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日本の南京大虐殺研究の第一人者の笠原十九司氏は1997年に発行した著書の岩波新書「南京事件」にて

南京事件において十数万以上、それも二○万人近いかあるいはそれ以上の中国軍民が犠牲になったことが推測される。日本側の資料の発掘・公開がさらに進み、中国側において近郊農村部の犠牲者数の記録調査がもっと進展すれば、より実数に迫る数字を推定することが可能となろう。

と述べております。

この笠原氏の著書が発行されてからかなりたちますが、現時点での最新の南京大虐殺の犠牲者数は何人という意見が有力なのでしょうか?

私の知る範囲の南京大虐殺の犠牲者数に関しては、2005年7月21日の人民日報(http://j.peopledaily.com.cn/2005/07/21/jp2005072 …)では「日本軍将兵は南京城内で無差別な放火・殺害・暴行・略奪を繰り広げ、暴虐極まりない反人道行為を犯した。(中略)その数は30万人以上に達した。」とあり、

また、笠原氏はSAPIO1998年12月23日号で

拙著「南京事件」(岩波新書)・「南京難民区の百日」(岩波書店)を読んでくだされば分かるように南京城内では、数千、万単位の死体が横たわるような虐殺は行われていない。集団虐殺のほとんどが場外、郊外長江岸でおこなわれたのである。

とあるので、笠原氏の主張する南京城外の犠牲者数と人民日報の主張する南京城内の単純計算して、「犠牲者は50万から60万」という意見が有力なのでしょうか?

しかし、よく耳にするのは「南京大虐殺の犠牲者数は30万人」という意見がほとんどです。

最新の犠牲者数に関する意見とその意見が載せられている本やホームページがあれば教えてください。

A 回答 (26件中11~20件)

率直に申し上げて、「頭悪そう」という感じを免れないのである。

笠原の「十数万以上」と人民網の「30万人以上」とを、なぜ足すのか?
笠原の『南京事件』(岩波新書)を読むと、事件全体で「十数万以上、それも二○万人近いかあるいはそれ以上」と書いている。一方、「人民網日本語版」(2005年7月21日付)の記事も、全体で「30万人以上」という意味である。
http://j.peopledaily.com.cn/2005/07/21/jp2005072 …

したがって、次の解釈は誤りである。

> 「南京城内だけで30万人の被害者がいた」と主張し、

記事では、「南京城内で無差別な」と「南京城内で大規模な」の間に、「その数は30万人以上」が挟まれている。だからと言って、「その」が指す「南京市民および武器を捨てた中国軍人が、……殺害され」の殺害場所が、南京城内だとは書かれていない。「城内」-「城内外」-「また城内に戻る」と解釈できる。
なぜなら、中国では「何やかやで合計30万人以上」が牢固たる公式見解であり、人民日報(人民網)は政府系メディアだからである。私もたまに人民網を覗くことがあるが、近年も「30万人」説は変わらない。「城内と城内に挟まれた記述は、当然城内についてだ」というような日本のオッチョコチョイの勘違いなど、即、門前払いの剣幕である。
もちろん、ここ日本のQ&Aサイトでは門前払いされない。私も30万人説には頷けない。それにしても、日本語の文章も読めずに「城内・城外」に異常に執着しているように見えて、仕方がないのである(外国人の方だったらごめんなさい)。
笠原が述べているのは、「南京城内では、数千、万単位の死体が横たわるような虐殺は行われていない。集団虐殺のほとんどが城外」である。「城内の虐殺は数千にも達しない」とは述べていない。
つまり、城内では集団虐殺よりも個別虐殺、という意味である。それゆえ、「数千、万単位」で虐殺死体が横たわる情景にはならない。しかし、個別虐殺の犠牲者は「ここに数人」、離れて「あっちに数十人」単位で横たわっていた。その合計が数千数万にならない、とは書いてない。「単位」と「合計」の違いである。
南京市周辺地図(南京事件資料集)
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre …


(ここから後は付け足しです)
南京事件の犠牲者数について

笠原十九司の『南京事件』(岩波新書)では、事件の期間・場所を幅広く定義しようとしている。また、不法殺害(=虐殺)の範囲も広く取ろうとしている。そのように試算して「十数万」というのだから、つまりその辺りが犠牲者数の上限なのだろう。新資料が出てくれば話も変わり、笠原が「あるいはそれ(20万)以上」というのはその含みと思われるが、今のところは「十数万以上」という概算である。
一方、秦郁彦は戦闘詳報(旧日本軍の公文書。部隊ごとに作成して上部機関に提出する義務があった)などを積算して、「約4万人」という数字を出した。しかし、戦闘詳報の多くは失われているのに、残りを積算して全体像が分かるのか。推計も必要だろう。また、秦は保守的で政府寄りの立場である。東大法卒、大蔵省を経て防衛庁防衛研究所教官、大学教授という経歴からも察せられよう。おそらく、犠牲者数はこの「4万」を下回りそうにない。
というわけで、冒頭で「頭悪そう」と暴言を吐いたわりには、私もずいぶん安直であるが、「4万人以上、十数万人以下」だろうと思う(新資料が出てこない限り)。幅があるのは、資料が散逸して推計するしかないため、また不法殺害の範囲が定まらないためである。

公文書の散逸

公刊戦史ではどう述べているのか? 「日本には公刊戦史もないのか」というと、防衛庁防衛研究所編纂の『戦史叢書』がある。約百巻から成り、私は南京事件の時期と見当をつけた巻を図書館で読んでみた。しかし、ろくに記述がない! 道理で、南京事件関連の本に公刊戦史からの引用が見当たらないわけだ。
代わりによく引用されるのは、偕行社による『南京戦史』、『南京戦史資料集』である。偕行社は陸軍将校の親睦・研究団体で、陸軍唯一の公認団体だった(戦後は解散した後、親睦会的な団体として再発足)。ただし、引用するのは偕行社の「1~2万人説」に賛成だからというより、資料集として重宝だからであろう。その『南京戦史資料集』の中に次の記述がある。

昭和十二年十二月十三日以降、南京を占領した後の日本側の公式記録はにわかに乏しくなる。作戦命令、戦闘詳報などは当然としても、占領地行政や軍法・軍律関係の記録も殆ど発見されず、僅かに松井、飯沼、上村日記など個人的記録から断片的に推測されるに過ぎない。(引用終り)

「日本側の公式記録はにわかに乏しくなる」のは、証拠隠滅を疑わざるを得ない。隠滅しすぎて、逆に冤罪を晴らすこともできなくなったという皮肉な結末であろう。
この本も図書館でざっと目を走らせてみたが、日記に兵の不品行を示唆する記述などがあった。また、命令の中には国際法違反が疑われるものもあった。少ない公文書の中に、第一〇軍第一一四師団歩兵第一二七旅団第六六連隊第一大隊の戦闘詳報がある。笠原の『南京事件』もこれを引用している。丸写ししておくと、次の通り。

(引用はじめ)
第一〇軍第一一四師団歩兵第一二七旅団第六六連隊第一大隊は、12月12日夜(南京陥落直前)、中華門から光華門にかけての城壁南で、1500人余り(1657人)の捕虜を獲得し、のちに処刑した。同大隊の戦闘詳報から引用する。

〔12月12日午後7時ごろ〕最初の捕虜を得たるさい、隊長はその三名を伝令として抵抗断念して投降せば、助命する旨を含めて派遣するに、その効果大にしてその結果、我が軍の犠牲をすくなからしめたるものなり。捕虜は鉄道線路上に集結せしめ、服装検査をなし負傷者はいたわり、また日本軍の寛大なる処置を一般に目撃せしめ、さらに伝令を派して残敵の投降を勧告せしめたり。

〔12日夜〕捕虜は第四中隊警備地区内洋館内に収容し、周囲に警戒兵を配備し、その食事は捕虜二〇名を使役し、徴発米を炊さんせしめて支給せり。食事を支給せるは午後十時ごろにして、食に飢えたる彼らは争って貪食せり。

〔13日午後2時〕連隊長より左の命令を受く。
旅団(歩兵第一二七旅団)命令により捕虜は全部殺すべし。その方法は十数名を捕縛し逐次銃殺してはいかん。

〔13日夕方〕各中隊長を集め捕虜の処分につき意見の交換をなさしめたる結果、各中隊に等分に分配し、監禁室より五十名宛連れだし、第一中隊は路営地南方谷地、第三中隊は路営地西南方凹地、第四中隊は路営地東南谷地付近において刺殺せしむることとせり。(中略)
各隊ともに午後五時準備終わり刺殺を開始し、おおむね午後七時三十分刺殺を終わり、連隊に報告す。第一中隊は当初の予定を変更して一気に監禁し焼かんとして失敗せり。
捕虜は観念し恐れず軍刀の前に首をさし伸ぶるもの、銃剣の前に乗り出し従容としおるものありたるも、中には泣き喚き救助を嘆願せるものあり。特に隊長巡視のさいは各所にその声おこれり。
(引用終り)

これは、言い逃れのできない不法殺害(=虐殺)である。他の部隊についても、不法殺害の疑いは数多い。
最後に、比較的近年(2002年)の出版として、『世界戦争犯罪事典』(文藝春秋)を紹介しておく。この本は2万円近くもする。ご存知のように文藝春秋社の傾向は保守的である。なお、以下の引用はかなり「(中略)」して省いている。

(引用はじめ)
南京虐殺事件
日中戦争初期の一九三七(昭和一二)年一二月、日本軍が中国の首都南京を攻撃占領した際、約二カ月間にわたって多数の中国軍捕虜、敗残兵(軍服を脱ぎ民服に着替えた兵)および一般市民を不法に殺害(虐殺)した事件をいう。(中略)虐殺否定から三〇万人虐殺までの諸説がある。その大きな原因は、論者により虐殺の定義が異なることである。

虐殺否定説の人は、捕虜や便衣兵の殺害は虐殺ではなく、交戦の延長としての戦闘行為であり、また、軍服を脱ぎ民服に着替えて安全区などに潜んでいた便衣兵は、ハーグ陸戦規則に違反しており、捕虜の資格がないゆえ殺害しても不法殺害にはならないと主張しているようである。
しかし、戦場で捕えた捕虜や便衣兵を武装解除していったん自己の管理下に入れておきながら、その後どこかに連行して殺害するというのは、戦闘の延長とはいえない。(中略)また捕虜などを捕えた第一線部隊には、捕虜などを処断する権限はないのであって、捕虜ならば師団以上に設置された軍法会議、捕虜でないならば軍以上に設置された軍律会議の判決により処断すべきものである。
軍律会議は国際的に慣習化されており、日本も既に日清戦争の時からこれに類するものを設置していた。軍律会議は、軍の作戦地域などにおいて、軍司令官以上が作戦の遂行上公布した軍律に違反した日本人以外の人民を審判するため設置されるもので、(中略)当時は、中支那方面軍、上海派遣軍、第一〇軍にそれぞれ軍律会議が置かれていた。したがって、便衣兵は捕虜の資格がないとするのであれば、軍律会議で審判し処断すべきであり、第一線部隊が処断してよいものではない。
しかし、軍法会議、軍律会議は、本来少人数の違反者を対象にしたもので、多数の捕虜集団や便衣兵の集団を裁判したり審判することを想定していないので、実際にはこれらの集団を裁判し審判することは能力的に不可能に近かった。だからといって、能力的に不可能だったから、第一線部隊の殺害が不法殺害ではない、として許容されるものではない。(中略)
南京虐殺は、当時の国際法規・慣例に違反するものが不法殺害、即ち虐殺であるという認識で論議されるべきであろうと思う。(中略)
この論争における争点の中心は虐殺の数の問題であり、代表的な数に関する諸説は以下のとおりである。

1.三〇万人説 中国側の公式数値(侵華日軍南京大遭難同胞紀念館)
2.二〇万人以上説 南京事件調査研究会(洞富雄など)
3.約四万人説 秦郁彦
4.一~二万人説 板倉由明、偕行社版『南京戦史』など
5.虐殺否定説(まぼろし派)田中正明など

現在においては、多くの史料や関係者の証言などによって研究も進み、三〇万人説や虐殺否定説は、実証性に乏しいことが判明して空疎な論になりつつあり、(中略)
日本側の史料・証言などで立証できる一〇〇〇人以上の大規模な集団殺害例は、次のとおりである。(中略)日本側の資料・証言などから推定すると、殺害された捕虜もしくは便衣兵の数は二万人近くになる。(中略)
一般市民の殺害数については、信頼すべき史料・証言などに欠け、金陵大学のスマイス(中略)から推計せざるを得ないのが現状である。このスマイス報告によると、(中略)死者二四〇〇人(中略)被殺者九一六〇人(中略)合計一万一五六〇人および南京市部の拉致四二〇〇人のうちの何割かが殺害されたと推定されるが、(中略)このうちの何割か(数千人)が日本軍によって殺害されたものと考えられる。(中略)
日本軍将兵が、南京攻略の途中および占領中に掠奪、強姦を行なったことは、多くの記録や証言で明白である。しかし、これらは末端の部隊で個々にあるいは小集団で行なわれたもので、組織的、計画的なものとはいいがたい。南京へ向かう進撃が速く、そのため兵站補給が追随できず、末端部隊において食糧などの掠奪(徴発)が起きた。(中略)相当数(一〇〇〇人単位)の強姦が起きたものと考えられる。

ここでは、個条的に主要な要因をいくつか列挙しておきたい。
1.不明確な日本軍の捕虜対策
日本軍は、「戦争」ではなく「事変」であるという理由で、捕虜の取扱いについて明確な命令・指示を出していない。(中略)たとえ戦争でないとしても、戦えば投降者が出るのは当然であり、この投降者をいかに扱うか明確な方針を示さず、第一線部隊に任せたことは日本軍の大失策であり、首脳部の責任は重大である。
2.日本人の捕虜および中国人に対する蔑視感
日本人は捕虜になることを恥とし、(中略)日清・日露戦争において多くの日本人が大陸に渡り、その体験から中国人に対する蔑視感が醸成され、日中戦争当時、多くの将兵はこの蔑視感を抱いて戦場に臨んだ。このような捕虜および中国人に対する蔑視感は、中国人捕虜の殺害に対して、心理的抵抗感や理性を麻痺させてしまった。
3.中国軍の指揮統制力喪失と民衆保護対策の欠如
蒋介石をはじめ政府の要人は、一二月七日に南京を脱出し、南京防衛司令官の唐生智や市長、警察署長などの首脳陣も、民衆保護の処置をすることなく一二月一二日までの間に南京を脱出したため、残された軍人も市民も烏合の衆となり、悲劇を生む要因になった。(後略)
(引用終り)

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。

お礼欄に投稿したかったのですが、文字数制限のため補足欄に投稿させていただきます。

中国政府の主張は「南京城内城外合わせて30万人の被害者」という主張が公式になされている、ということでしょうか。そうであれば、被害者の大部分は城内であるとも解釈することも可能だと思います。
また、
>記事では、「南京城内で無差別な」と「南京城内で大規模な」の間に、「その数は30万人以上」が挟まれている。だからと言って、「その」が指す「南京市民および武器を捨てた中国軍人が、……殺害され」の殺害場所が、南京城内だとは書かれていない。「城内」-「城内外」-「また城内に戻る」と解釈できる。
とありますが、確かにNo.16様の解釈も可能ではありますが、南京城外を明示する文言がありませんしニュアンス的に言って「城内で」あるいは「城内でも」無差別虐殺が行われたものと解釈するほうが自然ではないでしょうか?このような記事では「南京城内では、数千、万単位の死体が横たわるような虐殺は行われていない。集団虐殺のほとんどが城外」とは考えられず、城内でも相当数の虐殺が行われたと解釈できます。

次に、
>笠原が述べているのは、「南京城内では、数千、万単位の死体が横たわるような虐殺は行われていない。集団虐殺のほとんどが城外」である。「城内の虐殺は数千にも達しない」とは述べていない。
つまり、城内では集団虐殺よりも個別虐殺、という意味である。それゆえ、「数千、万単位」で虐殺死体が横たわる情景にはならない。しかし、個別虐殺の犠牲者は「ここに数人」、離れて「あっちに数十人」単位で横たわっていた。その合計が数千数万にならない、とは書いてない。「単位」と「合計」の違いである。

とありますが、この部分を読みましたが、私自身の解釈に誤りはないとは思うのですが、No.16様の解釈も可能なのではないかと思い、質問当初より若干私の解釈に自信がなくなった感があります。とはいえ、あくまでも私は「「ここに数人」離れて「あっちに数十人」単位、合計すると数千単位にならないとは限らない」という解釈よりも「「ここに数人」離れて「あっちに数十人」単位、しかしこれらの虐殺は南京城内という一つの限定された場所で行われた行為なのですべてを纏めたものを一つの単位として「城内での虐殺」として換算する」と解釈しております。

あと、
>第一〇軍第一一四師団歩兵第一二七旅団第六六連隊第一大隊は、12月12日夜(南京陥落直前)、中華門から光華門にかけての城壁南で、1500人余り(1657人)の捕虜を獲得し、のちに処刑した。同大隊の戦闘詳報から引用する。
これは城内での出来事なのでしょうか?よく分からなくてすみません。

そのほかの第一〇軍第一一四師団歩兵第一二七旅団第六六連隊第一大隊の戦闘詳報からは数十名単位の虐殺があったことが分かりますが、合計したら何人になるか分からないので、城内での犠牲者が合計何人なのか分かりませんね。とはいえ、この資料だけで合計百人以上の殺害があったことが証明されますね、教えていただきありがとうございます。

最後に、
>日本側の史料・証言などで立証できる一〇〇〇人以上の大規模な集団殺害例
という箇所ですが、No.16様は「単位と合計の違い」を城内の犠牲者数で指摘されておりましたので、スマイス報告にある約1万2千人の被害者は「あっちで数十人、こっちで数十人合わせて合計で約1万2千人」ではなく「あっちこっちではなく一箇所で行われた虐殺」であり、「あっちで行われた虐殺やこっちで行われた虐殺は換算されていない」と考えておられると理解してよろしいでしょうか?

補足日時:2007/03/10 14:04
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>南京城の城内と城外の被害者の数それぞれ何人かということがお分かりであれば教えていただけないでしょうか?


南京戦史をお読みになった様ですが中に概算が出ていたと思いますが...

16日付けの読売新聞によれば台湾教科書検定当局者は「台湾では30万人と認識されてきたが正確で客観的な数字といえるか疑義もでており人数を記述するまで要求してない」と語ったそうです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

前回のご回答のお礼で
私は「ご紹介の本は発行されてからかなり経っていると思われますが、発行当時から現在に至るまで犠牲者数の主張は大幅に変更していないと考えてよろしいですね?」
と書きましたが、私は本を読んだわけではなくインターネットで出版された年を確認しただけです。

一応図書館にも足を運んだのですが、なにぶん小さい町の図書館なので置いておらず、いまだに確認できておりません。よろしければ城内での虐殺数の概算をお教え願えないでしょうか。

お礼日時:2007/03/10 14:10

 No9です。

申し訳ないのですが、今回の質問についてその人数を問題とされていますが、私個人としては人数自体について、あまり深く踏み込んで論争をすることには、大きな意味を感じていません。

 http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/6832/nn …

 基本的に、このサイトで述べられている考え方と同一です。

 人数については、紅卍字会による埋葬及び埋葬費用についての日本側の資料、現地指揮官の手記などから判断しています。

 尚、犠牲者数については、南京周辺地域の行方不明者の数をどう扱うかで、大きく異なった数字が出てくるのではと思います。

 辛亥革命以後の戦乱で疲弊した中国、特に都市近郊の農村では食糧不足は深刻で、そこに補給物資の不足した日本軍が長期間駐屯したとしたら、どのような状況になるかは明らかだと思います。
 中国人同士の間でも、食料の奪い合いや強盗などが起きたであろうし、難民として移動中に餓死・病死などが大量に発生したでしょう。
 現在の時点で今後とも、これらの死者と日本軍によるものとを厳然と区別することは不可能に近いでしょう。

 また当時の状況を見れば、中国側に日本軍とは独立に証拠に足るような写真や死亡統計記録を残すだけの個人・組織があったとは思えません。中国側の人数統計は当然戦争終結後の事後統計でしょうし、記録がなくて当然の状況ですから、写真記録などは他の地域のものも当然含まれ、捏造に近いものが多いと思われます。
 更に付け加えると、中国側に記録がないとしても、事件そのものの否定にはならない状況であったと考えています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

No.14様が依拠する犠牲者数についての資料の説明、どうもありがとうございます。

>私個人としては人数自体について、あまり深く踏み込んで論争をすることには、大きな意味を感じていません。

被害者数もまた問題であるという私の主張とは異なることについて、私はなんら反論する気はございません。

そもそも、被害者数が問題かどうかということはあくまでも歴史的事実に対する認識の違いなのですから、そのような認識の違いは必ずしも合致させる必要はないと思います。

しかし、被害者の数というものは歴史的事実に対する認識ではなくあくまでも歴史的な事実についての問題であるため、事実は一つしかないのでこの点は各人の主張を合致させる必要があると思います。

ここで「被害者」という言葉が適当ではないとお思いであれば「日本兵に殺害されたと思しき中国人」と置き換えていただければと思います。

No.14様のご紹介のページを拝見しましたが、No.14様がお考えの犠牲者数の約6万人の南京城内と南京城外の内訳については分かりませんでした。

出来ましたらNo.14様は南京大虐殺の犠牲者数は約6万人とお考えであることは承知しましたので、その6万人の被害者の南京城内と城外の被害者数の内訳を教えていただけないでしょうか?

あるいは、被害者数は6万人であるが南京城内と城外との内訳をご存知でないのでしたら、次にご回答をいただけるような際にはその旨を教えていただけないでしょうか?

最後になりますが、
> 更に付け加えると、中国側に記録がないとしても、事件そのものの否定にはならない状況であったと考えています。
私は大虐殺派ですし、今回の質問は近年中国が「南京城内だけで30万人の被害者がいた」と主張し、私もその主張を信じております。近年になってこのような主張をしてきたため、何か新資料が発見されて南京大虐殺研究者達の主張がどのように変化したのかと思い質問しているのでありまして、私自身は事件を否定する気は毛頭ありません。

お礼日時:2007/02/17 20:42

No12です。



少々舌っ足らずだったため、誤解を招いたかも知れません。

>ご紹介の資料は記録映画ですが、

記録映画ではなく、このサイトの記事をお読み下さい。中には当時の新聞の写真などもあり信用度が高いですよ。
といった意味でした。

例えば以下のような記事・・・http://www.history.gr.jp/~nanking/reason05.htmlからの抜粋です。
-----ここから-------
国際委員会の委員長ジョン・H・D・ラーベ氏は、国際委員会を代表して次のような書簡を日本軍に送っている(「法廷証」323号=検察番号1744号抜粋で弁護人が朗読したもの、極東国際軍事(東京)裁判速記録210号)。
 
 「拝啓 私どもは貴下の砲兵隊が安全地区を攻撃されなかったという美挙に対して、また同地区における中国民間人の援護に対する将来の計画につき、貴下と連絡をとり得るようになりましたことに対して感謝の意を表するものであります。」
 
 以下は金陵大学病院医師マッカラム氏の日記及び手記からの抜粋(法廷証第309号=検察番号246号)である。これを松井大将の弁護人伊藤清氏が東京裁判の弁護側立証段階で抜粋朗読しているので紹介したい(極東国際軍事(東京)裁判速記録・・・第210号)。
 
 1、(日本軍は)礼儀正しく、しかも尊敬して私どもを処遇してくれました。若干のたいへん愉快な日本人がありました。
 私は時々一日本兵が若干の支那人を助けたり、また遊ぶために、支那人の赤子を抱き上げているのを目撃しました。

----このサイトの記述は続きますが、引用はここまで-------

それと、「大虐殺派」の数字の始まりはこちらです。

-----引用開始 http://www.history.gr.jp/~nanking/reason07.html --------

〈注〉(1)~(6)のトータルは22万7591名で、27万9586名にはならない。この数字と、初めの被殺害確数 34万人との関係は不明である。 いかにでたらめで、ずさんなものか。強姦及び強姦後殺害20~30人が、東京裁判の判決では2万件と約千倍に膨張している。(6)の埋葬内訳は次の通り。

 ◇紅卍字会による埋葬死体 4万3071
 ◇崇善堂による埋葬死体 11万2261
  合計  15万5332
 
 ここで筆者が問題にするのは、15万5千余の埋葬死体数である。

中略

崇善堂の各隊は主任1、隊員1、人夫10の計12名で構成されているという(「証言・南京大虐殺」南京市文史資料研究会編 邦訳(青木書店)167ページ)。
 ところが前述のように、1日平均2600体も埋葬している。
 ブルドーザーもパワーシャベルもなく、トラックも軍用以外ほとんどない時代に、どうしてこのような大量の埋葬が可能か。

中略

(3)、この数字は多分に作為されたものである。例えば崇善堂の作業を見ると、最初の4月までの間は1日平均130体であったものが、急に1日平均2600体となり、これを連続10日間にわたり作業したことになり、その誇張・ずさんは信用しがたい。
 (4)、雨花台、水西門、中山門等は当時日本軍により清掃されたる地域にして、戦後5ヶ月を経過したるのち、このような多くの死体が存在するはずがない。
 (5)、紅卍字会の数字の中には、女・子供は皆無に近いが、崇善堂の数字の中には、すべて男子、女子、子供を適当な減少率で死体数を記入してある。明らかに作為的な数字である。

-----引用ここまで-------

また、中国側も全く認識していなかった事も書かれています。

----引用開始 http://www.history.gr.jp/~nanking/reason11.html- …

台湾の中華民国政府も、北京の中華人民共和国政府も、“南京大虐殺”の合唱をはじめだしたのは、日本が戦争に敗れ、連合国によって一方的に裁かれた東京裁判や各地でのB・C級戦犯裁判が始まってからのことである。
 それまでは南京事件はなかったのである。
 日本人ばかりでなく、中国人にとっても、南京事件は東京裁判から始まったのである。
----引用ここまで-----

つまり、
大虐殺派 30万 → 中国のプロパガンダ
中虐殺 (人数は好きにして)→ 何かの史料の数字を勝手に足し算
無かった派 → 告発側から事件を確定できる証拠が何一つ出されていない(立証責任を果たしていない)
ため限りなく少ないか無かったとしている。

という状況だと思います。

そもそも「虐殺」の定義もきちんとされておらず、「死人は全て虐殺」と言い張るのは冷静さを欠いており
議論が噛み合うはずもありません。

質問者様も人数を気にされているようで、「事件そのものはあったはず」という前提で質問を
されているのでしょうか?

この論争については、
(1)まず虐殺の定義をしっかりとし、
(2)その対象となる人数の根拠を明確にし、
(3)それを持って事件の告発をする。
といった手続きが必要でしょう。

それから、東中野 修道氏の書籍をお薦めします。
http://www.bk1.co.jp/search/search.asp?kywd=%93% …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>少々舌っ足らずだったため、誤解を招いたかも知れません。

こちらこそ失礼しました。

まず、ご紹介のラーベの残した資料ですが、すでに申し上げておりますとおり、笠原氏の主張に共感している私は安全区だけでなく南京城内では数千単位の虐殺はなかったと考えております。

次に、実行不可能ということで記録されている埋葬数について疑いをお持ちのようですが、本当に実行不可能かは実際に検証してみないと分からないのではないでしょうか?念のために言いますが、実行可能だから虐殺をしたに違いないと言うつもりはありません。

>質問者様も人数を気にされているようで、「事件そのものはあったはず」という前提で質問を
されているのでしょうか?

私は笠原氏の説に共感している大虐殺派なので南京大虐殺はあったと思っております。

>この論争については、
(1)まず虐殺の定義をしっかりとし、
(2)その対象となる人数の根拠を明確にし、
(3)それを持って事件の告発をする。
といった手続きが必要でしょう。

ご指摘の点はよく理解できるのですが、なかなかすぐには無理だと思います。しかし、個人的な見解として虐殺数を状況証拠として、南京大虐殺があったのかを推測できると思っております。20万人以上の他殺体があった場合は「突発的な事故だ」と主張されても「20万人も突発的な事故程度で殺されるわけがない」と反論すると思います。しかし、中虐殺派の主張どおり4万から6万人しか被害にあっていない場合は、「突発的な事故だ」と主張されたら私であれば「6万人程度であれば、突発的事故でないとは断言できない」と思います。それゆえ数字に注目しているのです。

私は、私が南京大虐殺に興味を持っていなかった時期に新資料の発見によって南京の犠牲者数がより正確に分かるようになったのではないかと思っていて、インターネットで色々調べてみると否定派のみならず笠原氏までも認めていた「南京城内は数千万単位の犠牲はなかった」というように考えられていたのに中国が「南京城内で30万人の被害者がいた」との主張をしだしたため、なにか新資料が見つかったのではないかと思い南京大虐殺を研究している人たちの中で従来の主張に大幅な変更箇所が出てきたのではないかと思い、最新の虐殺の被害者数の主張をお聞かせ願えればと思います。

お礼日時:2007/02/16 00:04

このページは画像付きですので、勝手に推測したりねつ造したり、曲解したり


できません。まずはこれらを参照ください。(もちろん各書籍も参考にして下さい)

http://www.history.gr.jp/~nanking/index.html

次に、「中国人に対する人権侵害という点には、あまり関心がありませんでした。中略 民間人(銃を持った軍人相手に、刀で立ち向かったはずはありません。)を刀で切り殺すことに、大きな問題意識は持って居なかったことが分かります。」と、何が分かったのか知りませんが、これらは電波です。
もとより、この戦争は「近代戦」ですから、刀で戦うとか無理なのです。
それに向井敏明少尉は歩兵砲の指揮官です。前線で敵と白兵戦などありえません。

最初の報道では、「無錫進発後向井少尉は鉄道路線廿六、七キロの線を大移動しつつ前進、野田少尉は鉄道線路に
沿うて前進することになり一旦二人は別れ、出発の翌朝野田少尉は無錫を距る八キロの無名で敵トーチカに
突進し四名の敵を斬つて先陣の名乗りをあげこれを聞いた向井少尉は奮然起つてその夜横林鎮の敵陣に部下ととも
に躍り込み五十五名を斬り伏せた」

といった具合に、民間人ではなく「中国軍の兵士」を斬ったと報道されています。
ですからこれらは誰が見ても「チャンバラ芝居の無敵の剣士(正義の味方)」的なイメージで掲載され、
国民がやんやとなったのです。

民間人だとか捕虜を斬ったとされるのはその後です。

まず、本多勝一記者が「中国の旅」を連載し、それに対し疑問の声を上げた鈴木明がルポルタージュという手法
により、百人斬り競争がまったくの虚構であることを明らかにした上、毎日新聞の創作記事がもとにふたりは
裁判にかけられ、毎日新聞の記者が創作を認めなかったため、ふたりは死刑になったと明かにしました。
それらをまとめた『「南京大虐殺」のまぼろし』は大宅ノンフィクション賞をもらうとともに、ベストセラーと
なりました。
これにまったく反論できなかった本多勝一は百人斬り競争を書いたことが間違いだったと撤回したわけでなく、
そのことには一切ふれず、しばらくすると、百人斬り競争を捕虜のすえもの斬りだと言い出しました。
本多勝一が素直に謝れば、すべてが解決したのですが、逆に居直ったのです。

そのため、本の出版も続き、しまいには前述のように「思いこみ」で電波を呼び寄せる人が増えてきたのです。

私はどちらかというと「無かった派」ですが、証拠のあるものに対し思いこみや感情で反論する輩では
ありません。
現状では「あった派」が提示する証拠に対し「ものすごく説得力が無い」と感じています。
先の「民間人への人権」もそうですが、史料を全く見ておらず、「日本軍だから悪いことをしたんだろう」といった
思いこみの大前提から出発しているとしか思えません。

現状で、どの人数がメジャーなのか調査のしようもありませんが、基本的に「無かった派」なので
「限りなくゼロに近い」としておきます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ご紹介の資料は記録映画ですが、私としてはこの資料をもって何近大虐殺はなかったと断定できないと考えています。なぜなら、この資料はあくまでも南京大虐殺があったとされる場所をくまなく調査したのではなく、南京の一部を一定期間撮影しただけなので、撮影されていない部分では何が行われていたのかは判別できないからです。

このことは欧米人の記録や証言でも同じことが言えると思います。欧米人もくまなく調査したわけではないので、例えば欧米人は城内での虐殺は1万人以上であると主張していますが、武装市民が殺害された後、落ちている武器を誰かが持ち去ったので非武装市民に見えたということも考えられます。

なかった派であれば城内であれ城外であれ虐殺はごく少数であったと主張されると思うので、聞いても仕方がないかもしれないのですが、現在知りたいのは、数年前であれば南京城内では数千人単位の虐殺はなかったとされていたのに、近年の人民網日本語版では城内でも30万が殺害されたことが判明していることがわかる記事が出ていたが、なぜ中国は一貫して30万と主張しているのか?急に南京大虐殺の範囲を南京城内のみに変更したのか?新たに南京城内の被害者が判明したが、かわりに南京城外の犠牲者は虐殺ではないと判明したのか?欧米人の主張を重要視する人たちは当初から一貫して城内の被害者早く一万人、言い換えると過去の笠原説の「南京城内では数千人単位の犠牲は出ていない」という主張も、近年の「南京城内での犠牲者は30万人」という中国の主張は間違いであるお考えなのか?このあたりが分からなくなってきたので知りたいと思っております。
多くの方から回答をいただき大変恐縮なのですが、是非大虐殺派のご意見も拝聴した上で判断させていただければと思います。

お礼日時:2007/02/14 20:37

偕行社 南京戦史 これが現在の日本側の研究の基本です。


参加者の証言は全て実名であり検証可能です。
(事実は事実として記載されており否定論では有りません.....一度お読みになるべきでしょう)
「南京戦・元兵士102人の証言」はそれ以前の南京大虐殺の日本側証言と
称するものが全て経歴の検証からその場所にいなかった事が明らかになった為に検証できないように全て偽名で書かれています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

いわゆる小虐殺派の方のご意見ですね。ご紹介の本は発行されてからかなり経っていると思われますが、発行当時から現在に至るまで犠牲者数の主張は大幅に変更していないと考えてよろしいですね?

お手数なのですが、小虐殺派の方のご意見は南京城内外あわせて犠牲者数は二万人以下だと思うのですが、南京城の城内と城外の被害者の数それぞれ何人かということがお分かりであれば教えていただけないでしょうか?

お礼日時:2007/02/14 20:01

>インターネットで知ったのですが、昨年末100人切りの訴訟で最高裁判所が


>「100人切り競争は虚偽である」と認めませんでした。

>NO.3様のように物理的に無理があるという見方もあるかもしれませんが、一
>人の日本兵がが一日で中国人を100人殺害できるのですから、日本兵全員が6
>週間殺害し続けたのであれば数十万単位の殺害も可能ではないでしょうか?

判決が100人切を虚偽と認めなかったとしても、一人が1日で100人を殺害できるということにはなりません。
判決は、100人切を事実だと断定したのでしょうか。

1日100人の殺害を6週間続けることが可能だと思いますか?
私は南京虐殺を否定するしませんが、100人切は否定します。
毎日新聞の記事では、二人の将校が軍刀で100人切の競争したことになっています。
しかし、一振りの刀で100人を切り続けることは不可能でしょう。
しかも、あの記事では途中で数が不明になり、また一人から数えなおしたかのような記述があります。
そうすると100人以上を切り殺したことになります。
記事の信憑性が疑われます。
南京での犠牲者の数については、検証が難しいというのが実情ではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>判決が100人切を虚偽と認めなかったとしても、一人が1日で100人を殺害できるということにはなりません。
判決は、100人切を事実だと断定したのでしょうか。
1日100人の殺害を6週間続けることが可能だと思いますか?

百人切りの最高裁判決の件ですが、百人切りを事実と認めたわけではありません。
分かったことは原告は虚偽である証明が出来なかったことだけです。
最高裁判決をもって、「百人切りは事実である」と私が主張したいのではありません。
個人的には百人切りはあったと思うのですが、否定派の主張をすべてチェックし、論破したわけではないので、あったと ”思う” という考えです。
ただ、私は否定派の「物理的に不可能」という主張は最高裁判決により否定されたものと考えております。
もちろん物理的に可能だから百人切りは事実であると言うつもりもありません。
可能かどうかと実際に行ったかは別問題と考えております。

お礼日時:2007/02/14 19:29

 南京大虐殺については、後に政治的に利用され、色々な資料が発掘されたとして、過大視されたり過少視されたりして、実態が良く見えません。



 しかし、当時の日本自体が、中国人に対する人権侵害という点には、あまり関心がありませんでした。例えば、日本の新聞に載った、有名な100人切りを競った話など、刀の刃こぼれなどから見て、到底不可能な話ではあるけれど、民間人(銃を持った軍人相手に、刀で立ち向かったはずはありません。)を刀で切り殺すことに、大きな問題意識は持って居なかったことが分かります。
 
 更に言うと、当時日本軍自体がこのように大きな問題意識を持っていなかったため、南京での民間人殺傷について隠蔽しようとする操作が行われた形跡がほとんどないのです。ですから、戦後の資料よりも当時の日本軍の部隊指揮官クラス(中佐・大佐)の日誌・報告書などの資料が物語る状況が、もっとも真実を伝えているのではないかと、私個人は思っています。

 また、日本軍は皇軍(天皇直属の軍隊)として、内閣のコントロール下にはなく、内閣として外交を担当する外務省は(軍事情報を持っていなければ、外交など当然できません。戦時下においては特にそうです。)、日本軍の行動を知るために、在外外務省職員に日本軍の情報を東京に報告させていました。

 戦後公開された外務省の内部資料では、南京占領後の状況について、「南京占領後の民間人の殺傷は、大きな外交問題になりかねない」と重大な懸念を持っていたことが、分かります。

 これらの、当時の日本側の資料では、占領後に一月3000~4000人の死者が出ている模様で、それが数ヶ月続いたこと。
 また、占領時にかなりの死者が出ていて、日本軍の遺体処分費用の計上額からは、約6万の死体があったようです。
 この死体のうち、中国軍のものは1万弱が妥当と思われます。

 中国軍の死者が少ないのは中国側の戦略で、ロシアや中国のような大陸国では相手の戦力の方が強力な場合、精鋭軍を温存し有利な状況で交戦して、自軍の損害が増える前にどんどん退却していく戦法を取るのが常です。そして、軍のように安全な所に移動する能力のない民間人に多くの犠牲者が出るのです。

 独ソ戦でも、ソ連のこの戦略によって、ソ連軍はドイツに反撃する余力を維持しましたが、軍の撤退に取り残されたソ連民間人には大きな被害が出ました。

 その後の、朝鮮戦争でもベトナム戦争でも、今のアフガニスタン・イラクでも、多数の民間人に被害者が出る構図は全く同じです。

 人権保護を看板に掲げるアメリカが、ベトナムで枯葉剤を撒き、劣化ウラン弾を使用し、人口密集地にミサイルを撃ち込みます。
 民間人に対して、人権を意識していなかった戦前の日本軍が取った行動がは、現在の物差しで見ればどの程度のものであったか、判断できると思います。

 私個人の推測では、6万人程度(これでも相当な数です。)だったのではと思っています。

この回答への補足

出来ましたら、No.9様がお考えの犠牲者数の約6万人の南京城内と南京城外の内訳とご意見を教えていただけないでしょうか?
実は今回質問をさせていただいてから、ネットサーフィンをして調べるとよく分からないことが出てきまして、中虐殺派の方のご意見をお聞きしたいと思ったからです。
違っていたら申し訳ないのですが、中虐殺派の方が重視する資料は欧米人の証言や記録ですよね?大虐殺派の私は数年前まで笠原氏の説である「南京大虐殺の犠牲者数は20万人以上である。虐殺は南京城内では数千人単位の虐殺はなかったが、城外で大虐殺が起こった。」と考えていていました。それに対し、スマイスの報告「 南京城内で1万人が、城外で約3万人が殺害されたと見積もられる。」(http://www5b.biglobe.ne.jp/~nankin/page010.html)やベイツ証言「 スマイス教授と私とは、我々の調査、所見、埋葬調査の結果として、我々が確実に知る範囲では、一万二千人の市民、すなわち、男女、子供が城内で殺害されたと結論しました。 」(http://www.nextftp.com/tarari/timperley2.htm)とあるように、中虐殺派の方は城内で万単位の虐殺が行われていたと考えていたのでしょうか?私は南京近郊とされるの範囲の差によって大虐殺と中虐殺に分かれているだけで、両者はあまり差はないと考えていたのですが南京城内の犠牲者数にかなり差があり、むしろ大虐殺派の笠原氏のほうが南京大虐殺を否定しているような主張に見えます。もちろん、笠原氏は今では城内でも虐殺はあったと考えていると思うのですが、数年前であれば中虐殺派の方は笠原説に対し、「城内でも万単位の虐殺があった」と主張していたのでしょうか?

補足日時:2007/02/13 21:35
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>当時の日本自体が、中国人に対する人権侵害という点には、あまり関心がありませんでした。

たしかニュースステーションで放映された「南京戦・元兵士102人の証言」という書籍を紹介する特集でインタビューされた元兵士が「憲兵にばれると罰せられるから殺した」とか言うようなことを言っていたと思うのですが、日本人としては中国人に対する人権意識は低くとも、軍隊という組織としては憲兵を使って中国人に対して人権を尊重するように扱っていたのではないでしょうか?

>当時日本軍自体がこのように大きな問題意識を持っていなかったため、南京での民間人殺傷について隠蔽しようとする操作が行われた形跡がほとんどないのです。

中国人に対する人権侵害に関心がなければ殺害行為を隠蔽しようとは思わないと思います。

南京大虐殺の論争でもこの部分が混乱しています。

人によっては南京大虐殺という残虐行為を日本国内のみならず外国に対しても隠蔽する工作をしていたとも主張しますので、この部分については私は自分の意見をもてないでいます。

>また、占領時にかなりの死者が出ていて、日本軍の遺体処分費用の計上額からは、約6万の死体があったようです。
 この死体のうち、中国軍のものは1万弱が妥当と思われます。

いわゆる中虐殺派の方のご意見もお聞きしたいと思っておりましたので、助かりました。

お礼日時:2007/02/12 20:52

くわしくはこちらを↓


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC% …

数に関しては、現状で客観的な論争は望めないようです。誰が軍人で誰が民間人だったか、当時の時点でわからなかったわけですし。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。

更新日が2006年5月2日 (火) 13:56ですが中国の主張は30万人になってますね。

1997年において笠原氏も中国も南京城外における20万人以上の被害者を把握していて、1997年において数千人もいないとされた南京城内における犠牲者も2005年には30万の被害を把握したので、合算すると50万から60万人になると思うのですが。

私もよくWikipediaを利用しますが、記事の正確さには欠けるところがあるのでしょうか?でも一応、ご紹介の記事は頭に入れておこうと思います。

補足日時:2007/02/12 20:08
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この回答へのお礼

すみません、間違って補足欄にお礼を書いてしまいました。

失礼ついでにお礼の補足を書かせていただきます。紹介していただいたページをみると、南京大虐殺の定義がバラバラで全く収集がつけられないような状態であることがよく分かりました。私は最初Wikipediaの記事に誤りがあると考えましたが、よく考えると南京大虐殺の定義が定まっていないので、中国が南京大虐殺の定義を従来と変えてきた上で主張しているか見知れないと思いました。つまり中国は数年前まで「南京大虐殺は南京とその近郊の範囲で行われた事件で犠牲者は30万人」と定義していて、最近になって急に「南京大虐殺は南京城内で30万人が虐殺された事件」と言うように急に南京大虐殺の範囲を南京城内のみに限定してきたのかもしれません。もしそうであれば、Wikipediaの記事は正しいと思います。

お礼日時:2007/02/13 21:47

「日本の南京大虐殺研究の第一人者の笠原十九司氏は1997年に発行した著書の岩波新書「南京事件」にて/南京事件において十数万以上、それも二○万人近いかあるいはそれ以上の中国軍民が犠牲になったことが推測される。

日本側の資料の発掘・公開がさらに進み、中国側において近郊農村部の犠牲者数の記録調査がもっと進展すれば、より実数に迫る数字を推定することが可能となろう。/と述べております。」

とのことですが、その「日本の南京大虐殺研究の第一人者の笠原十九司氏」の最新の著書をご覧になりましたか?

例えば
「体験者27人が語る南京事件―虐殺の「その時」とその後の人生 (単行本) 笠原 十九司 (著) 」
http://www.amazon.co.jp/%E4%BD%93%E9%A8%93%E8%80 …

サイトで見ず知らずの人間に聞くより、質問者様が「第一人者」と信頼する人の著書を読むほうがずっと早いと思いますが。

なお、私自身は「南京大虐殺なるものは中国のプロバガンダ」と考える立場ですので、笠原十九司氏の言うことを信用する気はまったくございません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>サイトで見ず知らずの人間に聞くより、質問者様が「第一人者」と信頼する人の著書を読むほうがずっと早いと思いますが。

ご指摘ごもっともなのですが、一応町の本屋で歴史の本をチェックしたのですが、なにぶん小さな町なので品揃えが悪く笠原氏の新しい本もなく、否定派の比較的新しい本やニュースステーションで紹介された「「南京戦・元兵士102人の証言」」ぐらいしか在庫がなく、立ち読みした限りでは最新の犠牲者数は分かりませんでした。

お礼日時:2007/02/12 20:05

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