アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

「バブルへGO」の宣伝も兼ねてか、今テレビで「クイズ年の差なんてバブルへGO」を放送しています。
番組内で数々のバブル伝説が披露されてますが、バブル期って本当にそんな時代でした? 私は大学生としてバブル期を過ごしましたが、それほど実感無いのです。
「アッシー君、メッシー君、みつぐ君」なんて言葉はマスコミが面白おかしく紹介してたけど、周囲にあまり居なかったと思うのですが・・・。
みなさんは、東京タワーのライトアップを吹き消すなんて経験してたのでしょうか?
そして、芸能界、金融業者、不動産業者の上層部は派手だったかもしれませんが、平社員もそうだったのでしょうか?

皆さんのバブル時代の思い出及び伝説を教えてください。

A 回答 (6件)

バブル景気の頃、銀座の高級クラブで働いてました。



高級クラブだけの事はあり、お客様は、大手商社・大手広告代理店・証券関係・金融関係・大手メーカーetc・・・。

揃いも揃って「接待費」でバンバンご利用頂いてました。

当時は、頂くチップの金額も半端じゃなかったです。

売れっ子のおネエさん連中は、メルセデスやBMWを店の表へ乗りつけ、待ち受けているボーイさんに「お願いね」とキーを渡してご出勤。

やれ「マンション買って貰った」だの「車買って貰った」だのは、日常茶飯事でした。


某大手証券会社の重役さんが、新入社員さんを連れていらした時の事。

「コイツ、今日臨時ボーナス出たんだけど・・凄いよ。ボーナス袋が“直立”するぞ!」

重役さんの言いつけでボーナス袋を取り出し、テーブルの上に本当に“直立”させて見せてくれました。

す・すんごい!! ボーナス袋“直立”するんですね。(ちなみに月給は90万超だったらしいです)



当時若干20歳だった私は、リッチな世間に逆らい、売れない役者を嬉々として楽しんでいました。

銀座で稼いだバイト代は、劇団の維持費や公演費に泡と消え 若かったせいか、金銭に執着無く「やりたい事やってるんだからお金なんて無くても幸せ!」と思っていたバブルの頃。

ああ。 

現在の私にある(悪?)知恵と手練手管が、あの頃の私に備わってたら・・きっとビルのいっコ位建てられたのに~! 

と、ちょっぴり思ったりしてます(笑)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

銀座の高級クラブですか!
想像も出来ない世界ですが、景気の浮き沈みを一番実感した方かもしれませんね。
でも、バブル期に大金を手にして人生観が変わりそうなのに、お金に溺れることなく役者という自分の夢を追い続けていたdeideideiさんには恐れ入ります。
回答有難うございました。

お礼日時:2007/02/13 23:10

当時私は専門学校生でしたが、就職は1人につき5~6社は当たり前で、


就職が決まらないなんて人は1人もいませんでした。
私が就職した会社も、社員が本社・支社・営業所含めて全員で数百名いましたが、
当時の社員旅行は、全額会社負担のロサンゼルス・ラスベガスでした。
運悪く私は寿退社してしまったので社員旅行は行けませんでしたが、
20歳で入って初任給は手取り18万(私が住んでいるところは最低賃金が低く、現在は20歳の初任給は総支給額で10~12万程度でしょうか)で、
ボーナスも夏・冬それぞれ30万以上はもらった記憶があります。

あの頃に戻りたいとは今は思いませんが、貧乏した頃は『あの頃貯金してれば・・・』なんて考えましたよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

社員旅行が全額会社負担でロス、ラスベガスとは・・・驚きです!
いやあ、物凄い時代だったものですね。
回答有難うございました。

お礼日時:2007/02/17 21:09

ごく普通の会社員でしたが、給料とは別に臨時ボーナスとかなんとかボーナスが2ケ月に一度出ていました。


同僚と冗談で「また今月もボーナスだよ、嫌になるな~」などと言い合っていました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

うわっ、そんな台詞を今、言ってみたいです!
回答有難うございました。

お礼日時:2007/02/13 22:56

バブル時代はよかったです。


会社の仕事の請負はバンバン来るし経営はうなぎのぼりでした。
また年に一回くらいボーナス期とは別に特別賞与というのがありました。
社内旅行も毎年行きましたよ。
しかし、バブルがはじけたころからは上に書いたものがどんどん
減っていき最後には会社が閉鎖になって失業に・・・・
今はパートで勤務しています(笑)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

特別賞与まで出ていましたか・・・。やはり好景気だったのですね。
回答有難うございました。

お礼日時:2007/02/13 22:50

30代半ばの主婦です。


高卒で働きました。
商業科でしたが、就職率は120%でしたよ。
私も、トランプのシャッフルのように会社を選んでました^^

初任給は安かったですが、ボーナスがすごかった!!
18才で手取り35万円もらった気がします。
上司とかはもっともらってたので、自分のお金を使う機会が少なかったです。
付き合っていなくても、おごってくれました。

居酒屋さんに行っても、近くの席のサラリーマンのおじさんと話しして、
結局ご馳走になって、そのまま帰ることもありました。
(連絡先を聞かれないで、終わり)

会社にもよると思いますが、パソコンが普及するまえで
とにかく「紙(伝票)」処理が多かった。
事務職は女の花園で、派閥もあり、残業も多く、土曜日は出勤と
忙しかったのも事実です。
でも、働いた分だけ残業もバッチリもらってました。

日曜しか休みがなくて、夜も遊んで、みなさんとても元気でしたね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

やはり社会人になってると実感があるようですね・・・。
就職直後ぐらいにバブルがはじけて、ピークをほとんど実感出来ずに右肩下がりを経験したのは残念です。
回答有難うございました。

お礼日時:2007/02/13 22:42

大学の同期に、就職活動で1回の上京で複数社の採用試験を受け、


交通費をつごう30万円ほどせしめていた人がいます。

一次、二次試験、内定旅行などは全て会社から交通費が出てましたね。
いまはどうか分かりませんが。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

確かに就職活動は楽だった記憶があります。
東京本社に何度も呼び寄せては繁華街に連れて行って貰った友人も居ましたね。
30万円をせしめたとは・・・今から考えると夢のような話ですね。
回答有難うございました。

お礼日時:2007/02/13 22:39

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!