落ちることも恐れなくなっては犯罪が減ることは無いと懸念した構成の人々が付け加えたのではないでしょうか?
また仏教にて地獄に落ちる場合閻魔大王にて審判が行われ、浄玻璃の鏡に照らされるとあります。そこで犯したあらゆる罪をまざまざと見せ付けられるようです。そのことを考えると普通の人ならものすごい反省をします。また恥ずかしいと思うでしょう。その反省の念を持っていく先に地獄があるのだから、仕方ないと諦めることでしょう。つまり地獄とは自分に見合ったところへ行くのだから思ったほど苦しいところではないと思うのです。もちろん苦しいでしょうが仕方ないと思いながらの生活です。普段この世の生活で失敗を犯したときに「罰としてこれこれをしなさい」といわれてもやむを得ずそれをすると思います。これは苦しくないですよね。何もやっていないのに「おまえやれ」といわれると不満も出て苦しいと思います。そういう感覚の場所ではないかと私は考えます。

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  • 回答者:1katyan
  • 回答日時:2007/02/06 22:29

完全に神様から見放された状態であると何かの本で読んだことがあります。

聖書的な考えならば 完全に見放されるという事もありません
絶えず どんな悪い事をした人でも神の愛は等しく そしてすべての人に平等にあります。

神様は絶えずどんな人でも救いたいと言う事でイエスキリストを私達の
弁護者として送られました。
救いというのはイエスを信じること ただこれだけです。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

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  • 回答者:1katyan
  • 回答日時:2007/02/06 19:39

無期刑ではありません。
すべてを支配している神様
やはり地獄にも神の愛は届いてます。

(はっきり言いまして まだ見たことも行ったこともありませんのでわかりませんが)

地獄という概念から離れどうすれば天国 極楽にいけるのか?を考え
その反対の事したら行くものだと思ってください

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この回答へのお礼

ありがとうございます。地獄とは、完全に神様から見放された状態であると何かの本で読んだことがあります。

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