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「科学」のカテゴリーにすべきか迷ったのですが、どちらかというと「科学哲学」的な質問かなと思い、こちらで質問させてもらうことにしました。

さて、内容ですが「ズバリ科学とは何でしょうか?」です。
あるいは、「どういったモノが「科学的に証明された○○」となるのでしょうか?」と言い変えても良いかもしれません。

例のTV番組、「あるある大事典」の捏造問題で昨今再び「科学的○○」なるものを「エセ科学」と糾弾しようとする記事もちらほら見かけるようになりました。
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/he …

しかし、そもそも「科学的に証明された」とはどういったことを指すんでしょうか?
私は安易に、「観察をして仮説を立て、それを実験によって再現性を確認できたら、科学的に証明された」と思いこんでいたのですが、、、。
しかし、これだと「実験による再現性の確認」が出来ない「人文科学分野や社会科学分野」は科学とは呼べなくなると気づきました、、、。

では、科学の本当の定義って何なんでしょうか?
あるいは、人文科学や社会科学は「科学」と呼べるモノなのでしょうか?
因みに、私はWikiを読んでも今ひとつピンときませんでした。
もしかして、案外いい加減に使われてたりします?^^;

参考のWiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%91%E5%AD%A6
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%91%E5%AD%A6% …

A 回答 (6件)

アメリカでほんの20数年前に、裁判レベルで「創造論」と「進化論」が争われました。


「創造論」とは要は聖書の記述こそが正しいとする主張し、世界は神によって創造されたとします。
従ってビックバン理論や生物の進化などはまやかしだと主張します。
そして創造論者は、彼らの創造論も学校で教えられなければならないとして
(つまり、世界は神の言葉によって創造されたことを「科学的事実」として教えられなければならないとして)、
「創造論-偽科学」と「進化論-科学」の対立が裁判にまで発展したのです。
そして、この裁判はなんと合衆国最高裁判所にまでもつれ込んだのです。
裁判の詳細は省きますが、その過程で「進化論」側が持ち出した科学の定義によれば、

「(1)自然法則に沿っていること。(2)自然法則にしたがった説明ができること。(3)経験によって検証が可能であること。
(4)結論はあくまで仮説であること…そして(5)反証できること。」

とされています。(マイクル・シャーマー『なぜ人はニセ科学を信じるのかII』(ハヤカワ文庫)p.81)

上記の定義はまぁ妥当な科学の定義だと思います。
先の回答者の方が広義の科学と狭義の科学を区別されていますが、
たとえ人文科学であっても、あるひとつの研究結果(歴史の捉え方にしろ、文学作品の様々な解釈にしろ)が
「科学的」に再考することが可能な訳です。
(まぁ文学作品などに一つの絶対的な解釈は存在しないので、その意味で自然科学的な意味での証明とは異なりますが。)

長くなってしまいましたが、質問者様が言う「科学的に証明された」とは、上記の定義の過程が繰り返し検証され、
これはどうやら間違いなさそうだと認められたときに「科学的に証明された」となるわけです。
そして、その証明もいつか誤りだったと証明される可能性を孕んでいるのです。

今回の「あるある」の問題に限って言えば、私見では「科学かエセ科学か」ろいうより、捏造という倫理的な部分が問題なのです。
納豆云々は検証すれば事実が判明されるはずなのに、その検証を(送り手も受け手も)行わず、
視聴率のために捏造したためこれだけ問題になったのだと思います。
情報操作が当たり前の今日において、テレビなどで流されるものは事実であるという誤った観念が広まっているために、
今回の問題はよけいに大事になったのでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
時間が無いので、失礼ながら#6さんのところで纏めてお礼させていただきますね。

お礼日時:2007/02/11 08:24

科学とは、物事をばらばらにして研究する方法です。

物事を全体的に扱うのは、哲学です。
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この回答へのお礼

皆さん、ありがとうございました。
返事が大変遅くなってしまい、申し訳ありません。
何故か質問してから、忙しくなってしまって、、、。
失礼かと思いましたが、こちらで纏めてお礼させていただきますね。

広義の科学と狭義の科学があることは存じていました。
ただ、そこには拘らずに聞いてみました。
科学の定義については、その思想上・立場上でまだまだアヤフヤっぽいですね。(人文科学や哲学を、科学と認めるかどうかについても)
ただ言えるのは、本当の意味で「科学的に証明された○○」は、「現状では、限りなく真実に近い仮説」と言いかえられるのかなと感じました。

お礼日時:2007/02/11 08:22

> 私は安易に、「観察をして仮説を立て、それを実験によって再現性を確認できたら、


> 科学的に証明された」と思いこんでいたのですが、、、。

これは自然科学の話だと思います。科学の基本的な条件に、実験結果によっては否定される可能性のある実験ができなくてはなりません。このような実験ができないようでは科学と呼ぶに値しません。また、結果次第では否定される可能性のある実験を耐え抜くことにより、信頼性が大きくなりますが、決して「証明」されたわけではありません。実験可能な範囲で有効な理論であることが分かっただけです。

ある仮説があって、この仮説が正しければ、こうなるはずだ、という事は「証明」できることもあります。でも、実験によって「こうなるはずだ」が実際にそうなったことが検証されても、仮説が「証明」されたわけではないということです。もちろん、「こうなるはずだ」が観測によって、そうならなかったら仮設は否定されたわけですから、こういう実験によって仮説の信頼性はアップします。しかし、これをいくら繰り返しても「証明」にはなりません。こんなことで「証明」といえるのなら、フェルマの予想はワイルズのはるか以前に証明されていたことになってしまいます。しかし、どれだけコンピュータで検証を行っても、フェルマ予想は「ほとんど正しい」ことが分かっただけで、証明はワイルズによってはじめて行われました。数学は条件を決めてやるので証明できますが、自然科学ではこのようなことは不可能です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
時間が無いので、失礼ながら#6さんのところで纏めてお礼させていただきますね。

お礼日時:2007/02/11 08:24

広義の科学と狭義の科学を混同されています。



広義の科学の場合、社会科学や人文科学も含みますが、狭義の科学といった場合、自然科学だけです。その場合には、「観察をして仮説を立て、それを実験によって再現性を確認できたら、科学的に証明された」は成立します。
また、デカルト以来の還元主義こそが自然科学の基本姿勢であるといっても良いでしょう。

社会科学では統計の応用により、自然科学の手法に近いモノが使われることも多いですが、厳密に還元主義が成立しているとは言えないと思います。人文科学はまあ、そんなところで・・
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
時間が無いので、失礼ながら#6さんのところで纏めてお礼させていただきますね。

お礼日時:2007/02/11 08:24

 「科学的に証明された」というのであれば、やはり実験や観察によって再確認を(できれば多数で)された場合でしょう。


 科学とは、まず疑い、その確認を多数が行うことを前提としているものだと思います。疑いの罵声の中で、それでも生き残ったものが、今のところ、もっとも正しいと思われ科学的に証明されたものとして扱われるといことです。まあ、数学以外はそれでも仮説に過ぎないのですが。
 社会科学も同様の過程を得ていますから科学だと思いますが、哲学は科学とは思いません(たまに観察による客観性をもったものもありますが)。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
時間が無いので、失礼ながら#6さんのところで纏めてお礼させていただきますね。

お礼日時:2007/02/11 08:23

前提を置いて、「△△の条件の下で、○○が成り立つ」ことを研究するのが科学で、


「必ず、○○が成り立つ」ことを研究(?)するのがエセ科学。

研究対象に対する態度が真摯なものであるかどうかが問題だと考えます。
だから「科学的に証明された○○」はエセです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
時間が無いので、失礼ながら#6さんのところで纏めてお礼させていただきますね。

お礼日時:2007/02/11 08:23

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