プロが教えるわが家の防犯対策術!

あなたは今、何を目的又は原動力として生きていますか?
何故生きるのを辞めないのですか?

※生物は生きるようにプログラムされているからといった
 系統の回答ではなく、今の自分個人としての回答でお願いします。
※楽しい事をするため、というような広義・曖昧なものではなく
 なるべく具体的・直接的な理由でお願いします。
※それが分からないから生きている、というような将来に
 丸投げした回答も除いてなるべく今まさに生きている理由で
 お願いします。(哲学者で年中それを考えてる人とかはOKですが)

過去の質問を少し拝見させていただいた限りで、
わりとこの手の質問は教科書的な回答が多く、
(個人的な感覚として)地に足がついた感じがしないものが多かったので
妙な制限をいくつか付けさせていただきました。

A 回答 (29件中1~10件)

自分の心を知るためです。

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こんばんは 3年間悩んだ19歳子供の意見でよければどうぞ(笑)


以下の文章は、友人へ送ったメールのコピペです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

生きる意味について、オレが最近、思ったこと。


生きる"意味"
産む"意味"
生まれた"意味"

「"意味"とは、意識によって個人が作るもの」

であると言える。
例えば、高校で勉強する"意味"。
・大学に行きたい
・無事に卒業したい
・好成績で良い気分になりたい
など、人それぞれ、意味の内容が違う。
これは例だが、あらゆることの"意味"についても同じように、人それぞれ。
つまり、

「"意味"とは、意識によって個人が作るもの」

よって、

生きる意味=自分で決める
生まれた意味=自分で決める

であると言える。

今まで、「生きる意味なんてない」という意見が多かったが
そもそも、意味とは、意識によって個人が作るものなので
正確には、「生きる意味が見つかっていない」だと思う。


以上。約3年間、考えたオレの結論。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

なお、自分は、親のために生きています。
自殺したら、一生懸命な親に申し訳ない…。
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私は生=性悪説をとります。

この自分の「生」の意味または人間の本性においてです。だから生に対して執着はありません。また地獄を本気で信じているから死ねないだけ。だから相対的に死ぬのが怖いだけです。となれば反動的に私も人間のひとりとして高次の欲求への刺激に駆られる。つまり知的欲求や自己実現の願望です。

本来生も死も自分の意思ではコントロールできない宿命でありながら同時に自らいずれかを実行可能という究極の選択も残されているから「何故生きているのか?生きたいのか?」という問いも生じるのだと思います。

前の方の回答で「>かなりのパーセントの人がとくに意識しないで毎日を過ごしているように思えてなりません」とありますが、無意識の世界では恐怖の対象である死を、意識が考えさせないように例えば仕事や趣味があったりするのだと思います。お金を得て食べ物を食べなければ生きられないように仕事があり、また趣味などの文化が存在するのも、死の恐怖の防衛のためにあるのかとさえ思います。

「死」は「生」の中においても味わえるわけで、「生か死か」、ハムレットの激しい葛藤がなければいずれの深い味も得ることはできない。もともと死のような人生なら、せめて意思だけでも死に臨む気持ちで生かしたい。

そうこう考えたり葛藤している間にもこうして時間は流れていく。流れに身を任せるのも生きている実感。
生きていくと決めたならとにかく自分を使い切りたい。いずれにしろ「生まれっぱなし」はよくない。仏陀が言ったように世界はもしかしたら「美しい」のかもしれないし、私が見ているままの醜悪なものなら却って闘志も沸いてくる。好奇心を満たすにはあまりにも多種多様な魅惑の世界がありすぎる。
結局そうやって「ゆりかごから墓場まで」生か死か考えることも宿命づけられているのなら、私はやっぱり生きていきたい。改めて決意するでもなく、それ以前に、自我や本能を超えた何かの力を感じざるをえません(でなきゃここまで到来できてなかった)。
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幸せになるため、幸せでいるため、楽しい思いをするため。



「神社にお参りに行ったら、まずお礼から言うのよ。言うお礼が思いつかなかったら、其処まで無事に着いた事へのお礼を言うのよ。」と教えてくれた人がいまして、なんだか急に目の前が開けた気がしました。

確かに、来る途中で事故にあって来れないこともあるだろうし、急病人が出て家で足止めもありえるし、電車が故障で動かないなんてしょっちゅうある。たどり着くだけで相当ラッキーなんだ。って思ったら、幸せなことが一杯増えちゃって、「今夜食べたカンパチの照り焼きは美味しかった。みりんが良かったのかな?又近いうちに食べよう。」この程度で幸せで、生きている甲斐を感じちゃうんです。
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20代女性(既婚)です。



夫と少しでも長く一緒に過ごしたいからです。
周囲の人とたくさんの思い出を共有したいからです。
子供が欲しいからです。子供に自分の経験などを伝えたいからです。
周囲の人に忘れられたくないからです。
死ぬのが怖いからです。

思いつくのはこれくらいです。
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私の場合は「運」かな。


「運」が尽きたら、たぶん死にたいと思うかもしれません。

努力とか能力を超越したものによって「生かされている」と感じます。
自分で「生きている」という感覚はありません。
他人によって生かされている、とも思いません。
楽しみも原動力になっているとは思いません。

あくまでも「運」を感じている間は生きていこうと思っています。
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簡単に言うと、同じような毎日を続けていても、楽しいと思うこと、うれしいと思うことに出会うわけですよ。

そうしてると、「明日は何が起こるだろう」と、面白い本のページをめくるような気分になるのです。

その繰り返しがまさに「生きる」ということじゃないかな?と私は思っています。
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好きな人がいます。


その人が「死なないで」と言うのでわざわざ死にません。
とは言え、死んでしまえば彼が悲しもうが本当は知ったこっちゃありません(ごめんよ)。
そんな彼を感じることができないので。
でも私も彼と会えなくなるのは嫌なのでまだ死にたいとは思いません。
死んでそれ以上の気持ちよさを味わえるのなら、別に死んでもいいかなとは思います。
でもその保証がないので、今の幸せをまだ味わっていたいです。


死んでしまえば、関係のないことです。
「存在すること」にそもそも意味なんてありません。
が、今驚くことに自分の意思の通りに動く体がありますので、できるだけ痛い・辛い思いとかしたくありません。
甘いものを食べて甘いと感じて、好きな音楽を聴いて気持ちが良くなる、そういう感じることを知ってしまった以上はできる限り生きると思います。
それは生き物それぞれ個体が存在して、社会ができてしまったため、感じる能力を育んでそれらに調和したいと言う気持ちが出てきたからかもしれません。
結局ひとりは嫌です。


死ぬのが確定したら、楽しみになるかもしれません。
魂があるならそれはそれで面白いし、「無」ってどうなるんでしょうね。
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ご質問に相応しくない答かもしれません。



1)目的、原動力 - そんな難しいことを考えません。  多くの人はそう言うことを考えて生きているのでしょうか。  かなりのパーセントの人がとくに意識しないで毎日を過ごしているように思えてなりません。

2)何故生きるのをやめないのか。
これも難しい問題です。  強いて言えば、やめなければならない決定的な理由が無いことぐらいしか思いつきません。

(神仏はいない、人は死ねば無と思うぐらい)無信仰ですが、誰かが言った「生きていて当り前、何時死んでも不思議は無い。」と感じています。
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明確な目標はないけれど何か一旗挙げたいから。


仕事にしろ友人にしろ、私を必要としている人がいるから。
と言うのは格好悪すぎるかな。
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