戦後の文学を勉強するには
戦後から1960年代の日本文学について
勉強したいと思っています。
文学史的な概論や時代状況を勉強するに、
適した参考書を教えてください。
それとはべつに個別で
幸田文の位置づけについて知りたいのですが、
なにか良い本はないでしょうか。
どのような作家に影響を受けたのか、
などを知りたいです。
よろしくお願いします。
回答(7件)
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#4です。連続で申し訳ありませんが、訂正です。
>こういった観点からは、十返肇の「「文壇」崩壊論」(参考URL)に具体的例として山本周五郎の名前があげられています。
確認したら、“山本周五郎”の名が出てくるのは「批評家の空転」の方でした(参考URL同じ)。失礼しました。
No.6ベストアンサー20pt
#4です。
たしかに、個別の作家について調べていく事のなかでも、その作家を取り巻く文学史的状況を把握していくという事は幅広い知識を要求されるので、大変かと思いますが、それでも作家が定まっているのであれば、それら作家のの作家論をいくつか読んで、そこに出てくる用語、文献を足がかりに根気良く調べていくのがよいかと思います。一応わかる範囲でアドバイスさせていただきます。
幸田文については、#5の方が詳しく説明されている通り、文壇の大きな流れからは少し離れていると思います。
吉村昭と山本周五郎についてですが、これは、
>戦後から1960年代の日本文学
という括りで調べるのは大いに意義のあることかと思われます。
というのも「戦後から1960年代の日本文学」の歴史とは、一面で言えば、日本経済の発展に伴って出版コマーシャリズムが文学において勝利を収め、「純文学」のあり方が大きく変質した歴史であると言え、彼らはこの流れの中で文学的変遷を経ていっているからです。
戦後すぐの文学は、戦前からの流れを受け、総合雑誌(「文藝春秋」「世界」「改造」「中央公論」など)、新興出版社の文芸雑誌(「人間」「風雪」「群像」「個性」など)、戦前から続く文芸雑誌(「新潮」「文學界」「文藝」など)が純文学作品を掲載し、再び文藝復興の様相を呈していました。
一方で、探偵小説や、時代小説は、それぞれ探偵小説雑誌、講談雑誌などでまさに大衆文学として読者に受容されていました。戦前からこの時期までは大衆文学と純文学は棲み分けがなされていたと言えます。
しかし、1946年に創刊された「小説新潮」、および1947年に創刊された「日本小説」が、旧来の自然主義文学とはことなる、強いストーリー性を持った作品を多く掲載し、成功を収めます。これが、いわゆる「中間小説」です。当初「文藝春秋」の別冊として講談雑誌的性格をもって始められた「オール讀物」もこれに追随し中間小説誌となります。
この中間小説誌が、大衆文学作家を多く起用し、消費者に広く受け入れられ、朝鮮特需を背景に出版業界の消費拡大を牽引しました(1950年代初頭)。そうして、大衆文学が「売れる」文学となる一方で、純文学は徐々に「売れない」文学となります。(あるいは、「中間小説」という言葉に象徴されるように、大衆文学と純文学のボーダーレス化が指摘されるようになります。)これは、「週刊新潮」などの週刊誌の創刊によってさらに加速することとなりました。
一方、1956年に芥川賞を受賞した石原慎太郎の「太陽の季節」が一代ブームとなったのを受けて、純文学内部でさえ、「売れる」「売れない」という基準がはっきりとするようになっていきます。
このような中で、自然主義的・私小説的な「売れない」文学のシェアは制限され、「文学者」「文藝首都」あるいは「早稲田文学」「三田文学」といった非商業的文芸雑誌や同人誌が、純文学者の活動の場として機能するようになります。同人誌の隆盛(勿論非商業的な隆盛ですが)は1970年代前半まで続きますが、オイルショックによる紙不足の影響を受け、1970年代に大きな打撃をうけることとなるのです。
前置きが長くなってしまいましたが、吉村昭に関しては、1966年の「戦艦武蔵」が出世作と言われますが、それ以前には、上記「文学者」において長く同人活動(純文学活動)を続けています。「文学者」には奥さんの津村節子、瀬戸内晴美(寂聴)などがおり、この3人は、小田仁次郎の「Z」という同人誌にも参加しています。特に先日亡くなられたばかりですので、新しい文献で回顧録、追悼談のようなものが手に入るかと思います。(「文學界」の追悼特集が充実していたかと記憶しています。)
また、山本周五郎は、戦前から活動していましたが、初期はやはり、講談雑誌を中心とする大衆文学雑誌での活動が長かったかと思います。その後、中間小説雑誌の隆盛に乗って人気作家となっていく意味では上記に挙げた流れの典型と言えます。こういった観点からは、十返肇の「「文壇」崩壊論」(参考URL)に具体的例として山本周五郎の名前があげられています。
蛇足かもしれませんが、これ以降(1970年代以降)の純文学の更なる変質については柄谷行人の言うような左翼の衰退による文学の役割の終わり(近代文学の終わり)ではなく、あくまでオイルショックから立ち直りバブル景気を迎える事によって出版コマーシャリズムがさらに加速したという流れが重要ではないかと私は考えます。
この回答へのお礼
返答ありがとうございました。
簡便な流れがつかめて
調査の出発点として
参考になりました。
No.5ベストアンサー10pt
お礼欄にありました個別の作家について回答します。
あげていらっしゃる三人の作家の方は、いずれも「文学史」の文脈で扱うのはむずかしい作家である、といわざるをえません。
ですから、調べるとしたら、個々の作家研究という形になると思います。
まず、この三人のなかで「大衆文学」の作家という分類にあてはまるのは、山本周五郎だけでしょう。わたしはこの方面に関する包括的な研究書については知識がありません。
山本周五郎に関しては、とくに個人史という側面から木村久邇典がまとまったものを数多く(『山本周五郎 横浜時代』『人間 山本周五郎』など。内容は未見のため不明です)出していたように思います。奥野健男にも『山本周五郎』という評論があります。
加えて、昨今の読書感想文のような「あとがき」とはちがって、新潮文庫版の山本周五郎の個々の作品の巻末解説は、木村久邇典始め、『青べか物語』では平野謙、『虚空遍歴』では奥野健男など、かなり充実した内容になっています。それを丹念に集めていくだけでも、ある程度の知識は得られることと思います。
つぎ、幸田文ですが、この人は、作家を志して文学者の道を歩んでいった人ではなく、晩年の露伴に寄り添い、父・露伴の身辺や言行を記すことから書き手となっていった人です。したがって、文学史的に「だれの影響を受けた」「何の系列に属する」という評価がしにくい人である(影響を受けたというと、露伴、ということになるのでしょうが、露伴自身がまた文学史的に位置づけにくい人でもあります)。ほとんどの文学史のなかでもふれられていないと思います。
関連書というと『幸田文の世界』(金井景子・小林裕子・佐藤健一・藤本寿彦編 翰林書房)ぐらいしか知りませんが、これはエッセイあり、批評・論文あり、といった性格のもので、まとまった論考ではありません。
ただ、近年、幸田文はその文章・文体について注目されているのではないか、という印象を受けます。
おそらくその嚆矢となったのは、ドメニコ・ラガナの『日本語とわたし』(文藝春秋社)ではないかと思うのですが(これは私見)、この本の中で、イタリア系アルゼンチン人であるラガナが日本語で幸田文の『流れる』を読もうとする。ところが「このうちに相違ないが、どこからはいっていいか、勝手口がなかった」という文章が理解できなくて、悪戦苦闘するさまを描いた部分があるのです。
わたしは日本語・日本語論のなかで、『日本語とわたし』のこの部分がさまざまな本の中で引用されているのを、軽く十回は目にしました。そのくらい、主語を持たない日本語の特殊性を端的に示す文章と言える。
ほかにも擬態語の使い方、描写を含め、この方面からのアプローチは多いのではないかと思います。
吉村昭に関してはまとまったものを読んでいるわけではないので不明です。
以上、参考まで。
この回答へのお礼
丁寧な回答ありがとうございます。
図書館にアクセスしにくい状況にあるので
だいたいの事情を知りたかったのですが、
おおまかに分かりました。
ドメニコ・ラガナの話はたいへん面白く読みました。
どうもありがとうございます。
平野謙には『昭和文学史』(1963 筑摩書房)、『わが戦後文学史』(1972 講談社)がありますね。
基本的には、「近代文学」と「新日本文学」という二つの雑誌に拠った人々がいて、アプレゲール、戦後派(第二次)、第三の新人と呼ばれた人々がいて、短かったけど無頼派とか新戯作派とかよばれた人々がいて、鎌倉文士を中心とする古参の人々がいて、そうして大衆文学の隆盛があるみたいな事が“主流”の戦後文学史で、そのへんは、実は『日本近代文学大事典』(1977 講談社)を使って、個別に調べていったり、「戦後文学」の項目を引いたり、4巻(新聞・雑誌編)の戦後文学に関わるものを眺めていったりしたほうが、1冊の「文学史」を読むよりも、実は勉強になるのかなぁと思います。
その上で、#1や#3の方が挙げられている近代文学派の人や、あるいは吉田精一や中村光夫などの書いた「文学史」を読んでみたりすれば“主流”は押さえられるかと思います。
でも、もしそういう“主流”の歴史を一通り勉強されたら、以下のような本も読んでみてください。
野口冨士男『感触的昭和文壇史』(1986 文藝春秋)
高見順『昭和文学盛衰史』(1958 文藝春秋)
和田芳恵『ひとつの文壇史』(1967 新潮社)
巌谷大四『瓦板戦後文壇史』(1980 時事通信社)
作家や、評論家だけではなく、編集者や、同人誌の人々が支えていたのが戦後文学であるというのも、知っておくべきかな、と思います。特に上二つは必読かと。
この回答へのお礼
回答ありがとうございます。
戦後文学のなかでも、とりわけ以下の3人について
調べる必要があります。
幸田文、吉村昭、山田周五郎。
いただいた回答の中では大衆文学の範疇に入る
のか(勘ですけれど)、と思います。
大衆文学に絞ったような参考書をご存知でしたら
教えてください。
戦後文学というと、やっぱり、雑誌『近代文学』の人たちのものが一番でしょうね。
『近代文学』といえば平野謙、本多秋五、埴谷雄高、荒正人、佐々木基一、小田切秀雄・山室静ですが、そのうちの平野、本多、荒、佐々木のものが著作も多く内容も濃いようです。
本多秋五のは(『物語戦後文学史』は私も名著だと思っています)すでに出ていますので、私からは平野謙を。
平野謙全集第十巻『文藝時評I』新潮社
これは、昭和21年から昭和36年までの文芸時評のすべてをまとめたもので、時評なのでナマナマしいのですが、逆に戦後文学を時系列的に眺めやすくなるものと思います。
この回答へのお礼
回答ありがとうございます。
平野謙が時評のなかで幸田文に
ついて触れているかどうか、
もしご存知でしたら教えてください。
戦後文学については下記の本が名著の誉れ高く、これをお読みになるのがよいと思うのですが、残念ながら版元品切れになっています。図書館で探すか、書店の棚、古本屋で探すしかないようですね。
本田秋五著「物語戦後文学史」全3冊(岩波現代文庫)
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/26/4/260106+.html
この回答へのお礼
回答ありがとうございます。
参考になりました。
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