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孫文は北京語を話せましたか?

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  • 質問者:lunatic6791
  • 投稿日時:2007/02/21 11:31
  • 困り度:すぐに回答が欲しいです

孫文は広東省香山県の出身で、客家の農民出身だそうです。
その後、ハワイに移住しました。
従って、広東語或いは客家語、そして英語を話したと思いますが、北京語はどうだったのでしょうか?
妻の宋慶齢とは英語で会話していたらしいですね。
これは共通の中国語がなかったためだと思いますが。
(宋慶齢は上海語を話したらしい。)

中華民国成立の混沌としていた時期、北方の袁世凱とはどうやって意思疎通を図っていたのでしょうか?
まさか筆談?なわけはないですよねぇ。

辛亥革命当時は、いわゆる普通話(現在は北京語)は無く、後に広東語と北京語どちらを標準とするかを投票し、北京語が僅差で勝ったそうです。広東語推進派は、「孫文先生が生きておられれば・・・」と悔しがったそうですね。
この点からも、やはり孫文が広東語話者であったことはうかがい知る事ができるのですが、北京語は話せたのでしょうか???
分かる方、教えて下さい。

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No.4ベストアンサー10pt

  • 回答者:jayoosan
  • 回答日時:2007/02/21 22:00

現在言う普通話は、いわゆる共産党主導(毛沢東時代)の1950年代以降に、普通話として簡体字、ピンインともども普及させることを、人民政府が大会で決定したものです。
しかし1900年代当初にも普通話の分類や研究、漢字(繁体字)の整理などの運動は(当時は電波もないのですごくローカルにですが)あったようです。

この流れをつぐマンダリンが(その整理運動そのものではないと思いますが北京官話とよばれる官僚のための共通語はずっとあったので)、その後の台湾や、戦前に東南アジアに移民した福建人などにもひきつがれています。
ただ前後の普通話の毛沢東のしたような、ルール化した人民政府がいたわけではないのでピンインもあいまいです。また、戦後の台湾は香港と繁体字と表記の共同研究をずっとつづけていました。ですので、いまでも香港と台湾の繁体字の(日本でいう常用/当用漢字)の総数は200も違っていなかったと思います。

で、話せたか?ですが、毛沢東が普通話をはなせなかったことは有名です。台湾に逃げた蒋介石も普通話で返事を返さないことは、歴史小説やドキュメンタリ的な書物にでてきます。
しかし多くの歴史書をみましたが孫文の普通話に関するものは、ちょっと記憶にありません。
孫文は日本に亡命していたときも、支援者のお金でいい生活をしており(中山は日本のなかやまさんからたしかとったことは有名です)、また日本から退去になったとき、孫文の運動の支援雑誌の出版団体に一部だけを渡して、あとの9割くらいは懐に入れて中国にもどったりなど、日本語も学んで話していたかどうか怪しい感じはするので、普段の生活面や活動面でいうと、普通話もわざわざ(蒋介石と同じく)話さなかったかもしれません。

ただなんでも自分が前にでていきたい人だったことも知られているので(黄文雄さんの本に性格がよく描かれています)、演説をぶるときはいわゆるマンダリンを使ったとは思います。

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この回答へのお礼

ご丁寧に、ありがとうございます。
黄文雄さんの本、面白そうですね、是非とも読んでみたいと思います。

ありがとうございました。

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No.3ベストアンサー20pt

  • 回答者:cubics
  • 回答日時:2007/02/21 21:00

話したかどうかについては、いわゆる北京語での演説もあり、話せたことは間違いありません。(「話した」だけ?!)

会話ができたか、意思の疎通ができたかと言えば、そのあたりは、北京語で演説できたくらいだし、英語もできて、学問はハワイ、香港で積んだし、日本にも来て、中国各地からの同志ともやりとりしただろうし、まあある程度はできたのではないかと推測します。

孫中山故居祈念館のこのページの左下に「演講録音」があり、ともかく北京語ですね。^^;;)
http://www.sunyat-sen.org/bgqk/gcxl.php

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この回答へのお礼

早速、聞いてみました!
これなら私の北京語の方が上手い、なんちて・・・冗談です。
でも、生の声が聞けてすごく嬉しいです。
きちんと保存されているなんて、さすが国父ですね。

どうもありがとうございました。

  • 参考になった:0件
  • 回答者:nebnab
  • 回答日時:2007/02/21 13:02

私も知りたいです。どうなんでしょうねえ?

ただ、推測ですが、袁世凱その他の中国人と筆談をした、というのは十分にありえる話だと思います。
「漢字という表意文字があったからあの広い中国が統一できた」という説を聞いたことがあります。今のような音声での標準語のない時代は、音声言語が通じない人同士は筆談したのではないでしょうか?

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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

確かに日本人の私達も、漢字があれば意思疎通できますもんね。
アルファベットと違い、アナログだけど、すばらしい文字ですね。

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  • 回答者:ANASTASIAK
  • 回答日時:2007/02/21 11:39

確かなことは知りませんが、通辞をする人がそばにいたので
しょうね。日本の江戸時代のようなものでしょう。

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この回答へのお礼

早速ありがとうございます。
では、孫文は北京語を話さず、北京語話者とは、通辞を介したというのが、一般的な解釈なのでしょうか?

北京で客死した際の有名な最期の言葉、『革命尚未成功、同志仍須努力(革命未だ成らず、同志なおすべからく努力すべし)』は、北京語で言ったのか、広東語で言ったのか非常に気になります。

  
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